| ■ 指先はきみの心臓を探す 有意義な一日になるかどうかということは爽やかな目覚めを迎えられるかで決まる、と言ったってきっと大げさじゃない。 さあ、せっかく起きたんだから今日こそはニーカちゃんおすすめのモーニングに間に合う内に家を出ないと。ああ、そうだクリーニング店にも行かなきゃだなぁ。なんていう能天気な計画表は、さて靴を履こうかというタイミングで鳴り始めた着信音によって夢と消えた。 ……あーあ。せっかく目覚めだけはピカイチだったのに。 『"対象"は、体内に核を持っている。手足をもごうが頭を潰そうが、核を破壊しない限りは活動を停止しない』 必要なのは、名乗りのみ。それ以外のこと……つまり爽やかな朝を邪魔した謝罪も予定の確認も必要ないとばかりに要件に移る上司に、私も慣れた調子で応対する。 『迅速かつ的確に急所を抉れさえすれば、"奴ら"はそう厄介な敵じゃない。……いけるな?』 それは紛れもなく肉弾戦を想定した発言だったから、私は通話を終えるなりシャツのボタンに手をかけた。 不幸中の幸いとはこういうことを言うのだろう。連絡を受けたのが家を出る前でよかったと、心底思う。これが出先だったら……危ない危ない、考えるだけで気が重くなる。 お気に入りのシャツの代わりに適当な服と雨合羽を一つ掴めば、休日を謳歌しようとする会社員は悲哀の戦闘員へと一瞬にしてジョブチェンジだ。 *** すでに交戦中の面々の邪魔をしないように回り込み、手頃な一匹に狙いを付けて駆け寄りギリギリでぐるりと半回転。生まれた遠心力に乗って肘を伸ばす。さあまずは小手調べ。掴んだ肉に手刀を差し込み、抉り、剥がし、千切り、腕まで返り血&体液にまみれながらパキンと核を破壊する。うん、なかなかいい感じ。気を良くした私は、次の獲物に狙いを定め再び手刀を突き立てる。そして、そして、そして、あとはひたすらこの繰り返し。 もちろんこんな誰がどう見たって、捨て身だ乱暴だと評するような戦い方をしていれば私だって当然無事とはいかない。 まず、弾力があるようで意外と鮫肌な皮膚やすんなりとは抉らせてくれない筋肉のせいで爪が剥がれたり、肌が破れたり、あるいは関節が悲鳴を上げたり。さらにヤツらとしても肉体を千切られて黙って突っ立っている程に人生諦めている訳でもないらしく……なのでそりゃあまあ、当然ながら命がけで反撃してくるわけで。 かくして現場は血で血を洗う阿鼻叫喚だ。ここがただの街中で居合わせたのがただの女の子だったなら、きっと漂う臭いだけで発狂一直線だろう。けれど、生憎なことに……何を隠そうこの場所は今一番ホットでクールでバッドと名高いHLだし、私は"ただの"人類じゃないしっていうかそもそも"女の子"って歳じゃない。 そして何より、私にとってこの程度の反撃は痛みにはなっても致命傷にはなりえない。二匹、三匹、四匹……あっという間に集まってきたそれらに囲まれようが、その結果孤立しようが構やしない。 むしろ私の戦い方としては一人の方が効率がいいのだし、久しぶりに全力でやれるというのは不謹慎ながらも爽快だったりする。 迅速に、的確に、急所を抉れ。 スティーブンさんに期待された働きをすることは、死屍累々の地獄絵図を描くことと同義だ。 けれども。その死屍累々に私の大事な友人たちも同僚たちも誰一人含まれていないなら、どんな地獄の中でも私は晴れやかに笑うことができる。 かくして。 絶好調の私が絶好調に役目を終わらせ、真新しい皮膚に包まれたピカピカの腕をだらんと下ろして、ああもう立っているのもやっとだよーという気力だけは満身創痍の状態で迎えの車に乗り込めば、後は段取り通りに見慣れた事務所に一直線だ。ただし、車に乗り込む前に脱ぎ捨てた(紫色の体液でぐっちょぐちょになっていた)雨合羽が予想外に裂け放題だったのは相当に不味かった。廊下をのろのろと歩きながら、せめて着く前に大判の毛布とかなんか買ってきて貰えばよかったかなぁ、なんて思ったところで今更どうすることもできない。 誰がどう見たところで最早”着てないよりマシ”程度の防御力しか持っていなかった雨合羽。その雨合羽が防げきれなかった汚れにまみれたこの服では、座り心地のいいソファに倒れ込むことも出来ないじゃないか。 「なまえ様、遠慮なさらずにどうぞ」 大丈夫ですよ。掃除は私共にお任せ下さい、なんて言って下さるギルベルトさんの優しさは沁みますが、さすがにそこまで無遠慮には振舞えませんって。 なんて冗談めかして言いながら、テーブルの上に並んだ料理を恨めしく見つめ──躊躇の末ローストビーフを摘んでぺろりと飲み込む。この場の誰からも、つまり我らがリーダーと参謀殿からも無作法を咎められないのをいいことに、もう一切れ二切れ……とはせずに、じゃあ先にシャワー浴びさせて下さいと常識的な申し出をする私。 すかさず肩を貸そうと立ち上がって下さるクラウスさんの優しさも沁みますが、さすがにご厚意に甘えて体液まみれの身体を預ける程に私の神経は図太くは出来ていませんって。 なけなしの力を振り絞って手と首をぶんぶん振れば、ここまで眺めているだけだったスティーブンさんが「ねえ君」とひどくのんびりと口を開いた。 「シャワーなら早くした方がいい。あの後、北側からも連絡が届いていてね……君が執心の彼もそろそろ戻ってくるだろう」 「……え、ちょっと!? それってつまりツェッドくんが来ちゃうってことですか!? 今!? ここに!?」 「君、ツェッドに体質のことちゃんと話してないだろ。このまま話す気がないのなら、いつまでもくっちゃべってないでさっさと行った方がいいと思うけどね」 だったらもっと早く教えてくださいよぉぉぉ!! なんて叫ぶ気力もない私は、主に今の一撃のせいで疲労度が無駄に跳ね上がった身体を引きずって扉へ向かうことしかできない。 確かに! 確かに!! 忠告自体は有難くはある!! けれど優しい二人に対する時とは違って、素直に「ありがとうございます」と返せない私を誰が非難できるだろう。 ──というのはほんの数分前のやりとりなのに、気分的にはもう何時間も前のことのようだ。 それくらい、平和なあの時間が恋しくて堪らない。せめて……スティーブンさんはどこまでもスティーブンさんだった、と恨み節を漏らすことを許してもらえるだろうか。 全体重をかけてドアノブを握ったところでまるでタイミングを計ったかのように開いた扉と、不意打ちのそれに完璧に重心を崩して倒れ込んだ私がその後どうなったかなんて。そんな私に呆れた声をかけて引きずり上げたザップの一歩後ろで、目を見開いて立ち尽くしていたのが誰だったかなんて。 思いつく限りの"最悪の展開"をこれ以上なく的確になぞりやがった現実は、ここまでくれば悲惨過ぎて最早ただの蛇足でしかない。 だから今は、シャワールームを出た後に待ち構えているだろう時間のことをなんとか考えないようにしながら、ただただ──やっぱりあの時感謝の言葉を口にしないでよかったと、強く強く思い現実逃避に励むのだった。 *** あの後──つまり、ひと仕事終えたザップたちが事務所の扉を開け、それに伴い身体のあちこちを見覚えのある紫色で染め上げたなまえが顔面蒼白で崩れ落ちた後。 大丈夫ですか怪我をされているのですか。見るからに慌てて彼女に駆け寄りかけた弟弟子にちらりと目をやったザップは、それ以上の接近は許さないとでも言うかのように間に立つと、なまえを抱え上げてスタスタと歩き始めた。 そして生気のない身体を程々の適当さでもってシャワールームに突っ込み大あくびを決めたところで──チェイン来襲となる。地面に倒れたザップの上でふわりと後に続いていたレオナルドたちを振り返ったチェインは、やあこんにちはお疲れ様と口にするかわりにひらひらと小さく手を動かした。 「さあて、ちょっと様子見てくるよ。覗いたら殺すから」 怒りに震えるザップの腕がびくりと跳ねる直前に、物騒な言葉を残してチェインの姿が掻き消える。つまり、"ここは私に任せてあんたたちは戻りなさい"ということだった。 「しかし、なまえくんは大丈夫だろうか。私がもっと早く気付けていれば……」 「あーまあいいんじゃないかな。なまえの性格的に上辺だけの付き合いなんて器用な真似出来っこないだろうし、遅かれ早かれこういった展開は必要だったんだよ。うん」 「うわー嘘くさい笑顔すね。スカーフェイスさんマジ怖いっすわー」 「……えーと、今ってどういう状況ですかってとりあえず聞いてもいいですか」 「……なまえさん……?」 事情を把握している者と把握出来ていない者と中途半端に当たりを付けた者が混在する中で、沈黙を保っていた執事がさあ皆様と時間を進める。 当然ながら重要なのは今しがた起こった極めて局地的かつ個人的な悲劇を補足することではなく、あくまでその前の、街中に現れた生物兵器についての報告と今後の指示である。事案としては間違いなく物騒な案件なのだが、あいにくこのHLではある意味"よくある"ことであり、なんといってもこの場にいる者たちはその道の"プロ"だった。一部の功労者が不在のままでも進行に支障はなく、そんなわけで間も無く「じゃあ、お疲れさん」とお開きが告げられた。 「おい、腹減ったしメシにすっぞ」 テーブルに乗り切らない程の料理たち。殆ど手付かずだったそれらは結局誰の口にも入ることなく、部屋から運び出されていた。それが誰のために用意されたもので何のために移動されたかがわからない筈がないのに、こんな時に絶対何か言いそうな男が今日に限ってものわかりよく事務所を出ようとすることに、「うわこの人オレにたかる気だ」という軽蔑も忘れてレオナルドは驚愕する。 けれどザップとしても思うところがあったのだ。珍しく駆り出されていた彼女と、あの姿。 度重なる治癒で蓄えを使い切った身体が、いつも以上にシビアにエネルギー源と補給環境を要求とすることをザップは知っていたし、勿論それはスティーブンたち旧知の面々も同じ筈で。つまり"誰か"がいるというだけではなく、"誰が"いるかまで整えてやらなければ、今の彼女は生命維持(食事)すらままならない。つまり、そんな状況にもかかわらず別室に移された料理たちと不安げな表情の弟弟子という現状は、茶化す気もわかない程に面倒な臭いを放っている。 ──あーあ、なまえの奴もかわいそうに。 煙に乗せて宙に溶かしたつもりの溜息は、けれどもスターフェイズには伝わってしまったらしい。 「心外だなぁ。あんな状況のあの子に、ここでいつも通り食事を楽しんでおくれというのは無茶だろう。なあに、幸いにも百人力の適任者が居るじゃないか」 頭越しに交わされる不穏なやりとりに、わからないなりにレオナルドは理解した。ああそうか、つまりこれはなまえさんに関することか。なるほどなるほど、まあ、そういうことなら大変なのは僕じゃなくて──意味深長な「適任者」発言にあんなこと言われてますよと傍を見上げるも、その適任者と推された当の本人は明らかに違う場所を見ていた。 不安そうに細められた瞳が見ているのがこの不穏なやりとりではない何処か、つまり彼女が顔面蒼白で倒れたシーンや「やだやだ見ないでぇぇぇぇ」と縮こまった弱々しい背中や、あまつさえザップの腕の中でぐったりとしていた姿を……繰り返し繰り返し再生しているだろうことは義眼に頼るまでもなく明らかだった。 最近のツェッドとなまえの間にふんわりとした甘やかな空気を感じ取っていた者としては、一石どころか隕石レベルでの投石を受けた被害者になんと言葉をかけたものかと心底戸惑う。けれど結局、レオナルドが何かを言うことはなかった。爽やかな笑顔で立ち上がった上司が、こっちこっちとそこの彼を手招きしたから。 「さてツェッド、すまないが君にはこの後もう一つ大切な仕事をお願いしたいんだ。ついて来てくれるかい?」 ──うわ、やっぱりツェッドさんに全部押し付ける気だよ。この人。 暖かな日差しの下にもかかわらず寒気を覚えるのはなぜだろう。 上司の腹黒さと無茶振り具合に振り回されてて、そして更にこれからもう一波乱を起こされるだろう二人を気の毒に思いかけたものの、短気には定評のある先輩から「さっさと行くぞ」と長い足をカタカタ鳴らされればそれどころではなくなる。肩の上で跳ねるはらぺこソニックをひと撫でして、わかりましたよ行きましょうと足を動かす。 じゃあ、行ってきます。いつものように振り返ると、いってらっしゃいませと穏やかな微笑みを浮かべる執事と目が合った。 そういえば、この人はずっと普段通りだったっけ──ああ、なんだ、そうか。 軽くなった足で扉をくぐれば、これまたいつもと大きく変わることはない見慣れた奇妙な世界が待っている。 HLは今日も、大体危険で概ね平和だ。 (2015.06.07)(タイトル:亡霊) (経口摂取したエネルギーを使用するタイプの再生体質という設定) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |