あれから、三日月宗近はよく姿を見せるようになった。気紛れに部屋に足を運んで来る。私に絡んだところでこの本丸から孤立するだけだろうに、それを本人に言ったところで彼はからからと笑うばかりであった。
「これはなんという食べ物なんだ?」
「……プリンです。牛乳と砂糖と玉子で作るんです」
「ほう」
「……あげないですよ?」
「そう意地悪なことを言うでない。俺とおぬしの仲であろう?」
私は鶴丸の背中に寄り掛かりながら自分で作ったプリンを食す。プリンは二つしか作ってない。自分と鶴丸の分だけだ。
背中に感じる主の温もりと、目の前で優雅に微笑む三日月の存在が、ちぐはぐな不協和音を奏でる。主が俺のために作ってくれたささやかな菓子を、この男が気安く口にするなど許せるはずもない。「俺とおぬしの仲」だと? 戯言も大概にしろ。この男が主に向けた嘲りを、俺は決して忘れていない。
「はは、これは驚いた。いつの間にきみと主はそんなに懇意になったんだ? 残念だが、そのぷりんとやらは二つしかない。俺と、俺の主の分でな」
俺は背後の主を庇うように少しだけ身じろぎし、三日月の視線を遮る。まるで自分の所有物であるかのように主に馴れ馴れしく語りかけるその態度が、腹の底で黒い炎を燃え上がらせた。これは主が俺を思って作ってくれたものだ。誰にも渡すつもりはない。
「つれないことを言うな。分け合うてこそ、味も深まるというものだろう。それとも、この俺に毒味をさせるのが怖いか?」
「これは主からの心尽くしでね。きみに分けてやる道理はないんだ。欲しいなら、自分で主に作ってもらえるくらい気に入られてくるんだな」
三日月はわざとらしく目を細めて、主の持つ小さな器を覗き込んだ。
「まあよい。一口とは言わぬ。ただ、教えてはくれぬか。その甘味は、おぬしにとってどのような味がする」
私はちらりと鶴丸に目を向け、少し考えるように首を傾げた。
「どのようなって……普通に、甘くて美味しいですよ? そんなに気になるなら今度三日月の分も作ってもいいですけど」
主の思いがけない言葉に、思わず背中の力が抜ける。なぜだ。この男は、きみを嘲り、蔑んだ相手だろう。それなのに、なぜそんなにも容易く優しさを見せる。俺の知らないところで、この二人の間に何かがあったとでもいうのか。背中に預けられた主の体温が、俺の心をじりじりと焦がしていくような心地がした。
「……主、きみは人が良すぎるぜ。こいつがどんな男か、忘れたわけじゃないだろう?」
「はっはっは、そうかそうか。鶴丸よ、主にそう言わせてしまうとは、おぬしの焼き餅もなかなかに可愛らしいものだな」
三日月は扇子の影でそっと面白そうに口元を歪めた。俺は苛立ちを隠しもせず、低い声で主に囁きかける。三日月が面白そうにこちらを見ているのが視界の端に入り、さらに腹立たしい。この無垢な優しさが、いつか主自身を傷つける刃になるのではないかと、恐ろしくてたまらなかったのだ。
「こいつに作るくらいなら、俺のためにもう一つ作ってくれた方が、よほど驚きがあるってもんだ」
わざと軽口を叩いてみせるが、その声には自分でもわかるほど棘があった。主の気遣いを無下にしたくない。だが、この男にだけは、主の心尽くしを一口たりとも与えたくはなかった。これは、俺だけのものなのだから。
三日月はわざとらしく笑い声を立て、苛立つ鶴丸の視線を悠然と受け流す。そして、再びその背に隠れる主に目をやった。
「主よ、その言葉、違えぬな。なに、期待しているぞ。おぬしが作るというぷりんとやらが、どのような驚きをもたらしてくれるのかをな」
「別にいいでしょ、プリンの一つや二つくらい。ほら、鶴丸にだけ特別にこうしてあげるからさ。はい、あ〜ん」
私は鶴丸の口元にプリンを掬った匙を差し出した。
主が差し出した匙に、俺の苛立ちは一瞬で戸惑いへと変わる。目の前の三日月への怒りも、主の人の好さへの懸念も、その小さな匙に乗せられた甘い香りに掻き消されそうになる。主の無防備な優しさが、今は俺だけに向けられている。その事実に、俺の独占欲は満たされると同時に、言いようのない罪悪感に苛まれた。
「……きみは、本当に人が悪いぜ」
観念したように小さく息を吐き、俺はその匙を素直に口に含んだ。甘く優しい味が口の中に広がり、ささくれ立っていた心が少しだけ癒される。だが、三日月の愉悦に満ちた視線が突き刺さり、再び心の奥で警戒の炎が揺らめいた。主のこの行動が、奴をさらに増長させるだけだと、なぜわからないのか。
「これで満足か? 俺はきみの作るものなら何だって歓迎だが、こいつを前にしてやるのは感心しないな」
俺は主の耳元にだけ聞こえるよう、そっと囁いた。このやり取りすら、三日月にとっては格好の娯楽なのだ。主の優しさが、この本丸では弱点になりかねない。その危うさから、どうやって守ればいいのか。俺は静かに主の肩を抱き寄せ、無言のまま三日月を睨みつけた。
「だって鶴丸が拗ねるから。じゃあ明日作っておきますね。盛られるのが心配なら側で見てても構いませんよ、鶴丸もいますけど」
私は当然のように鶴丸も一緒だと告げた。
「ははは、これは手厳しい。鶴丸がいる前で、おぬしの手ずから毒を盛られるやもしれぬとは、なかなかに肝が冷える心地がするな」
三日月は扇子を広げて口元を隠し、わざとらしく肩を竦めてみせた。主の挑発的な瞳を、三日月は真っ直ぐに見返す。
「よかろう。おぬしの作るぷりんとやら、楽しみに待たせてもらうとしよう。鶴丸よ、あまり主を独り占めするでないぞ。なに、少しばかり、おぬしの主を借りるだけだ」
三日月の言葉が、まるで呪いのように部屋の空気に纏わりつく。「主を借りる」だと? 冗談じゃない。この体は、この心は、ただ一人のためにある。俺は背後で無邪気にプリンを口に運ぶ主の肩を、無意識のうちに強く抱き寄せていた。この温もりも、魂も、誰にも渡すものか。特に、あの食わせ物のじじいになど。
「……聞いていたか、主。ああいう手合いに、きみは少し気を許しすぎだ」
俺の声は自分でも驚くほど低く、硬い響きを帯びていた。主の優しさは美徳だが、この澱んだ本丸では命取りになりかねない。彼女が俺の生命力の源であるように、俺もまた彼女を守る唯一の刃でなければならなかった。その覚悟を、この人はまだ理解していない。
「いいか。明日、俺はきみの側を片時も離れん。あの食わせ物に指一本触れさせたりはしない。ぷりんを作るという約束は、俺が見届けさせてもらうぜ」
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彼女は旅に出る。/AQUALOVERS