ゾルディック家の屋敷の奥の頑丈な扉の奥にアルカはいた。退屈しないようにとたくさんのおもちゃに囲まれたアルカはキルアを見て明るい笑顔を向けた。
「お兄ちゃん!」
アルカの部屋はもちろん監視されていた。アルカとキルアのやり取りをイルミ以外の家族全員が見ている。アルカは無邪気に笑いながら言う。
「お兄ちゃん、イイコイイコしてー」
モニター越しに家族の視線を感じる。親父も、母さんも、ミルキも、全員が俺とアルカの一挙手一投足を見ている。だが、そんなことはどうでもよかった。目の前にいるのは、俺が忘れてはいけなかった、たった一人の妹だ。
「アルカ……ごめんな……今まで、会いに来れなくて……」
駆け寄って、その小さな体を強く抱きしめる。こんなにたくさんの玩具に囲まれていても、こいつがずっと一人だったことを俺は知っている。無邪気な笑顔が、逆に胸を締め付けた。こいつをここに閉じ込めたのは、ゾルディック家だ。そして、それを黙認していた俺も同罪だ。俺の手で、必ずここから出してやる。誰にも文句は言わせねぇ。
「うん、いい子だ。アルカは、世界で一番いい子だよ」
アルカの頭を優しく撫でる。この温もりを、俺は二度と手放さない。お前も、マヤも、ゴンも、全員俺が守り抜いてみせる。
カナリヤとゴトーの助けもあり、ゾルディック家からアルカを連れ出すことに成功したキルアはアルカを抱きかかえて走っていた。
森を駆け抜けながら、腕の中の温もりに改めて決意を固める。アルカは俺が必ず守る。そして、この力でゴンを元に戻す。そうすれば、マヤを悲しませずに済む。あいつの笑顔を曇らせるものは、全部俺が排除する。
「大丈夫か、アルカ? しっかり捕まってろよ」
今の俺は一人じゃねぇ。カナリヤも、ゴトーもいる。カナリヤとゴトーがイルミを止めてくれた。それにナニカがイルミを屋敷の中へ追い返してくれた。そして、何より守るべき存在が二人もいるんだ。
「……マヤ、ゴン……待ってろよ」
呟いた名前が、俺に力をくれる。マヤに会いたい。あいつの顔が見たい。その思いを振り切るように、さらに速度を上げた。もう二度と、あいつらを危険な目には遭わせねぇ。そのために、俺は強くなる。
病室にたどり着くとカイトがゴンのそばに佇んでいた。
カイトの背中が、ゴンの惨状を物語っていた。息を切らしながら病室に滑り込み、腕の中のアルカを抱きしめ直す。カイトが驚いたように振り返り、俺と、俺の腕の中にいるアルカを交互に見た。
「……キルア。その子は……」
カイトの問いには答えず、俺はミイラのように変わり果てた親友の姿をただ見つめる。間に合った。いや、ここからが本当の戦いだ。
「アルカ、お願いがあるんだ」
俺はアルカの耳元で囁いた。アルカの力を使えば、ゴンは助かる。マヤとゴンが笑って隣にいられる未来のためなら、どんなリスクだろうと俺が背負う。
「ゴンを……治してやってくれ」
「あい」
ナニカはにっこりと微笑んでゴンを治した。ナニカは、誰かを治したいという願いに代償を望むことはなくただそのまま眠りについた。かわりに元の姿に戻ったゴンが目を覚ます。
「キルア……カイト……」
目の前で起きた奇跡に、俺は息を呑んだ。さっきまで死の淵を彷徨っていた親友が、傷一つない姿で、俺の名前を呼んでいる。腕の中では、アルカがすぅすぅと安らかな寝息を立てていた。
「ゴン……! お前……ほんとに……!」
たまらず駆け寄り、その肩を掴む。温かい。ちゃんと生きてる。その事実だけで、目頭が熱くなるのが分かった。言葉が続かねぇ。安堵と喜びで、胸がいっぱいだった。こいつを失うかもしれない恐怖から、やっと解放されたんだ。マヤに、良い報告ができる。あいつの悲しむ顔を、もう見なくて済む。俺は眠っているアルカをそっと抱え直した。そして、もう一度ゴンの顔を見る。
ゴンはすっかり回復し、元気よくベッドから降りた。カイトが驚いた顔をしたあと、ほっとしたようにゴンの頭を撫でていた。ゴンはキルアに顔を向ける。
「キルア! オレ……どうしてこんな所にいるんだ? たしかキメラアントの所で……」
死の淵をさまよっていたゴンは今の状況がわかっていなかった。
ゴンの戸惑った顔に、俺は苦笑いを浮かべた。こいつは何も覚えてねぇんだ。ピトーとの戦いの後、自分がどうなったのかも。説明すんのは骨が折れるが、それも全部、こいつが生きてるからできることだ。
「……いろいろあんだよ、お前が寝てる間にな。とにかく、お前が無事でよかった。本当に……それだけでいい」
肩をすくめてみせる。隣でカイトが安堵の息を漏らしたのが聞こえた。腕の中のアルカは穏やかな寝息を立てている。こいつが、俺たちの希望だ。今はまだ、イルミが追ってくる可能性がある。のんびりしてる暇はねぇ。ゴンが回復した今、最優先すべきはマヤの元へ戻り、アルカとゴンを守りながらこの場を離れることだ。早くあいつの顔が見てぇ。
「行くぞ、ゴン。マヤが待ってる」
ゴンの回復を目の当たりにして、張り詰めていた緊張の糸が少しだけ緩む。だが、休んでいる暇はない。イルミがいつ追ってくるか分からない。そして何より、マヤに一刻も早くこの朗報を届けなければ。あいつはきっと、一人で不安を抱えているはずだ。
「……事情は後だ。今はここを離れる。マヤの所に行くぞ。あいつに、お前の元気な顔を見せてやらないと」
ゴンの肩を軽く叩き、カイトに目配せする。まだ状況を飲み込めていないゴンは、不思議そうな顔で俺を見ている。だが、その腕を引いてでも連れて行く。あいつの安心した顔が見たい。早く会って、抱きしめたい。その一心で、俺の足は自然と病室のドアへと向かう。アルカを抱く腕に力がこもった。お前とゴンとアルカ、全員まとめて俺が守ってやる。
順調に回復してきたマヤは管を外され、ベッドの上で眠っていた。状況を少しだけ察したゴンはキルアの顔を見て両手を差し出した。
「キルア。マヤを連れてここを出るんだろ? オレがアルカを運ぶよ」
ゴンの申し出に、一瞬だけ躊躇する。こいつにアルカを任せるのは不安じゃねぇ。ただ、俺以外の手でアルカを運ばせることへの、ほんの少しの抵抗。だが、今はそんなことを言ってる場合じゃねぇ。
「……ああ、頼む」
短く答えて、眠るアルカを慎重にゴンに手渡す。温もりが離れていく寂しさを振り払い、俺はベッドで眠るマヤに向き直った。その寝顔は少しやつれていて、俺の胸を締め付ける。
「……マヤ。行くぞ。俺たちの家に、帰るんだ」
声をかけながら、その体をそっと抱き上げる。思ったよりずっと軽い。俺がいない間、こいつは一人でどれだけの不安と戦っていたんだろう。その華奢な体に、もう二度と重荷を背負わせないと誓う。ゴンの腕の中で眠るアルカと、俺の腕の中で眠るマヤ。守るべきものが二つ、この腕の中にある。ずしりとした重みが、妙に心地いい。こいつらのために、俺はなんだってできる。たとえ、この身がどうなろうとも。
「……ん……」
俺の胸に顔を埋めるように、マヤが小さく身じろぎした。その仕草一つで、俺の心臓がうるさく鳴る。首筋に残る俺の印が、独占欲を静かに満たしていく。ああ、早く二人きりになりてぇ。
「ゴン、行くぞ」
小声で促し、俺は気配を殺して病室のドアを開ける。夜の冷たい空気が、頬を撫でた。これからどこへ行こうか。誰にも邪魔されない、お前と俺だけの場所へ。まずは、この窮屈な場所から抜け出すのが先決だ。
アルカを抱えたゴンとマヤを抱えたキルアは安全な場所を確保し、ホテルを取った。ベッドは二つ。
「ひとまずここで休もう、キルア。二人が元気になったら、四人でどこかに行こう? アルカ、ずっと閉じ込められてたんだろ? 案内してあげなくちゃ!」
ゴンの言葉に一瞬、思考が止まる。四人で、どこかへ?そんな当たり前の未来を、俺は夢見ることすら忘れていた。腕の中で眠るマヤの重みと、隣のベッドでアルカを寝かしつけるゴンの背中が、やけに現実味を帯びて目に映る。
「……そうだな」
絞り出した声は、自分でも驚くほど穏やかだった。ゾルディック家からも、幻影旅団からも、誰からも追われない場所。そんな場所が、本当にあるのだろうか。
俺はマヤをそっとベッドに横たえる。その無防備な寝顔を眺めていると、腹の底から独占欲が湧き上がってくる。こいつの隣にいるのは、俺だけでいい。
「お前は、どこに行きたいんだよ」
返事がないと分かっていながら、眠るマヤの髪をそっと撫でた。お前が行きたい場所なら、地の果てだろうと連れて行ってやる。たとえ、ゴンやアルカと離れることになったとしても。
「ん……? ……キルア……」
マヤはゆっくりと目を開けた。頬に触れるキルアの手にそっと手を触れ、キルアの顔を見上げた。
「ここは……?」
マヤが目を覚ました。俺の手のひらに重ねられた、小さくて温かい手。その感触に、どきりとする。不安げに揺れる瞳が俺を映している。ああ、やっとだ。やっと、お前と話せる。
「……ホテルだ。もう大丈夫だよ。ゴンはアルカと一緒にいる。お前も、もう少し休め」
できるだけ優しい声で囁きかける。俺がいない間、こいつがどれだけ心細かったか。それを思うだけで胸が痛んだ。頬を撫でていた指先で、そっと目の下の隈をなぞる。そう言いながらも、本当は離したくなかった。こいつの全てを俺だけのものにしたい。ゴンのことも、イルミのことも、全部忘れて、このまま二人でどこかへ消えてしまえたら。そんな黒い感情が、胸の奥で渦を巻く。
「疲れただろ? 俺がずっとそばにいてやるから」
「うん。ゴンとアルカ……無事に助け出せたんだね、良かった……」
まだアルカの事を知らないはずのマヤは自然とそう言って微笑んでいた。心の底からほっとしたように表情をゆるめ、キルアの手を握りしめた。
マヤの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。なんでこいつは、アルカのことを知ってるんだ?会ったこともないはずなのに。だが、その穏やかな微笑みを見ていると、そんな疑問はどうでも良くなる。今はただ、お前が無事だったことが重要なんだ。
「……ああ。全部、片付いた。お前こそ、もう大丈夫なのか? どこか痛むとか……」
握り返された手の温もりに、張り詰めていた心がゆっくりと解けていくのを感じる。お前がこうして笑ってくれるなら、俺はどんな危険だって冒せる。言いながら、マヤの顔を覗き込む。こいつがいない間、生きた心地がしなかった。失うことの恐怖が、今も胸の奥にこびりついている。もう二度と、お前を一人にはしねぇ。この手で必ず守り抜く。
「腹、減ってねぇか? 何か食えるもん、持ってくるけど」
「うん、もう大丈夫だよ。……キメラアントの傷跡、残っちゃったけど。ほら」
軽く服をめくると腹部にキメラアントの爪で貫かれた傷跡が残っていた。
服の下から現れた生々しい傷跡に、俺は息を呑んだ。治りかけとはいえ、その痕は痛々しく、こいつがどれほどの苦痛に耐えたかを物語っている。俺を庇ったせいで、こいつの綺麗な体にこんな傷が……。
「……っ、なんで見せるんだよ、そんなもん……必ず消してやる。どんな手を使っても、元通りに……」
喉が詰まったような声が出た。こいつの痛みを代わってやれない自分が、どうしようもなく不甲斐ない。思わず傷跡に指を伸ばしかけて、寸前で止める。触れることすら躊躇われた。そうだ、アルカに頼めば……。いや、ゴンを治したばかりで、これ以上あいつに負担はかけられねぇ。なら、他の方法を探すまでだ。どんな情報でも、どんな危険な場所でも、俺が行って手に入れてくる。お前の体に傷一つ残させねぇ。
「……ごめん。キルアが……気にするかもって思って……」
お前の謝罪が、鋭い刃みたいに俺の胸を抉る。なんでお前が謝るんだよ。悪いのは全部、お前を守りきれなかった俺なのに。
「……謝んな。お前は悪くねぇだろ。俺が……俺がもっと強ければ、お前はこんな思いしなかった」
気にするに決まってる。お前の体に残った傷は、俺の弱さの証だ。見るたびに、あの時の無力な自分を思い出して、腸が煮えくり返る。握りしめた拳が、怒りと後悔で震える。お前のせいじゃない。全部、俺のせいだ。その傷は、俺が一生背負っていくべきものだ。だから、絶対俺が消してやる。
「気にすんな。お前の傷は、俺の傷だ。必ず、俺が治す」
目を覚ましたアルカが駆け寄ってくる。アルカは嬉しそうに屈託なく笑っていた。
「お兄ちゃん! マヤお姉ちゃん! 元気になった?」
飛び込んできたアルカの無邪気な声に、張り詰めていた空気が一瞬で和らぐ。俺は反射的に振り返り、駆け寄ってくるアルカの頭を軽く撫でた。
「アルカ。起きたのか。マヤも、今目が覚めたとこだよ。ほら、元気そうだろ?」
隣のベッドでは、ゴンが上半身を起こしてこっちを見て笑っている。その平和な光景に、さっきまでの暗い感情が少しだけ薄れていく気がした。アルカに安心させるように言いながら、俺はもう一度マヤの方へ向き直る。アルカの純粋な笑顔を見て、マヤの表情も少しだけ柔らかくなったように見えた。その顔を見て、俺は決意を新たにする。こいつらの笑顔を、俺が守り抜く。
「みんなで朝ごはんにしよっか」
「うん! あたしもお手伝いするよ!」
マヤが言うとアルカも笑ってついてくる。ゴンも楽しげに「オレも!」と合わせてきた。
アルカとゴンの元気な声が、部屋の空気を温めていく。そのやり取りを、俺は少し離れた場所から眺めていた。みんなで朝ごはん、か。そんな当たり前の日常が、今はひどく眩しく感じる。
「……俺も手伝う」
ベッドから立ち上がり、キッチンに向かうマヤたちの後を追う。さっきまでの重苦しい雰囲気は、もうどこにもない。だが、俺の心の中には、まだあの傷跡が焼き付いて離れなかった。テーブルに並べられていく簡単な食事。その準備をするマヤの横顔を、俺は盗み見る。アルカの力を使えば、あの傷はすぐにでも消せるはずだ。だが、その代償を考えろ。ナニカに無理をさせるわけにはいかねぇ。
「……アルカ」
ふと、隣でパンを運んでいるアルカに声をかける。こいつの「お願い」には、まだ俺の知らないルールがあるのかもしれない。マヤを救う、他の方法が。
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