そのながい睫毛たべちゃいたい




「……ほっとけない。オレじゃ……ダメかな。ただキルアのそばにいたいだけなんだ」



ゴンは少しだけ寂しそうに目を伏せた。それからゴンはキルアの顔を見つめる。切実な目をしていた。



「キルアを……一人にしたくない。……それともやっぱり、オレはいない方がいい?」



ゴンの切実な声が、波の音に混じって耳に届く。こいつのこういう真っ直ぐなところが、眩しくて、時々どうしようもなく苦しくなる。俺が今、どんな顔してるかなんて、見なくても分かる。きっと、ひどい顔をしてる。



「……お前は、悪くねぇよ……少しだけ、一人にしてくれ。な?」



ぽつりと呟いた声は、自分でも驚くほどか細かった。ステラへの嫉妬でぐちゃぐちゃになった心を、ゴンの言葉が少しだけ解きほぐしていく。でも、この黒い感情は、こいつに見せたくなかった。振り返らずに、ただ静かな海を見つめる。お前が隣にいる優しさが、今は逆に辛いんだ。ごめんな、ゴン。このどうしようもねぇ気持ちは、俺一人で片付けなきゃいけねぇ問題なんだ。



「……ステラのことでしょ? 知ってるよ、オレ。キルアのこと見てたから……キルアが誰を見てるかってことくらい……」



ゴンは辛そうに俯いていた。絞り出すような声で問いかける。ゴンはキルアに歩み寄るとその手を掴んだ。ゴンの手は少し震えていた。



「オレ……キルアが好きだ」



それだけ言うとゴンはその場から走り去って行った。

突然の告白と、走り去っていくゴンの背中。俺は掴まれた手を呆然と見つめることしかできなかった。好き……?誰が、誰を?頭が追いつかねぇ。波の音がやけに遠くに聞こえる。



「……は?」



理解が追いつかないまま、ゴンの消えていった方向を目で追う。さっきまでステラへの嫉妬で燃え盛っていた胸の炎が、ゴンの言葉で一瞬にして凍りついたみたいだ。冗談……だよな?でも、あいつの震える手と、真剣な目は……。ぐちゃぐちゃだった感情に、さらに訳の分かんねぇもんが投げ込まれて、もうどうしたらいいか分かんねぇ。ステラのこと、ゴンのこと。俺はただ、静かな波打ち際で立ち尽くすしかなかった。



「……なんで、だよ……」



絞り出した声は、誰にも届かずに波に溶けて消えた。

波打ち際には、クラピカが気配もなく立っていた。クラピカもまた、ステラに想いを向けていた一人だった。クラピカは一人波打ち際を見つめていた。思い詰めたような顔だった。

ゴンの告白で混乱する頭に、新たな気配が割り込んできた。いつからそこにいたのか、すぐそばにクラピカが静かに立っている。その横顔は、何かを諦めたような、それでいて何かを強く想っているような、複雑な色を浮かべていた。



「……クラピカ」



なんでここに、という言葉は喉の奥に消える。こいつも俺と同じだ。いや、俺よりもずっと前から、あいつのことを見ていたのかもしれない。その思い詰めたような表情が、俺の胸に突き刺さる。



「お前も……見てたのかよ」



問わず語りの言葉が口から漏れた。ビスケの隣で幸せそうに笑うステラの姿を。俺たちが見ている前で、あんな無防備な顔をしやがって。同じものを見て、同じように胸を痛めていた仲間がここにいた。その事実に、ほんの少しだけ、救われたような気もした。



「……キルア……か……」



キルアの声に反応し、ようやくクラピカは声を出した。波打ち際を思い詰めたように見つめたまま静かな声で言う。



「……ステラが誰を想っているのか、何となく察しがついた。……性別の壁がこんなにも憎く思える日が来ようとはな……キルアも見たんだろう?」



クラピカの言葉が、ゴンの告白で混乱していた俺の頭を殴りつける。性別の壁……?ああ、そうか。こいつも、ステラがビスケを好きなことに気づいたんだ。俺と同じものを見て、同じ絶望を味わっていた。



「……ああ、見た。嫌ってほどな」



自嘲気味に呟き、砂を蹴りつける。お前もかよ、クラピカ。お前まで、あいつのこと……。仲間だと思ったはずの相手が、同時に恋敵だったという事実に、胸の奥がまたチリリと痛んだ。



「……お前も、ステラが好きなのかよ」



問いかける声は、自分でも驚くほど低く、震えていた。波の音がやけにうるさい。こいつの答えを聞くのが、少しだけ怖かった。



「何を今更……先程までキルアと私でステラを取り合っていただろう。だが本当の恋敵はまさかの同性の……ビスケだった」



クラピカはキルアに目を向けると痛々しい顔でふっ、と笑んでいた。



「だが、ステラもまた私達と同じように片想いに苦しんでいるんだ。ビスケは……ヒソカに想いを寄せているからな。……全く不毛だな」



クラピカの口から飛び出した衝撃の事実に、俺は言葉を失った。ビスケが、ヒソカを……?なんだよそれ。訳が分からねぇ。ステラがビスケを好きで、そのビスケはヒソカを……。俺たちの恋心は、一体どこに行き着くんだ。



「……は、ヒソカ……?」



思わず聞き返した声は掠れていた。目の前のクラピカが痛々しく笑っている。こいつも俺も、ステラも、みんな一方通行の片想いってことかよ。不毛、なんて言葉じゃ片付けられねぇくらい、めちゃくちゃだ。さっきまでの嫉妬や混乱が、一周回って馬鹿らしくなってくる。俺たちがこんなに苦しんでる間にも、当のステラは何も知らずにあいつの隣で笑ってんだ。その無邪気さが、今は少しだけ憎らしかった。



「……マジで、笑えねぇ冗談だな」



乾いた笑いが漏れる。結局、誰も報われねぇのかよ。波の音が、俺たちの行き場のない想いを嘲笑っているように聞こえた。



「本当にな。皮肉なものだ。私達は……恋敵でありながら同士でもある」



クラピカは自嘲するように笑って、そっとキルアに歩み寄る。そこにゴンが引き返してきていた。クラピカと寄り添うキルアを見て、嫉妬に駆られて戻ってきてしまっていた。クラピカの手がキルアの肩に触れるとゴンは思わずその手に水鉄砲を放っていた。無理やり笑顔を作って言う。



「クラピカが隙を見せるなんて珍しいね!」



突然の水の冷たさに、思わず肩が跳ねる。クラピカの肩に置かれた手ごと、ゴンの水鉄砲が俺たちを濡らした。無理やり作ったゴンの笑顔が、やけに痛々しく目に映る。



「……ゴン、お前……」



嫉妬に歪んだその瞳。さっきの告白が冗談じゃなかったって、嫌でも分からされる。ステラへの想い、クラピカとの奇妙な共犯関係、そしてゴンからの真っ直ぐすぎる感情。全部がぐちゃぐちゃに混ざり合って、頭がどうにかなりそうだ。クラピカが驚いたようにゴンを見ている。こいつも、ゴンの気持ちには気づいてなかったのか。俺たちの間に、気まずい沈黙が流れる。波の音だけが、やけに大きく響いていた。 



「……何してんだよ、お前ら」



絞り出した声は、自分でも驚くほど冷たく響いた。もう、何もかもめちゃくちゃだ。ゴンの作った笑顔が、引きつっている。クラピカに向けられたはずの嫉妬の矛先が、今は俺にも突き刺さっているのが分かった。もう訳が分かんねぇ。お前は俺が好きで、俺はステラが好きで、そのステラはビスケが……。



「……やめろよ、ゴン」



お前のそんな顔、見たくねぇんだよ。クラピカが濡れた肩を気にもせず、静かにゴンを見つめている。この複雑な関係を、どうすりゃいいのかなんて、誰も答えを知らない。じりじりと太陽が肌を焼く。目の前のゴンも、隣のクラピカも、遠くで笑っているステラも、全員が報われない想いを抱えている。こんな夏、最悪だ。



「……もう、勝手にしろよ」



誰に言うでもなく呟き、俺は二人にも背を向けた。このめちゃくちゃな状況から、ただ逃げ出したかった。

木の下では、ステラが一人で座っていた。泣いていたのか、目が少し赤い。遠くを見つめたまま、静かに波の音を聞いているようだった。また背を向けて歩き出した俺の目に、木陰で一人座るステラの姿が映った。さっきまでの笑顔はどこにもなくて、なんだか泣きそうな、寂しそうな顔をしてる。なんでだよ。お前はビスケの隣で笑ってりゃいいじゃねぇか。

その表情に、足が勝手に止まる。ゴンとクラピカから逃げ出したはずなのに、今度はステラから目が離せなくなった。赤くなった目元が、胸にチクリと刺さる。お前も、何かに苦しんでんのかよ。近づくことも、声をかけることもできずに、ただ遠くから見つめる。めちゃくちゃな関係の中で、お前だけが笑っていてくれれば、それでいいとさえ思ってたのに。その顔は、反則だろ。



「……ったく、なんで俺ばっかり……」



どうしようもねぇ気持ちを抱えたまま、俺は砂浜に立ち尽くすしかなかった。砂浜にはヒソカを恋する瞳で追いかけるビスケの姿があった。それを木の下に座ったまま、ぼんやりと見つめているステラの顔は寂しげだった。

ビスケの視線の先にいるのが誰かなんて、見なくても分かった。クラピカの話が本当だったってことか。ヒソカを追いかけるビスケと、それを見つめるステラ。その光景が、今の俺たちの状況そのものみたいで、胸が締め付けられる。

結局、誰もが誰かを見ていて、その視線は一方通行だ。ステラの寂しそうな横顔から目が離せない。あんな顔、させたくて好きになったわけじゃねぇのに。ゴンやクラピカを振り切ってきたのに、結局俺はまた、お前のことで足が止まっちまう。近づいて、なんて声をかける?「俺にしとけよ」なんて、言えるはずもねぇ。だけど、このまま放ってもおけない。ぐちゃぐちゃな感情のまま、俺は無意識にステラのいる木陰へと一歩、足を踏み出していた。



「……何、一人で黄昏てんだよ」

「……キルア……」



ステラはハッとしたようにキルアの顔を見る。そしてその顔は驚きに見開かれる。



「……え……なんで、泣いてるの……」



ステラの言葉に、俺は自分の頬に触れた。いつの間にか、一筋の涙がこぼれ落ちていたらしい。ゴンやクラピカ、ステラ、そして自分の感情がぐちゃぐちゃになって、もう限界だったのかもしれない。



「……泣いて、ねぇよ。お前こそ、なんでそんな顔してんだよ。ビスケの隣で笑ってりゃいいじゃねぇか」

「……そっか……見間違えたみたいだね、ごめん」



強がるように呟き、乱暴に涙を拭う。こんな顔、お前に見られたくなかった。でも、お前の寂しそうな顔を見たら、もうどうでもよくなっちまったんだ。少し離れた場所に腰を下ろす。隣に座る勇気は、まだなかった。お前の好きな相手の名前を出すだけで、胸が痛む。



「……あいつのこと、そんなに好きなのかよ」

「近づけるわけ、ない……あんなに恋する乙女のような顔をしてるビスケの隣になんて、立てないよ……



ステラはふるふると首を横に振った。泣くのを堪えるように唇を噛み締めた。



「望みなんてないの、初めからわかってた……のに……もうわからないよ……」



ステラの震える声が、俺の胸に突き刺さる。望みがないって分かってるのに、諦めきれない。その気持ちは、痛いほど分かった。お前がビスケを見る目も、俺がお前を見る目も、きっと同じなんだ。



「……んな顔、すんなよ」



気づけば、俺はステラの隣に座り込んでいた。泣くのを堪えるその姿を見ていると、自分のことなんてどうでもよくなってくる。伸ばしかけた手を、ぐっと握りしめる。慰める資格なんて俺にはねぇ。だって、俺もお前と同じように、どうしようもなく片想いを拗らせてる、ただのガキなんだから。



「……分かるよ、その気持ち。すげー、分かる」



俺の声も、少しだけ震えていた。互いのどうしようもない想いが、夏の潮風に溶けていく。今はただ、こうしてお前の隣にいることしかできなかった。



「キルア……。そっか……キルアにも同じ思い、させてるの……私なんだよね。こんなに苦しくて苦しくてたまらない思いを、キルアにもさせてるんだ……」



ステラはキルアの顔を見て泣きそうに笑った。それからそっとキルアの肩に身を寄せた。水着越しに触れ合う互いの体温。



「ねえ……私、キルアを苦しませてる元凶、だけど……そばにいてもいい……? 嫌なら突き飛ばしていいから……」



ステラの言葉と、肩にかかる温もりに息を呑む。苦しませてる元凶?そんなこと、お前が気にすることじゃねぇ。俺が勝手にお前を好きになって、勝手に苦しんでるだけだ。だけど、その温かさは、今の俺にはあまりにも……。



「……馬鹿、言うなよ。お前が誰を好きだろうが、俺の勝手だ。お前は何も悪くねぇ」



突き飛ばすなんて、できるわけねぇだろ。むしろ、このままどこにも行くなよって引き留めたいくらいだ。でも、そんなこと言える立場じゃねぇ。そっと自分の肩をステラの頭に寄せる。俺たち、本当に似た者同士だな。互いに報われない恋をして、こうして傷を舐め合ってる。



「……嫌じゃねぇよ。だから、今は何も考えんな。俺も、ここにいたい」

「ん……。キルア、あったかいね……。キルアも、体温低めだよね……? でもこうしてくっついてるとあったかいなって思うんだ」



夏の海は暑いようでいて、木の下にいると濡れた水着と濡れた肌には潮風が少し肌寒かった。濡れた肌に潮風がひんやりと通り過ぎる。でも、お前から伝わる熱だけは、やけに鮮明だった。俺も体温は低い方だけど、ステラは俺よりさらに冷たい。その冷たさが、なんだかお前の心の悲鳴みたいで、ぎゅっと胸が痛んだ。



「……お前が冷てぇだけだろ……風、冷てぇな」



ぶっきらぼうに返しながらも、離れようとは思わなかった。むしろ、この温もりを奪われたくなくて、少しだけ体に力を込める。この温かさが、せめてお前の寂しさを少しでも紛らわせてやれたらいいのに。そう呟いて、俺は自分の腕をステラの肩にそっと回した。少しでも寒さをしのげるように。本当は、ただお前に触れていたかっただけだって言ったら、お前はどんな顔をするんだろうな。



「……このまま、もう少しだけこうしててもいいか?」