■ 窮屈で煌びやかなこの上ない至福

 ツェッドくんの部屋にあるものの中でも際立って異質なものは、なんと言っても私が今座っている……このソファだと思う。

 テクノロジーを注ぎ込んだ水槽や機器一式は言うまでもなく彼の生命維持に必要な設備だし、部屋を彩る常緑樹だって多少規模が規格外なだけでインテリアとしてはそこまで特異なわけでもない。他にパッと目につくものと言えば申し訳程度のデスクと本棚だけれど、それがなぜ「申し訳程度の」ものなのかと問われれば理由は単純にして明快だ。つまり必要ではあるけれど、滅多に使われないものだから。
 だって、彼にとって最も過ごし易い……誤解を恐れずに言えば、生き物として楽に生きられる環境は水中だろうから。

 単純に水槽として見れば大きいけれどツェッドくんに許された世界としてはあまりにも狭いこの水槽が、彼にとってこのHLで唯一、真にくつろげる場所であり、ベッドであり、ソファであり、つまりは居住空間であるということは、付き合いの短い私だってわかっている。

 ならば、くつろぐためのソファもベッドも全て水槽が担うこの環境で、こんなに座り心地のいい立派なソファが存在する必要性とは?



「……お疲れですか?」

 不意にかけられた声に慌てて頭の靄を振り切れば、グラスを手にして心配そうな顔で見下ろすツェッドくんと目が合う。大丈夫だと笑顔を作った私にふうと息を吐いたツェッドくんは、静かにグラスを置くとそのまま私の横にするりと収まった。
 そして次の瞬間、私の視界は所有者である私自身の意図を無視してぐらりと反転した。
 パチパチと瞬きを繰り返すしか出来ない頭上では、私を引っ張って倒した当の本人が先ほど以上に思いを込めた眼差しを降らせている。

「そういうのは気配りとはいいませんよ。……少し、休んでください」
「いや、本当に無理してないって。決算月でちょっと忙しかったのもそりゃ事実だけど、でも今は本当に……ソファが気持ちよくてぼんやりしちゃっただけ」

 ふとももまで筋肉質だから、当然寝心地は悪い筈なのに。それでも相手がツェッドくんだというだけで、不思議と膝枕は極上の寝心地に変わる。
 けれど本当にそのまま寝てしまうわけにはいかないので慌てて弁解を試みたところ、本当ですか……?と全く弱められない調子で追撃された。おかしいな、なんでこんなに信用されてないんだろう。思わず口をへの字に曲げれば、ぺしりと指先で額を弾かれる。けれど、もちろんちっとも痛くない。

「生憎、貴女の『大丈夫』ほど信用できないものはないと思っていますから」

 出会った時からね、と悪戯めいた口調で言われてしまえば、前科が有り過ぎる私にこれ以上言い返せる筈もない。
 代わりに、その話はもうおしまいという意図も込めて「まあとにかく、そういうわけだから起こしてー」と甘えた声で両手を差し出すことにする。なんだかんだで私に甘いツェッドくんは、仕方がないですねと笑ってくれた。
 抱き起こされる瞬間、硬い太ももが名残惜しいという気もしたのだけれど……でもあのままだったら本当にうっかり眠ってしまいそうだし、せっかくのツェッドくんとの時間を意識がないまま過ごした自分がどれだけ後悔するかも容易く想像が付いてしまうのだから仕方がない。

 肩と肩が引っ付く距離に戻った私たちは、会えなかった時間を埋めるように再び二人の時間を楽しみ始めた。
 などと意味深な言い方を選んでみたものの、別に色っぽい展開になったわけではない。

 圧倒的にプライベートも他構成員たちとの時間も足りていない私が聞き役になりたがるのはいつものことで、そんな不在中の出来事を事細かに知りたがる私に応えてくれるツェッドくんもいつもの光景だ。
 こんな事件があった、あんな事件があった、ザップの入院が長引いているのは入院先のナースを狙っているからだ、などなどなど。そんな報告書には載らないツェッドくんの主観に基づく語り口は、いつも私を楽しませてくれる。ちなみに……今の言い方でもわかるように、基本的に誰のことも悪く言わないツェッドくんが唯一例外としているのが彼の兄弟子だったりする。けれどザップの素行の悪さは軽蔑しつつも、完璧に見放しているわけでもなく、実力に至っては認めた上で尊敬している節もあり……という一筋縄で言い表せない複雑な男心が垣間見えるところがまたレアでいい。

 恋人同士のおしゃべりとしては及第点にも程遠いような話題ばかりだけれど、甘さのかけらもないようなおしゃべりの合間には、時折口を噤んで見つめあったり、指を絡めあったりする時間もちゃんと含まれているから心配はいらない。
 あと、他にもちゃんと、こないだ食べに行ったお店は本当に美味しかったねだとか、今度一緒に行きたいお店があるんですだとか、デートの計画も話し合ったりしているし。


「なんだか、今日はやけにご機嫌ですね」

 涙をにじませながら笑い転げる私は、それでもツェッドくんの手を握って離さなかった。
 けれどそんな私にここ数十分ずっとされるがままに身を任せていた彼が、不意にそんなことを言ったから。思わず笑いを引っ込めて真横を見つめてしまったところ、崩れた調子を誤魔化すかのようにコホンと咳払いが返された。

「そうかな」
「少なくとも、僕にはそう見えますけどね」

 反射のように言ってみたところで、表情の方が全然「そうかな」にはふさわしくないってことくらい自覚している。返事の代わりに、くっついている肩をぐりぐりと殊更に押し付けて、絡めた腕のその先の……繋いだ手を持ち上げてちゅっと唇を寄せた。
 私が何をしたいのかなんて序盤から想像が付いていたに違いないのに、いざその段になるとびくりと背筋を正すツェッドくんが愛おしくて堪らない。
 うふふと笑って見上げれば、悪戯心溢れる私の視線に気が付いたツェッドくんの瞳が咎めるように私を捕らえにかかる。けれどそれが本当に咎めるものでないことを、それが叱責と受け取られないことを、私たちはお互いに理解している。

 だから。
 ぴったり肩を触れ合わせて、くったり身体を寄せ合って、それでも足りないと腕を絡めて指を捕まえて、笑い合う。


「ねえ、ツェッドくん。私の機嫌が良く見えるなら、それはきっと……このソファが好きだからだよ」


 ツェッドくんが買った、二人がけのソファ。
 その大きなソファの真ん中で、私たちは唇を重ねた。



(2015.04.22)(タイトル:銀河の河床とプリオシンの牛骨)
(椅子と椅子の距離じゃ足りなくてソファを買ってしまうツェッドくん)
(二人で座っても余裕のあるソファなのに真ん中に寄ってぎゅっとくっつくお二人さん)
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