■ 再会は待ち伏せによって

 また、暫くこの辺りには近づけないな。
 さてどうしようかな。せっかくなら遠くに行こうかな。久しぶりに群島諸国を散策してみるのもいいかもしれない。
 なんて考えながら進んでいた足は、視界に飛び込んだ異物により重く硬く地に縫い付けられた。

「な、んで」

 突如目の前に現れたのは、黒い鎧だった。
 顔は見えないけれども、金の髪が木漏れ日にキラキラと輝いている。
 心臓が、早鐘を打つ。汗が噴き出す。足が震える。なぜと再び問うた声は、まともに出なかった。

 だってここは、メインの街道からは随分と外れた山中の小道だ。偶然通りがかるなんて、それこそありえない。

「随分な反応だな。戦場でやった奴らにお前の匂いを感じて、こうしてわざわざ出向いてやったというのに」

 憮然と返された声は記憶のままで、これまでの時間も距離も幻だったのではと錯覚しそうになる。それくらいに、この男の言葉には決別の瞬間に対する遺恨も、離れていた時間に対する感慨も、読み取れなかった。

「聞いたぞ。同盟軍に居るそうじゃないか。奇遇なことに、今回俺はハイランドにつくことにしてな」
「し、知ってるわよ。ていうか、同盟軍はもう抜けたの。抜けたから、次、どこ行こうかなって、こんなところを歩いてるわけで……」

 ドキドキする。クラクラする。ほぼ百年ぶりとは思えない男の態度に、どう返すか考えるだけで精一杯だ。

「ほう。虫けら共と群れるのは止めたのか? ならば、丁度いいな。よし、俺と共に来い」
「え……い、いや、さすがにそれは」
「なぜだ。……ああそうか、お前は知らないのだな。恐れなくても、あいつらはもういない。ウィンディは数年前に滅んだし、あの吸血鬼も今はどこかに籠っているからな。ほら、どうだ。もうお前を脅かす者はいない。何も問題ないだろう」

 にこりともせずに、黒騎士は一歩二歩と近づいてくる。
 こんな喋り方をする男だったろうか。記憶の中の男は、もっと饒舌で、なめらかで、もう少し"人"のようだったのに。動けずにいる私のもとまで来た男は、何も返さない私を訝しんで覗き込んできた。その素振りにようやく感情らしい感情が読み取れてほっとすると同時に、至近距離で見てしまった赤と銀の瞳にぞくりと身体の芯が疼く。
「どうした……ああ、なるほど。お前は弱っているのか」
 蛇の目が、見透かすように輝いた。
「いいだろう、まずは食事をさせてやろう」
 返事をする間もなく、甲冑の腕に捕らえられ──唇を重ねられた。
 柔らかな舌が唇をなぞり、咥内に侵入し、歯茎をなぞり上あごを撫でていく。堪らなくなって自身の舌を沿わせれば、すかさず絡めとられて翻弄される。長く深い口づけと共に、男から流れ込んでくるものが私を満たしていくのがわかる。
 けれど。力が漲る喜びに震えると同時に、そのあまりの甘美さと馴染みの良さに忘れていた恐怖までもが戻ってくる。あまりに具合が良すぎる"これ"に慣れてしまったら、もう他のエサをなどと考えられなくなるのでは。急激に浸食され変容させられ、麻薬の様に蝕まれ、これなしでは生きられなくなるのでは。脳裏に、今更ながらのように警告音が鳴り響く。

「んっ、ちょっと、激しすぎっ」
「……なんだ、もういいのか?」

 押し付けられた身体に必死で手をついて男の意識を逸らせ、許された隙間で訴えると、意外とあっさり解放された。だというのに。離れていく唇を名残惜しく思う自分の無意識に、数秒遅れて気がついてまた怖くなる。
「あれだけ貪っておいて、今更震えるのか。本当にお前は、変わらないな」
 頭上で声がするものの、崩れ落ちてしまった私にはその顔がどんなものかはわからない。

「お前はよく、そうして怯えていたなあ。貪欲に欲しがるくせに、ことが終わると恐怖に押し潰されそうな顔をして……そうだ、あれは見ものだった……」
 ぐいと腕を掴まれる。されるがままに引き上げられ、ふらついた身体を男が抱きとめた。
「な、に……?」
「気が変わった。今すぐやらせろ」
 お前も、口からだけでは物足りないだろう?
 そう言って、手ごろな場所を探すように木々の合間を見つめる男が冗談を言っていないのは明白だった。色々な意味で不味さしか感じない。これでも長くヒトの世で生きてきた身なので、それなりに常識も備わっているわけで。先ほどまでとは別の焦りに、のしかかっていた恐怖も不安もあっさりと吹き飛ぶ。
「ちょ、ちょっと待って。ほら、ずっと歩いて汗かいてるし、そっちもそんな格好だし、ね。こんなところでなんてほら、やっぱりどうかと思うし、その、とりあえずもう少し行ったら宿がある筈だし……」
「お前な……まあいい。そこまで言うのならば、もう暫く付き合ってやる。お前の希望通り、その宿で散々喰わせてやろう」
 しどろもどろの私をひょいと抱き上げて、そのまま男は下山を開始した。
 さすが人外、俊足だ。流れていく景色を見ながら、私は早々に諦め始めていた。先ほどの自分の発言がいかに不覚を取ったものか後悔するも遅過ぎる。

 ポーズだけの拒絶すら、出来やしない。
 この男が与える暴力的な程の快楽と精気を、この身体は拒めないのだ。



(2014.02.17)
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