■ 再会は新たなる門出 宿に着いて、先に進む男と別れて風呂を借り、部屋に入って──それからどうなったのか、詳しくは覚えていない。 散々に啼かされて満たされて楽しんで楽しませたことは確かなのだろうけど、最中の記憶など目を覚ませばあっさり零れ落ちていく。もっとも、記憶などなくても……この身体が、その時間の素晴らしさを十二分に教えてくれるのだけれど。 山中での口付けだけで随分と調子を良くした私の身体は、本格的な営みを終えた今では絶好調まで跳ね上がっていた。 全身に力が満ちている。身体が軽い。視界も明るく、広い。気分は無敵だ。今戦ったらどんな手抜きの一撃も、絶好調のクリティカルヒットになるだろう。だが、忘れてはならないのは……これをもたらしたものが先ほどまでの行為だということだ。たった一日抱かれただけで、たった一回味わっただけで、この変化か。 他の人間相手でも、亜人相手でも、こうはいかないだろう。 数百年生きてきて、これほど糧になる存在は、この男だけだ。 ……怖い。 かつて、出逢ってしまったことに恐怖した。 そして、なんとか離れられて……それでも生きていける自分に安堵した。 けれど、またこうして男は私の目の前に現れた──。 「素に戻ったかと思えば、さっそく怯えるのか」 変わらんなと声をかけたのは、窓辺に立っている男だった。 「ユーバー……」 「いや、変わっているか。幾らか覚えのない癖がついているな」 向けられる視線に感情の色は無いのに、責められていると思うのは自意識過剰だろうか。 「だって、最後に会ったのってもう百年も前よ。そりゃ、多少は色々あったんだから」 「フン。だろうな。お前は一人では生きられない」 嘲るように言い捨てられて、傷付かない筈のこの心が僅かに軋んだ……気がした。 「さあ、支度を整えて出るぞ。日暮れまでに戻らないと、連中が煩いからな」 外していた鎧に手をかける動作と、投げかけられた言葉にはっとする。ああそうだ。共に来いと言われたのだった。そう思い出して、言いそびれていた答えを慌てて告げる。 「あの、それについてなんだけど……やっぱり、私はハイランドには行けないよ」 「なぜだ。先ほども言っただろうが。もうお前を虐げる奴はいないぞ」 「や、そうじゃなくって。ほら、抜けても一応同盟軍だったわけだし……みんなとは戦いたくない」 「……」 返って来ない言葉の代わりに、纏う空気が不穏なものに変わった。 「ユーバー?」 「俺よりも虫けら共を選ぶというのか?」 ならば今すぐにあいつらを殲滅してくれるわ!と声を荒げた男を慌てて宥める。 「ちょーっとユーバー、落ち着いて。ね」 抱き付いた拍子に、むにっと裸の胸が男に触れる。途端に、溢れていた怒気はあっさりと掻き消えた。男の興味はあっさりと、露骨なまでに明らかに、乳房へと移っていた。むにむにたぷたぷ、ゆすったりつついたり……って、子供かあんたは。 さすがにあれだけした後なので"そういう"気にはならないらしく、ただのおもちゃのように扱われている。まあ、この方が話しやすくていいのだけれど。 「あとね、ハイランドってほら、あのルカが居るじゃない……あれ、なんか怖いしね」 ふむ、とユーバーが考える素振りを見せた。 手は相変わらずむにむにと遊んでいる。 「確かに、あいつはお前を気に入りそうだな。……うむ、それは駄目だ。あれは人間なのが惜しいほどの極地に居るからな。お前が痛めつけられては困る」 こいつは何を言っているんだろう。気に入ると痛めつけるが、一体どこをどうしたらイコールで結ばれるのか私にはわからない。 「いや、だが、あの男はもうすぐ死ぬぞ。……いや、後継の方もこいつを気に入るか? あれもなかなかに歪みを内包しているからな……。いや、だがそうなると。連れて行ったところでどの道、こいつが逃げてしまうわけで……」 ぶつぶつと呟き続ける男に私と会話をしようという気はないらしい。 仕方がないからしばらく放っておくと、やがてぱっと顔を輝かせて口を開いた。 「よし。連れ帰って、逃げないように繋いでおくか!」 ──バシッ。 反射的に振りかぶった枕が男に当たってぼとりと落ちた。 *** 「ていうか、なによ。なんでそんなに、あんたの傍って歪んだ奴が多いわけ!?」 「いや、どちらかというとお前の性質に問題が……いや、やめておこう。しかし、ならばどうしたものか。足を潰して退路を断ってみたところで、俺が世話をするのでは割に合わんぞ」 ああもう嫌だこの血と混沌は。駄目だ駄目だ。放ってくと暴走する。しかも、この場合の被害者は私だ。 足を潰されるとか、冗談でも嫌だ。そして多分、冗談ではなく本気で、この男はやってしまう。そういうやつだと私は知っている。 「待って待って。ユーバーはさ、ハイランドに連れて行っても私がそのうち逃げると思うのよね?」 「ああ。あの魔女と吸血鬼ほどでは無いだろうが、外道も腹黒も多いからな」 ……別に、百年前だってあいつらが怖くて逃げたんじゃないんだけどなぁ。 「でも、ユーバーは……私を連れて行きたいのよね?」 「当然だ。放っておくと、お前はまた居なくなるだろうからな」 無駄に胸を張って「勿論だ」と答える男は、多分何も考えていない。 なぜそう思うのかとか、なぜ傍に置きたいのかとか、これが、一種の口説きになるとか、おそらく微塵も考えてはいない。けれど、恋情を糧としてきた私はそうはいかない。私にとって……彼のこれは期待してしまうには充分過ぎるほどの言葉と態度だった。 久しぶりに味わった禁断の果実は、やはり禁忌で、抗えないものだったのだ。 「ねえ、じゃあさ、居なくならないのなら、連れて行かなくてもいいのよね?」 きょとんとするユーバーに、提案を重ねる。 「戦争が終わるまでこの辺に居るから、ユーバーの気が済んだら迎えに来てよ」 戦渦から離れたここで、じっとしているから。この戦争が終わったら、一緒に行くから。 「本当に、去ったりしないのだな」 「約束するわ。だって、この戦争が続いたところで……せいぜい数年でしょう?」 クスクスと笑みを浮かべて私は続ける。 「この百年を思えば、あっという間だわ。今更それくらい、お互い何でもないでしょう?」 それならいいかと男が呟くのを聞いて、とりあえず身の安全は図られたと胸を撫で下ろす。 かつては怖れて、逃げた。 けれど、身の震えはもう止まっている。 きっとこの先、また怖くなることはあるのだろう。 逃げたくなる日もあるのだろう。 それでも、幾千幾万の夜を超えて、まだこの男が私への執着を持っているのなら。 変わらず、私にとってこの男が極上のエサであるというのなら。 もう色々諦めて、この人外を選んでしまおう。 (2014.02.17) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |