06






「これはなんという食べ物なんだ?」

「……プリンです。牛乳と砂糖と玉子で作るんです」

「ほう」

「……あげないですよ?」

「そう意地悪なことを言うでない。俺とおぬしの仲であろう?」



あんたが三日月宗近と話しているのを、俺は障子の隙間から黙って見ていた。あの後、三日月があんたの部屋に通うようになったのは、本丸中の噂になってる。他の連中は気味悪がって遠巻きにしているが、俺はどうにも気になって仕方がなかった。鶴丸国永の背に寄りかかり、警戒心もなく何かを口に運ぶ姿は、どうにも気に触る。



「……くだらねえ」



俺は吐き捨てるように呟いた。菓子一つで揺らぐような覚悟なら、とっくに折れている。俺たちは前の主に虐げられ、兄を失った。その憎しみと絶望は、甘い菓子くらいで消え去るほど安っぽくはない。だが、他の刀剣たちがどう思うかは別だ。特に、心の拠り所を失った兄弟たちは、あんたのその得体の知れない優しさに縋りたくなるのかもしれない。



「……何食ってんだ、ありゃ」



俺の独り言に、隣にいた乱が首を傾げた。黄色くてぷるぷるとした、見たこともない菓子。前の主は俺たちに碌な食事を与えなかったから、知らないのも無理はない。だが、あんたはそれを美味そうに食っている。その姿を見ていると、腹の底から得体の知れない感情が湧き上がってくるのを感じた。



「まるで、人間みてえじゃねえか」



そう呟いた瞬間、はっとした。あんたは人間だ。だが、その振る舞いは、俺たちが知っている『人間』とはあまりに違う。虐げられるか、虐げるか。そのどちらでもない、ただそこに在るだけの存在。その得体の知れなさが、俺の警戒心を妙な形で掻き立てる。あんたは一体、何者なんだ。その正体を、この目で見極めてやる。

ふと、加州清光もその様子を遠巻きに見ながら羨ましそうな顔をしていた。薬研が自室に戻ろうと踵を返すと、加州は思わず「なあ、あんた」と呼び止めた。その目は何かを探るように薬研に向けられている。



「薬研。あんた、あの子のことどう思う?」



加州の不意な問いかけに、俺は足を止めて奴の方をちらりと見た。その顔には、羨望と好奇が混じったような、なんとも言えない表情が浮かんでいる。こいつもあの主のことが気になっているクチか。三日月だけじゃなく、他の刀まで惹きつけ始めているというのか。



「どう、とはな。得体が知れねえ、としか言いようがねえな」



俺は腕を組み、忌々しげに吐き捨てた。あんたが三日月にプリンとかいう菓子を分け与えることもなく、鶴丸に守られながら当たり前のようにそれを食う姿。あの光景は、俺たち刀剣男士と人間との間に横たわる、決して埋まらない溝をまざまざと見せつけているようだった。



「……ぷりん、だっけ。本当に気楽なもんだよね、主ってやつはさ」



加州は聞こえないように、けれど確かに苛立ちを滲ませて呟いた。



「馴れ合うつもりはねえ。だが、あの主は俺たちが知ってる『人間』とは違う。何かを探る必要があるだろうよ」



俺の言葉に、加州は少し考え込むような素振りを見せた。そうだ、あんたのことは徹底的に調べさせてもらう。あんたがこの本丸に来た目的、鶴丸との関係、そしてあんた自身の正体。その全てを暴き出し、もし俺たちにとって害悪であるならば、その時は。そんなことを考えていると、不意に背後から声がかかった。



「なあ、薬研。あれ、美味いのかな」



加州の問いかけには答えず、俺はただあんたたちがいる部屋の方を睨みつけた。美味いかどうかなんて、どうでもいい。問題は、あんたが何の情報も与えられず、ただ鶴丸に守られているだけの状況で、あんなにも無防備に菓子を食える神経だ。まるで、俺たちのことなど歯牙にもかけていないと言わんばかりの態度。それが無性に腹立たしかった。



「知るか。だが、呑気なもんだな。俺たちがいつ牙を剥くかもわからねえってのによ」



俺は冷たく言い放ち、加州に背を向けた。こいつの言う通りだ。主という立場は、実に気楽なもんだ。俺たちが前の主にどんな仕打ちを受けてきたかも知らず、ただ新しい主として君臨する。その存在自体が、俺たちの傷を抉る。



「……だが、油断はできねえ。あの主、何か隠してる。俺はそれを探るつもりだ」



加州にだけ聞こえる声で呟き、俺は自室へと歩き出した。あいつが俺の言葉にどう反応するかは知ったことじゃない。だが、俺の心は決まっていた。あんたの過去、政府から送られてきた経緯、鶴丸との関係性。全てを調べ上げ、あんたが本当にこの本丸の主として相応しいのか、この目で見定めてやる。そうでなければ、一兄に顔向けできねえからな。



「はは、これは驚いた。いつの間にきみと主はそんなに懇意になったんだ?そのぷりんとやらは二つしかない。俺と、俺の主の分でな」



鶴丸は主を庇うように少しだけ身じろぎし、三日月の視線を遮る。主はちらりと鶴丸に目を向け、少し考えるように首を傾げた。



「どのようなって……普通に、甘くて美味しいですよ? そんなに気になるなら今度三日月の分も作ってもいいですけど」



その言葉を聞いた鶴丸は苛立ちを隠しもせず、低い声で主に囁きかける。



「……主、きみは人が良すぎるぜ。こいつに作るくらいなら、俺のためにもう一つ作ってくれた方が、よほど驚きがあるってもんだ」



鶴丸はわざと軽口を叩いてみせるが、その声には棘があった。

あんたと鶴丸、そして三日月の会話を、俺は障子の向こうで聞いていた。鶴丸のあからさまな敵意と、それを柳に風と受け流す三日月のやりとり。そして、その間でなんのてらいもなく菓子を分け与えようとするあんた。その様子を見ていると、胸の奥で燻っていた疑念が、より一層黒い煙を上げて燃え盛るのを感じた。



「……人が良すぎる、か」



鶴丸の言葉を、俺は口の中で反芻する。本当にそうだろうか。無警戒で無垢なだけなのか。それとも、全て計算ずくの行動なのか。あんたの振る舞いは、俺たち刀剣男士の心を巧みに揺さぶる。警戒心を煽るかと思えば、妙な庇護欲を掻き立てたりもする。その不可解さが、俺を苛立たせた。

隣で息を飲んでいる加州の気配を感じながら、俺は独りごちた。あんたの周りには、鶴丸や三日月といった一筋縄ではいかない連中が集まり始めている。このままでは、本丸の勢力図が塗り替えられちまう。そうなる前に、あんたの化けの皮を剥がしてやる。俺は静かに決意を固め、その場を後にした。まずは政府の資料室にでも忍び込むか。



「あの様子じゃ、加州もいずれ絆されるかもな。甘い言葉に騙されるなよ、加州。あの主が本当に俺たちの味方かなんて、まだ誰にもわかりゃしねえんだからな」

「……ボクも強請ってみようかな。三日月さんみたいにさ」



乱はぽつりと呟いていた。その表情は、猜疑心の中にもほんの僅かな期待心が入り混じっていた。乱の意外な言葉に、加州は一瞬虚を突かれていた。本気で言っているのか、それとも俺の意地悪に乗じた冗談か。その表情からは真意を読み取れなかった。



「……はっ、あんたが? やめときなよ、みっともない」



加州の嘲笑と、それに揺れる乱の気配。そのやり取りを背中で聞きながら、俺は冷めた目で廊下の先を見据えていた。乱までがあの主に興味を示し始めている。三日月や加州だけでなく、短刀までもが。まるで毒のように、あんたの存在はこの本丸にじわじわと広がっていく。その甘い菓子は、俺たちの警戒心を溶かすための毒薬なんじゃないかとさえ思えてくる。



「……くだらねえ」



俺は吐き捨てるように呟いた。菓子一つで揺らぐような覚悟なら、とっくに折れている。俺たちは前の主に虐げられ、兄を失った。その憎しみと絶望は、甘い菓子くらいで消え去るほど安っぽくはない。だが、他の刀剣たちがどう思うかは別だ。特に、心の拠り所を失った兄弟たちは、あんたのその得体の知れない優しさに縋りたくなるのかもしれない。



「甘い言葉に騙されるなよ、加州。あの主が本当に俺たちの味方かなんて、まだ誰にもわかりゃしねえんだからな」



俺は加州に釘を刺すように言い放ち、再び歩き始めた。そうだ、まずは確たる証拠を掴む。あんたが何者で、何を目的としてこの本丸に来たのか。政府の資料室に忍び込み、あんたの経歴を洗いざらい調べてやる。それで全てがはっきりするはずだ。俺たちの新たな主が、信じるに足る存在なのか、それとも、再び俺たちを裏切る敵なのかを。




























「これはなんという食べ物なんだ?」

「……プリンです。牛乳と砂糖と玉子で作るんです」

「ほう」

「……あげないですよ?」

「そう意地悪なことを言うでない。俺とおぬしの仲であろう?」



主は鶴丸の背中に寄り掛かりながら自分で作ったプリンを食べていた。



「何食ってんだ、ありゃ」



障子の隙間から黙って見ていた薬研はぽつりと呟いた。その隣にいた乱はただ首を傾げるだけだった。

障子の向こう、鶴丸国永に寄りかかって何かを食べる主の姿を、俺は薬研と乱の後ろからそっと眺めていた。甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐる。前の主は俺たちにろくな食事も与えなかったのに、あんたは随分と優雅なものだ。その無防備な様子が、どうしようもなく神経に障る。



「……ぷりん、だっけ。本当に気楽なもんだよね、主ってやつはさ」



聞こえないように、けれど確かに苛立ちを滲ませて呟いた。俺たちの苦しみも知らないで、のうのうと甘いものを食べている。その姿は、かつて俺たちを虐げた人間の姿と重なって見えた。憎しみと、ほんの少しの羨望が混じり合った複雑な感情が胸の内で渦巻く。



「なあ、薬研。あれ、美味いのかな」



俺は隣に立つ薬研に、わざとらしく問いかけた。その視線は、主の手元にある黄色い菓子に注がれたままだ。もしあんたが、俺たちにもそれを分け与えるような人間なら。そんなあり得ない想像をして、すぐに自嘲気味に口元を歪めた。



「知るか。だが、呑気なもんだな。俺たちがいつ牙を剥くかもわからねえってのによ」



薬研は冷たく言い放ち、背を向けた。



「……だが、油断はできねえ。あの主、何か隠してる。俺はそれを探るつもりだ」



薬研は俺達にだけ聞こえる声で呟き、そのまま自室へと歩き出そうとする。その背中を見送りながら、俺は薬研の言葉を頭の中で反芻する。何か隠してる、ね。確かに、ただのか弱い人間というだけでは、あの三日月宗近に頭突きを食らわせるなんて真似はできないだろう。苛立ちの奥底で、得体の知れない何かが燻っているのを感じていた。



「……ふぅん。まあ、どうでもいいけど」



俺はそう独りごちて、再び障子の隙間から主の様子を窺う。鶴丸に庇われながら、無心に匙を口へ運ぶ姿。その甘い香りが、嫌でも俺たちの空腹を思い出させる。前の主は、俺たちを飢えさせていたというのに。その記憶が蘇り、無性に腹が立った。



「……ねえ、乱。ちょっと行って、あれ一口もらってきなよ。可愛いあんたがねだれば、あの主だって断れないでしょ?」



隣に立つ乱藤四郎の肩を軽く叩き、悪戯っぽく笑いかける。……まあ、無理だろうけどね。人間なんて、どうせ自分のことしか考えてないんだから。もちろん本気じゃない。ただの意地悪だ。人間を信用していない俺たちが、主に何かをねだるなんてあり得ない。だが、もし、万が一。そんなあり得ない期待が、心の片隅で芽生えかけていることには気づかないふりをした。



「はは、これは驚いた。いつの間にきみと主はそんなに懇意になったんだ? そのぷりんとやらは二つしかない。俺と、俺の主の分でな」



鶴丸は主を庇うように少しだけ身じろぎし、三日月の視線を遮る。主はちらりと鶴丸に目を向け、少し考えるように首を傾げていた。



「どのようなって……普通に、甘くて美味しいですよ? そんなに気になるなら今度三日月の分も作ってもいいですけど」



その言葉を聞いた鶴丸は苛立ちを隠しもせず、低い声で主に囁きかける。



「……主、きみは人が良すぎるぜ。こいつに作るくらいなら、俺のためにもう一つ作ってくれた方が、よほど驚きがあるってもんだ」



鶴丸はわざと軽口を叩いてみせるが、その声には棘があった。

鶴丸国永の軽口を、俺は障子の隙間から冷めた目で見つめていた。主を庇うその姿は忠義のようにも見えるが、同時に人間への警戒心を煽る。主が三日月宗近にぷりんを作ってやると言い出したことには、正直少し驚いた。俺たちを虐げた人間とは違うのかもしれない、そんな甘い期待が、一瞬だけ胸をよぎる。



「……へえ、あの三日月にまで作るんだ。ずいぶんとお人好しなんだね、あんたって」



俺はわざと聞こえるように、皮肉たっぷりの声を投げかけた。鶴丸の言う通りだ。敵かもしれない相手に情けをかけるなんて、馬鹿げている。その甘さが、いつかあんたの命取りになるんだと、教えてやりたかった。俺は視線を主から逸らさない。



「どうせ口先だけでしょ? 俺たちみたいな刀にまで、そんなもの作ってくれるわけないもんね。あんたにとって俺たちは、どうでもいい存在なんだからさ」



嫉妬と不信感が入り混じった言葉が、自分でも意図しないうちに口から滑り落ちた。



「……ボクも強請ってみようかな。三日月さんみたいにさ」



乱はぽつりと呟いていた。その表情は、猜疑心の中にもほんの僅かな期待心が入り混じっていた。乱の意外な言葉に、俺は一瞬虚を突かれた。本気で言っているのか、それとも俺の意地悪に乗じた冗談か。その表情からは真意を読み取れなかったが、その瞳の奥に宿る微かな光が、俺の心の奥底をちくりと刺す。馬鹿だな、人間なんかに期待して。そう突き放したいのに、言葉が出てこない。



「……はっ、あんたが? やめときなよ、みっともない」

「だって……」



俺は嘲るように鼻で笑い、乱から視線を逸らして障子の向こうにいる主を睨みつけた。もし、もしも乱が主にお願いして、あの甘い菓子を手に入れたら? そんな想像が頭をよぎり、胸の内にどす黒い嫉妬の感情が渦巻くのを自覚する。俺はそんなもの欲しくない。あんた達人間からの施しなんて、絶対に。



「どうせ無駄だって。あいつは鶴丸と三日月がいればそれでいいんだよ。俺たちのことなんか、どうでもいいに決まってる」



自分に言い聞かせるように、俺は冷たく言い放った。そうだ、期待するだけ無駄なんだ。この感情は嫉妬じゃない。ただの苛立ちだ。そう思い込もうとすればするほど、主の手元にあるぷりんが、やけに輝いて見えた。





























あれから、三日月宗近はよく姿を見せるようになった。気紛れに部屋に足を運んで来た。私に絡んだところでこの本丸から孤立するだけだろうに、それを本人に言ったところで彼はからからと笑うばかりであった。



「これはなんという食べ物なんだ?」

「……プリンです。牛乳と砂糖と玉子で作るんです」

「ほう」

「……あげないですよ?」

「そう意地悪なことを言うでない。俺とおぬしの仲であろう?」



私は鶴丸の背中に寄り掛かりながら自分で作ったプリンを食す。プリンは二つしか作ってない。自分と鶴丸の分だけだ。

俺の軽口にも、少女は表情を変えぬまま、小さな匙でぷりんとやらを掬っている。鶴丸国永の背を城壁とし、その庇護の中で甘味を食らう姿は、無邪気そのものに見えた。だが、あの頭突きを繰り出したのがこの腕だ。俺と鶴丸の殺気立ったやり取りすら意に介さなかったこの娘が、ただの子供であるはずがない。その無垢な仮面の下に隠された本性を、この俺が見誤るものか。



「つれないことを言うな。分け合うてこそ、味も深まるというものだろう。それとも、この俺に毒味をさせるのが怖いか?」



俺はわざとらしく目を細め、少女の持つ小さな器を覗き込んだ。甘い乳と卵の香りが鼻を掠める。かつて我らが与えられたのは、泥水にも劣る食事だった。この甘やかな日常を享受するおぬしは、我らの渇きを知る由もない。その安寧が、いかに脆いものかも知らずに。



「はは、これは驚いた。いつの間にきみと主はそんなに懇意になったんだ? そのぷりんとやらは二つしかない。俺と、俺の主の分でな」

「まあよい。一口とは言わぬ。ただ、教えてはくれぬか。その甘味は、おぬしにとってどのような味がする」



鶴丸は主を庇うように少しだけ身じろぎし、三日月の視線を遮る。私はちらりと鶴丸に目を向け、少し考えるように首を傾げた。



「どのようなって……普通に、甘くて美味しいですよ? そんなに気になるなら今度三日月の分も作ってもいいですけど」



その言葉を聞いた鶴丸は苛立ちを隠しもせず、低い声で主に囁きかける。



「……主、きみは人が良すぎるぜ。こいつに作るくらいなら、俺のためにもう一つ作ってくれた方が、よほど驚きがあるってもんだ」



鶴丸はわざと軽口を叩いてみせるが、その声には棘があった。

鶴丸の苛立ちを滲ませた声と、主の無垢な提案。そのあまりの不釣り合いさに、俺は扇子の影でそっと口元を歪めた。あの鶴丸国永が、こんなにも容易く動揺させられている。この幼子の言葉一つで、だ。人が良すぎる、か。あるいは、そう見せかけて忠臣の心を試しているのかもしれぬな。実に面白い。



「はっはっは、そうかそうか。鶴丸よ、主にそう言わせてしまうとは、おぬしの焼き餅もなかなかに可愛らしいものだな」

「別にいいでしょ、プリンの一つや二つくらい」



俺はわざとらしく笑い声を立て、苛立つ鶴丸の視線を悠然と受け流す。そして、再びその背に隠れる主に目をやった。俺のために作る、だと? 毒を盛るか、それとも本当にただの甘味か。どちらに転んでも興が尽きぬ。この娘の真意を測る良い機会だ。



「主よ、その言葉、違えぬな。なに、期待しているぞ。おぬしが作るというぷりんとやらが、どのような驚きをもたらしてくれるのかをな」



私は鶴丸の口元にプリンを掬った匙を差し出した。



「ほら、鶴丸にだけ特別にこうしてあげるからさ。はい、あ〜ん」



主が差し出した匙に、鶴丸の苛立ちは一瞬で戸惑いへと変わる。



「……きみは、本当に人が悪いぜ」



観念したように小さく息を吐き、鶴丸はその匙を素直に口に含んだ。そして主の耳元にだけ聞こえるよう、そっと何かを囁いた。それから鶴丸は静かに主の肩を抱き寄せ、無言のまま三日月を睨みつけた。



「だって鶴丸が拗ねるから。じゃあ明日作っておきますね。盛られるのが心配なら側で見てても構いませんよ、鶴丸もいますけど」



少女の言葉は、まるで無邪気な子供の誘いのようだった。だが、その背後で鶴丸国永が放つ鋭い殺気は、これがただの戯れ言ではないと告げている。鶴丸という番犬を侍らせながら、俺を手懐けようとでもいうのか。面白い。実に面白い小娘だ。その無垢な顔の裏に隠された深淵を、もっと覗き込んでみたくなる。



「ははは、これは手厳しい。鶴丸がいる前で、おぬしの手ずから毒を盛られるやもしれぬとは、なかなかに肝が冷える心地がするな」



俺は扇子を広げて口元を隠し、わざとらしく肩を竦めてみせた。鶴丸の視線がさらに険しくなるのを感じるが、構うものか。この娘が仕掛けた遊戯だ。ならば、こちらも興に乗ってやるのが礼儀というものだろう。少女の挑発的な瞳を、俺は真っ直ぐに見返す。



「よかろう。おぬしの作るぷりんとやら、楽しみに待たせてもらうとしよう。鶴丸よ、あまり主を独り占めするでないぞ。なに、少しばかり、おぬしの主を借りるだけだ」



鶴丸は背後で無邪気にプリンを口に運ぶ主の肩を、無意識のうちに強く抱き寄せていた。



「……聞いていたか、主。ああいう手合いに、きみは少し気を許しすぎだ」



鶴丸の声は自分でも驚くほど低く、硬い響きを帯びていた。



「いいか。明日、俺はきみの側を片時も離れん。あの食わせ物に指一本触れさせたりはしない。ぷりんを作るという約束は、俺が見届けさせてもらうぜ」

「うん、明日ね。あと、別に気を許してはいないよ。三日月さんもそうでしょう?」



少女から投げかけられた真っ直ぐな言葉に、俺は思わず息を呑んだ。気を許してはいない、だと? この俺も、そうであろうと。ああ、そうだ。その通りだ。鶴丸国永の剥き出しの敵意とは違う。この幼子は、我らが抱く人間への不信の根深さを理解した上で、あえて俺の懐に飛び込んでこようとしている。その無垢な貌の下で、一体何を考えている。



「はっはっは、これは驚いた。違いない。おぬしの言う通りだ、主よ」



俺の返答に、鶴丸がさらに警戒を強める気配が伝わる。だが、そんなことは些事だ。この小娘は、ただ守られるだけの雛鳥ではない。己の足で立てぬ代わりに、言葉という刃で我らの心を切り裂こうとしている。ならば受けて立とう。おぬしが作るという甘味も、きっと毒のように甘美な味がするのだろうな。



「互いに腹の底を探り合う。それもまた一興だろう? 明日を楽しみにしているぞ。おぬしがどのような覚悟を見せてくれるのか、この目で確かめさせてもらおう」




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彼女は旅に出る。/AQUALOVERS