■ 09

 そういえば以前、ベルゼブブさんのレンタルを持ち掛けられたことがあったなぁ。
 実際のところ、さすが口八丁のアクタベくんだけあってベルゼブブさんとの夢の時間をという話は見せかけだけで、実際にはアザゼルくんとのレンタル契約を結ばされるところだったけれど。
 でもまあ、今はそこは関係ない。関係あるのはそのペンギン悪魔を家でも抱っこしたいと思ったことだけだ。

「だからね、ちょっとだけ。ちょっとだけ、ペンギンの姿で抱き締めさせて下さい」
「……嫌です」
「えーなんでですか。せっかく念願叶ってうちに来てくれたんだから、せめてゴロゴロしながらの抱っこくらい体験させて下さいよー」
「……お断りします」
「なんでですか。いつもあんなに素直に抱かせてくれるのに」

 あ。顔が真っ赤になった。

「いいですかなまえさん、あなたは大切なことを忘れています! あの姿はあくまでも私が望んでとった姿ではなく、アクタベ氏の結界のせいで無理やり歪められたものなのですよ。おまけに力そのものだけでなく、精神までも随分と器に引き摺られていてですねぇ……ゴホン。ともかく、こうして制約なしの本来の姿でいられる今、あえて身を置きたい形ではないのです」
「なるほど。つまりそれを望むには結界を解かないままの優一さんに来てもらわなくてはいけない、ということですか」
「……そうなりますかね。ただまあ、あのアクタベ氏に関わっている間はまことに不本意ながらこちらの姿の方があなた方には物珍しいものであるでしょうから、何もそう難しく考えることはなく、あなたはただこの機会をありがたく受け止めればいいのですよ」
「おお! 期間限定SSR降臨祭ってやつですね! 確かにそれは取れる時に入手しとかないと損ですもんね!」

 そもそも今回はなんで結界が解かれているんだっけ。頭の片隅にそんな疑問が湧いたものの、レアキャラ降臨という響きを前に一瞬で流れ去った。
 思えば双方共にこれ以上なく深夜テンション発動のサインが出ていたというのに、この時の私はそのことごとくを見逃し続けたのだから心底救えない。



「せっかくですし、今宵は謂わば至高のレアキャラである私が凡人であるあなたを抱きしめて差し上げましょうか」
「やったぁ。ではではレア様による隠しイベントを満喫させていただきますー」

 我ながら、危機感も常識もまるっと麻痺した能天気な返事だ。けれど幸か不幸かこの真夜中のリビングにツッコミを入れてくれる第三者はいない。
 期待に満ちた声を受けてまっすぐと伸びてきた腕は、そのまま腰にくるりと巻き付いたかと思えばぐいと引く。

 ひゃぁ、なんて間抜けな声を上げて倒れこんだ私の身体を受け止めたのは、当然ながらソファよりもずっと硬い男の身体だ。意外なことにそれなりにがっしりとしている胸板によってぐおんと頭の中で鐘が鳴る。おおっとさすがに少し驚いた。息を整え未だ反響の残る頭を持ち上げれば、たちまち緑色の異形の手に焦点が合う。
 豊かな毛も肉球もない手だけれど、とても興味を惹かれる造形だ。
 とまあそんなわけで、触りたいなぁと思考した時にはすでにもう身体が動いていた後だった。つまり、指だけでは足りなくて頬まで使って感触を味わっていた。

「ちょっと、なまえさん!?」
「これが悪魔モードの手……すっごいですねぇ。いつもはもふもふの翼なのに、本当はこんな風になっていたんですねぇ」

 なでなですりすり。
 あれ、でも手はこうなっててでも首から上はほとんど人の時のままだなんて……じゃあその継ぎ目はどうなっているの?

「ああこら、なに無断で人の服を脱がそうとしているんですか!」
「いえ、優一さんのSSRな構造に大変興味が湧いた次第で。というわけで脱がしていいですか、いいですよね」
「……やめなさい。……あの、先刻については確かに私に非がありましたし、やり過ぎてしまったことも認めます。けれど仕返しにしてもその、さすがにこれ以上は洒落では済ませられないと言いますか、あなた悪魔をなんだと思っていやがるんだこのクソ処女がァと言いますか、その、あの……」

 なにやら赤い顔でごにょごにょ言う悪魔の顔をよくよく覗き込もうとしたところ、右往左往する視線は私を見つめ返しもせずこれでもかと豪快に逸らされる。
 しかしぷいと逸らされたこと以上に納得いかないのがその発言だ。"先刻"ってなんだったっけ。"やり過ぎた"ってどういうことだっけ。相変わらず服に手をかけたままの姿勢で、えーっとえーっとと記憶の糸を手繰り寄せる。ベルゼブブさんが謝るようなことってなんかあったっけ。
 食糞?
 いや、あれは本人まったく悪いと思ってないらしいし論外だろう。せいぜい紙皿をダメにしてごめんってところだろうし、あんなに清々しい顔で洗面所から戻ったのだから今更謝罪も何もないだろう。
 なら、あの子達に術を使ったこと?
  あれは確かに許しがたいことだけど、まあ一応あの子たちも気にしてないみたいだしなぁ。それに机に頭擦り付ける位に謝ってくれたし。あれ、そもそもなんであんなことになったんだっけ。 あの子達も懐いていたみたいなのに……?
 そこまで考えて、ようやく私は悪魔が言いたいだろう事柄に思い至る。

「……ああ、あれですか。テンションに付いていけなかった私が吐きそうになった一件。いやぁ、あれは優一さんがあんまりただの人間っぽいから、つい一瞬誰が誰だかわかんなくなっちゃって。だから知らない人だーって認識になるともうとにかく気持ち悪くて気持ち悪くて……むしろどう考えても私が悪く……さっきも謝ったじゃないですか……うう。あ、でもそういう意味では優一さんの変身って本気でレベル高いですよね」

 職能以外でも完璧なんて凄いです。なんだかんだで、アクタベくんとさくちゃんが重宝がるのもわかる気がします。
 そう言って王冠が煌めく後頭部を撫でようと手を伸ばしたところ、なんとも複雑に歪んだ顔に阻まれた。辛いものを食べたばかりの口に、甘いものと塩っぱいものと酸っぱいものを食べさせたらこんな顔になるんじゃないか、っていう顔だ。

「……ではあなたは、あの時の男がこのベルゼブブ優一だと思えなかったから恐怖したというのですね」

 いやまあ、恐怖っていうか純粋に気持ち悪かったというか……いいや、あんまり変わらないか。深く考えるまでもなく私に非があることなので大人しく頷く。

「あの、ではその、仮に……仮にですよ、あの瞬間にあなたの目の前にいたのが今のこの姿をした私だったとしたら……どうでしたか?」
「そりゃこっちの方が断然平気に決まってますよー」
 ベルゼブブさんだとさえ認識していれば、我を忘れ怯え縮こまるような失態を演じるわけがない。しかも、あの程度のセクハラネタならいつものアザゼルくんよりずっとマシだから打てば響く快活さでノリツッコミしてあげるぞ。

「ほ、本当ですね!? 嘘じゃないですよね!?」
「暴露の悪魔に嘘ついてどうするんですか」
「……!? なまえさん、今のっ、今の言葉、もう一度言ってください!!」

 なんだろうこの必死さ。
 もしやアザゼルくんの相方としての道を模索中なのだろうか。けど、お笑い芸人的な道を突き進むのは勝手にしてという感じだけど……ペアの両方ともがセクハラ大魔神になるとそれはそれでツッコミ不在で収拾がつかないだろうに。いやそもそも、魔界のお笑いってどんなのだ?



(2016.05.06)
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