■ たとえばのはなし

 だから、ねぇ、聞いてる!?

 とあるバルの片隅。
 真っ赤な顔で詰め寄る私に対してツェッドくんはといえば、引き攣りながらも最低限の紳士さは保った微笑みで「はぁ」と相槌を打ってくれる。
 けれど芯まで熱せられた酔っぱらい脳がそんな間に合わせの返事で満足出来る筈もなく……一段と据わっているだろう私の眼差しは益々剣呑な輝きを帯びることになるのだから、我ながらタチが悪い。
 こんな、ただでさえ少ない可愛気をこれでもかと削ぎ落とした前後不覚の女なんて捨て置けばいいのに、それでも決して見捨てることなく付き合おうとしてくれるのがツェッドくんの良い所であり……けれども、だからこそ彼はこんな不愉快を被る羽目に陥っているのだから一概に美点とも言い難い。見捨てたっていいんだよ。

「そんなことないですよ、今のなまえさんもとても……可愛らしいです」

 分かり易い冗談として笑い飛ばせる類の戯言ならまだしも、恐らく本心からなのだろうと自惚れなく言える程度には、それは真摯さの滲む囁きだった。
 思わずぼやいただけの筈が予想外の反撃をくらう結果になった私は、このたった一言で無惨な程に勢いを挫かれて、ついでに本筋まで忘れて益々赤くなった頬を懸命に逸らせることしか出来なくなる。
 あまりにもウブだなんて、どうか笑わないで頂きたい。だって、頑張る会社員として埋没する潜入生活を送る私には"可愛い"より"綺麗"の方が、更に言えば"有能"の方が純度が高い褒め言葉だし、実際ライブラ的にもオフィス的にもその通りの配分だったりする。
 ついでに言えば、社交辞令的な響きを含まず、しかもここまで正面切って"可愛い"なんて言われるプライベートを私が他所に持っている筈もない。

「……そんなこと言うの、ツェッドくんだけだよ」
「そうでしょうか。そんなことは……ああ、でも。それならそれで、僕は嬉しいですけれど」

 ツェッドくんだって、私と同量ではないもののある程度は飲んでいる。
 けれどアルコールの所為と切って捨てるにはあまりにも蕩けきった眼差しを向けられて、私の心臓はあれよあれよといっそうの気合を入れ始めた。
 お馴染みの暴飲暴食とは関係のない部分でドクドクとうるさかった鼓動が、いよいよ限界突破を目指して駆け上がり跳ね狂う……ああ、このままではきっとわたしはしんでしまう。だというのに。心臓が全総力をかけるように奏でるこの脈も、駆け巡る血流が呼び覚ます紅潮も、目の前のツェッドくんにだけは伝わらないようで、その口からはあたふたする私の様子などお構いなしとでも言うかの様に超弩級の爆弾が投下された。

「まるで、こんなにも可愛らしい貴女を独り占めしているような、そんな錯覚に陥れそうです」

 いやいや待ってツェッドくん。そこはもっと強気に、所有権をチラつかせてくれてもいいのよ!と思ってしまうけれど、この安易に「俺のモノ」的な発言をしてこない辺りの紳士さと言うか(但しこれは相手がツェッドくんでなければ「用意周到さ」と表現したくなる)遠慮加減が、これまたここ一番な感じで私の胸にぐっさり突き刺さる決めの一矢になるのだから始末におえない。
 ああ、この人が愛おしい。大好きなんだよツェッドくん。プツンと私の中で何かが吹っ切れスイッチが切り替わったことを、他人事の様に遠くで感じる。

 相手の出方を窺う、なんて男女間の駆け引きで言えば初歩の初歩のメソッドを思案する間もなく踏み捨てて、ついでにジョッキに残っていた魔法の液体を一気に飲み干してツェッドくんに向き合う私に、もはや周囲の喧騒は聞こえない。

「でも私は、錯覚じゃ足りないよ。二次元も三次元も全部含めてツェッドくんを独り占めしたいんだよ!」
「うわ、なまえさん!?」
「そりゃ、もちろんツェッドくんはツェッドくんだし、私の手のひらには到底収まりきらないよ。だけどだったらせめて映像くらい、二次元くらい、独り占めを願っても許されるって思わないかなぁ思ってくれないかなぁツェッドくん!」

 毎週毎週テレビに張り付いて楽しみにしているけど、先が長そうでいい加減泣きたくなってくるんだよ。
 そりゃわかってるよ。時系列をなぞっているんだから大体の流れだって早々に想像がついたし、覚悟もしたよ。幾ら事件現場からは離れっぱなしの私でも、ダテに報告書を読み漁ってはいないからね。覚えのある内容に、あの一件のことかと手を叩くことも多いさ。
 そしてやっぱり、映像は格別だ。クラウスさんは安定のイイ男っぷりだし、ザップは相変わらずの天才的クズだし、チェインは可愛いし、K・Kも格好いいし、レオくんも頑張ってる。スティーブンさんについてはどこまで見てしまっていいのか不安で仕方ないよ。うっかり悩みが暴露されないことを願うばかりだよ。命が惜しいよ。
 そんな風に私の居ない時間のみんなの姿を見れるってのは、味気ない報告書から想像するだけの日々以上に鮮やかで楽しいさ。でも、それはそれ、これはこれ。本編で出番が先なのは百歩譲って仕方がないとしても、タペストリーもTシャツも挙句ストラップにも君が居ないなんて……ここまで見事にお預けばっかり強要されると、満たされなさ過ぎて爆発しちゃうよ!

 さっきから言ってるけど、ツェッドくんはこの "ある意味特別待遇"にもっと怒っていいと思うの! もっと強気で売り込んでもいい思うの! 私のためにも!

 ツェッドくんの筋肉質な腕を無理矢理むにむにと揉みながら、冒頭の話題にようやく戻れた私は切々と訴え続ける。そんな恋人にされるがまま付き合っていたツェッドくんは、やがて数分前を繰り返すように「はぁ」と気の抜けた相槌を返してくれた。

「まあそれはいいんですけど、でもそれって別に"独り占め"じゃないですよね?」

 私にとっては「それはいいんですけど」では済まない問題をあっさり横に置いたツェッドくんへの非難は、後にしよう。
 ああそうだ。言われるとおりだ。確かに、独り占めしたいと言いながら公式グッズを外れた悲しみや、映像に登場しないもどかしさを唱えるのは矛盾でしかないってことくらい、わかっている。

「そりゃ一般公開(オンエア)ってことはそういうことだけど……でも、そういうことじゃないんだって。こう、なんていうか、心の有り様っていうのがね。せっかくこういう場が用意されたんだから、画面いっぱいにツェッドくんが動いて、喋って、戦って、とにかく存在してる姿っていうのが見たいんであって……でまあ、そんな絶対格好いいツェッドくんの姿は独占したくもあり見せびらかしたくもありって言うか」
「盛大に矛盾してますよ」
「ううう、わかってるって。でもさ、だってさ、ツェッドくん本当に格好いいんだもん。今ですら、私の恋人はこんなにいい男なんですよ!って声高に触れ回りたいのに。その活躍っぷりにライバルがぐぐんと増えることは確実だろうけど、でもそれでもツェッドくんの姿が楽しみなんだから仕方がないじゃない!」

 酔っ払いの戯言はもはや駄々っ子の域に達している。
 けれど私だけが知っているツェッドくんが愛おしいのは当然だし、私の知らない日々のツェッドくんが見たいのも事実だし、それにこのままじゃザップたちにいいところを攫われそうっていうか……このジャパニーズスイーツの妖精かと見紛うような美しいマイハニーが、事実とっても強くて頼りになる愛しの恋人様なのだと全世界に向けて惚気倒すには絶好の機会だし、この好機をみすみす逃すようではお祭り好きのこの街の住人として失格である。
 いつ崩れ果ててもおかしくはないこの都市(HL)で"日常"を生きようとするのなら、欲しいモノは欲しいと言って、手を伸ばせる時に伸ばさないと。

 言いながら自給自足でヒートアップを繰り返す私には、この間のツェッドくんがどんな表情をしているのかを見る余裕などなかった。
 だから、こんな私を見つめるツェッドくんの表情が妙に嬉し気なことにも、なみなみ入ったままのグラスを爪先でちょんちょんと軽やかに弾いていたことにも、ある一点で急にそのリズミカルに動く指でグラスを傾けたことにも、あれだけの量をあっという間に飲み干してしまったことにも、気が付かなかった。
 それどころか。
 私の独りよがりに被せるように漏らされた吐息が孕む熱にすら気付かず……至極なめらかな指の動きがひょいと、今度は私の手元からグラスを奪っていく段階になり、ようやく私はツェッドくんを見上げることとなった。

「まったく貴女って人は……飲み過ぎですよ。そろそろ出ましょう」
「え、やだちょっとまだ飲み足りないんだけどって、ああ! それ私のお酒……!!」

 訴えも虚しく、新しく頼んだばかりのグラスの中身がツェッドくんの喉へ落ちていく。


 ならばせめて〆に渾身の一杯を頼ませて……なんて懇願も間髪入れず却下されてしまえば、程なくして二人の姿は夜の街に逆戻りである。
 けれど店に入る前と違っているのは、まとわりつくアルコールの香りと、血色のいい顔と……そしてなにより、掴まれた腕に感じる熱量と少しだけ足早なツェッドくん。
 そんなに急いでどこに行くの?なんて聞くまでもない程の付き合いはあるつもりで、だからこそ私は半歩遅れで引き摺られつつも頬を緩ませることができる。

 画面のいっぱいのツェッドくんを見たいと望む思いも、手のひらサイズのツェッドくんグッズを愛でたいという欲求も、結局はこの体温あっての発展系だ。こんな雄弁なツェッドくんの横顔も、傷付けない様に掴まれる腕の心地よさも、きっと私しか知らないし……私しか知らなくていいと思う。今は、そう思う。
 欲しいモノは欲しいと叫ぶことにした私は、けれど決して向こう見ずなわけでも一番大事なモノを間違える程に愚かでもないから、酒の肴がてら言葉遊びのように紡いだ欲望はそのままに……今この瞬間確かに触れ合える恋人との甘く熱く穏やかな時間を堪能することを、最優先に据えるのだ。

 今気になることと言えば、こうして歩く二人の酔いが醒めるのと、ベッドが待つあの部屋に辿り着くのと、一体どちらが早いかくらいなもので。



(2015.05.01)(タイトル:プルチネッラ)
(自分に対しての惚気を聞かされて、ついついスイッチが入ってしまったツェッドさん)
(※なまえさんのジャパニーズスイーツについての知識は偏っている)
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