■ 療養中

ビクトールが怪我をした。

「大事に至らず済んだが、あと数日は安静に」
 ホウアンの指示により活動範囲をほぼ自室に限定されたビクトールは、当然ながら早々に暇を持て余していた。ともすれば逃げ出そうとする彼につけられた看病役、もとい監視役は、これまた当然ながら恋人のなまえである。
 決定を聞いたフリックが大真面目に「いや、なまえに悪いだろう。こいつの面倒は俺が診るから大丈夫だ」などと言って場を凍りつかせ、ナナミに連れていかれるという一幕があったように……実はこの采配はビクトールへの慰安という意味合いが大きい。

「わりぃな、なまえ。下手こいちまった」
 二人きりの部屋の中で、気まずそうにビクトールは言った。なまえはというと、横になった彼の首に抱きつくように倒れこみ顔を埋めたきり動かない。
「……なまえ?」
 ぽんぽんと肩を叩くと、ようやく小さな愛らしい声が「馬鹿」と耳をくすぐった。
 常日頃から心配をかけているという自覚はあるが、ビクトールとて今更性分は変えられない。なまえもそれを承知しているからこそ、剣を振るう彼を心配はしても咎めたりはしなかった。

 謝るのも違うようで、かといって何を言うべきかもわからなくて、ビクトールは黙ったままのなまえの背をただただ何度も撫でた。やがて、折り合いがついたらしいなまえは頭を起こすと今度は包帯だけのビクトールの上半身をまじまじと観察しはじめた。あちこちに残る傷痕は大小様々で、彼の戦歴をこれでもかと物語っている。そうこうしているうちに、こんなに明るい部屋で冷静にビクトールの身体を見たのは初めてかもとなまえは気が付いた。

「凄い身体。そうだよね、傭兵してたんだよね……」
「わりぃな。見て気持ちいいもんじゃないよな」

 なんか羽織るもの……と体を起こそうとするビクトールの動きを仕草で封じた彼女はそのまま傷痕の一つに口付けた。
「本当に、気持ちいいもんじゃないわね。貴方にこんな傷を残した奴らが羨ましい。ああもう、腹がたって仕方ないわ」
 その時傍に居なかった自分が悔しい。"いやしの風"も"切り裂き"も、いくらでも使ったのに。そんな風に続けるなまえの手には風の紋章が宿っている。
「全部の傷を、私で上書きしたいくらいだわ」
 言うついでに胸の傷痕に歯をたてるのだから、さすがのビノールトも抗議を飲み込めなかった。
「ったく、お前は俺をどうしたいんだっての」
「勿論、愛して守って、そんな貴方に愛されたいのよ」

 迷いもなくそう言い切り、続けて残りの傷痕にも愛撫を加えていくなまえにさすがのビノールトも舌を巻かずにはいられなかった。
 やばいな……とビノールトは苦笑する。酒場で会う女を始め、傷痕に引かない女というのは初めてではない。つまり、出会う場所によっては珍しいわけでもないのだ。だが、上書きしたいとか、こんな屈強な傭兵を相手に"守りたい"とか、こうも露骨に嫉妬や執着を見せられた試しはそうはない。
 どちらかと言うと、そういうのは俺のセリフだと思うんだがな……。などと思っているうちにますますなまえの愛撫には熱が込められて、そうこうしている間に度を超えたものへと変化しつつある。
 おいおい、こいつ何処までわかってやってるんだ!?

「ちょ、なっ、待て。少し待て」
 唇を滑らせあちこちに甘噛みを続けるなまえの肩に手を置いて無理やり止めると、きょとんと見つめ返された。
「ん?」
 何か問題でも?というような視線を受け、ビクトールはますます弱ってしまう。ビクトールが言わんとすることを恐らくわかっているだろうに悟ろうとする気を見せないなまえを宥めるように、自分はこれでも怪我人なので、そんなに刺激しないでもらいたいと懇切丁寧に訴える。期待された働きができないかもしれないので、という情けない気後れは……言わなくても伝わっただろう。
 けれども、なまえはにっこりと笑って言うのだった。

「だから、あなたは寝てればいいの。シュウとホウアン先生にもしっかり言われてるし大丈夫。私がたっぷり癒してあげるわ」



 ちなみに。
「ハーイ、ハイヨーから特製療養食の差し入れなのヨー」
 そう言って見舞いに来た凄腕料理人が手渡したのは……これぞという精力メニューだったという。



(2013)
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