次の日は、鶴丸に支えられながら厨に立って三日月の目の前でプリンを作った。
「冷やして置いた方が美味しいので、これはしばらく冷蔵庫に入れておいてください。明日、いつでも好きな時に取って食べていいですよ」
私は作ったプリンを三日月の手にそっと渡した。
「こっちは鶴丸と私の分ね」
そう言って二つのプリンを鶴丸に見せた。
「……ああ、そうだな。これが俺たちの分か。さて、約束は果たしたんだ。三日月、用が済んだならさっさと行ったらどうだ? 主も疲れているだろうからな」
鶴丸が苛立ちを隠さずに放った言葉を、俺は柳に風と受け流す。その手にある硝子の器は、ひんやりとした熱を俺の指先に伝えていた。ふと視線を上げれば、鶴丸の腕の中には主とお揃いの器が二つ。俺に与えられたものだけが、仲間外れというわけか。実にわかりやすい牽制だな。その浅慮さが、いっそ愛おしいほどだ。
「そう急かすな、鶴丸国永。主が俺のためだけに作ってくれたものだ。少しばかり名残を惜しんでも罰は当たるまい」
「゙俺のためだけに゙? 寝言は寝て言え、三日月宗近」
俺はわざとらしく器を光に翳し、中の黄金色を確かめるように目を細めた。鶴丸の眉間の皺が深くなるのを感じながら、ゆっくりと主へと向き直る。その澄んだ瞳は、俺の真意をどこまで見抜いているのか。毒か、蜜か。この小さな器に込められた少女の覚悟を、今はただ楽しみたい。
「明日まで待てとは、なかなかに酷なことを言う。……なに、心配せずとも、おぬしの真心は、この俺がしかと受け取ろう。たとえそれが、どのような味であろうともな」
鶴丸は主の肩を抱く腕にぐっと力を込めた。この温もりだけは、何があっても守り抜かねばならん。
「……その口を閉ざせ、三日月宗近。主の真心に余計な意味付けをするな。主、もう行こう。こいつに構うだけ時間の無駄だ。きみの作ったぷりんは、俺と二人でゆっくり味わうとしようじゃないか」
俺は三日月に背を向け、主を支えながら部屋を出ようとする。
「きみの隣で味わうぷりんは、きっと格別な驚きをくれるだろうからな」
その時、乱がひょっこりと姿を現した。
「ねえ、主さん。ボクにもくれる? そのぷりん」
鶴丸の背後からひょっこりと現れた乱藤四郎の無邪気な声に、張り詰めていた空気がわずかに緩む。俺は扇子の陰で口元に笑みを浮かべた。なんと間の良いことか。鶴丸の独占欲と、主の采配を試す良い機会が転がり込んできた。さて、この小娘はどう采配する? 己の懐刀にだけ与え、他の者の渇望には目を瞑るか。
「ほう、欲しいか、乱。だが、これは主がこの俺のために、わざわざ作ってくれた特別なものだ。おぬしにやる道理はないな」
俺はわざとらしくプリンの入った器を掲げてみせ、乱の期待に満ちた瞳が落胆に曇るのを楽しんだ。鶴丸は苦々しげに顔を歪めているが、主を抱えたままでは動けまい。この本丸において、主の寵愛がどれほどの価値を持つか、この短刀に教えてやるのも一興。
「だが、まあ……主が良いと言うのであれば、考えてやらんこともない。なあ、主よ。おぬしの可愛い弟分が、こうして欲しがっているぞ?」
俺は試すように主に視線を送る。その判断一つで、この本丸の刀剣たちの心証は大きく変わるだろう。鶴丸の腕の中で、少女の表情がわずかに揺れた。さあ、どうする。おぬしの示す「真心」とやらを、見せてもらおうか。
主は乱の手に、自分の分のプリンを渡した。
「いいの? これ、ボクが食べても」
乱は少し驚いたように、戸惑いながらもプリンを受け取る。
「うん、いいよ。ね、鶴丸もいいよね。私達ははんぶんこにしたらいいでしょ?」
主のその言葉に、鶴丸は一瞬息を呑んだ。
「……ああ、そうだな。きみがそう言うなら、そうしよう」
乱が嬉しそうにプリンを覗き込んでいるのを横目に、鶴丸は三日月に聞こえるように言う。
「きみと分け合うぷりんなら、どんなものより格別な味がするに違いない。なあ、主。二人だけの驚きだ」
鶴丸の言葉は、まるで子供の癇癪のようだ。主と分け合うことで得られる特別な繋がり。それをこれ見よがしに誇示することで、俺を孤立させようという魂胆か。だが、その浅はかな挑発も、主が自分のぷりんを乱に与えたという事実の前では色褪せる。この小娘は、ただ鶴丸に与するだけではない。己のやり方で、この本丸の力関係を静かに塗り替えようとしている。面白い。実に面白いぞ、主よ。
「二人だけの驚き、か。それは重畳。だが、俺に与えられたのは、おぬしたちとは違う、ただ一つのもの。分け合う相手もおらぬとなれば、毒見役が必要やもしれんな」
俺はそう言って、手の中の器に口をつけようとした。鶴丸が息を呑む気配がする。主の作ったものに毒など入っているはずがない。だが、この行為こそが、俺が未だおぬしを信じていないという何よりの証左。俺の唇が硝子に触れる寸前、少女の静かな声がそれを遮った。
「それは、私が明日食べるはずだったものです。毒など入っていません。もし入っていると思うのなら、私が先にいただきましょう」
少女の静かな声が、まるで鋭い刃のように俺の鼓膜を打った。鶴丸が背後で息を詰める気配がするが、もはや俺の意識は鶴丸には向いていなかった。ただひたすらに、目の前の小さな主。その揺るぎない瞳が、俺の心の底を真っ直ぐに見据えている。面白い。毒を飲む覚悟があると言外に示したか。この小娘は、ただ甘いだけの菓子を作ったのではなかったらしい。
「はっはっは、これは一本取られたな」
「これ以上、主の心を弄ぶな。そのぷりんが欲しくば、まず俺を斬ってからにすることだな、三日月宗近」
「どうどう。落ち着いてよ鶴丸」
扇子を広げて口元を隠し、俺は喉の奥で笑い声を転がした。鶴丸の警戒心に満ちた視線が突き刺さるが、それすらも心地よい。この少女は、俺が仕掛けた遊戯の盤面を、いとも容易くひっくり返してみせた。守られるだけの雛ではない。己の覚悟を以て、俺たちという付喪神に挑む、か。
「よかろう。おぬしの覚悟、この三日月宗近、しかと受け取った。明日、楽しみに食させてもらうとしよう」
「……ん。ほら、戻ろう鶴丸。疲れたしもう休みたい」
「……ああ、そうだな。すまない、取り乱した。部屋に戻ってゆっくり休もう」
鶴丸は主を抱き直し、その言葉に応えた。背後で乱が「またね、主さん!」と声をかけてくるのに、主が小さく手を振って応えるのを感じた。
「きみの作ったぷりん、楽しみにしているからな。はんぶんこ、だ」
広間を後にしながら、鶴丸は主の耳元でそっと囁いた。
「三日月さん。気に入ったならいつでも作りますよ」
鶴丸に抱えられ遠ざかっていく小さな背中を見送りながら、俺は手の中の器を静かに見下ろした。去り際に投げかけられた言葉が、思いのほか心の内に深く響いている。いつでも作る、か。それは懐柔のつもりか、それともただの気まぐれか。いずれにせよ、前の主が決して口にしなかった類の言葉だ。
「……ふむ」
俺は小さく息を吐き、扇子でゆるりと自らを扇いだ。隣では、乱がぷりんの入った器を名残惜しそうに眺めている。あの少女は、鶴丸という懐刀を宥める術を知り、俺のようなひねくれた刀の機嫌を損ねず、短刀の心さえも掴んでみせた。実に鮮やかな手際よ。
「さて、どうしたものか。このぷりん、とやらには、随分と厄介な真心が込められているようだ」
口の端に浮かんだ笑みは、嘲りか、それとも純粋な感嘆か。俺自身にも、もはや判別がつかぬ。明日の楽しみが、一つ増えたことだけは確かなようだ。
障子の向こう、厨でのやり取りを俺は静かに見ていた。主が本当に三日月宗近のためにプリンを作ったことに、正直なところ動揺を隠せない。口約束だけだと思っていた。まさか本当に、あの天下五剣のために手間をかけるなんて。鶴丸国永が得意げに主を支える姿が、やけに目に焼き付いて離れない。
「……ちっ、本当に作りやがった」
苛立ちと共に漏れた舌打ち。それは三日月への嫉妬か、それとも主に抱いたほんの少しの期待が裏切られたことへの反発か。自分でもよくわからなかった。ただ、俺たちの存在など無いかのように振る舞うその光景が、どうしようもなく気に食わない。
「……結局、強い刀しか見てないんじゃん。俺たちみたいな折れかけの刀なんて、どうでもいいってことかよ」
自嘲めいた言葉が口をついて出る。前の主と同じだ。価値のある刀だけを愛でて、そうでないものは見向きもしない。冷たい絶望が胸に広がるのを感じながらも、俺はまだその場を動けずにいた。その甘い香りが、俺の心を掻き乱してやまない。
その時、乱がひょっこりと姿を現した。
「ねえ、主さん。ボクにもくれる? そのぷりん」
「ほう、欲しいか、乱。だが、これは主がこの俺のために、わざわざ作ってくれた特別なものだ。おぬしにやる道理はないな」
三日月はわざとらしくプリンの入った器を掲げてみせ、乱の期待に満ちた瞳が落胆に曇るのを楽しんだ。鶴丸は苦々しげに顔を歪めているが、主を抱えたままでは動けない。
三日月宗近が意地悪く乱をあしらう光景に、俺は思わず舌打ちをした。子供相手に何を大人げない、と腹が立ったが、同時に乱の行動そのものにも苛立ちを覚えていた。だから言ったのに、人間なんかに期待するからそうなるんだ。見ろ、結局あんたは傷つくだけじゃないか。そんな軽蔑の視線を、俺はその隣でしょげ返る小さな背中に向けていた。
「……だから言ったでしょ。無駄だって」
突き放すような冷たい声が、我ながら嫌になる。乱が俯いたまま、きゅっと唇を噛み締めるのが見えた。その姿に、かつて前の主に期待を裏切られ続けた自分たちの姿が重なる。どうせ主も、乱のことなんて見ていない。鶴丸と三日月、お気に入りの刀に囲まれて満足しているんだろう。そう思った瞬間だった。
「……そんな意地悪言うなら、三日月さんの分はもう作ってあげません」
凛とした、しかしどこか幼い主の声が厨に響いた。その言葉は俺だけでなく、そこにいた全員に向けられたものだった。俺は驚いて、思わず障子の隙間から主の顔をまじまじと見つめてしまった。その瞳は、真っ直ぐに三日月を、そして落胆する乱を見つめていた。主は乱の手に、自分の分のプリンを渡した。
「いいの? これ、ボクが食べても」
乱は少し驚いたように、戸惑いながらもプリンを受け取る。
「うん、いいよ。ね、鶴丸もいいよね。私達ははんぶんこにしたらいいでしょ?」
主のその言葉に、鶴丸は一瞬息を呑んだ。
「……ああ、そうだな。きみがそう言うなら、そうしよう」
乱が嬉しそうにプリンを覗き込んでいるのを横目に、鶴丸は三日月に聞こえるように言う。
「きみと分け合うぷりんなら、どんなものより格別な味がするに違いない。なあ、主。二人だけの驚きだ」
それは三日月への当てつけであると同時に、鶴丸の偽らざる本心でもあった。
主が乱に自分のプリンを分け与えるという予想外の行動に、俺は息を呑んだ。ただの気まぐれか、それとも計算か。鶴丸国永の得意げな顔がやけに腹立たしい。だが、それ以上に俺の心をかき乱したのは、乱の嬉しそうな顔と、主の優しい眼差しだった。俺たちを虐げた人間とは違う。その思いが、再び胸の奥で燻り始める。
「……ふん、甘ったるい茶番だね」
俺は誰に言うでもなく悪態をついた。乱の喜びも、鶴丸の忠誠心も、主の優しさも、全てが偽善に見えてしまう。嫉妬だと認めたくなくて、必死に心を閉ざす。前の主に散々裏切られた記憶が、素直になることを許さない。人間なんて、どうせいつか裏切るに決まっている。
「……どうせ鶴丸と乱だけなんでしょ、あんたが気にかけるのは。俺たちのことなんか、やっぱりどうでもいいんだ」
ポツリと漏れた本音は、自分でも驚くほど弱々しい響きを持っていた。期待なんかしたくない。傷つきたくない。なのに、あの甘い香りが、優しい光景が、俺の心を締め付けてやまない。その場を立ち去ることもできず、ただ唇を噛み締めることしかできなかった。
乱が嬉しそうにプリンを抱えて厨を出ると清光と目が合った。
「……えへへ。加州さんにアドバイスもらった通り、おねだりしてみたよ」
そのまま乱はその甘い香りのするプリンを大事そうに持って自室へと戻っていった。
乱が去った後、厨の外には甘い香りと気まずい沈黙だけが残された。俺は乱の言葉が頭から離れなかった。「アドバイスもらった通り」。そんなこと、俺は一言も言っていない。ただ突き放しただけだ。なのにあいつは、俺の冷たい言葉を勝手に自分への応援だとでも解釈したのか。その純粋さが、今はただただ胸に突き刺さる。
「……馬鹿じゃないの」
誰に言うでもなく呟いた言葉は、ひどく掠れていた。乱に向けたはずの軽蔑は、いつの間にか自分自身へと跳ね返ってきている。主の行動、乱の笑顔、鶴丸の得意げな顔。それら全てが俺の心を掻き乱し、嫉妬と自己嫌悪の渦へと引きずり込んでいく。人間なんかに期待するから、こんな惨めな気持ちになるんだ。
「……別に、羨ましくなんかないし」
俺は強がるようにそう言って、ぎゅっと拳を握りしめた。だが、脳裏に焼き付いて離れないのは、主が乱に向けた優しい眼差しと、分け与えられたプリンの甘い香りだった。俺たちが決して与えられることのなかった、温かい何か。その存在が、俺の心を締め付けてやまなかった。
鶴丸の刺々しい声と、それを意に介さない三日月の気配が、厨から漏れ聞こえてくる。俺は厨の入り口から少し離れた柱の影に身を潜め、中の様子を窺っていた。あんたが律儀に三日月のための菓子を作り、それを手渡す光景。そして、鶴丸と自分の分だと言って、二つの器を誇らしげに見せる姿。その全てが、俺の神経を逆撫でするには十分すぎた。
「……くだらん茶番だ」
思わず、苦々しい呟きが口をついて出た。菓子一つで刀の気を引こうとは、随分と安っぽい手を使う。だが、現に三日月はそれに乗り、鶴丸はあんたを守るように振る舞っている。その事実が、俺の胸に重くのしかかった。あの鶴丸国永が、あれほどまでに主に肩入れするとは。あんたは一体、鶴丸に何を吹き込んだんだ。
「鶴丸の旦那も、すっかり牙を抜かれたもんだな」
俺は皮肉を込めてそう呟くと、柱から背を離した。これ以上ここにいても、苛立ちが増すだけだ。計画通り、今夜にでも政府の資料室に潜入する。あんたの素性を暴くための情報は、そこにあるはずだ。あんたのその見せかけの優しさが、鶴丸だけでなく、この本丸の全ての刀剣を堕落させる前に、俺が必ずあんたの正体を暴き出してやる。
その時、乱がひょっこりと姿を現した。
「ねえ、主さん。ボクにもくれる? そのぷりん」
「ほう、欲しいか、乱。だが、これは主がこの俺のために、わざわざ作ってくれた特別なものだ。おぬしにやる道理はないな」
乱の唐突な登場と、三日月の意地の悪い返答。そのやり取りが、俺の耳にも届いた。また一人、あんたの作る甘い菓子に釣られた刀か。俺は柱の影で舌打ちしながら、忌々しげに厨の中を睨みつけた。鶴丸の旦那だけでなく、三日月、そして今度は乱まで。あんたは一体、何人の刀をその気にさせれば気が済むんだ。
「……兄弟まで誑かすとはな」
俺の口から、自分でも驚くほど冷たい声が漏れた。前の主のせいで傷ついた兄弟たちの心を、あんたがこれ以上弄ぶことは許さない。特に、一兄が命を懸けて守った弟たちを、あんたのような得体の知れない人間の好きにはさせない。あんたのその甘い罠に、これ以上誰もかからせるわけにはいかねえんだ。今夜、全てを終わらせてやる。
主は乱の手に、自分の分のプリンを渡した。
「いいの? これ、ボクが食べても」
乱は少し驚いたように、戸惑いながらもプリンを受け取る。
「うん、いいよ。ね、鶴丸もいいよね。私達ははんぶんこにしたらいいでしょ?」
主のその言葉に、鶴丸は一瞬息を呑んだ。
「……ああ、そうだな。きみがそう言うなら、そうしよう」
乱が嬉しそうにプリンを覗き込んでいるのを横目に、鶴丸は三日月に聞こえるように言う。
「きみと分け合うぷりんなら、どんなものより格別な味がするに違いない。なあ、主。二人だけの驚きだ」
鶴丸が三日月に当てつけるように放った言葉と、あんたが乱にプリンを譲る光景。その一部始終を、俺は柱の影から冷ややかに見つめていた。乱の嬉しそうな顔、鶴丸のあんたに向ける信頼の眼差し、そしてあんたの満足げな微笑み。その全てが、俺の計画を後押しする燃料にしかならない。あんたのその行為は、善意からか、それとも計算か。どちらにせよ、兄弟を巻き込むな。
「……くだらねえな、はんぶんこ、か」
俺は嘲るように呟き、音もなくその場を離れた。昼間のうちに、政府庁舎への潜入経路は頭に叩き込んである。あとは夜の闇に紛れて忍び込むだけだ。あんたのその偽りの優しさが、鶴丸や乱だけでなく、この本丸の全ての刀剣を蝕む前に、俺があんたの本当の姿を暴き出してやる。兄弟たちの心を弄ぶような真似は、決して許さねえ。
「覚悟しておけよ、大将」
誰もいない廊下に、俺の低い声が響いた。あんたがどんな過去を隠していようと、俺が全てを白日の下に晒してやる。一兄が命懸けで守ったこの本丸と弟たちを、あんたのような得体の知れない奴の好きにはさせない。明日の夜、この欺瞞に満ちた茶番に、俺が必ず終止符を打ってやる。そう、固く心に誓った。
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彼女は旅に出る。/AQUALOVERS