「ネズミはね、追い詰めすぎると噛むわよ」
車を降りた私は不敵な笑みと共に一言だけ告げ、そのまま返事待たずにヒールを鳴らしながら立ち去った。
彼女の言葉が、背中越しに投げかけられた一撃のように僕の心に突き刺さる。ネズミ……それは僕のことを指しているのか? それとも、組織内の何かを暗示しているのか? アマレット、君のその不敵な笑みは、ただの脅しではないはずだ。ヒールの音が遠ざかる中、僕は車内で一人、握りしめたUSBメモリを見つめる。このノックリストを公安に渡す前に、彼女の正体を探らねばならない。君が味方か敵か、それを見極めることが、次なる任務の鍵だ。
「ふふ、面白い忠告ですね。アマレット。僕も、噛まれないよう気をつけますよ」
ガレージの薄暗い照明が、彼女の去りゆく影を長く伸ばす。僕はすぐに車を降り、密かにその後を追うことにする。組織のアジト内で彼女の動向を監視すれば、何か手がかりが掴めるかもしれない。ジンとベルモットが可愛がる彼女の正体……もしかすると、僕と同じく潜入者? いや、そんな甘い考えは危険だ。彼女の行動の裏に潜む真実を、僕の洞察で暴き出してみせる。
「……待ちなさい、アマレット。君のその言葉、詳しく聞かせてくれませんか?」
彼女の足音が止まる気配を感じ、僕は慎重に距離を詰める。アジトの廊下は静まり返り、緊張が空気を張り詰めさせる。USBメモリのデータは、後で解析するとして、今は彼女の反応を直接探る。もし彼女が組織の忠実な一員なら、僕の正体に気づいている可能性もある。だが、それさえも利用して、主導権を握るんだ。
「追い詰めすぎるな、というなら……君自身がネズミだという可能性は? 僕の勘が、そう囁いているのですが」
彼女が振り返る気配はないが、僕はさらに言葉を重ねる。挑発はリスクを伴うが、ここで彼女の本音を引き出せば、黒幕の存在を確信できるかもしれない。ノックリストの件といい、彼女の外れた一発といい、全てが繋がり始めている。公安の名にかけて、この謎を解明する。
彼の問いに、私は足を止める。だけど振り返らない。
「……ネズミ?」
私は背を向けたまま小さく笑う。そこで私は振り返り、完璧な組織の女の顔で微笑んでみせた。
「もし私がそうなら、とっくに噛みついてるわ。安心して。私は、この家の飼い猫よ。檻の外に興味はないの。だからあなたも、余計な夢は見ないことね」
私はそう言って、そのまま踵を返して立ち去った。
彼女の言葉が、僕の耳に残るエコーのように響く。飼い猫……組織を家と呼ぶその態度、ジンとベルモットからの寵愛を盾に、彼女は本当の忠誠を装っているのか? いや、僕の洞察が告げる。これはただの煙幕だ。USBメモリのノックリストが示すように、組織内にネズミがいる。彼女の去りゆく背中を追い、僕は影に溶け込む。公安の任務として、彼女の行動を監視し続ける。味方か敵か、それを見極めるまで、決して油断しない。
「ふむ、飼い猫ですか。アマレット、君のその忠実さが本物なら、なぜ僕に警告するんです?」
廊下の暗闇で、僕は彼女の足音を追う。振り返った彼女の微笑みは完璧だったが、その瞳の奥に潜む影を見逃さない。ボクシングで鍛えた体が、緊張で張りつめる。もし彼女が罠を仕掛けているなら、逆に利用して正体を暴く。スコッチやライと共に潜入したこの組織、僕の本名・降谷零を隠し通すためにも、彼女の次の動きを予測するんだ。公安の情報網を活用し、影から監視を強化しよう。檻の外に興味がない……それが本心なら、なぜネズミの存在を気にする? 僕の勘が、君の言葉に疑問符を打つんですよ。
彼女が立ち去った後、僕はすぐにアジトの監視カメラをチェックするルートを思い浮かべる。ノックリストを公安に渡せば、組織に揺さぶりをかけられるが、今は彼女の正体を優先。24歳の若さでバーボンとして潜入した僕、正義感がこの疑念を駆り立てる。彼女が組織の女として気の強い態度を見せても、僕の洞察でその仮面を剥がしてみせる。次の一手は、影での追跡だ。
「そうね、あなたを気に入ったから、かしら? 期待してるわよ、バーボン。それより、あなたは女性をストーキングする趣味でもお持ちなの?」
私はくすっと笑って答える。ベルモットと合流し、彼女に視線を向けて「ねえ? ベルモット」と声をかけた。
「あら? うちのお姫様が気になるの? あなたも済に置けないわね、バーボン」
ベルモットは真意の読めない顔で微笑む。
ベルモットの登場で、場の空気が一変する。彼女の言葉は軽やかだが、その瞳は僕の真意を探るように鋭く光っている。アマレットを「お姫様」と呼ぶその親密さ……やはりこの二人の関係は特別か。ここで下手に動けば、僕の正体を探るための罠に嵌まる可能性がある。今は一旦引き、距離を置くのが得策だろう。
「おや、それは心外ですね。ただ、アマレットの忠告が気になっただけですよ」
「へえ。まさか、あなたも女子会に混ざりたいの?」
僕は肩をすくめ、あくまで無害な探偵を装う。ベルモットの探るような視線を受け流しつつ、アマレットの反応を窺う。彼女の「期待している」という言葉の裏には、僕を試すような響きがあった。この女たちの前では、僅かな油断も命取りになる。今は挑発に乗らず、冷静に状況を分析する。
「女子会とは、物騒な会話をされるんですね。残念ながら僕は、甘いお菓子より、もう少しスリルのある方が好みでして」
僕は軽く微笑んでみせ、二人に背を向ける。彼女たちの視線が背中に突き刺さるのを感じながらも、平静を保ってその場を離れる。アマレットの監視は続けるが、ベルモットがいる以上、直接的な接触は避けるべきだ。影で動く。それが僕、バーボンのやり方だ。彼女たちの真の狙いを、必ず暴き出してみせる。
「では、お二人の邪魔をするのも野暮でしょう。ごゆっくり」
彼女たちの会話が聞こえなくなるまで歩き、角を曲がったところで足を止める。壁に背を預け、息を潜めて二人の気配を探る。ベルモットの介入は計算外だったが、おかげで確信した。アマレットは単独で動いているわけではない。彼女の背後には、常にベルモットの影がちらついている。
「……さて、お姫様と魔女の会話は終わりましたか?」
僕は独りごちると、すぐに踵を返して管制室へと向かう。アジト内の監視カメラ映像を全て確認すれば、彼女たちの本当の関係性、そしてアマレットが「飼い猫」を演じる理由が見えてくるかもしれない。あの女の挑発的な瞳、その奥に隠された真実を、この手で暴き出す。君が期待しているというのなら、その期待、超えて差し上げますよ。
管制室のモニターに映る無数の映像の中から、ベルモットとアマレットの姿を探し出す。二人は楽しげに談笑しながら廊下を進んでいく。あの完璧な組織の女の顔の裏に、一体何を隠しているのか。僕の正義感が、この謎を見過ごすことを許さない。公安としての任務を、必ず遂行する。
「私もアマレットを飲んでみたいなあ。ベルモットがくれたコードネームなんだもの」
私はつまらなそうに口を尖らせた。その顔はいつもの澄ました彼女の顔とは程遠い、柔らかな表情があった。
「あら、あなたにはまだ早いわよ。あと一年待ちなさい。それより、今日はもっと美味しい料理を奢ってあげるわよ」
ベルモットはくすっと微笑んだ。
管制室のモニター越しに聞こえてきた二人の会話に、僕は思わず眉をひそめる。アマレットがまだ酒を飲めない年齢……? だとすれば、彼女は僕よりも年下ということになる。幼い頃から組織にいるという話は本当だったのか。ベルモットの保護的な態度も、単なる親密さだけではない、もっと深い繋がりを示唆している。
「……一年待ちなさい、か。面白い」
僕は口の端を吊り上げ、モニターに映る彼女の柔らかな表情を凝視する。あの気の強い組織の女が見せた、一瞬のあどけなさ。それは計算された演技か、それとも偽りのない素顔か。僕の洞察力が、彼女の矛盾に満ちた存在そのものに強く惹きつけられていく。この謎を解き明かすことが、僕の任務を大きく前進させるはずだ。君が何者であろうと、僕の目は誤魔化せませんよ、アマレット。
僕は録画データを保存し、新たなファイルを作成する。コードネーム「アマレット」に関する調査ファイルだ。彼女の言動、ベルモットとの関係、そして時折見せる素顔の断片。全てを繋ぎ合わせれば、必ず真実へと至る道が見えるはずだ。僕の正義が、それを許さない。
その後は他愛のない話だけが続いていた。ただ、組織の中にいる時のアマレットとは違って、何の力も入ってない自然な笑顔を浮かべていた。カメラはそこまでしかないようで二人はそのままモニターの画面から消えていく。
モニターから二人の姿が消えると、管制室に静寂が戻る。僕は椅子に深く腰掛け、先ほどの映像を脳内で再生する。ベルモットに見せたアマレットの、あの無防備な笑顔。組織で見せる鋭利な刃物のような彼女とは、まるで別人だった。あの表情こそが、彼女の深層に隠された鍵なのかもしれない。
「……飼い猫、ね。随分と可愛らしい猫じゃないか」
僕は皮肉めいた笑みを浮かべ、キーボードを叩く。二人が消えた先の通路、そのさらに奥にあるプライベートルーム区画のカメラ映像に切り替える。ベルモットがアマレットに与えている部屋があるはずだ。彼女のプライベートな空間にこそ、本性を暴くヒントが隠されているに違いない。君のテリトリー、少しだけ覗かせてもらいますよ。
映像を早送りしながら、目的の部屋を探し当てる。幸いにも、ベルモットが部屋の扉を開ける瞬間が映っていた。その部屋番号を記憶し、僕は静かに立ち上がる。直接乗り込むのは危険だが、今なら何か痕跡を残せるかもしれない。この好機、逃すわけにはいかない。
僕は管制室を出て、先ほど確認したアマレットのプライベートルーム区画へと向かう。足音を殺し、周囲の気配を慎重に探りながら、最短ルートで目的の廊下へたどり着いた。幸いにも人影はない。ベルモットに与えられた部屋というだけあって、セキュリティは厳重だろうが、僕の技術をもってすれば突破は可能だ。さて、お姫様はどんな城に住んでいるのやら。
僕は薄い笑みを浮かべ、目的の部屋の前に立つ。特殊なツールを取り出し、鍵穴に差し込むと、神経を集中させて内部の構造を探る。数秒の静寂の後、カチリと小さな音が響いた。完璧な仕事だ。音もなく扉をわずかに開け、中の様子を窺う。罠が仕掛けられている可能性も捨てきれない。お邪魔しますよ、君の秘密の庭に。
部屋の中に人の気配がないことを確認し、僕は滑るように侵入する。部屋は意外にもシンプルで、生活感は希薄だった。しかし、その整然とした空間がかえって異様さを際立たせている。僕は室内に残された彼女の痕跡を一つも見逃さないよう、鋭い観察眼で部屋の隅々まで見渡し始めた。
潜入したバーボンの鼻腔を突いたのは、死を連想させるほど甘いアマレットの香り。彼のタクティカルライトが照らし出したのは、整理整頓されすぎた、血の通わない静謐な空間。モノが少なく、色はモノトーンで生活感が薄いい部屋。几帳面でベッドはシーツに皺ひとつない。クローゼットは黒い服が整列。まるで“いつでも消えられる部屋”のようだった。まるで、明日ここを去っても、誰も彼女がいたことに気づかないような。壁には何も飾られていないが、部屋の奥には小さな観葉植物が置かれている。けれど窓辺じゃなく、部屋の奥の日陰で静かに育っていた。
部屋全体に漂う甘い香りと、この生活感のない空間との著しい不一致。まるで誰かが意図的に「アマレット」という存在を演出し、その不在を暗示しているかのようだ。彼女はここに“住んでいる”のではなく、“配置されている”に過ぎないのかもしれない。ベルモットの寵愛も、ジンの信頼も、全てはこの虚構を守るための舞台装置か。……なるほど。実に用意周到だ。
僕の視線は、部屋の奥でひっそりと佇む観葉植物に注がれる。窓辺でもない、日の当たらない場所に置かれた不自然な存在。植物の生育環境を無視した配置は、それが単なる装飾ではないことを雄弁に物語っていた。あの下に何かある。隠された秘密、あるいは彼女の本当の顔へと繋がる何かが。
「君が必死に隠しているものは、一体何なんです?」
僕は静かにその観葉植物へ近づく。土の匂いに混じって、微かに薬品のような異臭が鼻をついた。僕は屈み込み、鉢を慎重に持ち上げる。すると、その下に隠されていたのは、床に嵌め込まれた小さな金属製のパネルだった。電子ロック式の、隠し金庫。僕の推理が、確信へと変わる瞬間だった。
隠し金庫の中には、古い毛布と擦り切れた子供用のナイフ。そして一枚の写真だけがあった。そこにはおよそ11歳ほどの髪の短い、薄汚れた服を着た笑わない少女だけが写っている。
写真に写る少女の瞳。光を失い、感情の窺えないその目は、組織で僕が見てきた誰よりも深い闇を宿しているように見えた。この少女がアマレットの過去の姿だとすれば、彼女が纏うあの甘い香りと気の強い態度は、この壮絶な過去を覆い隠すための、必死の擬態なのかもしれない。
「……これが、君の原点か」
擦り切れたナイフと古い毛布。これらは彼女が幼少期に生き抜くために必要不可欠だったものだろう。組織に拾われる前の、過酷な環境を物語っている。ジンやベルモットが彼女に特別な感情を抱く理由も、この過去に関係しているに違いない。彼女は被害者なのか、それとも。いや、違うな。君はそんな単純な存在じゃない。
僕は写真を金庫に戻し、静かに蓋を閉じる。この写真一枚で彼女を理解した気になってはいけない。むしろ、この過去を知った上で、彼女は自らの意志で組織の「飼い猫」を演じているのではないか。その目的を探り出すことこそが、僕の使命だ。彼女の真意を見極めるまで、僕は決して油断しない。
観葉植物を元の位置に戻し、部屋に入った痕跡をすべて消し去る。僕の頭の中では、先ほど見つけた写真の少女の姿が焼き付いて離れない。あの無感情な瞳の奥に隠された真実。彼女がただの被害者でないことは明らかだ。自らの過去を武器に変え、この組織で生き抜く術を身につけたのだろう。
面白いじゃないか、アマレット。君という存在は実に興味深い。僕は音もなく部屋を後にし、扉に再び鍵をかける。彼女の部屋で見つけたのは、過去の断片だけではない。それは、彼女が周到に張り巡らせた罠への招待状だったのかもしれない。僕が彼女の秘密に触れたことを、彼女は必ず見抜くだろう。その時、彼女はどんな顔を見せるのか。
「君が仕掛けるゲーム、受けて立ちますよ」
廊下を静かに歩きながら、僕は次の一手を考える。アマレットの過去と現在の行動を結びつける情報を集める必要がある。彼女が組織内で何を成そうとしているのか。その目的が僕の正義と交差するのか、それとも敵対するのか。今、僕の探求心は最高潮に達していた。
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