■ 邂逅の舌打ち

「え、ちょっと待ってって。確かに私は有能で優秀だけど、あくまで私は貴方の盾であり剣であって、こうやたらに傍を離れるのは……」
「言っただろう。エルネスタたちには頼めないのだと。この状況で動くには、お前が適任だ」
「……そうだろうけどさぁ。でも、こないだもお使いしたよね?」
「なまえ」
「……はーい。じゃあ、せめて今夜は思う存分ご馳走してよね」
「なまえ、事態は急を要する」
「……うへーい。まったく人使い荒いなぁ……あ、ならうんと妥協して、行ってきますのちゅーくらいはしてくれるよね?」

 やはりと言うべきか「行ってきますのちゅー」なんて可愛いものでは済まなかったが、それでも口付け一つでなまえは大人しく出て行った。
 一人きりになった部屋で、シュウは機嫌よく鼻を鳴らす。
 通常ならば、腕利の兵を向かわせても十日程は覚悟しなくてはいけない事案だ。けれど人外の彼女ならば、五日もあればカタを付けられるだろう。戦闘能力も交渉技術も並以上なことに加え、単身で動かせるという身軽さも兼ね備えている彼女は、正直なところ便利なことこの上ない。
 同盟軍の頭脳という立場上、用心するに越したことはないとはいえ基本的に本拠地という場所"安全"である。こんな環境で軍師の警護だけをやらせるには惜しい存在だとシュウはシュウなりになまえを評価していた。故に今回のことも前回までのことも全ては彼女を"使い倒す"ための采配だった。

「……だが、確かに少しばかり遣いに出し過ぎか。仕方がない、これが終われば少しは労ってやるか」

 門番に手を振るなまえの姿を窓の外に認めたシュウが浮かべた笑みは、当人ですら意図しないほどに柔らかなものになっれいたのだが……生憎それを見る者はこの場には居なかった。



  ***



 そんなこんなで、なまえが城を離れて三日目の夜。
 さあまだまだ夜は長いし書類も多いと腕まくりをしたシュウの耳に、ゴンと配慮も遠慮も何もないひたすらに不遜なノックが届いた。

 誰だと問えば、ノック以上に不遜な声が「わらわじゃ」と告げる。
 日々クラウス限定で繰り出されている鈴の音は、勿論今は微塵も感じられない。面倒を感知したシュウの眉間の皺がまた一段と深くなった。

「これはこれは、こんな時間にどうされましたかな」
「ふん。やはり起きておったか……アレの言うたとおりじゃの。なぁに、そう嫌そうにするな。若造にひとつ忠告をしてやろうと来てやっただけじゃ」
 アレと言うのがこの吸血鬼の友人だということは明白で、その口ぶりからして忠告というのも彼女に対してなのだろうと見当が付く。
「わらわが少しばかり微睡んでおった間に、またアレになんぞを命じよったな。おんしは確かに聡くはあるが、同時に度し難い愚か者じゃの」
「……立ち話も何ですから、おかけになりませんか」
 この"高貴なる夜の眷属"を部屋に招き入れる事態を避けたい気は激しくするものの、他に適している場も見つけられず仕方なく椅子を進める。
 なにせ、静かな夜はただでさえ声がよく通る。その上こうも暗くては、どこで誰が聞いているかもわからない。そんなシュウの腐心も用心も当然わかっているという顔をした上で、吸血鬼はケラケラと笑った。

「よいのかえ、こんな夜更けに女を連れ込みなんぞして。アレが知ったら……さぞ見ものであろうのぉ」
「そういったお話でしたら、即刻お帰りいただきたいのですが」
「ああまったく。わらわの可愛いクラウス殿とは大違いな可愛げのなさじゃの。つくづく、アレの趣味は理解できぬわ」

 やれやれとオーバー気味に肩をすくめてみせた吸血鬼は、見た目だけなら絶世の美少女である。その仕草もそれはもう大変にさまになっていた。しかし残念ながらシュウには少女相手に胸をときめかす趣味はなかったし、何よりも数百年生きている吸血鬼という前提が心の深くまで根付いているので至近距離で何が行われようとも一匙の感慨も湧かない。
 よって、シエラによる若造扱いにも腹を立てる部分などなかったのだが、しかしこうして一向に本題に入ろうとしないことに対しては少しだけ眉をしかめた。けれども痺れを切らしたシュウがそれを言葉にする前に、おちょくりのつもりかと疑いたくなる程の絶妙さで吸血鬼が口を開いたのだった。

「釣った魚に餌をやらぬというのは、ひとの男には定番の悪癖じゃが……おんしも、アレに餌をやっとらんじゃろう」

 餌というのが男女間のソレ、つまり恋人への甘やかな気遣いの類なのか、それともこの場合は彼女の"食事"のことなのか。考えるまでもなく"食事"と受け取ったシュウが、「定期的に吸われていますが」と答えればシエラはいよいよ呆れた目で「ああ、度し難い」と呟いた。
「あれっぽっちで足りておると本当に思っておるのなら、めでたい頭じゃ。わらわが見る限り、アレは常に腹を空かせておる」
 喰らいたい分も喰らえず、挙句ろくに蓄えもせず、喰った端からおんしの為に振るっておる……アレもまた度し難い阿呆じゃからの。その声にどうにもやりきれない憐憫を感じ取ったシュウは、思わず言葉をなくして美しき始祖の顔を凝視した。
「満足に喰わせもせず、外へやっては断食までも強要するとは、たとえ畜生相手でも許されぬ所業じゃが……まあ、平気な振りで尾を振るアレにも非はあるからの」
 じゃからこれは、慈愛に満ちたわらわからの忠告なのじゃ。黙ったままのシュウを前に、シエラはつまらなそうに口を動かす。

「おんしも薄々は勘付いておろう。本来、アレにつまらぬ制約なんぞ必要ないのじゃ」

 アレがおんしを愛でるのも、アレがおんしに膝をつくのも、所詮はただの気紛れに過ぎぬ。
 数百年を生きた夜の眷属の、二つの真っ赤な瞳がシュウを捉えた。みるみる重く苦しく変化していく室内の空気は、もはや指先ひとつ動かせないシュウの脳裏にある既視感を呼び起こす。それはつまり、初めてなまえが自身の正体を晒したあの夜。普段のおちゃらけた雰囲気が嘘のような、あの時の彼女が発した重圧によく似ているのだ。ただし、今の方がずっと酷い。

「今アレが傍に"ある"ということが如何に得難いことなのか、今一度考えてみるがよい」

 見下ろすことに慣れた眼差しは、シュウの知るどの権力者や貴族のそれとも違っていた。
 ひとりの人間が持つ生とは比べ様もない程の寿命を持ち、悲劇も喜劇も見通してきたような瞳が、侵し難い高貴さでシュウを射抜く。ただ向き合っているだけなのに、シュウの背にはひやりと汗が流れ落ちた。理屈ではないところで、畏れを感じることを止められない。
 しかし言うだけ言って気が済んだのか、少女は呆気ないほど簡単に威厳をかなぐり捨てた。高圧的な言葉の代わりに唇が次に吐き出したのは小さな欠伸だった。ふわぁと、たったそれだけ。けれどその行動により、一瞬で部屋に充満していた重苦しい圧力が消え去る。

「ただでさえ、乙女心は"でりけーと"なのじゃ。捨てられても知らぬぞ」
「……これはこれは、ご忠告痛み入ります」

 ……ふわぁ。ああ、眠くてかなわぬ。そろそろ寝床にもどるとするかの。
 ねむねむと瞼を擦りまるでただの愛らしい少女のように振る舞う吸血鬼の姿に、シュウは今宵の悪夢が終幕を迎えたことを実感しやっとの思いでふうと息を吐き出す。何もかもがシエラのペースで進み続けたことは疑いようもない事実であり、自身の未熟さを痛感する。同時に彼女たちが日頃いかに好意的でいかに人間に寄り添った振る舞いをしているのかを改めて思い知らされもした。今一度深く腰を折り、去り行く彼女に向かって最後の声をかける。
「おやすみなさいませ」
 小さな肩が、扉の向こうに消える直前にああそうじゃと振り返った──これは、"おまけ"じゃ。

「おんしは、根を詰め過ぎるきらいがあるからの……アレが居ない今、無様に倒れたくなければとっとと眠るがよい。わらわは、アレのようにおんしの眠りまではよう面倒看んからの」



(2015.04.08)(タイトル:亡霊)
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