■ 幕はまだ上がらない if end

「ちょっとなまえさん、どうしてくれるんですか」

 いくらか抑えつつもそれでもやっぱり不機嫌。そんな口調で私を責めるのは、新米悪魔使いのさくちゃんである。
 ちなみに、私に向けられなかった分の不機嫌は彼女の足でぐりぐりされているアザゼルくんが受け止めてくれている。うん、ごめんね。ありがとう。

「なんのことー?」
 すっとぼけてみたところで、さくちゃんのどす黒いオーラは変わらない。
「ベルゼブブさん、しばらく喚ばないでくれって言ってたんですよ。今日だってベルゼブブさんが居ればきっともっと簡単に解決したのに……」
「酷い! ワシかてさくのために頑張ろうとしてたやん!! けどさくがワガママ言うて、あ、やめて、痛い痛い痛いぃぃぃ!!!!」
 今回の仕事場でもアザゼルくんが何かやらかしたらしい。ご愁傷様とは言ってあげるけど、ベルゼブブさんの出社拒否やその穴埋めに失敗したことまでも私のせいにされるのは心外だ。

 だって私はあくまでも、ベルゼブブさんに言っただけだ。「出直して来て」と。

 いくら"夢見がち代表"みたいな扱いをされていようが、状況把握が困難なあの場で雰囲気に流されて無邪気に頷ける程に幼くはないし、しかも相手がグリモアがあってナンボで契約に雁字搦めの悪魔という存在ならば慎重さはどれだけあっても足りないだろう。

 なんだかとっても魅力的な誘い文句を聞いた気はしたものの、好む好まないとか日頃の親しさとかそういうものとは一切の関係がないところで、ベルゼブブさんは"悪魔"だし私は"ただの人間"なのだから。今度カレーパンを持って行くねとか次回は多めに買って来るねとか、そんな軽い調子の口約束でも決して蔑ろには出来ないのが悪魔との付き合い方だった筈だ。
 そもそも、あれを「もしかしてこれって告白ってやつだろうか?」と受けとったのは私の勝手で、ベルゼブブさん的にはもっと何か全く別の関係や状態を指していたのかもしれない。つまりなんでもかんでも人間の、それも私の意識の及ぶ範囲という狭い"常識"で測ろうとするのは危険だ。価値観のすり合わせは異種間交流の基本であり最難関だと思っている。
 だから返事云々の前にベルゼブブさんのお誘い内容をきちんと明文化してと望むのは対処としては間違っていなくて……と正当性を主張しようとしたところで、さくちゃんが鋭い刃で切り付けてきた。

「でもなまえさん、一応アクタベさんには話が通っていたんですし、ある程度は安全っていうか……言葉のまま受け取ったらよかったんじゃないですか?」
「そうそう、ベーやんが可哀想やわ。あないに頼み込んで結界解いてもろて、万全のキメキメ姿で告白したってのにこの仕打ち! ほんま、あんさんが信じられへんで! 鬼や! 悪魔や!! これやからロクに経験もない処女はあかんねん!! 男と女なんてなぁ、とりあえず咥え込んでから考えたらええんや!!」

 この期に乗じてとばかりにピーチクパーチクさえずるアザゼルくんは軽やかに無視するとして、悪魔関係でアクタベくんの名を出されると私は弱い。アクタベくんが了承したという事実だけでぐうの音も出なくなる。そんなわけで、グサグサ突き立てられるさくちゃんの視線に耐えられなくなったこともあり、この部屋にいながらも一人だけ知らぬ存ぜぬを決め込み黙々と読書タイムを満喫中のアクタベくんに照準を合わせることにした。
 だってそもそも、そういう展開が予定されていたならアクタベくんからもうちょっとあからさまな根回しがあってもよかったんじゃないかと思うわけだ。それ以前に、無力な私が悪魔と絡む上での注意点や危険性を説いてきたのは他ならぬアクタベくん自身なのだから、この非難轟々の状況にフォローの一つ二つあっても良いんじゃないかと思うわけだ。

「だいたい、やたらあいつに懐いていたのはお前だろう。俺はてっきり、そろそろ"保険"のことを考えているのかと思っていたんだが」
「真面目な顔で『もう後がない』みたいな言い方しないでよ。下世話なお膳立てなんて、アクタベくんの柄じゃないでしょうが」
「事実を言ったまでだがな。それに、お前だってアレがどれ程の悪魔かはわかっているだろう。おまけにグリモアもここにあるとなれば、半端なノラを相手にするよりはよっぽどマシだろうよ」
 まあお前があいつらを埒外に起きたがるのは解らんこともないが……とぼやいたのを最後に、アクタベくんの意識は本へと戻ってしまう。ちょっと待ってよアクタベくん、なんで今このタイミングでそんな甘っちょろいことを言うの。ますますもって柄じゃないと叫びかけてハッと気が付く──さてはこの男何か企んでいるに違いない。
 私を餌にしてベルゼブブさんをますます好条件でこき使おうとか、連敗中の私にここぞとばかりに恩を売っておこうとか、つまり悪魔や旧友(彼自身は腐れ縁と言って憚らないけれど)を手のひらで転がそうとしているに違いない。まったく人をなんだと思っているのやら。

「さては、なーんかズルいこと考えてるでしょ」

 真正面から指摘してみれば、やはりというか何というか。
 再び顔を上げたアクタベくんは、びしりと指をさされたことに気分を害した風もなく、図星を衝かれたと慌てる様子も見せず、むしろ憎たらしい程に余裕の顔付きでニヤリと笑った。



 ああもう、わかりました。そこまでおすすめするのなら、あんたの描いた通りに動いてやろう。
 お膳立てに乗っかかるのは癪だけれど、私一人が意固地になっているようなこの状況はもっと癪だ。
 後がないのも認めましょう。ベルゼブブさんの言葉に騒いだ胸も認めましょう。
 今日だって本当はここに来たら会えるかなとか思っていたんだから。あの日の、虚をつかれたような表情が気になっていたんだから。そして会えないとわかった今確かに私はがっかりしているし、このまま一人で帰るのは寂しいなとか思っているし、なんだかんだであれからちゃんと眠れていなかったりするし、とにかく要は"そういうこと"なのかもしれない。


「とりあえず、後でメールしてみるけど……これで手遅れだったら骨くらいは拾ってよね」


 盛り上がるみんなには悪いけれどどこが気に入られたのかまるでわからないし、私の想いがあの大悪魔に見合うものだとは思えないままだ。無事に連絡がついて、そして。あのやりとりを繰り返すことになったとしても、やはり悪魔相手に二つ返事で頷くなんて命知らずなことはできないだろう。でも、わからないならわかるまで、伝わらないなら伝わるまで、ゆっくりと話し合えたらいいなと思っている。だからひとまず、私はそのつもりだと告げてみよう。それで拒否されたら、それはそのときのことだ。

 ──わたしはあなたと、もっとちゃんと知り合いたい。



(2016.05.23)(まだ恋とは呼べないけど僅かに前進)
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