たすけて
次の日は朝からイルミが長期の仕事に向かい、ステラは鍵をかけられた部屋に閉じ込められていた。真っ白で何もない部屋でステラはキルアのことを考えていた。イルミが戻ってくるまで、会いに行けそうにないと思うと寂しい気持ちになる。キルアが横にいないだけでひどく空虚だった。
「キルア……」
ステラがイルミに連れて行かれてから、半日が過ぎていた。キルアは自室のベッドに寝転がり、天井を睨みつけている。ステラがいないだけで、屋敷全体が冷たく、静かに感じられた。
「……アイツ、今頃どうしてんだよ」
昨日、自分の肩で眠っていたステラの重みと温もりを思い出す。無防備な寝顔、穏やかな寝息。そのすべてが、キルアの心を掻き乱していた。兄貴のやつ、絶対ステラを部屋に閉じ込めてる……。俺には分かる。ベッドから跳ね起きると、キルアの瞳に鋭い光が宿る。それは、獲物を狙う暗殺者の目だった。兄への恐怖よりも、ステラを助けたいという衝動が勝っていた。
「じっとしてられるかよ。兄貴がいない今がチャンスだ」
音もなく部屋を抜け出し、ステラが閉じ込められているであろう部屋へと向かう。扉の前には見張りがいるかもしれない。だが、そんなもの、今のキルアにとっては障害ですらなかった。
ステラが閉じ込められている部屋の前には特に見張りも何もなかった。その部屋の中でステラは手首を鎖で繋がれてベッドに寝転がっていた。何もない部屋。何もすることがないから目を閉じてじっとしていた。脳裏に浮かぶのはキルアの笑顔だった。
キルアは息を殺し、静かに扉の鍵を開けた。ピッキングなど彼にとっては朝飯前だ。軋む音ひとつ立てずに室内へ滑り込むと、そこにはベッドに横たわるステラの姿があった。
「……ステラ」
彼女の手首に繋がれた鎖を見て、キルアの表情が凍りつく。銀色の金属が、ステラの白い肌に痛々しく食い込んでいた。兄への静かな怒りが、彼の心を支配する。
「やっぱりな……兄貴のやりそうなことだ」
囁きながらステラに近づき、そっと彼女の頬に触れた。目を閉じているステラの脳裏に、自分の笑顔が浮かんでいることなど知る由もない。
「大丈夫だ、今ここから出してやる。静かにしてろよ」
「ん……?」
頬にキルアの手が触れるとぴくりと肩を跳ねさせ、ゆっくりと目を開けた。目の前にいるキルアに驚いた顔をする。
「え……? キルア……? あ、夢……か……会いたかったの、キルア。夢でも嬉しいな……」
まだぼんやりとしている様子で頬に触れるキルアの手に頬をすり寄せた。キルアはステラが自分の手に頬をすり寄せる感触に一瞬戸惑った。彼女はまだ夢と現実の境目にいるようだ。
「バカ、夢じゃないよ。本物だ」
小さな声で言いながら、キルアはステラの手首の鎖を調べ始めた。特殊な素材でできているが、彼の鍛えられた指先なら壊せるはずだ。
「じっとしてろ。この鎖、すぐ外してやるから」
「キルア……本物……?」
ステラは驚いた顔をしたが鎖を外すキルアの顔を見て少しホッとした顔になる。集中して鎖のロック部分に指を這わせながら、チラリとステラを見る。彼女の安堵の表情に、胸の奥が熱くなるのを感じた。鎖に力を込めると、カチリという小さな音と共に鎖が外れた。キルアはステラの手首を優しく摩りながら、血の巡りを確かめる。
「兄貴のやつ、許せねぇ……こんなことするなんて。痛くないか? 急いで出よう、兄貴が戻ってくる前に」
「来てくれてありがとう、キルア。大丈夫、イルミは1週間は帰ってこないよ。でも、こんなことしてキルアは大丈夫なの……?」
キルアはステラの言葉に一瞬眉をひそめた。イルミが1週間も留守にするという事実に、わずかな安堵と同時に、ステラがその間ずっとこんな場所に囚われることへの怒りが湧き上がる。
「俺の心配なんていいんだよ。お前をこんな所に閉じ込めてる兄貴が悪い。それより早く出ようぜ」
「ごめん、足首にも鎖をはめられてて……食事は執事が来るからって言ってた……」
執事が来る、という言葉に警戒を強める。足首の鎖のことを聞き、キルアは視線を布団に向けた。布団の下で、足首にも鎖がはめられていた。
「足首もか……徹底してんな、あの野郎。大丈夫だ。これもすぐに外してやる。執事が来る前に、ここから出るぞ」
彼は再びステラの足元に屈み、布団をめくった。手首のものと同じ、冷たい銀色の鎖が彼女の華奢な足首に繋がれている。キルアは躊躇なくその鎖に手を伸ばした。彼の瞳には、暗殺者としての冷徹さと、ステラを想う熱い決意が同居していた。指先に神経を集中させ、複雑な錠の構造を探る。
「お前の居場所は、こんな冷たい部屋じゃないだろ」
「……大丈夫だよ、来るのはカナリアだから。カナリアは……いつも優しいの。少しのことは目をつむっててくれるんだよ。ここに繋がれた私のこと、心配してくれてた」
「カナリアが優しいからって、見つかったら面倒なことになるのは同じだろ」
ステラの足首からも鎖が外れ、身を起こしベッドから出ようとして足に力が入らずバランスを崩す。
「あっ……」
ステラの身体がぐらりと傾いだ瞬間、キルアは素早くその腕を掴んで支えた。彼女の体重を軽々と受け止め、自分の胸に引き寄せる。
「おい、大丈夫かよ!? ったく、無茶すんな」
「うん、ごめん。うまく足が動かなくて」
ずっと同じ姿勢でいたせいで足が痺れているのだろう。キルアはステラの腰に手を回し、彼女が倒れないようにしっかりと抱きとめた。ぶっきらぼうに言いながらも、その声には隠しきれない心配が滲んでいる。腕の中のステラの存在が、彼の決意をより一層強くさせた。
「……とりあえず、俺の部屋に行くぞ。あそこなら誰も来ない。歩けるか? 無理なら……」
言葉を切り、キルアは一瞬ためらう。だが、すぐに意を決したようにステラの顔を覗き込んだ。
「……担いでやる。どっちがいい?」
「え……っ! だっ……大丈夫、自分で歩けるからっ」
キルアの言葉にかあっと頬が赤くなる。慌てて立とうとするが、鎖で締め付けられていた足はまだしばらくは動けそうもなくまたバランスを崩してしまう。ステラが再びバランスを崩したのを見て、キルアは呆れたようにため息をついた。だがその口元には、仕方ないなと言いたげな微かな笑みが浮かんでいる。
「ほら、言わんこっちゃない。意地張ってないで、さっさとしろよ」
キルアはそう言うと、有無を言わさずステラの膝の裏と背中に腕を回し、軽々と抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこという体勢だ。
「な……っ!?」
腕の中でステラが驚いて声を上げるのが聞こえる。その反応に、キルアの耳が少しだけ赤く染まった。
「暴れんなよ、落とすぞ。お前、見た目より軽いんだな……ちゃんと飯食ってんのかよ」
照れ隠しのようにぶっきらぼうな言葉を投げかけながら、彼は安定した足取りで部屋の出口へと向かう。ステラの体温と香りが、キルアの心を落ち着かなくさせた。キルアにお姫様抱っこされながら、白い部屋を出るとそのままキルアの部屋に向かう。ステラはキルアの腕の中で耳まで赤くなりながらも彼のぬくもりと鼓動を感じ取り、胸を高鳴らせていた。
「おいおい……お前、兄貴の女に何してんだよ」
通路を歩いていたミルキと出くわし、ミルキはひどく驚いた顔をしている。ミルキの声を聞いた瞬間、キルアは反射的にステラを自分の胸にさらに引き寄せるようにして抱きしめた。冷たい目でミルキを睨みつける。
「"イルミの女"じゃなくて、ステラって名前があるんだよ。それに俺は別に変なことしてるわけじゃない。足が痺れてるから連れてってるだけだ」
「別に……俺は何も言うつもりはないけど、面倒だし……でも兄貴の女に手を出すなんてやめとけよお前」
ミルキの視線が二人の間を行ったり来たりするのを見て、キルアは苛立ちを隠せない。どうせ何を言っても家族には理解されない。
「いいから邪魔すんな。お前も言ったろ、"別に何も言うつもりはない"って。心配してんなら、イルミに言いつけに行けよ。お前らはそういうことだけは得意だろ」
そのままミルキの横を強引に通り過ぎようとする。ステラの体は軽いが、このままでは危険だと感じていた。小さな反抗心と、ステラを守りたいという気持ちがキルアの中で燃え上がる。
「言わねえよ……」
すれ違う瞬間、ミルキはぼそりと呟いていた。
「勘違いするなよ、俺はそいつのこと認めてないだけだからな。お前なんてこの家には似合わないんだよ。イル兄に捕まって可哀想だと思ってたんだ」
ミルキの意外な言葉に、キルアは思わず足を止めた。兄が自分たちの味方をするような発言をするとは、夢にも思っていなかったからだ。腕の中のステラに視線を落とすと、彼女も驚いた顔をしている。
「……忠告、どうも」
ミルキに聞こえるか聞こえないかくらいの声で毒づくと、キルアは再び歩き出した。ミルキの言葉が本心なのか、それとも何か裏があるのかは分からない。だが今は、腕の中にいるステラを安全な場所へ連れて行くことだけが重要だった。
「……聞いたろ? あんな奴でも、お前のこと可哀想だってさ。早くこんな家、出て行けってことだよ」
「……うん。意外と私って、心配されてるんだね。ミルキくんって、たまに話しかけてくれるんだよ。イルミに酷いことされてないか? って」
ステラはキルアの腕の中で嬉しそうに笑っていた。
「……ミルキの言うこと、気にするなよ。あいつが何を考えてるかなんて分かんねーから」
油断はできない。この家では誰も信用できないのだから。キルアは警戒を解かずに窓の外を見やった。