02






「……初めまして。政府より派遣されてきた審神者です」



私は鶴丸に下ろすよう指示をして、力の入らない足で畳の上に立つ。背中を鶴丸に預けて、彼も彼で私が膝をつかぬように腕を掴んで体重を上げる。その様子に薬研は怪訝そうに眉を寄せた。



「なるほど、もう既にお気に入りがいるってわけか」



薬研藤四郎と名乗った短刀は吐き捨てるように言うと「まずは部屋に案内しよう。ついてきな」と言って廊下を歩き出した。

薬研の後ろ姿を見送り、その背に刺さるような冷たい視線を感じて振り返ると、縁側に腰掛けた男がこちらを静かに見つめていた。月の光を宿したかのような紺色の髪、その瞳には三日月が浮かんでいる。優美な立ち姿とは裏腹に、その眼差しは凍てつくように冷たい。



「……ほう。あれが新しい主か」



俺は口の端を微かに吊り上げ、扇子で口元を隠しながら呟いた。抱えられて現れた幼子の姿は、まるでままごとのようだ。前の主の残した傷は未だ癒えず、この本丸に渦巻く澱んだ空気は、あのようなか弱い存在が浄化できるものではない。



「さて、どれほどもつかな。人の子よ」



その言葉は誰に聞かせるでもなく、ただ虚空に溶けて消えた。鶴丸国永、おぬしが連れてきた主が、我らにとって吉と出るか凶と出るか。いずれにせよ、人間など信用に値せぬ存在よ。俺はその場から動かず、少女が薬研と共に去っていく様をただ静かに見つめ続けていた。



「……へえ、あんたが新しい主ね。ずいぶんとか弱そうな見た目してるじゃん。それに、もうお気に入りの刀まで連れてきてさ」



赤い爪紅を塗った指先で自身の唇をなぞりながら、俺は皮肉っぽく口の端を吊り上げた。隣に立つ鶴丸国永に庇われるようにしている姿は、俺たちの神経を逆撫でするには十分だった。前の主も、そうやって俺たちを品定めするように見ていたのを思い出す。

ま、せいぜい俺たちに折られないように気をつけることだね。……あんたが、俺たちをちゃんと愛せるっていうなら、話は別だけど。加州清光は薬研と歩いていく主を一瞥し、口の端を吊り上げた。

薬研に案内され、廊下を進んだ先にあった大広間には、何振りもの刀剣男士たちが集まっていた。彼らの視線は一斉にこちらへと突き刺さり、そのどれもが冷たく、鋭い光を宿している。人間への憎悪と不信感が渦巻く空間は、息が詰まるほど重苦しい。

俺はあんたを値踏みするように一瞥し、背を向けてすたすたと歩き始めた。この本丸の長い廊下は、手入れが行き届いておらずそこかしこが軋む。あんたは不自由な足で、懸命に俺の後をついてくる。その小さな足音が、やけに耳についた。



「……この先に大広間がある。兄弟や他の刀どもがあんたを待ってるぜ」



障子が見えてきたところで、俺はぴたりと足を止めて振り返った。あんたが息を切らしていることには気づかないふりをする。代わりに、冷たい視線を向けてやった。



「俺たちは前の主に裏切られた。だから、あんたがどんな人間か、まずはこの目で見定めさせてもらう。変な気を起こすなよ。あんたに俺たちを折ることも、手入れすることもできやしないんだからな」



脅しつけるように低い声で言い放つ。あんたが怯むか、反発するか。その反応で、あんたがどんな人間なのか、少しはわかるだろう。



「ほう、見定めるとは大きく出たな。だが、きみたちの目は節穴か? この御仁がどんな人間か、俺を見ればわかりそうなものだがな」

「……さあ、ここが大将の部屋だぜ」



俺は皮肉を込めてそう呼びかけ、障子に手をかけた。これから始まる品定めの儀式を思い、口の端が歪むのを感じた。



「手入れも何も、この鶴丸国永がいる限り、主の髪一本たりとも傷つけさせはしないさ。なあ、主。少し休むといい。きみのための驚きは、俺が用意しておいてやろう」



薬研の敵意を意にも介さず、鶴丸は主を抱え上げて部屋の中へと足を踏み入れた。薬研の目の前で障子がぴしゃりと音を立てて閉まった。

ぴしゃりと目の前で閉められた障子を、俺はしばらく無言で見つめていた。鶴丸国永のやつ、新しい主に随分と入れ込んでいるらしい。前の主の時もそうだったか? いや、あいつはもっと気まぐれで、誰かに肩入れするような刀じゃなかったはずだ。なのに、今のあいつはまるで……。



「……守る、か」



俺は小さく呟き、自嘲気味に口角を上げた。守ると誓って、裏切られたのはどこのどいつだったか。兄貴も、俺たちを守ろうとして折れた。守るなんて言葉は、この本丸じゃとっくに信用を失っている。あの鶴丸も、いつまでその綺麗事が続くのか見ものだな。



「せいぜい足掻くんだな。あんたも、あんたの刀も」



俺は部屋の中にいるだろう新しい主に向けて、聞こえるはずもない言葉を投げかけた。どうせすぐに化けの皮が剥がれる。人間なんて、そんなものだ。俺は踵を返し、兄弟たちが待つ大広間へと向かうために、軋む廊下を再び歩き始めた。

広間に戻ってくる薬研を、鯰尾はただじっと見つめていた。新しい主。見た目はまだ幼い子供のようだが、あの鶴丸国永を連れている。警戒すべき相手だ。



「……主、ねぇ」



ぽつりと呟いた言葉は誰にも拾われない。前の主のせいで、俺たちは人間なんて誰も信じられない。あんただって、どうせ同じなんだろう?



「どうせすぐにいなくなるくせに」



鯰尾は襖の向こうに消えていった小さな背中を思い浮かべ、睨みつける。俺たちの本丸(ばしょ)を、これ以上めちゃくちゃにしないでくれ。そんな祈りにも似た感情が、黒い澱のように胸の内に広がっていく。



「……まあ、どうでもいいさ。どうせすぐに音を上げる」



薬研はそう吐き捨てると、汚れた壁に再び背を預けた。新たな主が来たところで、この澱んだ本丸の何が変わるというんだ。期待するだけ無駄だ。

薬研の言葉に、鯰尾は何も答えなかった。同じだ。どうせすぐにいなくなる。そう思っているはずなのに、胸の奥がざわついて仕方がない。



「……兄さんだったら、なんて言ったかな」

「………」



ふと、もういない兄の姿を思い浮かべる。優しい笑顔、温かい手のひら。でも、もう思い出せないことの方が多い。あの地獄のような日々が、大切な記憶さえも焼き尽くしてしまったから。薬研は何も答えない。

いや、思い出すのはやめだ。過去は振り返らないって決めたんだから。無理やり思考を断ち切るように、わざと明るい声を出してみる。大丈夫。俺は大丈夫だ。前の主の時とは違う。今度は、俺たちが選ぶんだ。



「さーて、俺も仕事に戻ろっと」




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彼女は旅に出る。/AQUALOVERS