“このジャージ、良い匂いがして、悪い夢を見なくて済んだの”
付け入る隙が欲しかった。
だから、あの時の言葉を逆手に取ってやろうと思った。
また昼休みになるとなまえは教室を出て行って、あの体育倉庫のオレと彼女しか知らない聖域で眠りにつく。
廊下に出て行ったところに声をかけて捕まえる。
「なまえ」
「どうしたの、侑くん」
振り返った彼女は既に眠たいのかとろんとした目をこちらに向けている。
下の名前で呼ばせるようにもした。起きている時に何かと話しかけるようにして、彼女の世界の中にある“必然”に、オレを取り込ませようとした。
ゆっくりで、遅効性でいい。麻酔のように彼女から徐々にオレがそばにいることの違和感を奪ってしまえばいい。
「今日もあそこ行くん?」
「うん」
「寒いやろ、これ羽織ってき」
そう言ってすかさずなまえの肩にジャージを掛けてやる。
片割れやチームメイトたちが見たら鼻で笑いそうな光景だが、オレは至極真剣にやっていた。
これは彼女限定であげる優しさだ。打算的かもしれないけれど、偽りではない。
他の奴らが普段周りに振りまいている優しさを、オレはなまえだけに全て注いでやっているだけなのだから。
「…………いいの?」
ジャージの裾を控えめに掴んで彼女が問う。
「ええよ。なまえが風邪引く方があかんし」
オレがそう言えば、ありがとう、と小さな声で彼女は眦を下げて微笑んだ。
話し始めて分かったことだが、なまえは笑うと途端に印象が柔らかくなる。確かにこれをやられたら男共はイチコロに違いなかったし、無意識的にやるものだから尚更タチが悪い。
「おやすみ、ええ夢見るんやで」
軽く頭を撫でてやって、オレは少しおぼつかない足取りで歩く彼女の後ろ姿を見送った。
きっと今の出来事は彼女の中で夢と曖昧になってその輪郭をぼやけさせてしまうのだろうが、それでもいいと思った。
むしろオレがあの子の夢に出てきてあわよくば恋に落ちたりして勘違いしてくれればええのに、なんて邪なことばかり考えて教室に入れば、クラスメイトたちに顔がにやけていると指摘を食らった。
ああ、早く落ちんかなぁ。
存在を強請って
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