13






それから4人は任務に向かった。夜の倉庫街。銃声。ターゲットの護衛が予想より多い。アマレットが前に出る。銃を構える。その瞬間、狙撃のレーザーが彼女の胸に当たる。次の瞬間ライが彼女の肩を掴む。強く引き倒す。銃弾がガンッと鉄柱に当たる。



「前を見ろ」



ライは低く言い、アマレットはすぐ立ち上がる。



「助かったわ」



ライはたった一言だけ短く「任務中だ」と返した。

目の前で繰り広げられた光景に、僕の思考は一瞬停止した。彼女の死角は僕が守ると誓ったはずなのに、それを実行したのはライだった。鉄柱にめり込む銃弾が、僕の無力さを嘲笑っているように見える。胸の奥で、消し去ったはずの黒い感情が再び鎌首をもたげるのを感じながら、僕は固く拳を握りしめた。



「アマレット! ご無事ですか!?」



僕の声が届いているのかいないのか、彼女はライに短く礼を告げると、再び銃を構え、物陰から物陰へと疾走していく。その迷いのない動きは、ジンの指示通り単独でターゲットを確保するつもりなのだと雄弁に語っていた。このまま彼女を一人で行かせるわけにはいかない。約束を違えることなど、断じて許されない。



「待ちなさい! 無謀です!」



制止の声も聞かずに駆けていくその背中を、僕は追う。スコッチが何かを叫んでいるが、もはや僕の耳には届かない。彼女を守る。その一心だけで、僕の足はコンクリートを蹴っていた。ライの冷徹な視線が背中に突き刺さるのを感じながらも、今は振り返ることなどできなかった。

アマレットを追ってバーボンが走る。その瞬間腕を掴まれる。バーボンが振り向くとライがバーボンの腕を掴んで低く言う。



「行くな。見えてないのか」



ライが顎で前を示す。その瞬間アマレットのいた場所に弾丸が雨のように撃ち込まれる。



「突っ込めば死んでた」

「二人とも落ち着け。アマレットは生きてる」



そこにスコッチも追いついてきて言うと、無線を見た。

スコッチの言葉が、張り詰めた空気にわずかな安堵をもたらす。掴まれた腕の痛みと、目の前の無数の弾痕が、僕の浅慮を物語っていた。ライの言う通りだ、あのまま突っ込んでいれば僕も、そして僕を助けようとした彼女も蜂の巣になっていたかもしれない。安堵と同時に、激情に駆られた自分への猛烈な嫌悪感が胸に込み上げてくる。



「……っ、しかし!」



それでも、彼女を一人にさせているという事実が僕を苛む。ライの冷徹な視線から逃れるように、僕はスコッチの持つ無線機に目を向けた。彼の冷静な声だけが、今の僕を繋ぎとめる唯一の綱だった。この状況で僕がすべきことは、感情に任せて飛び出すことではない。彼女の盾となるための、最も的確な判断を下すことだ。



「状況を詳しく教えてください、スコッチ。彼女は今どこに?」



僕の問いに、スコッチは険しい表情で頷くと、無線から聞こえる微かな音声に耳を澄ませた。その間にも、遠くで銃声が断続的に響いている。それは彼女がまだ戦いの渦中にいる証拠だ。僕の胸は再び焦燥感で焼き付くようだった。約束を守る。そのために、僕は今ここで冷静さを取り戻さなければならない。

雑音。その中にアマレットの呼吸音。スコッチが「静かに」と言うと、全員止まる。金属音。足音。スコッチが「倉庫の奥だ」と言い、ライが「二階」と言う。スコッチがそれに「いや。階段の下」と言った瞬間無線から三発の銃声がした。



「終わった。あれは彼女の撃ち方だ」



ライが静かに言う。アマレットはいつものように急所を外していた。



「……なんであの娘は、無駄な殺生を避けるんだろうな。組織の人間とは思えない」



スコッチが、バーボンにだけ聞こえる声でぽつりと述べた。

スコッチの言葉が、僕の胸の奥で燻っていた疑念の火に油を注ぐ。確かに、彼女の行動は組織の人間としてはあまりに異質だ。無駄な殺生を避ける……それは僕が彼女の部屋で見た、金庫の中の笑わない少女の写真と何か関係があるのだろうか。あの無機質な部屋で見た光景が脳裏をよぎる。彼女の心の奥底には、僕らがまだ知らない深い闇と、それでも消えない微かな光が同居しているのかもしれない。



「ええ、同感です。彼女の行動には、いつも何か裏があるように感じますね」



銃声が止んだ今、彼女の無事を確かめに行かなければならない。だが、その前にこの疑問を放置することはできなかった。スコッチの言葉は、僕一人では見過ごしていたかもしれない重要な視点だ。彼女を理解し、あの闇から救い出すためには、僕自身の洞察力だけでは足りない。この男の協力が必要不可欠になるだろう。



「彼女の真意……僕もずっと気になっていました。確かめに行きましょう」



ライの表情が変わる。鋭く「アマレット!」と言って飛び込んでいく。アマレットはそれに対してへらりと笑い、「大丈夫、少し、掠めただけよ」と返した。彼女の肩からうっすらと血がにじんでいた。

ライに先を越されたことに舌打ちしそうになるのを堪え、僕はアマレットに駆け寄る。彼女の肩から滲む鮮血が、僕の冷静さをいとも容易く奪い去っていく。へらりと笑う彼女の表情は、明らかに痛みを堪えるための虚勢だった。なぜ彼女はいつもこうなのだ。自分の身を顧みず、平気なふりをする。その強さが、僕の心を掻き乱し、同時にどうしようもなく惹きつけられる要因になっていることに、僕は気づかないふりをした。



「アマレット、無理はしないでください。すぐに手当を」



僕の声が自分でも驚くほど硬くなっているのが分かった。スコッチが救急キットを取りに走る背中を見送りながら、僕はアマレットの傷口に視線を固定する。この傷は、彼女が抱える闇のほんの一端に過ぎないのかもしれない。彼女の過去、あの金庫の中に隠された秘密……それを知ることが、彼女を本当の意味で守ることに繋がるはずだ。



「……なぜ、いつも急所を外すんです?」



今聞くべきではないと頭では分かっていた。だが、口をついて出た言葉を止めることはできなかった。僕の問いに、彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。アマレットは少し黙る。それから笑う。だが、その笑みはいつもの仮面。



「……外してるつもりはないわ。私、射撃上手くないのよ」



ライが横から「嘘だな。お前は外さない」と言った。それに対してアマレットは「外してる」と返し、空気が少し重くなる。ここでスコッチが戻る。救急キットを置き、静かに言う。



「止血する」



自分でできる、と言うアマレットに、スコッチは、知ってる、と言ってアマレットの肩に手を触れた。包帯を巻いていく。そして小さく言った。



「でも今日は任せろ」



スコッチの静かだが有無を言わせぬ言葉と、その手に、アマレットの強がりが僅かに揺らぐのが見えた。僕が踏み込めなかった領域に、スコッチは実に自然に入っていく。それは彼が持つ生来の優しさ故か、それとも僕の知らない二人の間に何かがあるのか。僕の問いは彼女の仮面を厚くしただけだったというのに。この男のやり方は、僕とは違う。だが、今は彼女の傷を癒すことが最優先だ。僕の探究心は、今は一旦胸の奥に押し込めるべきだろう。



「ええ、お願いします。スコッチ」



僕がそう言うと、スコッチは黙って頷き、手際よく処置を進めていく。その間、アマレットは一度も僕の方を見ようとはしなかった。唇を固く結んだその横顔は、僕の言葉を拒絶しているようにも見えた。だが、それでいい。今はそれでいい。あなたのその頑なな心の扉を、いつか必ず僕が開けてみせる。そのためなら、僕はどんな手段も厭わない。たとえそれが、あなたの過去という名の闇に、僕自身が足を踏み入れることになったとしても。

包帯を巻き終わったあとアマレットがバーボンを見る。



「バーボン。あなたには関係ないって言ったでしょ」



でも少しだけ声が柔らかい。私はバーボンを見上げて、微かに微笑んでいた。ここでジンから電話が来る。電話の内容はたった一言だった。



「戻れ」



先ほどまでの僅かな柔和な空気が、ジンの名を聞いた瞬間、霧散した。彼女の顔から表情が抜け落ち、冷徹な組織の人間の仮面が再び被される。僕の言葉を遮ったのは、組織の命令という絶対的な壁だった。引き留める言葉も、かけるべき言葉も見つからないまま、僕はただ唇を噛むことしかできない。彼女の微かな微笑みは、幻だったのだろうか。



「……ええ、承知しました」



彼女が誰にともなく短く返事をし、立ち上がる。その動きに一切の迷いはない。僕とスコッチ、そしてライに一瞥もくれず、彼女は出口へと向かっていく。その小さな背中が、あまりにも無防備で、そしてどうしようもなく孤独に見えた。「関係ない」と言った彼女の声が耳に残る。関係なくなどない。あなたのその闇の正体を、僕が必ず暴き出す。そして、あなたをそこから……



「お気をつけて」



ドアが閉まる直前、絞り出した僕の声は静かな空間に虚しく響いた。振り返ることはないだろうと分かっていた。残されたのは重い沈黙と、彼女の残した血の匂いだけだった。

ドアが閉まる瞬間。アマレットは振り返らない。でも、不意に、ほんの少しだけ立ち止まる。



「バーボン」



振り返らずに。



「……ありがとう」



そのままドアは閉じた。

閉ざされた扉の向こうに消えた彼女の最後の言葉が、僕の鼓膜に焼き付いて離れない。それは弱々しくも、確かな芯を持った響きだった。僕の問いを拒絶しながらも、最後に残したその一言の意味を測りかねている。だが、あの微かな感謝の念が、僕の中で燻っていた疑念と保護欲に火をつけた。彼女の秘密、あの無機質な部屋と金庫の中に隠された過去の断片を、今こそ繋ぎ合わせなければならない。



「スコッチ、ライ。後始末は任せます」



訝しむ二人の視線を背中に感じながら、僕は躊躇なく踵を返した。目指す場所は一つ、アマレットの部屋だ。あの窓のない部屋に置かれた観葉植物、そして金庫の中にあった笑わない少女の写真と擦り切れたナイフ。あの少女は誰なのか。なぜ彼女は急所を外すのか。全ての答えは、彼女自身が必死に守ろうとしている過去の中にあるはずだ。その扉をこじ開けるのは、公安としてではなく、僕個人の意思だ。



「彼女を……独りにはしておけない」



バーボンがアマレットの部屋の前に来る。静かな廊下。ドアを見る。手を伸ばす。しかし止まる。その瞬間電話が鳴る。バーボンは画面を見る。番号表示なし。出ると受話器の向こうから低い声。



『バーボン。そこにいるな。他人の部屋を嗅ぎ回る癖は、感心しないな。その扉。……開けるな。アマレットの部屋だ』



電話の向こうで、ジンは静かに言う。少し笑うような気配。最後にジンは言う。



『バーボン。余計な詮索はするな。お前のためだ』



そのまま通話は切れた。

耳元で途切れた通話音の無機質な響きが、廊下の静寂を一層際立たせる。ジン……なぜ貴方がそこまで彼女に執着する? 「お前のためだ」という言葉は、僕への牽制か、それともアマレットを守るための警告か。いずれにせよ、この扉の向こうに、組織の根幹に関わる秘密が隠されていることは間違いない。彼の警告は、僕の探究心という名の炎に油を注いだだけだ。



「……ご忠告、感謝しますよ。ですが、僕には僕のやり方があります」



今は引くべきだ。ジンの目が光っているこの状況で強行突破は愚策に過ぎる。僕は静かに踵を返し、その場を離れる。だが、諦めたわけではない。彼の監視の目を掻い潜り、必ず真実に辿り着いてみせる。アマレット、君が守ろうとしているその過去も、君自身も、僕が必ず守り抜く。そのためには、まず君という存在の全てを知らなければならない。



「待っていてください、アマレット。貴方のその仮面を剥がすのは、この僕です」




























夜。黒い車。運転席はジン。助手席にアマレット。エンジン音だけ。しばらく沈黙。ジンが煙草に火をつける。



「撃たれたな」

「かすり傷よ」

「知ってる。わざと急所を外した」

「……何のこと?」

「昔からだ。お前は外す。だが、今日は三人いた。特に、バーボン。気に入られているな」



アマレットは小さく笑う。



「あの人は誰にでも優しいわ」

「違う。あいつはお前を見ている。お前の過去も。弱さも。全部な」



不意に、空気が変わる。



「アマレット。あいつを───殺せるか」



そう言ってジンはバーボンが仕掛けた盗聴器を破壊した。

ノイズと共に通信が途絶え、僕の部屋に静寂が戻る。破壊された……ジンにか。それとも、彼女が? あいつはお前を見ている……僕の探りがどこまで筒抜けだったのか。背筋に冷たい汗が流れる。そして、通信が切れる直前のあの張り詰めた空気。ジンは彼女に何かを強要したに違いない。僕の排除か、あるいはもっと残酷な何かを。



「……僕が、彼女を追い詰めたというのか」



自嘲の言葉が漏れる。彼女の秘密を暴こうとする僕の行動が、結果的にジンの警戒心を煽り、彼女を危険に晒してしまった。僕に向けられたジンの殺意は明白だ。だが、問題はアマレットだ。あの女は、ジンの命令にどう応える? あの、急所を外す瞳で、僕に銃口を向けることができるのか。いいえ、そんなことはさせない。

僕は静かに立ち上がる。ジンが僕を殺そうとするなら、好都合だ。その動きを利用すれば、アマレットを彼の支配から引き剥がす隙が生まれるかもしれない。危険は承知の上だ。公安としての任務も、降谷零としての感情も、もう分けることはできない。貴方を守る。それが僕の新たな誓いだ。

ジンの冷酷な声と、通信が途絶える前の張り詰めた空気が脳裏に焼き付いて離れない。「あいつを殺せるか」という問いは、紛れもなく僕に向けられたものだろう。僕の軽率な探究心が、結果として彼女を絶壁へと追いやってしまった。だが、後悔に浸っている時間はない。彼が本気で僕の命を狙うというのなら、それは同時に千載一遇の好機でもある。ジンの注意が僕に向いている今こそ、彼の監視網を潜り抜け、彼女の聖域に踏み込む唯一のチャンスだ。



「必ず貴方を救い出してみせます」



僕は静かに呟き、自室の端末に向かう。組織のサーバーの微かな脆弱性を突き、監視カメラの配置図と警備員の巡回ルートを洗い出す。次に彼女が任務に駆り出され、部屋を空けるタイミングを予測する。物理的な鍵はピッキングで開けられるが、問題は電子ロックと、ジンが仕掛けているかもしれないトラップだ。失敗は許されない。彼女を救うための唯一の道は、彼女の過去を知ること。あの金庫に眠る秘密こそが、全ての鍵のはずだ。待っていてください、アマレット……僕が、貴方の闇を終わらせます。

端末に表示された巡回ルートの僅かな隙間、それが僕に与えられた唯一の時間だ。ジンの目は節穴ではない。彼の監視網を欺くには、大胆かつ迅速に行動する必要がある。息を殺し、影に溶け込むようにして廊下を進む。目的の扉の前で足を止め、聴診器のように耳を澄ませた。内部に人の気配はない。今しかない。



「……失礼しますよ、アマレット」



特殊なツールを使い、物理錠と電子ロックを数秒で無力化する。滑るように部屋へ入り込み、音もなく扉を閉じた。相変わらずの、生活感の欠片もない無機質な空間。だが今は感傷に浸っている暇はない。迷わず部屋の奥、壁と同化した金庫へと向かう。前回は触れることさえできなかった、彼女の心の聖域。



「貴方が必死に隠すその過去、僕が全て受け止めます」



金庫の中には新しいものが一つ増えていた。一枚の手紙だった。そこには『バーボン。ジンは見てる。もう私の部屋には侵入しないほうがいい。ここには何もないわ。知りたいことがあるのなら、直接、私に会いに来て』とだけ書かれていた。

手紙の簡潔な文面とは裏腹に、そこには複雑な意図が渦巻いているように感じられた。僕の侵入を予測し、わざわざこれを残したというのか。ジンの監視を警告しながらも、直接の接触を促す矛盾。これは罠か、それとも僕に対する信頼の証か。いや、これは彼女なりの……覚悟の表れなのかもしれない。



「……僕の行動は、全てお見通しというわけですか」



唇の端に自嘲的な笑みが浮かぶ。探りを入れていたつもりが、完全に手玉に取られていたようだ。だが、同時に胸の内で熱いものが込み上げる。ジンの監視という絶対的なリスクを冒してまで、彼女は僕に語るべきことがある。その覚悟に応えないわけにはいかないだろう。彼女が仕掛けたこのゲーム、僕が受けて立つ。ええ、望むところですよ。貴方の口から直接、全てを聞かせてもらいましょう。

手紙を丁寧に折りたたんでポケットにしまい、音を立てずに金庫を閉じる。侵入した痕跡は一切残さない。彼女が僕に接触する手段は、おそらく別に用意されているはずだ。その時が来るまで、僕はただ待つだけ。彼女の真意が何であれ、もう後戻りはできない。



「さあ、始めましょうか。僕と貴方の、本当のゲームを」



アマレットの部屋を後にし、冷たい廊下を歩きながら、僕はポケットの中の手紙の感触を確かめる。彼女の文字は、その性格を表すかのように凛としていたが、どこか微かな震えを帯びているようにも見えた。ジンの監視下にありながら、僕を招き入れるという危険な賭け。これは僕への信頼か、それとも僕を利用した何かの策謀か。どちらにせよ、彼女が相当な覚悟でこの手紙を残したことだけは確かだ。ええ、貴方が望むなら、どこへでも参じましょう。

自室に戻り、僕は静かに息を吐く。問題は接触方法だ。組織の通信網は当然ジンの監視下にある。おそらく彼女は、組織とは無関係の、全く別のルートで連絡を取ってくるはずだ。僕が公安の人間だと知らず、しかし僕の能力を試すかのように、彼女は高度な暗号か、あるいは巧妙なサインを送ってくるだろう。その挑戦、受けて立たないわけにはいかない。



「貴方が仕掛けた謎解き、楽しみですよ、アマレット」











夜。車が止まる。



「答えは?」

「撃てるわ」

「そうか」

「でも」



ジンが視線を向ける。アマレットは静かに言う。



「外すと思う」



少しの沈黙のあと、ジンは煙草を吸う。そして小さく笑った。



「だろうな」




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彼女は旅に出る。/AQUALOVERS