■ 中

 ぽっくりぽっくり、緩やかに馬は進む。
 優しいその背に抱き付けば、暖かい優しいぬくもりと共に、心地よい香りが伝わる。
 女のものとは違う、その不思議な温度と香りは何とも言えず……その背に頬ずりした私は、そのまま深く息を吸い込んだ。

「おい、動くなって。落ちても知らねぇぞ」

 馬が、困ったように声をかけてくる。
 ああ、声も渋くていい……ん? この声って……?

 見逃せない違和感に、ほわほわと宙に浮くような心地よさも吹っ飛ぶ。衝動のままぱちりと目を開ければ、なんとそこは馬の背ではなくて、逞しい男の肩の上だった。

「はわっ!?」
 叫んだ口を、もしゃもしゃと毛皮がくすぐる。余計に混乱する頭に水を浴びせかけたのは、やはり聞き覚えのある……あり過ぎる男の声だった。
「落ち着けって……まあ、なんとか正気に戻ったみてぇだな。ったく、自分がどうなったのか覚えてるか?」
 かけられた声に応える言葉など、生憎今の私はひとつも持ち合わせてはいない。
 ただ、恋い焦がれた男に荷物のように担がれているという時点で、どうしようもなく醜態を晒しているということだけは確かだ。
 っていうか、なんでこんな抱えられ方なの私……。こういう時の定番はおんぶじゃないのかな……ああ、グレッグのこの剣じゃ、おんぶは無理か。

「あのっ! すみませんとりあえず、とりあえず歩けるから! ごめんなさい、許してください!!」
「ったく、下ろしてやっから、じたばたするなって。……ほらよ」

 逞しい身体がかがめられると、ぶらぶらと垂れていた足がようやく地面を見つけた。
 そのまま、肩を支えに身を起こし、男の上から離れることに成功する。と、そこで一歩を踏み出そうとして、ふらりとよろめいた。

「……あれ?」
「ったく、そんな調子でいきなり歩けるわけねぇだろうが。ほらよ、水も貰ってあるから、まずはしゃがんでこれを飲め。な?」
 よくわからないまま、指示されるままに差し出された水筒に口を付ければ、男がほっとしたように笑った。
「そうそう。なに、ここまで来りゃ宿はもうすぐだ。ま、少し風に当たっていけや。休んで、落ち着いたら送ってってやるよ」
 まるで、子供にするみたいな面倒見の良さじゃないか。恥ずかしさのあまり伏せた頭を、大きな手がくしゃりと撫でる。

  ***

 言葉少なくこうして静かに時間を過ごしていれば、多少は頭もしっかりしてくるもので。

 どうやら、ロベルタと飲んで沈んでしまったらしい。
 それにしても、よりにもよってグレッグに宿までの運搬を頼むなんて……
 最悪な人選だけれど、非は全面的に私にあるので彼女に文句は言えない。ここはもう、ただひたすらに自分を責めることにする。

「……本当に、ご迷惑をおかけしました」

 あまりの居た堪れなさに、石畳の上に正座をして頭を下げる。
 ああもう、このまま消えてしまいたい。私を見ないで下さい。ってあれ、さっきもこんなことを思ったような。
「おいおい、そんなに気にすんなよ。な、人生色々だ。たまにゃあこんな日もあるさ」
 にしても、お前がってのは珍しいよな。一体どうしたんだ?と続けて尋ねられ、直前の言葉と笑顔で緩みかけた私の思考は、再度の緊張を強いられる。
「えっと、その、なんと言ったらいいのか……ねぇ」
 焦りながらも、ああ、そう言えばどうせバレてるんだったと、ロベルタとのやり取りを思い出す。

 どうしよう、こんな機会滅多にないんだから、玉砕覚悟で告げてしまおうか。
 いやいや今夜の流れでは有り得ないだろう。ちらりとよぎった考えは、すぐさま却下だ。言うべき言葉を探して、あっちへこっちへと視線を彷徨わせる私に、焦ったのはグレッグの方だった。
「いや、まあ、無理に言えとは言わねぇけどな。ただ……あれだ。なんかあったら俺だって話くらい聞けるしな、あんまり思い詰めるなよ。ロベルタの奴も心配してたしな……」
 ん? 矢継ぎ早にかけられる言葉の中に、今なんか、おかしい一文が聞こえた気がする。

「ロベルタが心配って、何?」
「あ? いやその……だーっ、腹芸は苦手だから言っちまうか。あいつがな、お前がなんか悩んでるって言ってな。自分相手にはなかなか話してくれないから、よかったらそれとなく聞いてみてくれって言われたんだよ」

 おいおい、なんだそれ。どう考えても、無茶な振りだろう。グレッグには言えてロベルタには言えない事って、例えばどんなことだ。おいおい、普通逆だろう。
 手抜きが許される場所では意外とぞんざいな采配をするのは知っていたけれど、まさか私の恋路に関してもかとびっくりだ。っていうか、もしや気を利かせたつもりだろうか。だとしたら、嘘だろうアネキ、そりゃないぜ。
 茫然と見やる視線をいったいどう勘違いしたのか、グレッグは少し慌てた様子で言葉を重ねる。

「いや、あいつに言われたからってだけじゃねぇぞ。
 ほら、お前って大概、酒場でも一人で飲んでるしな、しかも時折寂しそうにこっち見てるしな、混ざりてぇのかなぁと思うこともあったりしてだな」

 喋れば喋る程に掘る穴が深くなるグレッグに対して、私は苦笑を隠せなかった。これではまるで、彼の中での私のイメージは「友達が少ない寂しがりやの女」だったということじゃないか。それはそれで地味に屈辱な上に、そもそも心配していた私の好意については……いっそ面白いほどに、微塵も伝わっていないというこで。
 ……本当に、面白すぎて、泣きたくなる。

「別に、寂しいって訳じゃないんだけど。……まあ、でも、相談していいって言ってくれるのは嬉しいな」
「ん?」
「あのさ、じゃあさ……お言葉に甘えていいなら、ちょっと相談したいことがあるんだけど……近々、ご飯とかどうかな」
「お、いいぜ。任せとけ。じゃあそうだな、早ぇ方がいいよな……よし、明日の夜でもどっか食いに行くか?」

 にかっと笑って返される言葉が眩しすぎて、目を細める。仲間思いのこの人に、私が思いを告げたらどうなるだろうか。困らせるだろうな、という想像は出来るものの、色々な出来事があり過ぎた今夜が、私の気をすっかり変えてしまっていた。
 だってほら、こんなに近くに居られる時間を知ってしまったら、もう、駄目だ。殆ど見ているだけの、あんなぬるま湯ではもう我慢できそうにない。

 いっそ、当たって砕けてしまいたいと思うのは、まだ残っているアルコールのせいだろうか。



(2014.02.11)
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