
喜劇
学園パロ/197話ネタ
白馬の王子様はこの世に存在しない。
幼い頃憧れた王子様はキラキラしていて、ドレスを着れば会えるものだと思っていた。
パパが買ってくれた天蓋のベッドにママが塗ってくれたピンクのマニキュア。お気に入りのうさぎのぬいぐるみと共にした五歳。お誕生日には苺のケーキとマカロン。
将来の夢はもちろんお姫様。結婚したら、お城で何不自由ない生活を送る。それが当たり前なのだと思っていた。
そんな私も今となっては制服を身に纏った、どこにでもいる高校生なのだけれど。
華のティーンエイジャーなのだから、そろそろいい人ができても良いんじゃない? 私もそう思う。
けれど、ガラスの靴はいつも予想外のタイミングで脱げるのだ。
白馬の王子様はこの世に存在しない。
「いっけない! 遅刻しちゃう」
爽やかな青空の下、坂道を駆け降りる。パンに塗った苺のジャムが制服に付かないように、右手で丁寧に持ちながら。違うの! ちゃんといつものアラーム通りに起きることはできたの。昨日買ったアイシャドウがあまりにも似合わなかったから、メイクを一からやり直して家を出るのがギリギリになってしまっただけで。新作だから楽しみにしていたのに、ちゃんと試したはずなのに、実際に鏡で見るとそうでもなかったのが悲しい。だからこそ、お気に入りのものを延々とリピートしてしまうのだけれど。
信号は運良く青が続く。白線をスキップするように飛び越える。ここの交差点を曲がって三十メートル走れば朝礼に間に合う――はずだった。
衝撃音。吹っ飛ぶ食パン。反転する世界。
視界に映る青空がやけに澄んでいる。
「気をつけろバカ野郎!! 死にたいのか」
はァ? なんだこいつ。いきなり出てきてそれはないでしょう。アイロンを当てたスカートが皺だらけになってしまう。
「ちょっと!痛いでしょ! どうしてくれるのよ!」
アスファルトから身を起こすと、見慣れない男子が怒鳴っている。横には紺色の、深い光沢のある自転車。全く、自転車のくせに歩道を全速力で走るからこんなことになるのに。奴はそのまま自転車にまたがろうとするので、すかさず背中をひっぱたく。
「私に何か言うことあるでしょう! 謝りなさいよ!」
「おい! 何をする」
「ほら早く! 遅刻しちゃうから」
腕時計を確認すると八時十七分を指している。朝礼まで残り三分。ウルトラマンが地球上で戦える時間。この三分で地球の運命が決まるように、私の無遅刻無欠席記録達成の運命は握られている。
「俺は鯉登財閥の息子だぞ! 鯉登家の人間にこんな真似をしてただで済むと思ってるのかッ」
「はァ? ケンカをするなら自分の名前でやりなさいよ」
財閥がどうのとか知ったこっちゃない。そんなことよりも遅刻しちゃう! しかし目の前の奴も同じ学校の制服を着ているけれど、よくここまで悠々といられるものだ。
「お前、この鯉登音之進を知らないだと? 面白い女だな」
「うるさいわね! つべこべ言わずに謝って!」
奴のドヤ顔があまりにもむかつくので、擦り傷で痛む膝も忘れて渾身の蹴りを入れる。ケンカ上等、学校で一番強い女の私を舐めないでいただきたい。
脇腹目掛けて脚を上げると――ふわりと脚を抱き止められた。
「ちょっと! 何するのよッ」
一瞬遅れてローファーがぽとりと落ちる。
「失礼」
奴はローファーを拾い、私の足にあてがった。よく見ると、鼻筋がすっと通っている。
「こんなに美しい蹴りを初めて見たものだから……」
「……」
「さっきまでの威勢はどうした? 蹴りを素手で止められたのに驚いた?」
「……」
「それとも異性に優しくされたのが初めてだったとか?」
「……知らない! 失礼します」
ぺこりとお辞儀をして急いで校門へ向かう。胸が高鳴るのは、朝から走りっぱなしのせい。
◆◇◆
教室に滑り込むのと担任が教室に入るのはほぼ同時だった。
「学生諸君! この一年を共にする鶴見だ。そしてこのクラスの英語表現を担当する。課題の量は誰よりも多いだろうが、これも愛ゆえ。高校二年生とはいえ受験まではあっという間。死ぬ気で勉強しろ! そしてしっかり遊びなさい」
げえええと嘆きが教室中に響き渡る。鶴見は学校内で一、二を争うほど厳しいことで有名だ。課題の量は愛だと豪語し、スパルタ指導はもはや名物。華のティーンエイジャーにそんなことをさせるなんて、明日子からクール便で送られる鹿の脳味噌を食べた方がマシだ。斜め前の席の明日子も杉元も目をひん剥いている。私の十七歳は今、危機に晒されている。
「それとこのクラスに今日から新しい仲間が加わる。入っておいで」
皆がざわざわ騒ぎながら前方のドアを見つめる。入ってきた人物を見て息を呑んだ。
「あ! あんたさっきの」
「お前は――」
がたんと思わず立ち上がると、皆が一気に私に注目した。
「おや、二人ともお知り合いかね?」
「い、いえ。その――」
「お? 苗字抜け駆けするなよ〜 脳味噌送りつけるぞ」
さっと全身の血の気が引く。神様は私の味方ではないようだ。
「鯉登音之進です。鯉登財閥の息子で、日本で鯉登の名前を知らない人はいないと思いますが。どうぞよろしく」
奴は私の方を見て意味ありげに笑いながら言った。ハンサムに見えなくもないのが腹が立つ。クラス中が鯉登の名を聞いた瞬間どっと沸いたので、余程有名人なのだろう。
「自己紹介ありがとう。苗字さんの隣が空いているからそこに座って」
鯉登はにこやかに会釈して私の席に向かう。私は漫画の中の世界にでもいるのだろうか。制服のリボンを整えながら彼を睨んだ。
「先ほどはどうも」
「怪我はなかった?」
「おかげさまであんたとぶつかった時以外は無傷よ」
「なら良かった」
「全然良くない!」
謎に余裕な態度を見せつけてくるので腹が立つ。ビンタでも一つ食らわせてあげようと右手を思い切り上げると、冷たい声が飛んだ。
「痴話喧嘩は後でやったらどうだ」
後ろの席の尾形が突っ込んだ。
「空気読んでよ! 私達そんなんじゃないから」
新学期初日。悪夢のようなスタートダッシュだ。
◆◇◆
放課後は皆せわしない。部活に向かう者、委員会に向かう者、予備校に向かう者。明日子は狩りに行くと言う。私はホームルームを終えるとそのまま参考書を開いた。目まぐるしく進む英語の遅れを挽回したかったからだ。
「意外とガリ勉なんだな」
鯉登が目の前にどかっと座る。知り合って数日、いまいちこいつの考えていることが掴めない。早弁しているところを見たら大食いと罵るし(女子高生は常時お腹が空くのだ)、かと思えば両手で収まりきらないノートを運んでいるとすかさず助けてくれる。その数秒後には弱っちい奴と言われるけれど。
「そういうあんたはどうなのよ。でも鶴見先生の補習に連行される鯉登は見てみたいかも」
にやにやと試すように言う私を無視して鯉登は隣に座った。思っているよりも背丈が高い。
「ここ少し違うぞ。このtoは前置詞じゃなくて不定詞だから……」
そのまま私のノートに書き込んでいく。
「なんだできんじゃん」
「人並にはな」
伸びた背筋に、さらさらと動くシャープペン。いつも頬杖をついている姿とは裏腹に綺麗な文字が並べられていく。
「どうした? 惚れたのか?」
「べ、別に……。自惚れないで。そんなことよりも鯉登は平気なの? 来週の鶴見先生のテスト」
「俺を誰だと思っている」
「ええと、天下の鯉登様?」
面白半分に言うとツボにはまったのか初めて私の前で笑った。肩に入った力がふわりと抜けて、頬杖をつく。
「気に入った。出そうなところを教えてやる。特別だからな」
「そんなこと分かるの?」
「鶴見先生の話し方や教え方の癖でなんとなく分かるようになった」
「そんなに自信あるんだ。じゃあ私がクラスで一番の点数取れたら鯉登のお願いなんでも聞いてあげる。スタバのフラペチーノ奢る、とか」
「なんだそれ」
「そんだけ自信あるなら証明してよ」
鯉登はやれやれと言いながらも、私の苦手な部分を教えてくれた。余程暇なのか放課後は付きっ切りだ。帰りは暗いからと言って、駅まで送るオプション付き。
「私別に一人でも帰れるよ?」
「お前が殺人事件に巻き込まれた時の最後の目撃者になりたくないだけだ」
「なんで死ぬ前提なの」
この数日彼に付き合って(付き合ってもらっているのは私だけれど)分かったのは、彼は思ったことをそのまま口にしてしまうこと。デリカシーの欠片もないから、私も自然ときつい言葉が出てしまう。
鯉登の目の前で怒ってやろうと車道にすり抜けると、遠くからクラクションが響いた。ぐい、と右腕が強く引き寄せられた。
「ほら見ろ、車に轢かれて死ぬところだったぞ」
至近距離で見つめられる。いんぷるーぶ、りれーと、ぷろばいど。英単語を必死に思い出して平静を装う。こんなに見つめられたら思考回路がショートしてしまう。
「っ、」
互いにばつが悪そうに身体を引き離す。駅はすぐそこだ。
「鯉登!ありがとう。週明けのテスト、頑張るよ」
「土日で全部記憶飛ばないようにな」
「飛ばすもんですか!」
後ろを振り向かずに改札へ向かった。日が暮れていてよかった。私はきっと、耳が真っ赤だから。
テストは嫌だけれど、月曜日がこんなに恋しいのは生まれて初めてだ。
◆◇◆
「七組諸君! テストお疲れ様。各自間違いは見直しておくように。質問も随時受け付ける。それから、今回のテストで最も点数の高かった者は、鯉登くんと苗字くんの九十六点。皆も見習うように」
鶴見先生からの報告を受けると、どっと教室中から驚きの声が上がった。それもそのはず、普段成績上位を占めるのは尾形と宇佐美だからだ。私は中の下くらいの成績。転校生とギリ平均の生徒がトップに出る結果は意外だろう。それでも頑張りが点数に現れたのは素直に嬉しい。
見直しのために参考書を開こうとすると、がたんと椅子が動く音がした。
「鶴見先生! 僕苗字さんがカンニングしてたの見ました」
教室がしんと静まり返る。皆が宇佐美に注目する。
「宇佐美くん、それは本当かね?」
「本当です先生。苗字さん、ポケットの中にカンペを入れてて、そこから盗み見してました」
「そんな! 私はカンニングなんてしてません」
どう考えたって濡れ衣だ。私は自分の実力を出しただけだというのに。
「じゃあ左のポケットに入っている紙切れは何?」
宇佐美に唆されるまま左ポケットに手を入れると、見慣れない文字で英語の説明文が書かれた紙が出てきた。
「苗字くん、これはどういうつもりかね?」
「どうして! 私はこんな紙用意した記憶ありません」
どうして。どうして。私はただ頑張っただけなのに。お願い信じて。
願いも虚しくクラス中が私を非難する目で見る。仕方ないよね。勉強もろくにせずコスメばかり見てきたんだもん。信用されなくても、しょうがない。
そんな時だった。
「先生。これは苗字さんが用意したカンペではありません。私はずっと苗字さんのノートを見てきました。これは苗字さんの癖字とかけ離れている。苗字さんの文字はもっと丸みがあって右上がりで丁寧。この紙の文字はハネがしっかりし過ぎている。誰かが仕組んだんです。苗字さんは百パーセント悪くない!」
半分涙目で振り返ると、鯉登が毅然とした態度で言い切った。
「鯉登と苗字、点数一緒だから鯉登が渡したんじゃないの」
相変わらず宇佐美は反抗し続ける。
「……テストの日の朝、こいつがうとうとしている横で宇佐美が怪しい動きをしていた。その時に仕込まれたんだろう。俺はこいつの後ろの席だが、テスト中怪しい動きはなかった。鶴見先生に構ってほしいからそんなことをしたんじゃないのか?」
珍しく後ろから尾形の援護が入る。
テスト当日の朝はいつもより早く登校した。最後の悪あがきをしたかったのだ。少し遅れて尾形が教室に入り、その次に宇佐美の姿を確認したのを最後に睡魔に負けてしまったのだけれど、その可能性は十分に考えられる。
「宇佐美くん、それは本当かね?」
「......!だって鶴見先生に褒められたかったんです!」
「宇佐美くんの気持ちはようく分った。ちょっと生徒指導室まで来なさい」
こうして、宇佐美は鶴見先生と共に生徒指導室へ消えてしまった。それとは裏腹に宇佐美はにこにこしていたので、余程鶴見先生の寵愛が欲しかったのだろう。全く、世の中には色々な男子高校生がいるものだ。
◆◇◆
「鯉登、今日はありがとう」
「ちゃんと頑張っている人が評価されてないのが嫌だっただけだ」
放課後、日誌をまとめている鯉登に言うと彼はさらりと応えた。二人で教室に残ることがいつの間にか日課になっていた。
チョークの粉が制服に付かないように慎重に黒板を消していく。時計の真下にある文字が、あと少しで届かない。
「チビ」
そんなことを言いながら、鯉登は私から黒板消しを奪って文字を消していく。見上げるとやっぱり背が高くて、頼もしく見える。
「なんだかんだ優しいんだね、鯉登って」
「そうか? 苗字の方が優しいと思うが」
黒板を消しながら、彼は続けた。秒針と黒板を消す音が妙にうるさく聞こえる。
「俺さ、兄貴を亡くしてて。だから俺が跡取りなんだ。そのためにも勉強をしている。そんな俺の横で勉強してくれたことが嬉しかったというか、その……」
「ちょっとちょっと、何急にセンチメン、」
ふわりと、抱きしめられる。大きな身体に包まれて上手く息ができない。
「生まれてから皆、俺のことを鯉登家のボンボンって目でしか見ないんだ。妙に気を遣うか金目当てか、そんな奴ばかり。親父にも殴られたことがない。そんな中で苗字はいきなり蹴りを入れるし、だから心の底から知りたいって思った」
はくはくと、辛うじて息をする。何なのこの展開。炭酸水だと思って一気飲みしたらレモンサワーでしたみたいな、いやお酒なんて飲んだことないけれど、きっとそんな感じ。
「あ、あのね。私も鯉登に助けられて嬉しかったの。鯉登と一緒に帰れて嬉しかったよ。実はテストの日も学校に来るのすごく楽しみだった。勉強も少し好きになれた。それから、私の蹴りを受け止めてくれた男の子は鯉登が初めて」
ぱっと身体を離されて互いに正面を向く。
「じゃあ、苗字の言ってたお願い聞いてくれるか?」
「どうぞ。蹴りでもスタバでも何でも!」
「俺の嫁になってくれ」
一瞬、何の話なのかが理解できなくなる。目の前の人は本気で言っているのだろうか。
「え?」
「二度も言わせるな。俺の嫁になれ」
オレノヨメニナレ。響きはそのまま脳内で変換される。日本語のはずなのに異国の言葉に聞こえるのは、私には無縁の言葉だと思っていたからだ。
「どうして?」
「苗字は飲み込みも早くてきっと賢い妻になる。素直だし、面白い。今すぐにとは言わない。まずは恋人からどうだ」
なんて強引なのだろう。正直、私は彼のことをほんの一部しか知らない。知っていても意地悪なところばかりだ。同様に彼も私の意地悪な部分しか知らないだろう。そんなの悔しいじゃないか。私は恋をしたら世界で一番可愛いんだぞ。
「分かった。その代わり」
今度は私から彼に抱きつく。突然プロポーズされたのだから、このぐらいは許されるだろう。これでおあいこだ。
「私を世界で一番のお嫁さんにするって約束して!そうしないと許さないから」
「望むところだ」
ロマンスの欠片もないプロポーズが突然やってきた。思えばあの交差点でぶつかった時から始まっていたのかもしれないけれど。白馬の王子様は案外身近にいるのかもしれない。そう、目の前の彼のように。
ドレスは制服。
ガラスの靴はローファー。
マカロンはグミ。
現実世界にめでたしめでたしは存在しない。ハッピーエンドは寧ろスタートだ。幼い頃夢見た景色は心のポケットに大切に仕舞って。今日も私は、ローファーで彼を追いかける。
鯉登音之進が私にとっての王子様になるのは、また別のお話。