■ よく分からないときめきの条件

 うわーやっばいなーどうしよっかなーどうしよっかなー

 呪文のように繰り返してみたところで、口にするのが他ならぬわたしなのだから現状に何の変化も望める筈がない。
 特製カレーの詰まったカレーパンも美味しそうだし、ミルククリーム入りふわふわサンドも美味しそうだし、緑が鮮やかなうぐいすパンも美味しそうだし、曜日限定のハム卵サンドも魅力的だ。うーんうーんと唸っている間に最後のチョコパンが消えて、メロンパンも残り僅かとなってしまったのだけれど、それでも今日のお昼をどうするのかが決められずにいた。
 一緒に来た友達は付き合いきれないと先に戻ってしまった。けれど焦るどころか、せかされることがなくなった分むしろじっくり選べてしまって、けれど選んでいるうちに商品は少なくなっていって……ああどうしてこんなことに。いや、そもそもお弁当を忘れてしまったわたしが悪いのだけど。だってお弁当ならこんな風に悩むことにはならなくて……と考えているうちにメロンパンの籠が空になった。
 いけないいけない、今は何を買うか決めることに集中しないと。せっかく授業終了とともに駆け込んだというのに、これでは全く意味がない。

「うわわ、さすがに出遅れちゃったな。あれ、珍しいね苗字さんも購買なんだ」

 のんびりとかけられた声に振り返ると、大きな身体にほんわか笑顔が癒しの八王子くんが立っていた。口を動かしながらも、素早くもう何個かキープしているのだからさすがである。
 今日はお弁当忘れちゃってさ。え、そうなの大変だぁ。それだけのやり取りの間にも、八王子くんの腕の中ではパンのお城が築かれていく。
「すごい。そんなに食べるの!?」
「ああ違う違う。オレだけじゃなくて……って苗字さんこそ確保しとかないと。無くなるよ?」
「あー……うん、そうなんだけど、たまに来たら何にしようか迷いすぎちゃって。ふたつ買っても食べきれないし、でもひとつに絞るとなると難しくて……」
「ああそっか。苗字さんはいつもお弁当箱もちっさいもんね」
「あはは、そりゃ八王子くんたちのに比べたら女子のお弁当箱なんてだいたい小さいって」
 山盛りのパンを抱えて確かにそうだと笑った八王子くんがレジに向かって歩き始めたことで、わたしにまた悩みの時間が訪れる。先ほど以上に種類の少なくなった売り場を見つめながら、こんなことなら即席あみだくじでも作ればよかったなぁと息を吐いた。いつの間にかカレーパンもミルクサンドもなくなってるし……。あーあ残念。
 下がりかけた肩が落ちきってしまう前に、ちょんちょんと感じた刺激に振り返る。
「あ、八王子くん。って、うわー袋パンパンだぁ。こうして見ると本当にすごい量だね」
 振り返ればそこには案の定。八王子くんの手にあるぱんぱんの袋に驚きの視線を注いでいると、こっちこっちと手招かれた。そのまま隅に移動すれば、どれがいい?とにこにこ笑顔が降ってくる。

「ひとつ分でいいんでしょ。なら、ふたつ選んで半分ずつにしたらいいんじゃないかな」

 八王子くんの提案はわたしのちっぽけな悩みをぱぁっと払ってくれる素晴らしさに満ちていたけど、幾らわたしでもこんなにわたしにだけ都合のいい申し出にふたつ返事で甘えるほどバカじゃない。それに、八王子くんはこれはみんなの分だって言っていたじゃないか。"みんな"がいつものあのメンバーだったのなら、これだけ買い込んでも少ないことはあっても多過ぎることはないだろう。

 「気にすんなって。食えりゃいいって奴ばっかだから、半分だろうが1個丸ごとだろうが関係ないから。ああ早く、えーっとカレーパンと……白いやつだっけ。カレーはオレが割るから、苗字さんはこっちをお願い」

 テキパキと差し出されたのはあのミルクサンドだった。一度諦めていたパンを前にしてしまえば、わたしの薄っぺらい遠慮心なんてものは呆気なく霧消する。それじゃあ失礼してとちぎらせてもらったパンを片手にほくほくしていると、半分になったカレーパンを包装ごと握らされた。
「傾けたらこぼれちゃうから。気を付けてね」
「ありがとう、お金は後で払うから! でも、あの……なんで分かったの?」
 確かにどのパンも美味しそうで迷っていたけれど、中でもこのふたつが特別だった。わたしの葛藤をさらっと当てたことといい、"半分こ"という申し出といい、八王子くんってすごい。尊敬するよと見上げると、八王子くんが照れくさそうに顔を赤らめた。
「あー……なんていうか、うちのチビたちも昔そんな感じだったから。"ひとつ"で"ふたつ"って……あ、別に苗字さんが弟たちみたいって言うわけじゃなくて……」
 途端にあわあわし始めた八王子くんに思わず吹き出してしまう。大丈夫、わかってるって。
 そんなやりとりの間にも時計の針は動き続けていて、やがてそれに気が付いた八王子くんは「じゃあまた後で!」と叫んで階段を駆けあがって行った。けれど時間がないのはわたしの方も同じである。
 ひょっとしたら、もうみんな食べ終わっちゃってるかもしれないなぁ。駆けあがりかけて、けれどもわたしはすぐにその足を緩めた。八王子くんに言われたことを思い出したのだ。そう。カレーをこぼしてしまわないように、一段一段、ゆっくりと。



「──ってことがあって、思えばそれから鋭一くんのことが気になり始めて」
「ちょっと待て! なんでその流れでオレになんだよ。おかしいだろうが」
「覚えてないかなー。その日も集まってる中に鋭一くんがいてさぁ……言ったんだよね『このカレーパン具がねぇじゃん!』って」
「……はぁ?」
「そんで結局、やけ食いだァって言って本当にほとんどひとりで食べちゃったでしょ。あの食べっぷりがたまんなくてさぁ」
「……へんな女」



 教室に着いたら案の定そこは食後のお菓子タイム真っ最中だった。ようやく帰ってきたと呆れる友達の横で半分のカレーパンにかじりついていると、窓の方からおいおいおいおい!!!とひときわ大きな声が聞こえてきた。わざわざ確かめるまでもなく、今日もそこを陣取っているのはいつものラグビー部の面々で、中にはもちろん先ほどまで一緒にいた八王子くんの姿もある。
 叫んだのは、八王子くんと同じくらい大きな男子だった。よく来るので顔は知っているが、クラスまでは知らない。選択科目でも見かけたことはない。
 なんだこれ!信じられっかよ!何があったんだよ!テンション高く立ち上がる彼の手には、何やら茶色い塊が握られていた。そしてそんな彼をハの字眉で宥める八王子くん……教室の隅で繰り広げられるコントのような光景を眺めつつ、けれどわたしは皆のようには笑えなかった。むしろ、どうにも嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「だっておい、これ! このカレーパン具がねぇじゃん!」
 美味しい特製カレーをごくりと飲み込みながら、恐る恐る手元を確認する。ああそうだ、八王子くんも言っていたじゃないか、"傾ければこぼれてしまう"って。現に今さっきだって、少し力を込めれば中身があふれてしまいそうだった。幾ら"半分こ"だといっても、両端までぎっしり詰まったカレーパンなどある筈もなく……。
「もう、さすがに声が大きいって。あーあ、だから、オレが食べるって言ったじゃん」
「そういう問題じゃねーよ! オレがカレーパンを食べたかったんだよ!」
「ははは、まあ無いものは仕方ないからな。諦めろって」
 聞こえてくる会話に耳をすませながら、わたしはそっと、ふたつのことを心に決めた。
 ひとつは後で八王子くんに謝ろうってことで、もうひとつは、お金と一緒に渡すつもりだったジュースをもう1本追加しようってことだ。



 苗字なまえは小食だ。
 幼稚園では毎日のように「全部食べるまで遊びはなしよ」と残されていたし、小学校では友人たちが彼女たちなりの"ダイエット"に目覚めるよりずっと前から「少なめで」というワードを駆使していた。
 そんなわけで食べること自体への執着が薄いと思われることも多かったのだが、苗字家の人間に言わせるとそれは全くの誤解である。多くを食べられないからこそ、口にするものを吟味しようとする。選びたいだけ選べないからこそ、より迷う。苗字なまえは難儀な性格をしていた。



(2017.01.08)(タイトル:インスタントカフェ)(本当は戻る時に証拠隠滅する筈だったうっかり八王子くん)
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