あいたくて
次の日もステラはキルアの部屋に来た。手にはクッキーを持っている。
「キルア〜! ゲームしたくてまた来ちゃったよ。今日はクッキー焼いてみたんだ」
キルアはベッドに寝転がってゲームをしていたが、ステラの声に気づき、バッと体を起こした。その顔には明らかに喜びが浮かんでいる。
「お、また来たのか! って、クッキー? 手作り? マジで!? すげー! いい匂い! お前、菓子作りもできんのかよ。やるじゃん」
彼はベッドから飛び降りると、ステラが持つ皿に駆け寄った。甘い香りが部屋に広がる。一枚つまんで口に放り込むと、その美味しさに目を丸くした。
「うまっ! これ店で売ってるやつよりうまいぞ!」
「ほんと? お店のよりおいしい? えへへ……嬉しい。そんなに喜ぶならまた作っちゃおうかな」
ステラははにかむように笑って自分もクッキーを食べた。キルアは満足そうに笑いながら、コントローラーを指さした。
「よーし、今日もやるぞ! クッキー賭けて勝負だ。負けた方が罰ゲームな!」
「え〜っ罰ゲーム!? 私、初心者だよ!? キルアに勝てるわけ無いじゃん!」
ステラは思わず口を尖らせて不満そうにしながらもコントローラーを手に取る。キルアはクッキーをもう一枚つまみ上げながら、いたずらっぽく笑った。
「安心しろよ、今日は初心者でも楽しめるレースゲームだから。それに、ハンデつけてやるよ。俺は片手でプレイするから」
「レースゲーム? ほんと? 初心者でもできる? ってかキルア片手でできるの!?」
テレビ画面にカラフルなレーシングカートゲームが映し出される。キルアは軽快にメニュー画面を操作していく。
「ほら、キャラクター選べよ。俺はこの青いヤツで行くぜ。罰ゲームは...…負けた方が勝った方の言うこと一つ聞くってのはどう?」
「じゃあ私は紫の子にしようかな」
キャラクターを選びつつ『勝った方の言うこと一つ聞く』に反応してキルアを見ると「ええ……、いいけど変な命令しないでよ? 絶対だよ?」と言った。ステラが不安そうな顔をしているのを見て、キルアはもう一枚クッキーを口に入れて自信満々に自分の胸を叩いた。
「変な命令なんてしねーよ。ま、俺が勝つに決まってるけどな。ステラもこんなに美味いクッキー作れるなら、ゲームだって絶対うまくなるって。それに…...」
彼は少し声をひそめ、真剣な眼差しでステラを見た。
「ステラがここにいると、なんか楽しいんだ。イルミの婚約者とかじゃなくて、ただのステラとして」
「えっ? ただのマヤとして? そっか……私もキルアといると楽しいよ。本当に」
キルアはレースが始まるまでのロード画面を見ながら、楽しそうに足をぶらぶらさせる。
「罰ゲームはさ、例えば...…今度作ってくるお菓子を俺の好きなやつにするとか、そんなんだよ」
「ふふ、私の作ったお菓子、気に入ってくれたんだ?」
レースのスタートカウントが始まると、キルアの表情が真剣なものに変わった。
「よし、いくぞ! 絶対に負けねーからな!」
「よ、よーし! こうかな?」
キルアは約束通り片手でコントローラーを巧みに操りながら、ステラの画面をチラリと盗み見る。
「お前、なかなかやるじゃん! でも、このカーブは俺の方がうまいぜ!」
「これ! 楽しいね!!」
ステラは見事なハンドルさばきで駆け抜けていく。キルアは驚きに目を見開いた。ステラの操作は初心者とは思えないほど滑らかだ。
「なっ!? まさか、ゲームやったことあるじゃん! うわ、アイテム取られた!」
「なに、これ?」
突然ステラの車から飛んできた赤い甲羅に彼のカートが直撃し、壁に激突する。キルアは思わず体を傾けて必死に巻き返そうとした。
「くっ...…まだまだ! こっちだって本気出せば...…あ、やべ! 約束破っちゃった...…でも負けるわけには...…うおおっ!」
最終ラップ、互いに譲らない接戦が続く。キルアの額に汗が浮かび、無意識のうちに両手でコントローラーを握りしめていた。ゴールラインが見えてきた瞬間、二人のカートが並走する。
「「うわあああああ!」」
二人の叫び声と同時に、ゴール音が鳴り響いた。
「ああっ! 負けちゃった……。もうキルア、両手使ってたじゃん! ずるいよ〜っ! キャッ……」
思わず身を乗り出して抗議してバランスを崩し、キルアの体に倒れ込む。突然の重みに、キルアは一瞬息を止めた。ステラの髪が首筋をくすぐり、甘いクッキーの香りが鼻をかすめる。
「うわっ!? ちょ、おまっ……大丈夫かよ!? っ、重くねーし、別に平気だけど……」
慌ててマヤの体を支えようとするが、慣れない状況にどうしていいかわからず、彼の耳は真っ赤に染まっていた。ぶっきらぼうに言いながらも、その手は優しくステラの背中に添えられている。ステラは慌てて身を起こし、キルアの上から退くと狼狽しながら謝る。
「ご、ごめん、キルア押し倒しちゃって……。キルアこそ大丈夫? どこか打ってない?」
「それより、両手使ったのは……その、お前が思ったより強かったからで……。ズルしたのは謝るって」
「え? そう? 私レースゲーム向いてるのかな?」
ステラは褒められて嬉しそうに屈託なく笑う。キルアは視線を泳がせ、小さな声で付け加えた。
「だから、罰ゲームはなしだ。それか、俺が罰ゲーム受けるから……」
「罰ゲームかあ……そうだなあ。んー……」
「な、なんだよ。そんなにジロジロ見るなよ……」
ステラはじーっとキルアの顔を見つめて考える。なかなか思いつかずにそのまま目を瞬かせながら見つめ続ける。そんなステラの真っ直ぐな視線に耐えきれず、キルアはぷいっと顔をそむけた。心臓が妙に速く打っているのが自分でもわかる。彼はまだ赤みが残る耳を隠すように、ボリボリと頭を掻いた。その仕草は、彼の戸惑いを隠せていない。
「ちょっと待って今考えてるから」
「別に、なんでもいいって。……あ、じゃあさ、今度作ってくるクッキーを倍にするとか」
「ええっ、キルアが罰ゲーム受けてくれるんでしょ? さっきそう言ってたじゃん」
我ながらつまらない罰ゲームだと思ったのか、キルアは少しむくれた表情でステラをちらりと見る。
「……それか、また明日も遊びに来いよ。それまでに考えたらいいだろ? 罰ゲーム」
結局、ただ明日も会いたいだけなのを誤魔化すように、彼はそっけなくそう言い放った。キルアの会いたい気持ちには気付くことなくステラは「えーっ」と不満げにしたが、そのあとで嬉しそうに笑う。
「あっ、また明日も来てもいいんだ? ありがとう。ねえ、じゃあさ、罰ゲーム。……キルアの頭撫でてみたい。ふわふわしてそうだなあって思って」
キルアはステラの思いがけない言葉に、カッと顔を赤らめた。心臓がドクンと大きく跳ねる。
「はぁ!? な、なんでだよ! 人の頭なんて撫でて何が楽しいんだよ!」
動揺を隠すように大声を出すが、ステラの純粋な好奇心に満ちた瞳に見つめられ、言葉に詰まる。
「……っ、わ、わかったよ! 罰ゲームなんだから仕方ねーな! ほら、さっさとしろよな……! 一回だけだからな!」
キルアは観念したように目をぎゅっとつむり、少しだけ頭を下げた。銀色の髪がサラリと揺れる。その声は少し震えていて、強がっているのがバレバレだった。触れられるのを待つ姿は、まるで小さな猫のようだ。ステラはまるで猫みたいで可愛いと思ったが口にはしなかった。そのままそっと手を伸ばし、少しだけ身を寄せるとキルアの頭をふわりと撫でた。
「わあ……ふわふわだ……」
ステラの髪もふわふわな髪質だったがそこは棚に上げてその手触りに感心し、ふわふわと撫でた。ステラの指が髪に触れた瞬間、キルアは身体に電流が走ったような感覚を覚えた。家族にも、こんな風に優しく触れられた記憶がない。
「っ……!」
思わず漏れた小さな声を誤魔化すように、キルアは唇を噛んだ。ステラの手が髪を撫でる感触は、予想以上に心地よくて、少しずつ緊張が解けていく。
……へんな気分だな。でも、嫌じゃ……ない。
無意識のうちにステラの方へ頭を傾けていた。そんな自分に気づいてキルアは慌てて姿勢を正す。
「……あのさ、明日も来るんだろ? その時は……俺がゲームで勝つからな。覚悟しとけよ」
照れ隠しの強がりだったが、瞳には確かな期待が灯っていた。どこか寂しげな屋敷の中で、初めて見つけた温もりを失いたくなかった。
「うん! ありがとうキルア。明日も遊ぼうね。……って、勝ったのはキルアだよ?」
キルアの頭から名残惜しげに手を離し、ステラはふわりと笑った。
「よーし、もっかいやろ!次は黄色の子にしてみよっかな」
ステラはすっかりゲームが気に入った様子で楽しげに笑っていた。ステラの笑顔に、キルアは少し恥ずかしさを感じながらもコントローラーを握り直した。暗殺の修行さえも時に息苦しかったこの屋敷で、こんな風に誰かと笑い合うのは初めての経験だった。
「黄色なんて遅すぎるぜ! 青の方が速いんだってば!」
そう言いながらも、ステラと並んで画面を見つめる横顔には、珍しく緊張のない表情が浮かんでいた。
「ねぇ、ステラは明日からずっとここにいるの? イル兄が言ってたけど……別に構わないけどさ。暇だし。……それに、お前、俺より強くはないけど、弱すぎてつまんないってわけでもないし」
何気なく聞いたつもりだったが、声には無意識の期待が混じっていた。キルアは少し顔を伏せ、画面の中の車を操作することに集中するフリをする。彼なりの最大級の褒め言葉だった。
「え、なになに? 私ともっと一緒にいたいって? ふふっ、ありがとうキルア! 私もだよ! ずっと、ここにいるよ」
おどけた調子で言いながらいたずらっぽく笑ってみせた。ひとしきりレースゲームを楽しむといつの間にか外は夕暮れになっていた。
「あ……もうそろそろ部屋に戻らないと……。イルミが帰ってくるね」
「ああ...…そうだな」
キルアはステラの言葉に複雑な表情を浮かべた。イルミの名前を聞いた瞬間、わずかに身体が強張る。窓から差し込む夕陽に照らされた部屋の中で、キルアは言葉少なに頷いた。イルミの婚約者というステラの立場を思い出し、なんとなく居心地が悪くなる。
「でも明日また来るんだろ? 約束したじゃん」
「うん! また明日ね、キルア」
少し強引に話題を変えると、キルアは立ち上がりステラに背を向けた。見えないようにするためだ。
「俺、待ってるからな。明日は絶対完璧に勝つし...…それに、ほかのゲームも見つけておくよ。ステラ...…あんまりイルミの言うこと全部聞かなくていいんだぜ。あいつ、変なやつだから」
振り返ったキルアの表情には、少年らしい期待と、どこか孤独を知る子供特有の不安が混ざっていた。