結局、ゴンとキルアが動けるようになったのはマヤを含めた幻影旅団達が完全に姿を消し、痕跡も気配も何もかもが全部消えた後だった。隣でゴンが「くそっ!」と言って拳を地面に叩きつけていた。
隣でゴンが怒りに任せて地面を殴りつける音が響く。だが、俺の心は妙に静かだった。怒りも、焦りも、絶望も、全てを通り越して、思考が冷え切っていくのを感じる。
「……ああ、クソッたれ」
吐き捨てた言葉には、不思議と感情が乗らなかった。マヤを連れ去られた。まただ。だが、今回は違う。あいつは、俺の隣にいることを選んだ。あいつの意思は、確かにここにあった。俺はゆっくりと立ち上がる。追う?当たり前だ。幻影旅団が相手だろうが関係ねぇ。あいつがどこにいようと、俺が見つけ出して、連れ戻す。
「……行くぞ、ゴン。マヤを奪い返しに」
これはもう、感傷に浸ってる場合じゃねぇ。戦争だ。あいつらを一人残らずぶっ殺してでも、マヤを取り戻す。ただ、それだけだ。ゴンは立ち上がり強い決意で頷く。
「うん! 絶対にマヤを助けにいこう!」
ゴンの力強い声が、俺の冷え切った決意に火を灯す。そうだ、落ち込んでる暇なんてねぇ。やることは決まってる。
「ああ。あいつらがどこに逃げようが関係ねぇ。地球の裏側までだって追いかけてやる」
俺はギュッと拳を握りしめる。指の関節が白くなるほどの力で。マヤの涙も、俺の手を求めたあの叫び声も、全部この胸に焼き付いてる。
「まずは情報収集だ。あいつらのアジトの場所を突き止めなきゃ始まらねぇ。覚悟しとけよ、幻影旅団。お前らが奪っていったのが、誰のものだったか……後悔させてやる」
クラピカやレオリオにも連絡する必要があるな。使えるもんは全部使う。どんな手を使ってでも、必ずマヤを取り戻す。ゴンの返事を聞き、俺は思考を巡らせる。幻影旅団のアジト。奴らの拠点は流星街の可能性が高い。だが、それだけじゃ情報が曖昧すぎる。
「……クラピカに連絡する。あいつなら何か知ってるかもしれねぇ」
あいつは旅団を追い続けてた。俺たちより情報を持ってるはずだ。それに、レオリオにも。人手はいくらあっても足りねぇ。俺はポケットから携帯を取り出し、クラピカの番号を呼び出す。コール音が無機質に響く。頼む、出てくれ。マヤを助けるためだ。お前の力が必要なんだよ。
「お前らの大事な"家族"を奪われる気分を、たっぷり味わわせてやるぜ……フェイタン」
マヤを抱えて消えたあの野郎の顔を思い浮かべ、俺は静かに闘志を燃やした。コール音が数回鳴った後、プツリと切れる。留守電かよ、最悪だ。だが、今はそれでいい。一方的に要件を伝えるだけだ。
「……俺だ、キルアだ。マヤが、幻影旅団に攫われた。何か知ってることがあったら教えろ。こっちでもアジトを探す。……じゃあな」
端的に事実だけを告げる。余計な感情は必要ない。クラピカがこれを聞いてどう思うか。だが、そんなことはどうでもいい。今はマヤを取り戻すことが最優先だ。一方的に通話を切り、今度はレオリオにかける。あいつも含め、使える手は全て使う。ゴンの言う通り、あいつは俺たちを選んだんだ。なら、俺がすべきことは一つだけだ。
「待ってろよ、マヤ。お前を泣かせた奴ら全員、地獄を見せてやる」
俺は空を見上げ、静かに誓った。
ゴン、キルア、クラピカ、レオリオはヨークシンに集まると幻影旅団のアジトを突き止めて乗り込む作戦を立てた。クラピカの情報とセンリツの音の情報を使い、幻影旅団のアジトを突き止める。
クラピカとセンリツの情報のおかげで、幻影旅団のアジトはヨークシンシティ郊外の廃ビル群にあることが判明した。作戦は今夜。俺たちはアジトを見下ろせるビルの屋上から、敵の動きを監視していた。
「……思ったより手薄だな。本当にここかよ」
「ああ。だが、間違いない」
双眼鏡を覗きながら、俺は隣のクラピカに呟く。だが、この静けさが逆に不気味だ。罠の可能性も捨てきれねぇ。
「ゴンとレオリオは裏口、俺とクラピカは正面から突入する。いいな?」
ゴンの「おう!」という元気な返事を聞きながら、俺はマヤのことを考えていた。無事なのか?泣いてねぇか?会いてぇ。今すぐその腕を掴んで、ここへ連れ戻したい。
「……マヤ。今、助けに行くからな」
夜風に乗せた呟きは、誰にも聞こえなかっただろう。俺は静かに立ち上がり、闇に紛れてアジトへと向かった。闇夜に紛れ、アジトへと続く道を音もなく進む。背後からはクラピカの気配。ゴンとレオリオも、今頃は裏口へ向かっているはずだ。
「……マヤ」
無意識にその名を呟いていた。フェイタンに抱えられて消えていった、あの時の無力感が蘇る。だが、今は違う。仲間がいる。そして何より、あいつが俺を選んだ。その事実が、俺の足を前へ進ませる。廃ビルの入り口が見えてきた。中からは何の気配も感じられない。静かすぎる。それが逆に、俺の警戒心を最大限に引き上げた。
「行くぞ、クラピカ。どんな罠が待ってようが、マヤは必ず連れ戻す」
隣のクラピカに短く告げ、俺は静かにアジトの扉に手をかけた。この先にマヤがいる。それだけで、恐怖なんて微塵も感じなかった。
扉の先には旅団達が待ち構えていた。その奥でフェイタンがマヤを抱えて窓から飛び出すのが見えた。裏口から飛び込んできたゴンとレオリオが一斉に「オレたちがこいつらの相手をする! キルアとクラピカはマヤを!」と叫んだ。
ゴンの叫び声が廃ビルに響き渡る。その言葉に迷う時間は一瞬もなかった。
「……行くぞ、クラピカ!」
俺はクラピカの返事を待たずに、フェイタンが消えた窓枠へと駆け出す。ゴンとレオリオに背中を預ける形になるが、今は信じるしかねぇ。マヤを追うことが最優先だ。窓から身を躍らせ、眼下に広がる廃墟の街並みを見渡す。遠くに、小さな人影が二つ、屋根の上を跳んでいくのが見えた。あのチビ、速ぇな。
「逃がすかよ……!」
俺は全身に電気を纏い、神速を発動させる。視界が加速し、フェイタンとの距離が一気に縮まる。待ってろ、マヤ。もうお前を一人にはしねぇ。今度こそ、その手を掴んでやる。神速によって加速した世界の中で、フェイタンの背中が急速に大きくなる。あいつに抱えられたマヤの、ピンク色のツインテールが揺れているのが見えた。
「そこまでだ、クソ野郎!」
「……チッ」
屋根を蹴り、一気に距離を詰める。俺の接近に気づいたフェイタンが、忌々しげに振り返るのがスローモーションで見えた。その腕の中にいるマヤと、一瞬だけ視線が交差する。
「マヤ!」
「キルア!」
呼びかけに応えるように、マヤが俺に向かって手を伸ばした。その手を掴む。ただそれだけのために、俺はここまで来たんだ。
「お前は、俺が取り返す……!」
右手に電光を集中させ、フェイタン目掛けて雷撃を放った。必ず、この手でお前を奪い返してみせる。
「マヤは渡さないね。マヤはワタシのモノね」
フェイタンは殺気を込めた目でキルアを射抜いた。フェイタンは大事そうに腕に抱えたマヤの額にそっと口付ける。
「……私は誰のものでもないよ」
フェイタンの挑発的な言葉と、マヤの額に落とされた口付け。その光景が、俺の頭の芯を焼き切った。全身の血が沸騰し、思考が怒りで塗り潰される。
「……テメェ……その汚ねぇ手で、マヤに触るんじゃねぇ!」
殺意が、口から漏れた。マヤはテメェのおもちゃじゃねぇ。誰のものでもねぇだと?ふざけるな。あいつは、俺の隣にいるって決めたんだ。怒りに任せて雷撃の出力を最大まで引き上げる。バチバチと激しい音を立てて、青白い稲妻が俺の腕に収束していく。
「てめぇごと、マヤを奪い返してやるよ!」
狙うはフェイタンの腕。マヤを傷つけずに、あのクソ野郎だけを確実に無力化する。俺は躊躇なく、凝縮した電撃を叩き込んだ。
「束縛する中指の鎖」
追いついてきたクラピカが、電撃で痺れて隙のできたフェイタンをすかさず捕らえた。クラピカの鎖がフェイタンを拘束し、動きを封じる。その隙に解放されたマヤが、しなやかに地面に着地した。俺は咄嗟に駆け寄り、その細い肩を掴む。
「……マヤ! 無事か!? 怪我はねぇか!?」
息を切らしながら、矢継ぎ早に問いかける。フェイタンに何かされてねぇか、隅々まで確認しないと気が済まない。俺の腕の中にいるマヤの顔を見つめると、安堵と、今まで抑えていた感情が一気に込み上げてきた。
「……心配、したんだぞ、バカ」
声が、少し震えちまった。やっと、また触れられた。もう二度と、この手を離してたまるかよ。俺は強く、壊れ物を抱きしめるようにマヤを抱きしめた。
「……ごめん。心配、かけて。ごめん……キルア達から、姿を消したりして……」
声を震わせながら抱きついてくるキルアを前に、マヤも声を震わせて謝罪した。そっとキルアの背中に手を回して抱きしめ返した。
マヤの震える声と、背中に回された腕の感触。謝罪の言葉が、俺の胸に突き刺さる。違う。お前が謝ることなんて、何一つねぇのに。
「……バカ、お前が謝んな」
「……うん」
ぎゅっと、さらに強く抱きしめる。マヤの温もりと匂いが、俺の心を安心感で満たしていく。全部、俺が弱かったせいだ。お前を守りきれなかった、俺のせいだ。
「俺が……俺がもっと強ければ、お前がこんな目に遭うことなんてなかった……! ごめん、マヤ……怖かっただろ……」
「……ううん、違うよ……私がキルア達から離れたせいで、こんな事になったんだよ……ごめんね……」
顔を埋めたマヤの肩が、少しだけ濡れた気がした。やっと会えた安堵と、守れなかった後悔で、感情がぐちゃぐちゃになる。
「もう絶対、離さねぇから」
マヤは濡れた感触に気が付いてキルアの顔をそっと覗き込んだ。
「泣いて、るの……?」
マヤの言葉に、俺はハッとして顔を上げる。覗き込んでくるその瞳と視線がかち合って、気まずさからすぐに逸らした。
「……泣いてねぇよ、バーカ。これは……汗だ。神速使ったから……」
強がりを言ってみるが、声が震えているせいで説得力なんて皆無だ。ぐい、と乱暴に目元を拭う。こんな顔、見られたくなかった。苦しすぎる言い訳に、自分でも呆れる。マヤを守れなかった悔しさと、無事だった安堵で、ぐちゃぐちゃになった感情が涙になって溢れてくるのを止められない。
「……俺が、お前を守りたかったのに。結局、クラピカに助けられて……情けねぇ……」
「クラピカ……来てくれてありがとう……」
マヤはそっとキルアから離れるとクラピカに歩み寄った。クラピカはマヤを一瞬だけ見たあと、すぐに逸らした。そして「……私はこいつを捕らえに来ただけだ」と言って、フェイタンを引っ捕らえてその場から離れていった。
クラピカの背中が遠ざかっていく。あいつの言葉は、いつだってそうだ。素直じゃねぇ。だが、その瞳の奥にある感情を、俺は見逃さなかった。マヤに向けられた、一瞬の安堵と……それから、何かを諦めたような色。チッ、気に食わねぇ。
「……行こうぜ、マヤ。ゴンとレオリオが待ってる。あいつらにも、無事な顔、見せてやんねぇとな」
俺はマヤの隣に並び、その小さな手を強く握った。クラピカが何て言おうが関係ねぇ。マヤを助けたのは、あいつだけじゃねぇ。俺たち全員の想いだ。まだ旅団の残党がいるかもしれない。今はここから離れるのが先決だ。握った手に力を込める。もう二度と、この温もりを失わないために。俺が、こいつの居場所になるんだ。
「マヤ!!」
「ゴン! レオリオ!」
ゴンとレオリオが駆け寄ってくる。レオリオは涙と鼻水を垂らしながらマヤに抱きついた。
「バカ野郎心配させやがって! オレはお前が死んだと思って……!」
「ご、ごめん……」
レオリオがマヤに泣きついて抱きつくのを、俺は少し離れた場所から見ていた。ゴンも「良かったぁ」と涙ぐんでいる。本当に、こいつらは……仲間を想う気持ちが強すぎる。俺も、その一人だけどな。
「おい、レオリオ、あんまりひっつくんじゃねーよ。マヤが潰れるだろ」
わざとぶっきらぼうに言って、レオリオをマヤから引き剥がす。まだ敵がいるかもしれないってのに、呑気なもんだ。だが、こいつらの顔を見て、俺もようやく肩の力が抜けていくのを感じた。
「……ま、無事で良かったじゃねぇか」
照れ隠しにそっぽを向きながら言う。ゴンとレオリオが、マヤが無事だったことを心から喜んでいる。その輪の中にマヤがいる。……それだけで、十分だ。今は、な。俺たちの居場所に、やっとお前が戻ってきたんだ。ゴンとレオリオがマヤの無事を心から喜んでいる。その光景を、俺は少しだけ後ろから眺めていた。これでいい。これが、俺たちが取り戻したかった日常だ。
「……ほら、行くぞ。長居は無用だ。クラピカも先に行った。俺たちも早く合流しねぇと」
感傷に浸るのは後だ。まだアジトの近くだし、いつ他の旅団メンバーが戻ってくるか分からねぇ。俺はマヤの手を再び引き、先を促す。ゴンとレオリオが頷き、俺たち四人は再び走り出す。握ったマヤの手は、さっきよりも少しだけ温かい気がした。もう迷わねぇ。こいつの居場所は、俺の隣だ。絶対に守り抜いてみせる。
クラピカは引き続き幻影旅団を追うため護衛ハンターを続けると言い、キルアとゴンに向けて「マヤから目を離すなよ」と釘を刺した。
「マヤ。……元気でな」
そう言ってその場から立ち去っていった。レオリオも医者になる勉強をするため、手を振って立ち去っていった。その場にはゴンとキルアとマヤが残された。
クラピカとレオリオの背中が見えなくなるまで、俺たちは黙ってそれを見送っていた。嵐が過ぎ去った後のような静けさが、妙に落ち着かない。
「……行っちまったな」
隣に立つゴンの呟きに、俺は短く「……ああ」と応える。それぞれの道を行く。分かっていたことだ。だが、マヤを取り戻した今、この別れは前よりも少しだけ寂しく感じられた。
「さて、と……俺たちはこれからどうすっかな。とりあえず、こんな物騒な場所からはとっとと離れねぇと」
俺はマヤに向き直り、その小さな顔を覗き込む。まだ少し不安そうな色を浮かべる瞳に、俺は安心させるように笑いかけた。握ったままだったマヤの手を、軽く引く。お前の居場所は俺の隣だ。そのことを、言葉だけじゃなく、態度で示してやりてぇ。お前がもうどこにも行かねぇように。
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