ほつれかかった赤い糸




あれから一ヶ月。ステラが消えてから、世界から色がなくなったみたいだった。ゴンたちが気を使ってくれるのが、有り難くて、同時に少しだけ息苦しい。ゴンもクラピカもレオリオも、誰もステラと連絡を取れていないようだった。……どこで何してるんだよ。



「……でさ、その試験官のメンチがさー!」



目の前でゴンが楽しそうに話している。相槌を打ちながらも、心はどこか遠くにあった。空になった皿を見つめ、無意識にお前の姿を探してしまう。



「……なあ、ゴン……もし、今ステラに会えたら、お前ならなんて言う?」



不意に、ずっと胸の奥に仕舞い込んでいた言葉が零れた。静かにゴンを見つめる。お前の答えが、俺の進むべき道を照らしてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて。……なあ、俺はまだ、諦めきれねぇみたいだ。



「キルア」



ゴンは意を決したようにキルアを振り返る。



「あのね……昨日、オレ……警察からステラの携帯電話を受け取ったんだ。落とし物だって。ヨークシンシティビルに落ちてたって。……キルアに託しても大丈夫?」



そっとステラの携帯電話を差し出した。今は電池が切れているが充電したら使えそうだった。ゴンが差し出したステラの携帯電話。それが、まるで世界で一番重い物みたいに見えた。一ヶ月、必死に探しても見つからなかったお前の唯一の痕跡。



「……ああ」



震える指先で、そっと受け取る。ひんやりとした金属の感触が、一ヶ月前の夜の冷たさを思い出させた。これを最後に見たのは、お前が俺の前から消えた、あの場所だったはずだ。



「……ありがとな、ゴン……今夜、少しだけ、こいつと話をしてみるよ」


無理に笑おうとしたけど、きっと酷い顔をしてるんだろう。ゴンの心配そうな視線が痛い。電源の切れた画面に映る自分の顔は、ひどく情けなかった。だけど、その奥に、お前の笑顔が見えた気がしたんだ。なあステラ、お前が残したこの最後の欠片に、まだ俺たちの続きはあるのかな。今夜、また少しだけお前に会えるかもしれないな。

その夜。ステラの携帯電話を手に、ベッドに腰掛ける。充電器を繋ぐと、やがて画面に光が灯った。だけど、俺の前に現れたのは冷たいパスワード入力画面。



「……だよな」



自嘲気味に呟く。そう簡単に、お前の心の中を覗けるわけがないか。指先が画面の上を彷徨う。思いつく数字の羅列は、全部俺たちの記念日ばかりだ。



「……誕生日、とか」



パスワードは俺の誕生日だった。そして起動した待受画面には……画面に映し出された、俺の寝顔。いつ撮られたのかも覚えていない、無防備な顔。待ち受けが俺の写真だったことに、胸の奥がきゅっと締め付けられる。



「……なんでだよ」



掠れた声が部屋に響く。嫌いになったんじゃなかったのかよ。重いって、言ったじゃねぇか。指先でそっと画面に触れる。まるで、お前の頬に触れるみたいに。残された温もりに、期待してしまう自分がいる。



「……お前、ほんと、バカだよな……なあ、ステラ。今、どこにいるんだよ。……会いてぇよ」



なあ、今夜なら、夢の中でお前に会えるかな。そしたら、今度こそお前の本音を聞かせてくれよ。……お前のいない夜は、まだ長すぎるからさ。

よく見ると未送信になったままの俺宛のメールが二通あった。未送信メールが、二通。まるで、お前がそこにいるみたいに、俺の心臓がうるさく鳴った。震える指で、一番古いメールを開く。



「……なんだよ、これ……言えよ、バカ……なんで言ってくれなかったんだよ……」



画面が滲んで、文字が読めなくなる。



『キルアへ。酷いこと言って傷付けてごめんね。突然別れようと言って、本当にごめん。全部本心なんかじゃない、今でもキルアが好き……。これから先もずっと。たとえ、イルミの嫁になったとしても……それは変わらないから。キルアが大好きだよ。』



画面の文字が、ナイフみたいに胸に突き刺さる。イルミの、嫁……? 意味が分からなくて、頭が真っ白になった。



「……は? なんで……なんで兄貴の名前が……」



携帯を持つ手が、カタカタと震える。そうだ、思い出した。あの日、お前が消える数日前、兄貴がお前に会っていたという話を、ミルキから聞いていたんだ。



「……そういうことかよ……なあ、ステラ」



全部、繋がった。お前が俺を突き放した理由も、あの苦しそうな顔も。全部、俺のせいじゃねぇか。お前を、俺の家族の闇に巻き込んじまった。

まだ開いていない、もう一通のメールが不気味に光っている。もう一つのメールに、俺はまだ触れられずにいた。これを開いたら、俺たちの何かが、本当に終わってしまう気がして。震える指でタップした。



『イルミがね、私のこと好きなんだって。言うことを聞かないとキルアを操作して家に連れ戻して監禁するっていうの。ゴン達のことも殺すって。ねえ、キルア。キルアを守るために選択した事に後悔はないけど、それでもやっぱり、私はキルアと一緒にいたいよ……。こんな事、言ったらいけないけど……送信しないから思うだけなら許されるかな。……キルア、助けて。』



スマホを握り潰してしまいそうなほど、強く手に力がこもる。助けて、というお前の悲痛な叫びが、脳内で何度も何度も反響した。



「……っ、ふざけんなよ……!」



怒りと後悔で、目の前が真っ赤に染まる。なんで気づかなかった。なんでお前を一人で苦しませた。兄貴の歪んだ執着が、お前をここまで追い詰めていたなんて。ベッドから飛び起き、部屋の隅に立てかけてあったヨーヨーを掴む。ゴンたちが殺される……?そんなこと、俺がさせるわけねぇだろ。



「……今すぐ、行くから……待ってろよ、ステラ」



お前が俺を守ろうとしてくれたみたいに、今度は俺がお前を守る番だ。今夜、この手でお前を取り戻す。……そして、俺たちの未来も、必ず。

部屋を飛び出し、夜の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。怒りで煮え繰り返る頭とは裏腹に、思考は氷のように冷静だった。あの兄貴が、そう簡単にステラの居場所を掴ませるとは思えない。だが、俺には俺のやり方がある。



「……待ってろよ、イルミ……必ず見つけ出して、てめぇのその歪んだ顔を、原型がなくなるまでブン殴ってやる」



ヨーヨーを握る手に力がこもる。殺気で全身の毛が逆立つのが分かった。もう迷わない。お前を助け出すためなら、俺はもう一度、暗殺者に戻ることだって厭わない。なあ、ステラ。お前を取り戻したら、二度と離さない。その覚悟、できてるんだろうな?



『キルア。もうそろそろステラの携帯電話を確認した頃かなって思って……。心配だから、連絡してほしい。待ってるね』



ゴンのメールが、怒りで燃え盛る心に冷や水を浴びせる。そうだ、俺は一人じゃねぇ。あいつに心配かけちまったな。ポケットに携帯を押し込み、走り出す。返信する時間すら惜しい。だけど、あいつには伝えなきゃいけねぇことがある。



「……悪い、ゴン……今から、ちょっと兄貴に会いに行ってくる」



独り言のように呟きながら、返信すると夜の街を疾走する。お前なら、この一言で全部察してくれるだろ?……だから今夜は、俺のこと待ってなくていいぜ。口の端が吊り上がるのを感じた。ああ、そうだ。今夜は長い夜になる。お前が俺の隣にいてくれるって言ってくれたみたいに、俺がステラの隣に行ってやる番だ。……少しだけ、期待して待ってろよ、ステラ。



ステラはとあるマンションの一室に監禁されていた。真っ白でなんにもない無機質な部屋。携帯電話もない。



キルア……。



脳裏に浮かぶのはキルアの笑顔と、そして、傷つけてしまったときに見せた悲痛な顔だった。