■ 爪先立ちの夜を越えて

「ただいまー……って言ったって、まあどうせ聞いてくれる相手なんて居ないよねー。分かってんだけどねー」

 日暮れからもう何時間も経ち、すっかり闇に包まれた城内をふらふら歩く。
 なにせこんな時間だ。疲れた身体を癒す風呂は閉まっているし、可愛い盟主の姿もないし、レオナの酒場だって営業終了。すっかり夜型生活を改めてしまったシエラ様も当然寝ているだろう。疲労困憊で帰ってきたところで、私を労ってくれるのは夜番の兵士たちしかいない。

 あー疲れたー、とまたも盛大に疲労を吐き出す。一仕事終えてなんとかこうして今夜中に戻った訳だけれど、どうせ報告する時間は変わらず明日の午前にしかならない。きっと、日が昇って出会う顔出会う顔に「朝焼けを待ってもよかったんじゃ……」と呆れ調子で言われるだろうことなど予想の内だ。
 それでも、それでも……。


  ***


 ふらふらふらふら。
 見咎められる心配もないなら、もはや威勢も虚勢も必要無い。疲れ切った身体を隠しもしない体たらくさで廊下を歩ききった私は、部屋に辿り着くなりへなへなと崩れ落ちた。
「ダメだ。ほんと、もう限界……」
 けれどこうして崩れ落ちていても何も解決しないので、なけなしの力を振り絞って装備に手をかける。

 どうしてこの身体がここまで疲れ切っているのか、そんな理由は自分が一番よく知っている。
 例えばそう……燃え盛る炎に新たな薪をくべなかったら、その後どうなるでしょう? 答えは簡単。やがて火が消えるだけ。
 つまり補給もろくに出来ていない状況なのに、私という頑張り屋は無駄にいい格好して、山越えの仕事なんて受けちゃったのですよ。挙句、もちろんそこで手を抜くわけにもいかないから自分の限界も顧みずに抜群の働きをしちゃった、という大馬鹿なのですよ、私は。

 そんなことを考えていると、情けないやら悲しいやらな気分になってしまいついには鼻の奥がツンとしてきた。
「あーうー、足りない。足りないよぉ。お腹空いたよぉ」
 歩くのもやっとなのに、涙を流すという行為で更に疲労を煽るなんて、弱体化している時の私って本当に頭が足りない。……例えばそんな風に、普段の私なら一笑して終わりなのに生憎今日の私にそんな余裕は微塵もない。ただただ、求めて止まない味を思い出しながら空腹を憐れみ、ごくりと唾を飲み込むだけだ。

「ううぅ、どうしよっかなー……鍵開けくらいは出来るかなぁ……」

 起こさないように、静かに入って、そしてちょっとだけ……ちょっとだけ、食べさせてもらって……。
 愛しい軍師の寝顔を思い描けば、口元は自然と笑みの形に歪む。けれど、ああ無理だと即座に首を振る。思い付いては、否定する。考えては、打ち消す。諦めた振りで、けれどまた期待する。帰ってくるよりずっと前から、何度も何度も繰り返してきた堂々巡りの思考だった。

 夜遅くに帰ったって、出迎えてくれる人がいないことなど最初から分かりきっていた。それは勿論、かの仕事中毒な軍師も例外ではなく(……というか、私が不在な時くらい自分でちゃんと休んでくれないと困る)。
 ──そうだ。出迎えなんて、なくていい。
 ただ、寝ているシュウの部屋の前で、いつものように眠りを深める術をかけて、開錠の呪文を唱えて、そして側まで行きたいだけだ。眠っている彼の頬や髪に静かに口付けて、決して起きない寝顔を見つめて、そしていつもよりちょっと多めに食べさせてもらって、そのあと回復をかけて。
 何も難しくない。いつもどおりの大事な大事な夜の逢瀬に、ちょっとだけ増した食欲が足されるだけ。

 けれど、やる気満々の私が朝焼けの下で描いた甘い予定は、昼過ぎにはただの空想に姿を変えていた。
 聡明で有能なこの私は、今日の自分に余力なんてものが全く残らないだろうという事実に、早々に気付いてしまったのだ。そして、案の定この有様である。歩くのもやっとで、"深き眠り"と"開錠"という単純な呪文すら使えない程に疲弊している。
 運が良くて、一度の"開錠"。けれど、部屋に入れたとして、その後はどうすればいい?
 シュウを起こすようでは──疲れた顔を見られてしまうようでは、そもそもの意味がない。というか、普通に叩き出される気がする。けれど、ひょっとしたら。気配にも気付かない程に寝入っているかもしれない……いや。用心を知る彼に限って、そんな無防備で居る筈がない。
 そんな風に悶々としながらも、それでも諦めきれなくてこうして帰って来た私。草や土のにおいが染み付いた服から着替えるために、こうして腕をあげる私。
 なんて滑稽だろうと苦笑しながら、涙も汚れも全部拭き取る為に鏡を欲して棚へと近寄り……そこでふと、机の上に見慣れないものが置いてあることに気が付いた。

「え、私片付けて出たよね……って……うそ」

 いつもの元気があれば、きっと目を見開いて「ええ!?」と時間も考えずに叫んでいただろう。それくらいに衝撃的だった。上にかかった白い紙を退ければ、そこにはコップに注がれた赤い液体とおにぎりが二つ。そして、よく見慣れた筆致でメモが一枚。

「これって……。まさかシュウってば、私が戻るって知って……?」


 それからの私は、実に素早かった。
 真っ赤な"トマトジュース"と"あまえびピラフ"のおにぎりは、疲れた身にはとても美味しかったし元気も出たけど、勿論この私を真に満たすものではない。
 いざ歩き出せば、気持ちだけは一直線だけれどやはり身体が追いつかない。限界を超えたふらふらの千鳥足が、夢見心地の私の身体を運んでいく。起こしてしまうかもしれない。疲れた顔は見せたくない。疲れた顔もさせたくない。けれど、それでも、あんな風に迎えてもらったら。
 今夜帰るかどうかも分からない相手のために用意された軽食も、添えられた無愛想なメモも、私の知っている私に対しての扱いではない。だって私は彼が慈しむエルネスタでもその縁者でもなければ、打算に基づいての気遣いアピールすらもまるで不要な立ち位置にいる。にも関わらず、シュウが。あの、シュウが。私を、待っていると伝えてくれたのだ。


「『ご苦労。足りなければ、来い。開いている』ね……。まさか本当に鍵が開いてたら、さすがに不用心だって怒らなきゃ」


 でも、その前に。
 ありがとうって言って、ただいまって言って、大好きって言って……ああ、どうしよう幸せだ。朝を待たずに声をかけても、許されるのだろうか。



(2015.04.07)(タイトル:亡霊)
(トマトジュース/60回復 あまえびピラフ/500回復 )
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