
ノスタルジック・マニアック
「ちょっといつまでこの格好してりゃいいんだ!?」
「はいはい動かない。皺になっちゃうよ」
身体にぴったりのサイズのチャイナドレスを手渡されてから約一時間。私はずっと同じ姿勢を保っている。ヒップが見えるすれすれのスリットが入ったそれは、普段の私には縁遠いものだった。
事の発端は些細なことだった。羽矢がイラストの練習がしたいと言うので、私を部屋に誘ったのだ。イラストの練習くらい一人でできるじゃん、と一瞬顔を曇らせると「ののだからこそお願いしてるの!ね?いいでしょ?おいしいチョコレートあるから!」と言って聞かないので、折れたらこの有様と言ったところだろうか。
「やっぱりののを誘って正解だったわ。チャイナドレスは骨格ストレートの女の子が着てなんぼなんだから」
羽矢は視線を動かさずに熱心に描き続けている。
こっかくすとれーと? 聞き慣れない言葉に首を傾げるとやはり「こらこら動かない!」と叱責が飛ぶ。オタクモードに入った時の羽矢の熱量には適わない。仕方なく首を元の位置に戻した。
チャイナドレスの他にも、メイド服やナースの制服、アイドルっぽい衣装等々。一体これらのものはどこで手に入れたのだろう。しかしいちいちデザインが凝っていて、素人目にもこだわりが見て取れる。王子隊のコスチュームは彼女考案らしいけれど、なるほど彼女の好みが投影されている訳だ。一度原案を見た時と比べてかなりシンプルになっているから、蔵内あたりが相当抵抗したのだろう。
「よし!描けた。ありがとね」
そうこうしているうちに羽矢は鉛筆を置いて次の準備に取り掛かろうとしていた。次は何を着させられるのだろう。
「はーい!次はこれ」
嬉々として羽矢が差し出したのは母校の制服だった。プリーツの入ったチェックスカートにブラウンのブレザー。まさに青春の象徴そのものだが、果たして本人は正気なのだろうか。
「これって、もう何度も見慣れたやつじゃん」
「いいじゃない、普段見ない構図で書きたかったの、制服」
「もう私が着たら犯罪だよ」
「大丈夫大丈夫、これを着てどこかに出かける訳でもないし。最近は大学生が制服を着てテーマパークに行く世の中なんだから許されるわよ」
私の抵抗も虚しくチャイナドレスのファスナーが外される。なんというか、その手つきが、言ってしまえばえろいのだ。えろい。まあたまたまだろうとそのままスルーを決めると今度は耳に息がふうっとかかった。待て待て待て。
私の違和感に気付いているのかいないのか、羽矢は早く着替えてと、急かす。急かされるままにチャイナドレスを脱ぐ。もそもそと着替えていると熱い視線を感じるので視線を遣ると案の定こちらをじっと覗いている。
「見ていても何も出てこないぞ?」
「ん?いいのいいの、見てるだけで十分だから」
着替えづらいなあと思いながらもカッターシャツに袖を通すと、ひんやりと腕が冷気に包まれた。まさか大学生になってから高校の制服を着るとは思わなかったけれど、胸周りのきつさは相変わらずだ。高校の時の癖で思わず方が内側に入り、視線が落ちる。
「私は、好きだけどなあ」
「は?」
羽矢の声がぽつりと部屋に響いた。
「ののの、そのスタイル」
「ばっ、馬鹿言わないでよ、私今何歳だと思ってるの」
「制服がどうのじゃなくて、のの自身のことを言ってるのに」
羽矢は椅子に座ったまま、じっとこちらを見つめている。
きっとそんなの、お世辞に決まっている。だって羽矢の方が似合っていたもん。
すらりとした体躯に、柔らかな長い髪。廊下ですれ違う者は皆彼女を二度見し、はっとした表情を浮かべていたものだ。私達はたまたま漫画が好きという共通の趣味があるから繋がっているだけで。私と彼女とでは見えている世界が違うのだ。
「はいじゃあ今度はこのポーズで!うん、やっぱり決まってるわね」
「また口だけうまいんだから」
「私、嘘は吐かないわよ」
羽矢のわがままに付き合っているうちに間に時は流れる。日はとっぷりと暮れ、太ももの間が心做しか冷たい。
「のの、ありがと。とても参考になったわ」
満足そうな羽矢の言葉を合図に、大きな伸びを一つ。互いに疲れているようだ。羽矢もノートを閉じ、片付けを始めている。
つるりとした肌に、つやつやの髪の毛。つい先程まで鉛筆を握っていた手は色白でとても綺麗。思わずじっと見つめてしまう。
「ん?どうしたの」
紙をとんとんと、テーブルの上で整える。鉛筆を置く。私に近付く。
その一連の動きが優美で、思わず次の言葉までの間が空いてしまう。口をはくはくさせていると、今度は耳元で羽矢が言う。
「さっかから顔、赤くない?熱でもあるの?」
「別にそんなんじゃ」
「じゃあなあに?」
羽矢はいたずらに笑う。そのまま後ずさり、ベッドに座り込む。距離感がいつもより、少し近い気がする。
「あのさ」
「うん」
しゅるりとリボンが解けていく。指が、胸元のボタンに触れている。目つきが真剣で、私もどう対応すれば良いのかが分からない。髪から香る甘い匂いがふわりと鼻腔を擽った。
ぎしり、とベッドが音を立てた。
「ねえちょっとどうしたの」
「いいから少し黙ってて」
つい先ほどまでペンで紙を彩っていた指先が、私の唇に触れている。目と鼻の先には羽矢の整った顔立ち。私の心音が聞こえない方がおかしいくらいに心臓が鳴っている。
完全に身体が沈み込むと、今度は重みがゆるやかに乗った。すうっと指が胸元をなぞったところで、私の記憶は途絶えた。
◎◎◎
「あ。起きた?」
目を覚ますと、時計は深夜二時を指していた。あれからそのまま爆睡をかましてしまったようだ。
「ごめんまじでごめん、皺だらけじゃん」
「いいのいいの、後でクリーニング出すし。今日はもう泊まってきな」
「そうさせてもらう」
さっきとは打って変わって、いつも通りの羽矢だった。お風呂に入ってパジャマになった以外は何も変わらない。その姿にほんの一抹の寂しさを覚えている自分がいて、少し困惑する。くしゃくしゃになったチェックのスカートが私の劣情を咎めているようだ。第一これだって、羽矢の私物ではないか。そう思うとやけに体温が上がった。顔は赤くなっていないか。そればかりが気になってしまう。
「さっきのは、」
「え?」
「絵の資料に見たかっただけだから。あまり気にしないで」
「そう」
「にしてもあの場で寝れるのすごいわ、感心した」
それでもあの一瞬、気持ちが揺れなかったと言うと、嘘だ。懐かしい制服。いつぶりかの、近過ぎた距離。二人並んでアイスを齧ったあの日から数年。この距離であれば――
「続き、」
「え?」
今度は私が彼女を押し倒す。がさつにならないように、極力優しく。気付いたのか、唇が艶っぽく動く。
瞳と瞳が合う。
これが合図だ。
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