Walkure


お気に召すまま





お気に召すまま



 黄昏時の街は華やいでいる。すれ違うカップル、風船を持って親に手を引かれる子どもたち、色とりどりの店。まるでおもちゃ箱をひっくり返したような景色に胸が高鳴る。時折強く吹く風も少し湿気のある空気も、それによって少し崩れた前髪も今はなんてことはなかった。だってあたしは今、世界で一番浮かれているのだから。くるりとドレスの裾を翻せばふわりと舞って空まで飛べちゃうかも、なんて。
「わあ、お姉ちゃん綺麗!」
 通りすがりの少女――おそらく十歳くらいの――があたしを見るなり言った。
「ありがとう。あなたも素敵よ!」
 手を振って言うと、少女は頬を赤くして会釈した。手に持っていたユリの花束とよく似合う白いワンピースを着た少女は、隣にいる女性に手を引かれて港の方へ向かって行った。
 あたしにもこんな子ども時代があったのかもしれない。少し前の自分ならそう思っていただろう。着たい服を着て、大好きな人と手を繋いで歩く。今となってそれは叶わないけれど、欲しい服を自力で買えるようになったあたしのことは嫌いじゃない。寧ろ大好きだと胸を張って言える。それに今はセンスを褒めてくれる人だっているし、なんなら手を繋いで歩いてくれる。
「ロビン、まだかしら」
 時計を見ると予定の五分前を指している。普段ならあたしよりも早く着くロビンがいないのは珍しいことだ。辺りを見回してもまだ彼女の気配はない。早く見てもらいたいのになあとため息を一つ。
 それにしても本当に可愛いと、ショーウィンドウに映る自分の姿を見て思う。
 今日のために新調したドレスは一目惚れして買ったもの。試着を見たロビンも太鼓判で、大はしゃぎで奮発したものだ。普段はガーリッシュかつ動きやすさ重視のものを着ることが多いから尚更だ。以前背中にファスナーがあるタイプのワンピースを買ったことがあるけれど、正直失敗だった。背中を思うように動かせないし、そもそも着る時にファスナーを上げるのが難しい。自分の身体が固いのかもしれないけれど、あれを一人で着るのは至難の業だ。ロビンに手伝ってもらって事なきを得たけれど、問題は脱ぐ時。くたくたになって帰った夜、ロビンにファスナーを下ろしてもらった。そこまでは良かった。けれどそのまま背中越しに後ろから抱きしめられて……ここから先はご想像にお任せしよう。
 そんなこともあって背中にジッパーがあるタイプの服は選ばないようにしていたのだけれど、このドレスを選んだ時はそんなことすら頭から抜けていた。別にそういう展開を期待していない訳ではないと言い切れないのが悔しいけれど、可愛いから問題ないということにしておきたい。
「よォお嬢ちゃん、一人?」
 一人浮かれていると、見知らぬ男たちが声を掛けてきた。どうせナンパだろう、一目見ればすぐに分かる。
「ごめんなさい、ここで待ち合わせをしているの」
「まあまあそんなこと言わずにさ〜」
 男たちは構わず続ける。面倒なことになった。技を出そうにもここは市街地。平穏は極力保ちたい。万が一海軍にでも見つかったら面倒だ。得意の達者な口と笑顔で乗り切るしかない。
「これから恋人と会う約束をしてるの。信じてもらえる?」
「いやあ、お嬢ちゃんが待ってるところをさっきから見てたけどずっと来ないじゃん? 捨てられたんだよ」
「あたしの恋人のことも知らずによくそんなことを軽々と言えるわね! ただじゃおかないんだから!」
 平穏に、平穏に。青筋は確実に立っているけれど、口調を抑えて。手は出さない。ここで騒ぎが起きたら今日の予定が全て水の泡になってしまう。早くどこかへ行ってちょうだい、あわよくば遠くへ飛んで行ってしまえと、心の中で必死に念じながらその時を待つ。
「またそうやって」
「もう、何度言ったら分かるの!」
「女ごときが生意気な!」
 男の拳があたしを目掛けて飛ぶ。反射で腕を上げ、顔を覆った。けれど衝撃は一向に来ない。代わりに男たちの呻き声が聞こえる。
 恐る恐る視線を上げると、男たちは自身から生えた腕に雁字搦めになっていた。
「ナミ!」
「ロビン……!」
「怪我はない?」
「うん」
 差し出された手を取り、一緒に駆け出した。振り返らず、なりふり構わずに。
 ついさっきまでほんの少しだけ怖かったのに、ロビンと一緒になった瞬間無敵になれるような気がするから不思議だ。
「ロビンごめん、あたし……」
「ナミが無事ならそれでいいの」
 すれ違う者も気にせず石畳を駆け抜ける。パンプスだって痛くないし、目に入るもの全てがきらきらして見える。濃紫が覗く空がひどく綺麗で、今日のロビンのドレスの色みたいだと思えた。
 奥まった路地まで出たあたしたちはようやく落ち着きを取り戻した。全く、折角のデートの時くらい穏やかに過ごさせてほしい。今からでも先ほどの男たちをどこかへ蹴飛ばしたい気分だ。
「……ナミ、怒ってる?」
「何に?」
「遅れてきてしまったこと」
「ちょっとだけ」
 そうなのだ。本来は予定通りの時刻に集合できていればこんな目に遭わずに済んだのかもしれないのだ。結果助かったからいいのだけれど、ほんの少しだけ頬がふくれてしまう。
「ごめんなさい。ドレスに合う靴を選ぶのに時間がかかってしまって」
「言ってくれたら手伝ったのに!」
「でも今日はお互い内緒ってことだったでしょう?」
 ロビンはやたらと凝り性なところがある。歴史の研究を夜遅くまでやっている日もあるし、時折心配になる。だからこそ今日という日を用意したのだ。
「そうだったわね。ロビンは今日も素敵よ」
「ありがとう。ナミも可愛い」
「ロビンに今キスされたらもっと嬉しくなっちゃうかも」
 ぎゅっと抱きしめて耳元で囁いた。こうすればロビンが喜ぶことを知っている。あたしは今、世界で一番小悪魔だ。
「お気に召すままに」
 夕暮れの薄暗い道で、あたしたちはキスをした。人目につかないことをいいことに何度も。
「っ……」
 背中にひんやりとした指の感覚を感じる。それはまるで、ジッパーを撫でるような――
「ち、ちょっと……」
「今日は我慢できないかも」
 耳元に艶っぽい声が直接響く。くらくらしそうだ。
 そうとなれば予定は変更。予定調和に行かないことは慣れっこだ。お気に入りの服もドレスもいつだって着られるし、また今度デートするための口実にすればいい。だから今は、少しでも側にいたい。
「じゃあ今日もしよ?」
 お気に召すまま、されるがまま。きっと今夜も長くなるだろう。