夕方、ぼくは事務所の掃除をして風林寺さんが来るのを待っていた。いつもより念入りに掃除をするものだからーーというか、そもそも掃除をあまりしないーー真宵ちゃんが怪訝そうにぼくを見るのがわかる。

「ナルホドくん、張り切ってるね」
「え!? いやあ、はは。そうかな?」
「あたしの推理としては、風林寺さんに惚れちゃった? って思ってるんだけど」

 どう? どう? と、真宵ちゃんが興味津々に目を輝かせて迫ってくる。その通りではあるんだけど、肯定するのは気恥ずかしい。女の子のカンというものは侮れない。いや、もしかして、ぼくがわかりやすいだけなのか。

「風林寺さん可愛かったなー! まさにメイドさん! って感じだったし、紅茶も美味しかったし」

 と言いながらぼくをちらちらと見る真宵ちゃん。ぼくは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
 その時、ガチャ、と事務所のドアが開いた。真宵ちゃんと二人でそちらを見ると、メイド服ではない風林寺さんが事務所に入ってくるところだった。

「こんにちは」

 風林寺さんは白のブラウスに淡いクリーム色のカーディガンを羽織っている。膝下まである爽やかな水色のスカートが綺麗に波打っている。
 メイド服を着ている時の風林寺さんも清楚な印象だったけれど、私服の風林寺さんもお嬢様、という言葉が似合う女の子といった感じだ。

「突然すみません。お待たせしてしまいましたよね」
「いや! 全然っ。こちらこそ、事務所まで来てもらっちゃってごめんね」

 ぼくは慌てて掃除用具を片し、風林寺さんを事務所のソファに案内した。風林寺さんはにこりと笑って礼を言い、ソファに腰を下ろした。ふわり、と甘い匂いが香る。

「コーヒー飲む? インスタントで悪いんだけど」
「ありがとうございます。……あ、あの、これお店から持ってきたんです。良かったら」
「うわあ、お菓子っ?」

 風林寺さんが差し出した紙袋を真宵ちゃんが嬉しそうに受け取った。

「はい。お店で出してるスコーンなんですけど、とても美味しくて」
「スコーン!」

 風林寺さんと真宵ちゃんが顔を見合わせて笑う。僕も釣られて笑った。

「ありがとう。一緒に食べようか」
「はい」

 ぼくはインスタントコーヒーを用意してテーブルに置いた。風林寺さんがぼくの目を見てお礼を言った。とても礼儀正しい良い子だ。
 ぼくも真宵ちゃんも座って、風林寺さんの話を聞く体勢をつくる。……と言っても、真宵ちゃんは真っ先にスコーンに手をつけたが。

「美味しいっ」
「よかった」

 風林寺さんがほっと息を吐いた。ぼくはその様子を見ながらコーヒーを飲み、彼女に本題を促した。

「それで、話したいことって何かな?」
「……はい。あの、成歩堂さんは、ゆかりさんが犯人だとは思っていない、のですよね」

 少し躊躇いながら、風林寺さんがぼくに訊ねた。ぼくは頷く。

「うん。ぼくは姫嶋さんを信じてる」
「ありがとうございます」
「……風林寺さんは、姫嶋さんがやったと思ってないんだね?」
「はい」

 風林寺さんは確かに頷いた。

「姫嶋さんが犯人になったのは、たまたまではないかと思って」
「ええ! ど、どういうこと?」

 真宵ちゃんが驚いて訊ねた。風林寺さんは俯き加減にきゅっと唇を引き結んだ。

「憶測、でしかないんですけど」
「いいよ。話してみてくれる?」

 風林寺さんを促すと、彼女はこくりと頷いて口を開いた。

「わたし、実はオーナーが犯人、なのではないかと思ってるんです」
「ええっ!」

 真宵ちゃんが飛び上がった。

「……今回亡くなった来栖さんは、常連さんなのですが、その」

 風林寺さんは言い淀んだ。言いにくそうに眉を顰めて口を薄く開閉させる風林寺さんが心配になる。

「大丈夫?」
「は、はい。すみません。……ええと、来栖さんは常連さんだったのですが」
「うん」
「その、わたしを……。何と言えばいいのか、あの、わたしに」
「ももももしかして、“ガチ恋”ってやつでは……!」
「ええっ!?」

 ガツン、と頭を殴られたような衝撃を受けた。ガチ恋、というのが何のことかよくわからないけど、多分、来栖はお客さんとしての関係ではなく、恋人としての関係を風林寺さんに望んでいた、ということなのだろう。

「た、多分、そういうことになるかと」
「それが今回の事件と関係あるの?」
「来栖さんは、所謂、ストーカーでした」
「ええっ!?」

 本日二回目の衝撃だった。風林寺さんはどこか疲れたような顔をして微笑んだ。やり切れない怒りが腹の底から沸いてくる。

「それは、誰かに相談したのかな」
「オーナーには報告しました。でも、それは間違いだったかもしれません」
「ど、どうして?」
「……オーナーも、勘違いかもしれませんが、わたしに気があるようで」

 指で顎を撫でながらオーナーの様子を思い返す。確かに、風林寺さんに対する態度は引っかかるものがあった。それでぼくも腹が立ったわけだし。

「それから、オーナーが来栖さんに当たるようになったんです。喧嘩のような言い合いが増えてしまって……それは、おそらくお客様や他のメイドたちも見ていると思います」
「……その目撃証言は、誰からも出なかったけど」
「うんうんっ。誰も言ってなかったよ?」
「オーナーが、口止めをしましたから」

 真宵ちゃんと同時に「えっ!」と声を上げた。

「事件当日も、口論になりました。わたしに付きまとうのはやめろ、といった内容だったかと思います」
「それはいつの時点の話?」

 ぼくは身を乗り出して訊ねた。風林寺さんは目を伏せて思い出しながらゆっくりと話す。

「来栖さんが席につかれて、すぐのことだったと思います。まだ注文もされていなかった状態でした。従業員室からオーナーが飛び出してきて、来栖さんに怒鳴っていました」
「その後、どうなった?」
「オーナーは他の男性従業員に止められて、従業員室の方に戻されました。わたしは来栖さんにお詫びをして、それから注文を受けました」
「それで帰らない来栖さんもすごいね……」

 真宵ちゃんが少し引いた様子で言った。確かに、オーナーと揉めた後も平然とカフェで過ごそうとは思えない。怒って出ていくか、注目を浴びてしまったことを恥じて出ていくか。どちらにせよ、カフェは出るだろうなと思う。

「あれ? でも、風林寺さんは注文を取りはしたけど、紅茶を運んだのは姫嶋さんなんだね」
「はい。……わたしはその後、オーナーに呼び出されて」
「! オーナーはなんて?」

 風林寺さんは口を噤んだ。ぎゅう、と左腕を右手で強く掴むのが見えて、心臓がどくりと嫌な音を立てた。

「風林寺さん?」

 真宵ちゃんも心配そうに風林寺さんを見つめる。風林寺さんは顔を上げないまま、ふう、と息を吐いて唇を開いた。

「きっと、感情が昂ってしまったんだと思います。オーナーはわたしを呼び出すと、わたしに掴みかかって関係を迫ってきました」
「な……なんだって!」
「もちろん、拒絶しました。その後、憤慨したように部屋を出ていったんです。わたし、すぐには追いかけられなくて……その後は、よく」

 風林寺さんの沈んだ表情が、悲しかった。ぼくは背もたれに背中を預けて天井を仰いだ。額に手を当てて、深く息を吐く。どんなにか、怖かったことだろう。その当時はぼくが傍にいなくて当然なのだけれど、守ってあげられなかったことに怒りを覚える。もちろん、あのオーナーに対しても、そして被害者である来栖豊に対しても。

「ひ、酷いよ! あの人、そんなことしてたんだ! ナルホドくん、何とか出来ないかな?」
「ううーん……」

 ぼくは首を捻った。何とか、と言っても、風林寺さんの話には証拠がなく、弁護士である僕に出来ることなんてあるのだろうか。もちろん、何とかしたい気持ちは、それはもう強くある。

「あの、わたしがお話出来ることはここまでです。オーナーが怪しいと感じる理由は、来栖さんも言い争いを何度もしていたからで……特に、証拠があるわけでもありません。でも、ゆかりさんが犯人ではないと思ったから」
「うん。オーナーが皆に口止めしていることも気になるし。……ありがとう、風林寺さん」
「いえ」
「あのさ、オーナーの風林寺さんへの態度や行為は許されることじゃない。今すぐどうこう出来るものではないかもしれないけど、お店を休むとか出来ないかな? 心配なんだ、きみのことが」

 風林寺さんは顔を上げて、微笑を浮かべた。

「ありがとうございます。でも、わたしは大丈夫です」
「だ、大丈夫じゃないよ! だって風林寺さん、あの人に」
「大丈夫です。わたし、こう見えても強いですから」
「そ、そうは見えないよー……?」

 うん、ぼくにも見えない。内心何度も頷いた。
 風林寺さんはくすりと笑って、おもむろに立ち上がった。

「ごめんなさい、これだけ伝えたかったから……お邪魔しました」
「心配だし、送っていくよ」
「いいえ」

 風林寺さんはきっぱりと断った。

「お気遣いありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」
「いや、でもなあ……」
「失礼します」

 有無を言わせない声色だ。風林寺さんは綺麗に頭を下げて事務所を出ていった。取り残されたーー自分の事務所でそう言うのも変な話だけどーーぼくたちの間に沈黙が流れる。

「なんか、不思議な人だったね」
「うん……」

 ひとまず、ぼくたちは目前に迫った法廷に集中することにしたのだった。


事情聴取


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