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マヤは俺の礼なんて気にも留めず、クラピカのポロネーゼを美味そうに食っている。俺が勇気を振り絞って言った言葉は、あいつの「おいしい」の一言で簡単に掻き消された。胸の奥がズキリと痛む。



「………」



俺は自分の目の前に置かれたトマトのパスタを、ただ無言で見つめた。一緒に同じものを食べるのが嬉しい、なんて言ってたのはどこのどいつだよ。結局、お前にとってはその程度なんだろ。フォークを握る手に、無意識に力が入る。クラピカが満足げに口元を緩めているのが見えて、余計に腹が立った。俺はただ、お前に……お前にだけ、見ててほしかったのに。



「……いらねぇ」



そう呟いて、俺は席を立った。もう、ここにいても意味がねぇ。背後からゴンやレオリオが俺を呼ぶ声が聞こえるが、振り返る気にはなれなかった。なんだよ、結局俺だけが空回りして、バカみてぇじゃねぇか。



「……っ」



レストランのドアを乱暴に開けて外に出る。ひんやりとした夜風が、火照った頬にやけに冷たく感じた。期待なんかするから、こうなるんだ。分かってたはずなのに。マヤが俺の隣に来てくれた時、頭を撫でてくれた時、抱きしめてくれた時……ほんの少し、特別になれた気がした。でも、全部俺の勘違いだった。

あいつにとって俺は、ただの「わがままを言うガキ」で、クラピカの方がずっと大人に見えてるんだろう。チクショー……。なんでこんなに、胸が痛ぇんだよ。静かな夜道に、自分の足音だけが響く。さっきまでのレストランの喧騒が嘘みてぇだ。なんであんなにムキになっちまったんだろうな。マヤがクラピカと仲良くしてるのが、ただ気に入らなかっただけじゃねぇか。



「……ガキかよ、俺は」



自嘲気味に呟いて、近くの公園のベンチに腰を下ろした。夜空を見上げても、星なんて全然見えねぇ。マヤの笑顔を思い出すだけで、胸が締め付けられる。あいつは俺のことなんて、何とも思ってねぇんだ。



「分かってたはずなのにな……」



期待して、勝手に舞い上がって、勝手に傷ついてる。ダセェにも程があるだろ。それでも、隣に座ってくれた時の温もりや、抱きしめられた時の匂いが、まだ体に残ってる気がして、息が詰まりそうだった。

頭を抱えて、ベンチの上で小さくうずくまる。マヤが俺の隣に来てくれた時、あんなに嬉しかったのに。クラピカの存在一つで、全部台無しにしちまった。結局、俺はまだゾルディック家の檻の中にいるのと変わらねぇのかもしれない。

自分の嫉妬深さが嫌になる。マヤはただ、みんなと仲良くしたいだけなんだろう。俺が勝手に線を引いて、勝手に傷ついてるだけだ。あいつは何も悪くねぇ。悪いのは全部、こんな感情をコントロールできねぇ俺の方だ。



「会いてぇ……」



でも、どんな顔して会えばいいんだよ。今レストランに戻っても、気まずくなるだけだ。どうすりゃいいか分からなくて、ただ夜風に吹かれているしかなかった。ゴンが大慌てで駆け寄ってくる。



「キルア! マヤが……」



ゴンの慌てた声に、俺は勢いよく顔を上げた。息を切らして駆け寄ってきたゴンの顔は、いつもの快活さとは程遠い、焦りの色に染まっていた。マヤが、なんだって?



「マヤがどうしたんだよ! ……俺のせいか?」



ベンチから立ち上がり、ゴンの肩を掴む。まさか、俺が飛び出したせいであいつに何かあったんじゃ……。最悪の想像が頭をよぎり、心臓が嫌な音を立てて跳ね上がった。声が震える。俺が勝手に拗ねて、あいつを傷つけちまったのか?だとしたら、俺は……。ゴンの次の言葉を待つ間、ほんの数秒が永遠のように長く感じられた。



「イルミに連れ去られた……クラピカはイルミとマヤを追いかけて走っていった」



ゴンが悔しそうに唇を噛み締めている。ゴンの言葉が、頭の中で反響する。イルミ……?兄貴が、マヤを……?なんで。どうして。思考が追いつかず、目の前が真っ暗になりかけた。クラピカが追った?そんなの、気休めにもなりゃしねぇ。



「……っ、あの野郎……!」



俺はゴンの肩を掴んでいた手に、無意識のうちに力を込めていた。さっきまでの自己嫌悪なんて、一瞬で吹き飛んだ。今はただ、煮え繰り返るような怒りだけが俺を支配している。



「行くぞ、ゴン!」



マヤを連れ去った兄貴への殺意と、あいつを守れなかった自分への不甲斐なさで、頭がおかしくなりそうだ。俺は歯を食いしばり、クラピカが向かったという方向へ、全力で走り出した。マヤ、無事でいてくれ……!



「マヤは俺の嫁だから。迎えに来ただけ」



イルミがマヤの手を掴んだまま言うとクラピカが「それは許さん! マヤは……マヤは……私の、大事な人だ。お前には渡さない」と言った。

クラピカの言葉が、遠くで聞こえた気がした。俺の嫁?大事な人?ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、どいつもこいつも!



「……マヤは、お前らのモンじゃねぇだろ……っ!」



奥歯をギリリと噛み締める。兄貴の歪んだ独占欲も、クラピカの勝手な想いも、全部腹立たしい。マヤは道具でもトロフィーでもねぇんだよ。怒りに任せて、さらにスピードを上げる。肺が痛ぇ。足がもつれそうだ。でも、そんなことどうでもいい。今はただ、一秒でも早くあいつの元へ辿り着かなきゃならねぇ。



「待ってろ、マヤ……! 俺が、絶対……!」



今度こそ、守ってみせる。誰にも、お前を好き勝手させたりしねぇから。



「もう、イルミしつこい! 嫁にはならないって言ってるでしょー!!」



マヤはイルミに掴まれた手でそのままイルミを一本背負いした。すかさずクラピカがマヤの手を掴んで自分の背後に隠して「消えろ。二度とマヤの前に姿を現すな」と冷徹に言った。

遠くで聞こえるマヤの怒鳴り声と、何かが地面に叩きつけられる鈍い音。そして、クラピカの冷え切った声。その全てが、俺の焦りを煽る。



「……チッ!」



俺がいないところで、勝手に話を進めてんじゃねぇよ。マヤがイルミを投げ飛ばした?想像はつくが、それで兄貴が諦めるわけねぇだろ。クラピカが庇ってる?だからなんだってんだ。



「どいつもこいつも……っ!」



マヤは俺が守るんだよ。お前らじゃねぇ。焦りと嫉妬が入り混じった感情で、胸が張り裂けそうになる。角を曲がった先、ようやく三人の姿が見えた。マヤはクラピカの背中に隠れている。その光景に、また胸がチリっと痛んだ。



「……マヤ!」



叫びながら、俺は二人の間に割って入る。イルミを睨みつけながら、マヤの手を掴んだ。今度は、絶対にこの手を離さねぇ。



「ちょっ……両手が塞がるんだけど……」



クラピカとキルアに手を掴まれたマヤは困ったように言う。イルミはその場で立ち上がると「ふぅ、仕方ないな、一旦引くよ。でもマヤは絶対に嫁に来てもらうからね」と言い残して去っていった。

兄貴が去った後も、俺はマヤの手を掴んだまま、その場に立ち尽くしていた。クラピカも同じように、反対側のマヤの手を握っている。両手が塞がって困っているマヤの声なんて、今の俺には届かねぇ。



「……なんでお前がこいつの手、握ってんだよ」

「……守っていただけだが?」



俺はイルミが去った方向からクラピカに視線を移し、低い声で問い詰める。さっきの「大事な人だ」って言葉が、頭の中で何度も繰り返されてムカつく。



「離せよ。こいつは俺が守る」



マヤの手をグイッと引き寄せる。お前なんかに、マヤを任せられるかよ。こいつがどれだけ無茶するか、お前は知らねぇだろ。俺が、俺が側にいなきゃダメなんだ。

だがクラピカも同じようにマヤの手をグイッと引き寄せた。



「もー! 二人とも喧嘩しない! それより、早くホテルで休もうよ。色々あって疲れたし」



マヤはそれでも二人の手を拒むことなく、呆れたようにそう言った。

マヤの呆れたような声に、俺はハッとして動きを止めた。こいつは呑気にホテルで休もうなんて言ってるが、さっきまで兄貴に狙われてたってこと、分かってんのか?



「……お前な、少しは危機感持てよ」



掴んだ手に力がこもる。クラピカも同じことを思ったのか、苦々しい顔で口を開いた。



「キルアの言う通りだ。ゾルディック家の人間が相手では、ホテルにいても安全とは限らん」



俺たちの心配をよそに、マヤは「大丈夫だよ」なんて言って笑う。その無防備さが、たまらなく腹立たしくて、同時にどうしようもなく愛おしい。チッ、俺はこいつの手を引いて、無理矢理にでもホテルへと歩き出した。

キルアに手を引かれるようにして歩き出すとマヤの手を繋いだままのクラピカも歩き出し、キルアとクラピカと手を繋いで歩く形になった。



「えっ、ハンター専用のセキュリティホテルがあったはずだけど……野宿するよりは安全だと思う」



二人から苦々しく言われてしまったマヤは自分の考えを述べた。

マヤの言葉に、俺は少しだけ考える。確かに、ハンター専用のホテルならそこらの宿よりはマシだろう。だが、兄貴が本気ならそんなセキュリティ、意味があるとは思えねぇ。



「……気休めにしかならねぇよ」

「えー、野宿よりはいいかと思ったんだけど……」



俺は吐き捨てるように言うと、繋いだままのマヤの手をちらりと見た。クラピカもまだその手を離そうとしないのが、無性に気に食わない。なんでこいつと手を繋いだまま歩かなきゃならねぇんだよ。



「とにかく、今はそこに向かうしかねぇか」



俺は不機嫌さを隠さずにそう言って、歩くペースを少し早めた。マヤを挟んでクラピカと並んで歩くこの状況が、息苦しくてたまらなかった。もっと、俺がマヤの近くにいたいのに。

ホテルに到着し、窓口の前に立つ。俺とクラピカはまだマヤの手を繋いだままだ。フロントの奴がジロジロと俺たちのことを見てやがる。チッ、うぜぇな。



「……おい、部屋取るんだろ。さっさとしろよ」



俺はマヤの顔を覗き込むようにして、ぶっきらぼうに言った。本当は、こんな言い方がしたいわけじゃねぇ。だけど、クラピカが隣にいると思うと、素直になんてなれるかよ。俺は掴んでいるマヤの手に少しだけ力を込める。この手を離したくねぇ。クラピカよりも、俺の方がマヤの側にいたい。その気持ちだけが、胸の中で渦巻いていた。

三人一緒の部屋を取り、クラピカが鍵を受け取ると今度はクラピカに手を引かれるようにして歩き出す。部屋に入るとベッドが三つ並んで置いてあり、三人がけのソファーとテーブルのあるシンプルな部屋となっていた。セキュリティのためか窓はないようだ。



「というか、ゴンとレオリオ置いてきちゃったけど大丈夫?」



三人で手を繋いだまま部屋に入ると、マヤは今気付いたように言う。

マヤの言葉に、俺は思わず舌打ちしそうになった。今さらゴンの心配かよ。あいつは一人でも何とかするだろ。それより、お前のことだろうが。



「……あいつらのことより、まずお前の心配しろよ」

「ええ……」



俺はクラピカに引かれていたマヤの手をぐっと引き、自分の隣に立たせる。当然、クラピカの手もこっちに引かれてくる形になるが、そんなことは知ったこっちゃねぇ。



「それより、いつまでこいつの手を握ってんだよ。もう部屋に着いただろ。離せ。マヤの隣は、俺の場所だ」



俺はクラピカを睨みつけて、低い声で言った。さっきからずっと気に食わなかった。こいつがマヤを守った?だからって、いつまでも触れてていい理由にはならねぇ。

クラピカもマヤの手をしっかりと握り込み、その隣をキープする。



「そちらこそいつまでマヤの手を握ってるつもりだ? キルアが離さない限りは私も絶対に離さない」



クラピカは屹然とした顔で答えた。間に挟まれたマヤは困ったように肩をすくめてソファーを指さした。



「……とりあえず、座ろうよ……」



クラピカの奴、俺の言葉に一歩も引く気はねぇらしい。俺がマヤの手を掴んでるのと同じくらいの力で、あいつもマヤの手を握り返してやがる。間に挟まれたマヤが呆れてるのが分かるが、今はそんなこと気にしてられるかよ。



「……へぇ、上等じゃねぇか。お前なんかに、マヤは渡さねぇ」



俺はマヤの手を引いて、無理やりソファに座らせる。もちろん、俺もその隣にぴったりとくっついて座った。当然、クラピカも反対側に座る。マヤを真ん中にして、俺たちは睨み合った。ソファに座っても、繋いだ手は絶対に離さない。こいつは俺が守る。俺だけの特権だ。誰にも譲る気はねぇ。



「疲れてるところ悪いけど、今夜は寝かせねぇからな。お前がその手を離すまで、ずっとこうしててやるよ」



キルアがぴったりとくっついて座るため、クラピカも同じようにマヤの隣にぴったりとくっついて座った。マヤの手をしっかりと、でも優しく握りしめたままだ。



「キルア、距離が近すぎじゃないのか。……私だってマヤの隣は誰にも譲る気はない」



二人にしっかりと手を握り込まれたマヤは手を動かせず、困ったような顔をする。



「……ええ……私両手使えないじゃん……このままずっと起きてるつもり? もう、ホテルに着いたんだから二人とも手を離そうよ。お風呂とかどうするの」



マヤの呆れたような声に、俺は少しだけ冷静さを取り戻す。確かに、このままじゃ風呂にも入れねぇし、何もできねぇ。だが、クラピカより先に手を離すなんて選択肢は、俺の中にはなかった。



「……うるせぇな。風呂くらい我慢しろよ」

「そういうわけにはいかないだろう。マヤの安全を確保するのが最優先だ。交代で見張りをすればいい。まずはマヤに入浴してもらおう」



俺はそっぽを向きながら、ぶっきらぼうに言い放つ。隣のクラピカが、冷静な声で反論してきた。チッ、正論を言いやがって。だが、こいつの提案に乗るのも癪に障る。



「……だったら、俺が先に見張りだ。お前はさっさと風呂でも入ってこいよ」



俺はクラピカを睨みつけ、挑発するように言った。お前がいなけりゃ、マヤと二人きりになれる。その方がよっぽどいい。



「……じゃあ、先にお風呂入ってくるね。だから二人とも、手を離してもらえないかな?」



マヤはキルアとクラピカに繋がれた手を動かし、離させようとする。クラピカはキルアの顔を睨むように見ながらマヤの手をそっと離した。

クラピカが先にマヤの手を離したのを見て、俺は思わず舌打ちする。なんでこいつは、こうもあっさり引けるんだよ。俺はまだ、この手を離したくねぇのに。



「……チッ」



マヤが俺の手を軽く揺する。その仕草に、俺は渋々といった体で力を抜いた。指先が離れる瞬間、名残惜しさに無意識に指を絡めてしまう。解放されたマヤは、すぐにバスルームへと向かっていく。その後ろ姿を見送りながら、俺はソファの反対側に座るクラピカを睨みつけた。



「……おい。お前、さっきからなんなんだよ。マヤのこと、どう思ってやがる」

「なんの話だ」




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