■ 彼女と日常

「おなかすいた……」

 何時ものようにシュウの部屋に来て、お馴染みの椅子の上に陣取るとその背を抱く様に座っていたなまえがふと呟く。
 しかし程度の差はあれ日に何度かは聞く台詞なので、シュウはまたかと思うだけだった。最近ではもう目をやりもしない。
 まあ、お互いにいつものことである。

 そんなお馴染みの時間の中で、きっかけを作ったのはシュウだった。

「……チッ」
 書類を退けようとして感じた痛みに、反射で舌打ちをする。
 紙で指先切ることは、稀なことではないが何度やっても面白くは無いものである。しかも、今回は意外と深かった。徐々に滲み始める赤い線で他の紙まで汚しては堪らない。
 作業を中断しようとシュウが顔をあげると、真横になまえの顔があった。至近距離にも関わらず、全く気配を感じさせないとは。さすが魔物ということだろうか。
「なん……っ!?」
 なんだとシュウが訊ねる終わる前に、なまえは素早く動き、その傷付いた手をとって……血の滲む指先に舌を這わせ始めた。

 椅子に座った男の高さに合わせようとすれば、なまえの体勢は自然とシュウの足元に跪くようなものになる。夢中で口を寄せるなまえは、自分がどんな風に見えるのかまで意識していないらしい。
 たかが指先の傷。当然ながら出血などすぐに止まるし、傷口から溢れる血の量も無いに等しい。それでも、なまえはいつまでもシュウを離さなかった。傷口だけでなく、いつしか恍惚とした表情で指全体にまで執拗に舌を這わし、吸い、甘噛みの愛撫を与えようとする。
 それはもっともっとと血を欲しがるようでもあり、指自体を味わうようでもあり、何か別のモノを愛撫する姿を彷彿とさせるものだった。

「おいっ、こらっ……なまえっ!」

 突然の事態に混乱しつつも静止を訴えるシュウに、やがてしぶしぶという様子で顔を上げたなまえだったが……ふわりと夢見心地だったその焦点が、目の前のシュウに合った瞬間に大きく息が呑まれた。
 
「えっと、今更そんな反応しなくても……。指舐めさせたり咥えさせたり、いつも結構させてるくせに……って思うんだけど。あれ。え、なんでそんな…………ごめん」

 真っ赤に染まったシュウがいたたまれず、けれどこのままでもいられず、とりあえずこの場を取り繕うために喋り出したなまえだったが、声に出せない想いの分まで雄弁に語る瞳にぎりりと睨まれて口を噤んだ。
 そんな真っ赤な顔で睨まないでよー。可愛いなあもうー。
 などという思考を素直に顔に表すと怒られることはわかりきっている。身悶えしそうな内心を押し隠して、それでもどうしても言いたくなった一言だけを彼女は口にした。

「構えてたら完璧なのに、意外と不意打ちに弱いわよね」

 何を言っても分の悪さが変わらないシュウは、うるさいと一言返すのがやっとだった。


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(2014.05.22)(なんだかんだ言っても、この人って25歳なんだよな……と。不意打ちの色事は意外と苦手で、つい初心な反応をしちゃったら可愛いと思います)
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