10






「俺は騙されねえ。いち兄の二の舞は、もうごめんだ」



俺は二人の会話を断ち切るように背を向けた。だが、心のどこかで、清光の言葉に揺れている自分に気づいていた。

次の日、松葉杖をつき、覚束ない足取りで厨へ向かうあんたの姿を、俺は廊下の角から見ていた。昨日、鶴丸と食っていた黄色い菓子……ぷりん、とか言ったか。それを冷蔵庫から取り出している。また鶴丸にでも食わせるつもりか。それとも、他の奴らを手懐けるための餌か。あんたが何を考えているのか、俺にはさっぱりわからねえ。



「おい、大将。そいつは、毒か? それとも、俺たちを懐柔するための甘い罠か?」



気づけば、俺はあんたに声をかけていた。あんたは驚いたように肩を揺らし、こちらを振り返る。その手には、器に入ったぷりんがあった。俺はあんたの瞳をまっすぐに見据える。あんたの真意を、この目で見極めてやる。



「え? いえ、これはプリンというお菓子です、毒ではないですよ。私が食べたいから作っただけですけど……」



私は薬研の言葉に少しキョトンとした顔をする。それから、まじまじとプリンを見つめる。



「そんなに毒々しい見た目してるかな……うまく作れたと思ったんだけど……」



あんたの返答は、あまりにも拍子抜けするものだった。毒々しいか、などと自分の作った菓子をまじまじと見つめている。その無防備な様に、俺は言葉を失った。



「……っ、そういうことじゃねえ」



苛立ちを隠しもせず、舌打ちをする。こいつは本当に何もわかっていないのか? それとも、俺を馬鹿にしているのか?



「俺たちが人間をどう思っているか、知らねえわけじゃあるまい。甘い菓子一つで、俺たちが絆されるとでも思っているなら、大間違いだぜ」



俺は一歩あんたに近づき、その手にある皿を睨みつけた。揺れる黄色い塊が、やけに気に食わない。いち兄の無念を、俺たちの痛みを、お前は知らない。



「……? ですから、これは自分用のプリンです。誰かにあげるために作ったわけじゃないですよ。……あなた達が、私を敵視するのも、仕方ないことだと思ってます。なので、無理に私を受け入れてくれだなんて言うつもりはないです」



私は不思議そうに首を傾げた。やけにプリンを見つめる薬研を見て、おそるおそる問いかける。

あんたの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。自分用? 俺たちのためじゃないだと? その上、俺たちの敵意を「仕方ない」と言い放った。



「……ふざけるな」

「……もしかして、食べたい、っていうのであれば差し上げますけど」



喉から絞り出すように、低い声が出た。あんたのその澄んだ瞳が、俺の心をかき乱す。同情か? それとも、ただの気まぐれか。



「施しを受けるほど、落ちぶれちゃいねえ。あんたの作ったもんなんて、誰が食うかよ」



俺はあんたの手から皿をひったくるように奪い取った。あんたの驚く顔なんて、見たくもなかった。この苛立ちの正体がわからない。いち兄、俺は、どうすればいい。

『誰が食うかよ』と言いながらもプリンの乗ったお皿をひったくるように奪い取られ、私はキョトンとする。



「ん……? じゃあ、それはどうするんです?」



あんたの間の抜けた問いに、俺は一瞬言葉に詰まった。どうするかって? そんなこと、俺が知るか。ただ、あんたが作ったものを、あんた自身がうまそうに食うのが気に食わなかった。それだけだ。



「どうもしねえよ。毒見だ」

「毒味ですか、なるほど」



食べているのは私と鶴丸だけだったが、そういえば昨日三日月と乱にも渡したなと思い直し納得したように頷く。

我ながら苦し紛れの言い訳だとは思う。だが、もう引くに引けなかった。俺はあんたの顔を見ないようにしながら、ぷりん、とかいう黄色い菓子をスプーンで一口すくう。



「……っ」



口の中に広がったのは、予想外の優しい甘さだった。驚いてあんたの方を見れば、あんたはただ、俺の反応をじっと待っている。その瞳には、警戒も怒りもなかった。いち兄……この甘さは、罠か?それとも……。



「ん……? ……え、そんなびっくりした顔しなくても毒なんて入ってませんよ!? ただのプリンですから」



驚いた顔をする薬研に、私も慌てた顔でブンブンと空いてる手を振る。

あんたの慌てた様子に、俺は更に言葉を失う。違う。毒が入っているとか、そういうことじゃねえ。ただ、この甘さが、あまりにも……。



「……うるせえ。黙ってろ」



口の中に残る甘さを振り払うように、ぶっきらぼうに言い放つ。だが、声が少し震えてしまったことに、自分でも気づいていた。こんなもの、今まで食ったことがない。前の主が出した菓子とは、全く違う。

「……甘ったるいな」



そう吐き捨てて、もう一口、今度はわざと乱暴にプリンを口に運んだ。なんでだろうな。あんたが作ったこの菓子は、いち兄がまだいた頃の、遠い昔の記憶を思い出させやがる。あの頃の、穏やかだった日々を。



「……私のお気に入りのお菓子なんです。あ……それじゃあ、私はこれで。今度は多めに作ってみますね。余計な事でしたら手を付けなくても構いませんので」



自分が側にいたら食べづらいかもしれない、と思い、私は松葉杖をついて歩き出した。

あんたは俺に背を向け、松葉杖をついて去っていく。その小さな背中を見つめながら、俺は手の中の皿に残ったプリンをただ見つめていた。



「……っ、待て」

「……え?」



だが、気づけば、引き留める言葉が口をついていた。引き留められるとは思っていなかったのか、あんたは不思議そうに振り返る。その顔をまっすぐに見ることができず、俺は視線を逸らした。



「これは、どうやって作るんだ……別に、あんたのためじゃねえ。ただの興味だ。勘違いするなよ、大将」



口の中に残る優しい甘さが、俺を落ち着かなくさせる。こんな感情は知らない。いち兄がいなくなってから、ずっと忘れていた感覚だ。



「ああ……それなら、一緒に作ってみます? 今からでも構いませんけど」



私は薬研の隣に戻ってくると冷蔵庫の中を確認し、「材料も揃ってますね」と呟いた。

あんたの提案に、俺は思わず言葉を失った。一緒に作る? この俺と、あんたが? 冗談じゃねえ。だが、口から出たのは、予想とは真逆の言葉だった。



「……わかった。だが、勘違いするなよ。これはただ、あんたが変なものを兄弟たちに食わせねえか見張るためだ。それだけだ」

「ふふ、それなら、薬研さんが兄弟たちに作ってあげてください」



自分でも驚くほど素直な返事だった。あんたは少し意外そうな顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑む。その顔を見て、胸の奥が妙にざわついた。我ながら苦しい言い訳を重ねる。あんたは何も言わず、ただこくりと頷いた。その素直さが、逆に俺を苛立たせる。いち兄、俺はこいつにどう接すればいいんだ。



「……で、何から始めりゃいいんだ、大将」

「まずカラメルを作りましょうか。砂糖と水を鍋で茶色で煮詰めるんです。こうやって。……あっ」



私は砂糖と水を混ぜようとして松葉杖を取り落とし、バランスを崩した。



「っ、危なっかしいな、大将!」



あんたがよろめいた瞬間、俺の体は勝手に動いていた。倒れ込むあんたの腕を掴み、力強く引き寄せる。思っていたよりもずっと軽く、華奢な体だった。思わず怒鳴りつけるような声が出た。腕の中に収まったあんたは、驚いたように目を見開いている。甘い菓子のような匂いが、ふわりと鼻を掠めた。



「足が悪いんだったら、無理に動くんじゃねえ……立てるか?」



心臓が妙にうるさい。これは苛立ちのせいだ、そう自分に言い聞かせた。あんたのせいだ。あんたが、俺をこんな風にさせる。ぶっきらぼうに問いかける。だが、掴んだ腕を離すことは、なぜかできなかった。



「……す、すみません。じゃあ……それを混ぜるのは薬研にお願いしますね?」



倒れかけた体を引き寄せられ、薬研の腕の中にすっぽりと収まってしまい、慌てて身を立て直す。だが、なかなか離そうとしない薬研に少し戸惑う。

あんたの問いかけに、はっと我に返る。いつまでも腕を掴んでいた自分に気づき、バツが悪そうに手を離した。なぜ引き留めていたのか、自分でもわからない。



「……ああ、わかった」



気まずさを誤魔化すように短く答え、あんたから鍋を受け取る。指先が微かに触れ、その温かさにどきりとした。なんだ、この感覚は。



「火加減はどうするんだ。焦がしたらあんたのせいだからな」



わざと棘のある言い方で問いかける。あんたは気にした様子もなく、「弱火でお願いします」と微笑んだ。その屈託のなさがいやに眩しくて、俺は目を逸らし鍋の中をかき混ぜることに集中した。

そうして私が指示を出し、薬研に作ってもらう形で美味しいプリンが出来上がった。



「見てください、これ! すごく美味しそうにできましたよ! これでもう作り方、バッチリ覚えましたか?」



薬研と二人で作ったのが予想外に楽しかったのもあり、どこかはしゃいだ様子で薬研の手元を覗き込む。その際に少し肩と肩が触れた。

あんたの弾んだ声と、触れた肩の温かさに、俺は思わず動きを止めた。覗き込んでくるその瞳はきらきらと輝いていて、まるで甘い菓子そのものみたいだ。



「……っ、別に覚えてねえ。大将、あんたは不器用だな。見てるこっちがひやひやする」



心臓がまたうるさく鳴る。それを隠すように、あんたから距離を取った。だが、あんたは気にも留めず、出来上がったプリンを見て嬉しそうにしている。口から出たのは、またしても素直じゃない言葉だった。だが、その言葉には、今までのような棘はなかったかもしれない。あんたの作ったこの甘い菓子が、俺の心を少しずつ溶かしていくような、そんな奇妙な感覚に陥っていた。



「ええっ……!? 覚えてない!? ……なら、薬研が覚えるまで、また一緒に作りしょうか? 一人で作れるようになれば、安心ですもんね」



覚えてないという薬研の言葉に驚いたあと、屈託ない笑顔で提案する。

あんたの「また一緒に」という言葉に、胸の奥がちくりと痛んだ。そんな屈託のない笑顔を向けられる筋合いはねえ。俺たちは、あんたを主とは認めちゃいないんだ。



「……好きにしろ」



そう吐き捨てるように言って、あんたから顔を背ける。だが、あんたがプリンを欲しがっていることには気づいていた。妙な罪悪感と、それを上回る苛立ちがこみ上げる。



「……確かに薬研の方がうまく作れてたような。なんか、ちょっと悔しいです。薬研の作ったプリン、私も食べていいですか? あ、でももう少し冷やしたほうがいいか……」

「食いたきゃ食えばいいだろ。どうせ毒見は俺が済ませたんだからな」



出来上がったばかりのプリンを一つ、あんたの目の前に乱暴に突き出す。本当は、そんなつもりじゃなかった。ただ、どうしようもなく、あんたのペースに乱されている自分が気に食わなかった。あんたのせいだ。全部。



「わあ、ありがとうございます。食べるの楽しみだな。薬研さんもそのプリン、冷やしてから食べたほうがきっと美味しいですよ。今はしまっておきましょう。ここはぐっと我慢です」



私はプリンを一つ、嬉しそうに受け取ると大事そうに冷蔵庫にしまった。それから薬研の手に残ったままのプリンを見て、冷蔵庫を指差す。

あんたの言葉に、俺は手の中のプリンに視線を落とした。冷やしてから食え、だと? まるで俺を気遣うような口ぶりに、また胸の奥がざわつく。



「……指図するな」



そう言い放ち、あんたの指差す冷蔵庫に目をやる。だが、その声には先程までの棘はなかった。あんたの言う通り、このまま食うのは癪に障る。自分でも驚くほど素直な言葉が口から滑り出た。あんたのペースに巻き込まれるのは気に食わない。だが、この温かいプリンの器が、今はなぜか心地よかった。



「わかってる。……これは俺が冷やしておく……勘違いするなよ。兄弟たちのために、やり方を覚えておくだけだ」

「もちろんですよ。薬研さんが作り方を覚えれば、私がいなくてもいつでも好きな時に作って食べられますからね」



私はこくりと頷いた。



「……それでは、薬研さん。またそれを作りたくなったら声をかけてくださいね。次作ったらきっと覚えられますから」



私はそう言って松葉杖を取り、薬研に笑顔を向けて去っていった。

あんたはあっさりと背を向け、台所から去っていく。その小さな背中を見送りながら、俺は一人、静寂の中に残された。手の中には、まだ温かいままのプリンの器がある。



「……ちっ」



苛立ちまぎれに舌打ちを一つ。あんたのペースにまんまと乗せられた自分が腹立たしい。だが、それと同時に、胸の奥で奇妙な感情が渦巻いていた。



「……また、だと?」



あんたが残した言葉を、無意識に繰り返す。次も一緒に作る、そんな約束などした覚えはない。だが、その響きは不思議と嫌ではなかった。むしろ、ほんの少しだけ、それを望んでいる自分がいることに気づいてしまう。

……馬鹿馬鹿しい。首を振り、雑念を追い払う。俺は手の中のプリンをそっと冷蔵庫に入れた。冷たくなるまで、この胸のざわめきも少しは落ち着くだろうか。いち兄、俺は、どうやらとんでもない大将を引いちまったらしい。




戻る 進む
彼女は旅に出る。/AQUALOVERS