断片:テセウスの船


「角名はまだあのメンヘラ女の面倒見とんか」

久しぶりに会ったチームメイトは、俺の話を聞くなり鼻を鳴らして嗤った。

高給取り(プロバレーボーラー)の侑の奢りで、プチ同窓会としてかつてのチームメイトたちが焼肉屋に一堂に会することとなった。皆が今日は無礼講とばかりにジョッキを傾けて、話に花が咲く。

「まあ、ここまで来ると一蓮托生だからねー」
「めんどいと思わへんの?」

俺はそないな女は即ポイやわ。侑が非道な台詞を吐く。治は金網の上のカルビを虎視眈々と狙っており、話を聞いていない。

「めんどくさいはめんどくさいけど、そういうところも嫌いじゃないんだよね」

一気にジョッキの中のハイボールを煽る。今頃あの子が風呂の浴槽で沈んでいるのではないかという想像が脳裏を過ぎった。大丈夫、死にたがりだけど俺との約束を破るような女ではない。そう思い直す。

「そういうもんなん?」

枝豆を摘んでいた銀島は不思議そうに首を傾げる。

「んー、そういうもんじゃない?」

俺も少し、酔いが回ってきたかもしれない。まだ何の痕もない左手の薬指が惜しい。

「生きるのも一緒がいいけど、破滅するのも一緒がいいからね」

ポツリと呟けば、しん……と個室の中だけが水を打ったように静かになった。他の客の騒ぎ声だけが遠くに響いている。

皆が一様に呆気に取られる中、侑だけが、
「昔から角名ってホンマ女の趣味悪いわ」
一人毒突いた。

⬜︎

「……ということがあった」
「ひどいね倫太郎、私のことめんどくさいって言ったんだね」

ピロートークの最中、倫太郎は先日の飲み会の顛末をそう語った。

「めんどくさいとは言ったけど、めんどくさいのが嫌いとは言ってない」
「同訓異義語みたいなものなのだけど?」

私は少しばかり腹を立て、裸体を晒している彼の胸板を枕にして寝そべった。

素肌はほんのりと汗で湿っていて、先ほどまでの情事を嫌でも私に思い起こさせる。
どうせ死ぬのに、生殖行為をするなんてばからしい。私がそう言うと、彼はいつも心底可笑しいと言わんばかりに笑い、こう言うのだ。

「人間、そんな真面目にセックスのこと考えてないから大丈夫だよ」

大抵の人間は快楽と愛情だけでそういうことをするんだから。

そう言われてしまえば、口惜しくも私は頷くことしかできなかった。どこか彼の高い体温と融和することは、私にとっても心地が良かった。

「そんなに拗ねなくても」

そもそもめんどくさいのが嫌なら一緒にいないけど。倫太郎は私を宥めるように、頬に張り付いた髪を掬っては、指先で耳朶に引っ掛けた。
掠める指がこそばゆくて思わず身を捩る。

「でも、一緒に死ぬ気はあるみたいで安心した」
「……そういう、約束だからね」

私はぴたりと左耳を彼の胸に当てた。とくとくと、彼の核心は少しゆっくりで、確実なリズムを刻みながら駆動している。

「生きてるねえ」
「そりゃあね」

心臓の音聞いてて楽しい?うん、なんか安心する。
私は瞼を閉じて、約二十秒で全身を循環する命の奔流を聞き取ろうとした。

「乳児って心臓の音を聞くと胎内にいた頃の記憶を思い出して安心するらしいよ」
「ふーん、じゃあ君は赤ちゃんってこと?」
「倫太郎がそれで納得するならそれでいいや」

この拍動が止まる時、私は果たして側にいられるのだろうか。ふとした時に、得体の知れぬ焦燥に似た何かが私の頭を擡げる。

どこかで選択は間違っていないだろうか?本当にこれで良かったのだろうか?
疑念が頭の中で撹拌されて、脳漿としてぐちゃぐちゃに広がっていった。

人の細胞は四ヶ月で入れ替わりを果たすらしい。……つまり四ヶ月後に、彼は私の知らぬ別人になる。まるでテセウスの船のようだと思った。全ての細胞が入れ替わった時に、それは果たして角名倫太郎と呼べるのだろうか?

仮に私だけが死んで、彼が他の女に同じように笑いかけた時、私は果たして耐えられるのだろうか?
これを醜い嫉妬と呼ぶ他に、私は名前をつける術を知らなかった。

「やっぱり倫太郎には私の葬式に来てほしいなあ」
私がシワだらけになったシーツの上を滑るように寝返りを打てば、背後から少し呆れた声が飛んでくる。
「一緒に死んだら来れないよ」
「じゃあ倫太郎だけ生きてて」

私は捻くれた女だ。
まだ仄暗くて邪な願望が、私の川底でひっそりと息を潜めている。

彼の永い一生の後悔とトラウマになって、その心の古傷になりたいだなんて。
到底、救いがたい形をしていないに決まっていた。

「それはダメだよ」

その言葉に私がどれほどの重心を預けているか、彼はきっと知らないだろう。
後ろから腕が伸びてきて、それは私の体をすっぽりと収めてしまった。すこしだけはやい鼓動。37.0℃と36.5℃の、境界が曖昧になる。

「置いていくことも、置いていかれることも許さないよ」

そうして私は足に重石を括られて、ますます彼の中で身動きが取れなくなるのであった。