■ 気紛れな「幸運」に愛の手を

 ギャンブル都市ドリアス。

 さすがカジノタウンというべきか。プレイルームは勿論のこと周辺の宿も作り込まれて雰囲気たっぷりだ。客のランクに応じてそれはそれはハイレベルな設備と世界観でもてなしてくれるので、G.I内に在りながら更なる非日常を望むままに堪能することができる。
 システムは単純明快。落とす金がある内は上客だ。
 それなりの金を使いそれなりの振舞いさえしていれば、この空間では誰もがVIP気分が味わえる。

 でも、自腹で泊まるのはナシかな。せいぜい中の下ランクでお手軽に大満足って感じ……。

 照明はもちろんカーペットから窓枠に至るまで一片の隙もなく高級感で統一された館内を進みながら、眩いばかりの空間に随分と不釣り合いな庶民的な感想を抱いていたなまえは、大きな扉の前で足を止めると大きく息を吸い込み背筋を伸ばした。赤く濡れた唇が弧を描く。さあ、今日はどんな素敵なことに巻き込んでくれるのかな。


  ***


 開錠の音が響くとほぼ同時に開かれた扉の向こうには、ほんのりと頬を染めた男が立っていた。どうやら既に"始まって"いるらしい。そのままサブに連れられて進めば予想通りと言うべきか男二人がすっかりくつろいでいた。
 声をかけるより先に上機嫌な顔がこちらを向く。そのまま唇が動くのを待つよりも、話しかける方がなまえの性に合っていた。
「はあい、こんにちは。そして"お帰りなさい"」
 サブにもした挨拶に、バラもようと片手を返す。

「いきなりドリアスだなんて、どうしたんですか?」
 しかもこんなにいいホテルなんてと続けながらグラスと椅子を拝借し居場所を整える女に遠慮はなく、それを許す男たちも慣れたものだ。ゲンスルーですら、爆弾魔を爆弾魔と畏れない振る舞いを見咎めることも、或いは舐め切った態度に対してほんの少しの嫌味を口にすることもないまま本題へと移った。

「お前は知らないだろうが、この並びの宿ってのは地下に宿泊客限定の一風変わったスロットを持っててな。まあそれは後でやるとして……まずはお前、今からこれを使って稼いで来い」

 軍資金を作って来いと言ったゲンスルーが差しだしたのは多面体のサイコロだ。「……リスキーダイス」反射的に呟いたなまえの表情にはバカンスの喜びはもうない。打って変わって色を失った彼女は、たった一面を除いた十九面の全てが大吉というそのサイコロの恐ろしさを確認するようにぶるりと肩を震わせて恐る恐るゲンスルーの顔を覗き込む。

「……え、ええー、ここまで呼んでそんな扱いは嫌ですよー。私だって部屋でゆっくりリゾートしたいですよー。しかも、それって凶が出たら死んじゃうかもな奴でしょうがー」
「お前なら大丈夫だ。いい子だから今すぐ出て行って、とりあえず《レインボーダイヤ》を取ってくるか……まあ手始めに数百万ほど儲けたら一旦戻ってこい」
「ちょっと。数百万ってそれ……一体何回ダイスを使わせる気ですか。っていうか、そんなに振って何が『大丈夫』なんですか。どんな高確率でもそんだけやれば昇天確実じゃないですか」

 実行するなんてとんでもないとぶつぶつ文句を言い募るなまえを面倒くさそうに見つめていたゲンスルーは、勢い任せに動く女の口が閉じた瞬間を見計らいとっておきの一言を放つ。

「なに、問題はないさ。『ラッキーライラック』なら数百回の連続大吉も容易いことだろ?」

「……へ?」
「なあ、『ラッキーライラック』さんよ」

 間抜けな声と共に固まったなまえは、再びの声を受けて傍目にも明らかに取り乱した。手に持っていたグラスをがしゃんと叩きつけるかのように置いたかとおもえば、勢いよく立ち上がり……かけたところで椅子の足に躓いて倒れ込み、起き上がろうとしてテーブルに頭をぶつけ、それでも果敢に距離を取ろうとして、仕舞いには自身の服を踏んでみっともなく倒れた。それでも起き上がろうとするが、今度は裾やら袖が絡まるようでなにやら床でもぞもぞ動いては鈍い音を上げ続ける。悲惨である。
 見かねたバラに助け起されてようやく暴走を止めた女は、荒い息のまま発端となった声の主を見上げた。だが、今度は向けられた瞳とかち合った男たちの方が固まってしまう。
 普段の余裕さを微塵も感じさせない真っ赤な顔。驚きと興奮に見開かれた瞳。しかも、痛みの為か羞恥の為か無防備に潤んでいる。身を守っていた外殻が全て剥がれてしまったような脆さと危うさと幼さを見せつけられてしまえば、混乱が男たちへと伝播するのも仕方がないことと言えよう。
 あのゲンスルーまでもが混乱のあまり「大丈夫か」と気遣う素振りをみせるに至ったのだから、それなりに付き合いの長い女が見せた新たな一面というのは大した破壊力だった。
 だが、なまえだっていつまでも狼狽えているだけではない。いつまでもこうして見つめ合っていたところで埒が明かない、と早々に気がつけたことがプロハンターの経験値というやつかもしれない。失態を取り戻すべく唇を震わせた。

「な、な、な、なんで、なんで知ってるんですかその呼び名を!」

 泣きそう、というか完璧に泣いてる声だった。
 完全復活には程遠いなまえが、羞恥に染まった顔のままどこで聞いたんですかどこで見たんですかとゲンスルーに詰め寄れば、どう見たって捨て鉢な勢いに負けて男の腰が引けていく。突発的事象が少しばかり苦手なのは実はお互い様である。

「別に、そんな……最近入った奴が、お前に心当たりがあるからって言うんでな。とりあえず酔わしたら『ラッキーライラック』かもしれないってべらべらしゃべり出したくらいで……」
「ああ!もう!信じられない! ゲンスルー、後でそいつの名前と特徴教えて!」

 締め上げてやる!と犬歯を剥いたなまえは、いやむしろセッティングして下さい打ちのめしてやる! いや、いっそ爆弾魔のネタ作りに使ってやろうじゃないか! と怒涛ごとく吼えた後、その様子に引き気味の男たちの視線に気がつきはっと口を手で覆った。そのまま気まずい沈黙をやりすごし幾許かの冷静さを取り戻した彼女は、すっかり逆立ったオーラを一呼吸二呼吸と抑え込む。結果、次に唇を開いた時には未だ冷静とは言い難いものの、数段静かにゲンスルーに問いかけることができていた。

「で、そいつに何をどこまで聞いたんですか」



  ***



「いやいや、だからですね、そんな便利なもんじゃないわけですよ。本当に、ただ文字通り『五枚花弁のリラを見つけやすい』くらいの、極々ささやかな『幸運』って言う……」

 ゲンスルーから伝聞の詳細を確認したなまえは、冷や汗と溜息と訂正に忙しい。
 曰く、絶対的な強運に守られた若きハンター。曰く、全ての望みを叶え、全ての事象は彼女を中心に動きを変えたという運命の申し子。曰く、協会代表のネテロも目をかけていたという、稀代の新人。曰く、曰く、曰く……到底真実とは思えない大風呂敷は枚挙にいとまがない。

「『但し、わずか二年の活躍から一転表舞台からも裏舞台からも姿を消し、今ではその呼び名ばかりか活躍に関する情報自体も一切の記録から削除されている』だそうだが……その反応を見る限りやはりお前で間違いないようだな」

 次々と挙げられる"情報"は子供向けの創作話の方がまだましという荒唐無稽さだ。だが、大変困ったことに、それらすべてが根も葉もない噂というわけでも無かった。

「まあ、そりゃ、ちょっとばかり運が良かったのは事実ですよ……」

 でも別に特に強いわけじゃないし、特になにが出来るってわけでもないんで、まあ当然ながらろくな実績もない貧弱な新米ハンターなんてお仕事もそんなに入ってこないわけですよ。で、ああこれからどうやって生計たてようかなーって師匠に漏らしたら、数週間後には誇大広告もいいところの宣伝文句の数々と、例の恥ずかしい名前が世に出ていまして。まあ……確かに宣伝効果はすごかったし結果として大口の依頼も何件かあったので、その報酬を全部火消しに使って二年後には無名に戻れたわけですけれども。
 ああもう本当に、あれは事故なんです。黒歴史なんです。だからどうかあの赤面ものの名前は、皆さんも忘れて下さい。記憶からまるっと消して下さい。だいたい依頼人も仲介所も能力者狩り連中もなんですか、あんな名前にみんなほいほい釣られちゃって。怖過ぎなんですよ、危険なんですよ、痛いのも怖いのも危ないのももう嫌なんですよ……!

 語りだせば転がり落ちるのは早かった。無理やり貼り付けた冷静さをあっさり剥がして怒涛のごとく喋り倒し泣き崩れたなまえを前にして男たちは途方に暮れていた。かける言葉が見つからないとはこのことか。面倒くさいことこの上ない。
 どうするよと目配せを交わした後、代表として視線を受けたバラが「仕方ない」と呟いてゆっくり動いた。
「まあ……その、な。とりあえず、横の部屋でちょっと休め。むしろ寝てしまえ」
 子供にするように頭と背をさすりながら、努めて優しげな声出すバラに宥められたなまえはこれまた子供のように素直にこくんと頷いて立ち上がった。若干ふらふらとはしているものの倒れることもなく隣室へと消えて行く。
 見たことのない背中を見送って、彼らははぁと一斉に溜息を吐いた。なんだかとても疲れてしまった。
「……なんなんだよ、あれ」
 互いに顔を見合わせたところで答えなど返ってくるはずもない。



  ***



 さて。あの場のノリで休めとは言ったものの、そうそう時間を無駄にできるわけもなく。結局一時間も経たない内になまえは呼び戻され、テーブルにて厳しい追及を受ける羽目になっていた。
 とはいえ、そこは腐っても海千山千のプロハンターである。
 不意打ちの衝撃さえ乗り越えてしまえば、それなりに構えて流すことは容易いことである。そして再び男たちと向き合うなまえの心境としては、どのみち話しても隠してもろくなことにはならないのなら少しくらい手の内を見せてもいいかなあ……というくらいには調子を取り戻していた。

「じゃあ、お前は《リスキーダイス》に補正はかけられないってわけか?」
「えーと、かけられないっていうか、むしろ相性が悪いんだと思う。実際に昔、三回も『大凶』が出ちゃいましたし」
「マジかよ! よく生きてたなぁ!」
 なんだととゲンスルーが驚きを示す傍らでサブが叫ぶ。

「……そのあたりが多分『幸運』なんですよね。初回なんて、大凶が出ると同時に壊れたスロットの部品が一緒にいた子の頭を貫通しちゃって。角度と部品の形状が悪くて周りの台も次々爆発してちょっと派手な惨状になったものの、まあ、張本人の私としては服が多少の返り血とすすで汚れたくらいで済みましたし」

 二回目も三回目も、その時に親しくしていた人というかちょっと付き合いのあった人たちの方に影響がいっちゃって。それはそれは皆、酷い最期になりまして。だっていくら大凶でも、まさかあんなことになるなんて。確かにまあ私としては知り合いの他界は大凶なんですけどねえ……。
 そう言って口を濁す女に、男たちは開いた口が塞がらない。

「一応聞いてやる。そのラッキー……チッ、長いな。その名が全くの贋物じゃないってことなら、他にどんな『幸運』を呼んだんだ?」
「そうですねぇ。まあ、ささやかなところでは茶柱が良く立ったり、車に乗っていると信号に引っかからず進めることが多かったり、ですかね」
「使えねぇな」
「あとはまあ、大まかに言えば、私が今も生きていることですかねー」
「……」
「こらゲン、そう睨むなって。落ち着けって。……えーとなまえ、どういう意味かな」

 苛立ったゲンスルーが視線を鋭くするのに気がついて、すかさずフォローとケアに徹するバラの口調は先ほどのなまえの暴走を意識してか随分と優しい。
「絶対死ぬんじゃないか、そろそろ殺されるんじゃないか、って思ったことは数多いですけれどそれでも今も五体満足で生きてますからねぇ。それって素晴らしいことですよ」

 そう言ってなまえは、懐かしそうに過去を振り返った。
 あくまで軽く、時に笑みさえ交えて語るくせに、その内容はどうにも血なまぐさくて堪らない。

 遭遇した銀行強盗が錯乱して打った弾が自分の真横の人間たちに当たったこと。乗っていた豪華客船が氷山に当たって沈没する中、間一髪でボートに乗れたこと。"幸運"の名に興味を持った史上最悪の盗賊団の標的になった際に切り刻まれ刺され打たれの拷問一直線の筈が、"運よく"爪を何枚か剥がされただけで済んだこと。歩いていると突如道沿いのビルが倒壊し、鉄の杭が体を貫通したものの治癒を得意とする念能力者が居合わせたため傷が残らなかったこと。バスで不意に寄り掛かった扉が外れて外に投げ出されたものの、後にそのバスが事故により崖下で炎上し、結果的には難を逃れたのだと知ったということ。

「……ああ、あと、G.Iでもこうして"爆弾魔"に狙われて捕まったものの、今日も生かしてもらってますし? 更に言うと、散々PKに狙われて来た割には目立った被害も受けていないですし。ああ、でもこれは、幸運というよりはゲンスルーのおかげですが」
 無論、最後の一つはゲンスルーを使ってのPK潰しという立派な策略の結果なのだが。
 他にもいっぱいあるんですけどと茶柱どころでは足りない幸運を飄々と語るなまえに集まる眼差しは複雑な色をしていた。

 三人の思考は一つである。
 言いたい。言ってしまいたい。
 しかし、その一言を言っていいものか。

 そんな共通の戸惑いの中、勇気と自棄を盛大に発揮してサブが切り込んだ。
「お前、それって別に運が良いとは言わなくねぇか。つーか、むしろ悪くねぇか」
「……え」
「少なくとも、襲われたり殺されかけたり死にかけたりする日常な時点で、別に幸運じゃねぇだろ。つーか、強盗だの船の沈没だのバス事故だのそうそう遭遇しねぇよ」
「あー、まあ、確かにそういう考え方も出来るんですよねぇ。ただ、それを言われちゃえば私のセールスポイントが台無しなわけで……ね? だからせいぜい差し引きで言えば『五枚花弁』止まりなんですよ」

 ほら、結局のところは大したものじゃないでしょう。曖昧に笑って肩を竦めるなまえにゲンスルーが憮然とした態度を崩さず吐き捨てる。

「次は、どれだけ泣きついてこようが助けてやらねぇからな」
「え、それは困ります! ゲンスルーが居なかったら私、もう四回は死んでますもん」

 妙な自信で言い切るなまえにあーあと再び大きな溜息で応えたゲンスルーは、すっかり濁った目で天を仰いだ。

「あー、使えねぇ。本当に使えねぇ。改めて確認するが、お前がカジノで稼げる可能性はどれくらいだ」
「まあ、普通の人より少し低いくらいじゃないですかねぇ」
「……むしろ低いのかよ。つくづくロクでもねぇな」
「そもそも、稼げる自信があるのなら最初からずっとここに居座ってますって。それよりずっと稼げるから暇さえあれば森林や岩場でモンスター狩りをしているわけですよ?」

 それは、らしいと言えばあまりになまえらしい物言いだった。
 会話を続けることすら億劫になったゲンスルーが両隣りへと視線を移す。

「なあ、オレもう疲れた。もういい。今ある金で"限定"回してさっさと出ようぜ」
「おいゲン、ここで投げるなって。な、ほら、せっかくのチャンスなんだし、"限定"やる前に多少は増やさねーと……」
「そうそう。せめてこの部屋の分くらいは稼いで出ないと勿体ねーだろうが」

 見るからにやる気を失った男と、それをなだめる男たち。
 自分の話題が済んだからと今はただのんきに眺めているだけの女は、先ほどから嘘は言っていないが包み隠さず話すこともしていなかった。

 報酬を渋った挙げ句に情報の口外を恐れて口を封じようとしてきた男たちが強盗の弾に当たって絶命したことや、沈んだ船が愛好家たちによる生体販売と実演の殺人ショーが売りという血と狂気に溢れたクルーズ中であったり、バスの乗客が全員、叩くどころか撫でても埃が出るような人間であったりしたことなどは開示の必要がない事実だった。能力目当てにはるばるやって来た例の窃盗団にすら、見逃されたのではない。見限られたのだ。
 この特性が念能力によるものかそうでないか、それすら見極めることなく彼らは手を引いた。例えそれが念能力によるものだとして、盗めたところで──盗んだところで、戯れで本人以外の全て牙を剥くような、制御不能な能力など要らないと。
 殺すどころか損なうことすら面倒だから仕方なく生かすが、金輪際、未来永劫関わりたくないと言い残して去られたのは"幸運"ではあったが苦い記憶でもあった。



 教え子が纏う"幸運"を、聞こえ良くラッキーライラックと名付けた張本人ですら、後になるとそんなに可愛いらしいものではなかったなと取り下げた程の暴君。



 日常には、ささやかなトラブルと愉悦と刺激を誘引し、退屈を払う程度の"幸運"を。
 窮地には、肉体と精神の存続を最優先とし、幾多の犠牲も顧みない貪婪な"幸運"を。

 身勝手で傲慢で暴力的な"幸運"に愛されて、なまえは今日も笑っている。



(2014.03.09)
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