■ ・明日も、明後日も じゃあねと蛭魔くんを送り出した昨夜の私は、翌日のことなど予想もしていなかった。 会う予定の無かった蛭魔くんが、大きな紙袋を携えてチャイムを押すことも。 その中身がまさにその時、瀕死のパソコンを駆使して調べていたそれとよく似た物であることも。 *** やる、と言われて袋の中を見たところで、何がどうなったのかさっぱりわからなかった。 やるって、何を……? なんて恐る恐る取り出した立派な箱を開けてみれば、中にはこれまた立派なノートパソコンがどどんと鎮座しているではないか! いくら相手が規格外の、泣く子も黙るという蛭魔妖一だとしても、高校生がぽいと手渡すにはこれはあまりにも……。 「え、ええええ!? ちょっと、え、週末に買いに行くってはなし……し、したよね?」 「ケッ。門外漢なおまえじゃあ、どうせ型落ち品の方が安いとかなんとか適当に丸め込まれて、扱いにくいのを掴まされるくらいだろうが。そんで使いにくいだぁ遅いだぁ横で言われたら堪んねぇからな。ほら、設定してやるからさっさと出せよ」 いや、その決めつけはさすがに店員さんに失礼ってもんだろう。 いや、今気にするのはそこじゃない。そこじゃあないぞ私! 「どうした? ああ、ほら。大体は今のと同じキー配置だ。押し応えもまあ似たようなもんだから、自称キーはこだわり派のおまえでも、さほど違和感なく使えるだろ。安心しろって」 「や、そこでも無くて……。あの、非常にありがたいのは事実だし、もう押し戴く限りなんだけどね……その……お幾らでしょうか」 ……なんだかんだと驚きながらも、私はちゃんと必要な事を言えていた。えらいぞ私。こういうところで、突飛な蛭魔くんの行動に結構耐性が付いていると自覚する。 とか言いつつ、それでもやっぱり様子を窺いながら、気弱な敬語口調になってしまうのは仕方が無いだろう。 そんな私に、さっさと電源ケーブルを差しに行った蛭魔くんは振り向きもせずに答えた。さらりと。……いや、そのさらりさを装う姿がむしろ不自然なほどに、さらりと答えた。 「じゃあ、2万」 「いやいやいやいや、その値段は有り得ないでしょう! 価格ヨムでちょっと見てたけど、こんな感じの大きさは8万円からだったし!」 後は型番みたいな数字の違いで10万とか16万とかで、その辺りは見ただけではよくわからなかったけれど。 でも、そんな私でも、さすがにこれが2万円ってのが滅茶苦茶な設定だということくらいはわかるよ。 「……いいんだよ。おまえにゃわからねぇだろうが、これは一種の中古品でな。そこらの型落ちよりは値段の割にマシな性能だが、まあそれでも訳あり品ってことだ。保証書も無いが、その分この俺がサポートしてやる」 「へ、中古品ってそんなに安くなるの?」 言われてみれば、この手の商品に付き物の説明書の束や、ビニールの梱包品が見当たらない。分厚い説明書もついてない。 けれど、艶やかな外装にもディスプレイにも傷も汚れも無く、使用感なんて欠片も見受けられないのだけれど……これでも「中古品」なのだろうか。 不思議な世界だなぁ、なんて思っていると騙し騙し使っていた瀕死の方へと蛭魔くんの指が伸びていた。 「あれ、そっちのパソコンも使うの?」 「データ、移さなきゃなんねぇだろうが。……ああ、見られたくないファイルがあるなら先に言えよ」 そこは触らないでやるからと続く言葉に、慌てて首を振る。 別に見られて困るものは残していないし、そもそもそんな気遣いをされた上で選別にかかる方が逆に恥ずかしい。 ダメなものなんてないよ。って、あれれ、なんでそこでそんな嬉しそうに笑うの? *** 昨日同様、カタカタと何かわからない画面を出しては何かを打ち込み、なんだか色々している蛭魔くんは忙しそうで。なにを言っていいのかもわからずただ遠巻きに眺めていたのだけれど、さすがにずっとこうしているのも居心地が悪い。 「あの、何か手伝おうか? っていうか、ごめん、私のなのに。ああ、そうだ。よかったら設定の方法とか教えてよ。そしたら、ちょっとおかしかったら自分で調整……調整でいいんだっけ? まあとにかく、自分でどうにか出来るようになるんでしょ?」 「おまえは覚えなくていい。つーか、むしろこの辺は覚えるな。弄ろうとするな」 取り付く島もない返答にしょんぼりと肩を落とすと、少し間を置いて優しい声が続きを口にする。 「言っただろう、俺がサポートしてやるって。昨日アレを触って大体把握したからな。ソフトもハードもしっかりおまえ仕様にしてやるから安心しろ。まずはアレから違和感なく移れるように合わせとくから、使い出してああしたいとかこうしたいとかおかしいとか、何かあったらいつでも言えよ」 カタカタとキーを叩く指が何をしているのか、一応見てはみるけどやっぱりさっぱりわからない。 *** 「ケケケ、どうだ。中も外も特別製だぜ。俺以外の奴にゃぁ弄れねーようにしてあるから、なんかあったら俺様に頭下げるしかねぇな」 一体何がどうなったのかさっぱりわからないまま、ぴかぴかのパソコンを引き継いだ私は、おっかなびっくりでマウスとキーボードへと指を伸ばす。 そして、とりあえず思いつくままネットのお気に入りとか、書きかけのレポート画面とか、音楽ソフトを立ち上げて、やがて大きく目を見開くことになった。 新しい、初めて触るパソコンとは思えない程、全く不都合を感じない。なんか、すごく使いやすい。というか、意識させない感じだ。 なんか、やっぱりよくわからないけど。 でも前に買い替えた時とは雲泥の差の快適さだということだけはしっかりわかる。……って、あれ? 今、何か……何か、聞き流せない一言を聞いた気がするのだけれど? 「え、それって、蛭魔くんが居ないとお終いなんじゃ……」 そんなことができるものなのかどうなのか、さっぱりわからないけれど。 でも、器用に動く指を構えてそんな不敵な顔をされると……本当に、他の誰に頼んでも駄目なようにしちゃってあるんだろうなと、納得できてしまうから困ったものだ。 っていうか、あれだ。それはつまり、蛭魔くんに頼れない時はどうしたらいいのでしょうか、ということで。 諦めろという返事も想像は付くのだけれど、でもさすがにそれは酷くないか……。 「ハッ、頭下げろってのは冗談だ。言えばいつでも、俺様直々に『調整』してやるよ」 「いやでもほら、私ももうじき卒業だし、関西帰るし……さすがに、そうなると……」 ……これ以上は言いたくない。今の時点でもうすごく気まずい。 というのも、春からのことはあまり口にしてこなかった、というか、あえて避けていたからで。だって、なんか、ねえ……歳の差の上に、遠距離だなんてさ。 翳りもなく「遠距離だって平気」だとか「信じてる」とか言えるほど、私だって幼くはないし、強くもないし。 そして、冗談めかして言ってみたって、その裏にある諦めとか焦りとかに、この蛭魔くんが気付かないわけがない、ということもわかるから。 だからついつい、その話自体を、避ける様になって……。 「らしくねぇな」 そんな私の内心を笑い飛ばすように、蛭魔くんはにやりと笑って私を見つめている。 「たかだか数時間、屁でもねぇ。遠慮なんかせずに、いつでも呼び付けてみろよ」 ええと、なんだろう、これは、ひょっとして、ひょっとすると……? 都合が良すぎる発想をする自分を窘めようとするも、全身を襲うむず痒い幸福感に真顔を保つのがやっとだ。 気を抜いて締まりのない顔を晒してしまえば、もし違っていた時に再起不能の気まずさを味わうことになるんだから、耐えるのだ! なんて思う内心を知ってか知らでか……視線を逸らした蛭魔くんは、ここで私のハートを串刺すためのとっておきの一言を放った。 「……その替わり、他の男に触らすんじゃねぇぞ」 なんだかもう、勘違いかもとか考えるのが馬鹿馬鹿しくなるストレートな言葉に、ついに私は我慢を捨てて破顔した。 (2014.06.23)(相手が機械音痴なことをいいことに独占欲もりもりな彼氏) [ 戻 / 一覧 / top / 分岐 / 拍手 |