■ 瞼を瞑って噛み締める幸せ

 うららかな午後。
 心地よい日差しを堪能しつつ、軽やかにステップを踏みながら先を急ぐ。
 踊る心のままで求めるのは、きっとこの先にいるであろう銀と黒が似合う魔法使いの姿だ。

 ちょっぴり寂しくなった懐のかわりに金色の装飾がキラキラと可愛い小ぶりな弓を握りしめて、私はにへへと頬を緩ませる。正直、今の私にはちょっと上等過ぎる品だけれど……でも、やっぱり武器はいいものを使った方がいいってパトリシアさんも言ってたし。しかも、どうしても手持ちがないなら融通しますよ、なんてことまで言ってくれちゃったのだ。幸いにも自力でどうにかできる範囲だったし、ならばもう迷うことはない。


「ねえアイザック、見て見て! 欲しかった弓、ついに買っちゃったー」

 やっと見つけた黒帽子の後ろ姿に向けて大きな声で呼びかける。そのまま駆け寄れば、ふらりとコートの裾を揺らして赤い瞳が振り返った。
「やあ……なまえ。また来たのかい?」
 淡々と響く声に歓迎の色は全く感じられないけれど、それでも、少なくとも明確な拒絶じゃないから平気だ。だって本当に嫌がっている時はもっと露骨に迷惑そうにするか、徹底的に冷たい眼差しを向ける人だと知っているから。
「ああ、それが前に言っていた弓職人のものか?」
「え、うん、そうそう! さっきダスティがね、ひとつだけ手に入ったからって教えてくれて!」
 前回の売り出しの時には、なんとお財布を取りに帰った数十分の間に売り切れてしまったという悲しい思い出の品だ。
 もともと欲しかったものだけれど手に入る寸前で逃してしまったとなるとますます欲しくなる。今度は絶対に買うから、絶対に絶対に用意しておいて。そうダスティに頼み込んだことは他愛のない世間話の一つとしてアイザックにも話していた。
 けれど、すんなりと「前に言っていた弓」だと言ってもらえるほど、ちゃんと聞いていてくれていたとは正直思わなかった。だって、だって。同じ義勇軍だから、なんて理由になっていない理由を武器に懐いた私と彼の関係ではいつだって私が一方的に話してばかりだったから。
 その上、流行りのお菓子や湖都のみんなに教えてもらった歌の話題以上に魔法使いの彼にとっては弓の話なんてまったく興味もないことだろうし。聞き流されてもいいと思っていた。それなのに、ちゃんと覚えくれていた。
 よかったな、と降ってきた普段通りの声にすら、涙が出そうになる。

「……なまえ?」

 潤んだ視界の先に赤い光を感じて、慌てて頭を振る。
 ごめんごめん、あんまりにも嬉しすぎてちょっと感激してた。そう言って笑みを作れば、「ならいいけど」という声とともに外される赤い瞳。ああ、ちょっと残念だ。でも、その綺麗な目にじっと見つめられるのはなかなか心臓に悪いから……開いた距離にちょっとだけほっとする。

 本当は、大好きなあなたが私の話を聞いてくれて私を見てくれるだけでとてもとても幸せなのです。その上、大好きなあなたが私の話を覚えていてくれたことがとてもとても嬉しいのです。
 なんて素直に言えたら、もっと劇的に何かが変わるのかもしれない。でも、それが出来たら苦労はしない。それに変わるのがいい方向だとも限らない。一目惚れの勢いで突っ走れるほど向こう見ずにはなれなかった私だから、お使いだとか伝言だとか魔法使いのお仕事見学だとかそんな理由をなんとか作り続けた。
 "名前も知らない弓使いの娘"からスタートして、度重なる接触で顔と名前を覚えてもらって、見かけたからと挨拶に顔を出しても驚かれないくらいの知人になって。
 所属が違う分、そんな機会はあまりなかったけれど……町でばったり会った時に笑顔で立ち話ができるくらいの関係にまでなれた時はどれほど嬉しかったか。
 そして今では、こうして用らしい用も持たずにふらりと訪ねても「何の用だ」と言われないくらいになったし軽口だって叩けるようにもなったのだ。ただの"知り合い"からランクアップして、でも、"友人"と呼ばれるにはちょっと足りないくらいかな。それでも、今の距離はとても居心地がいい。
 もっともっと近づきたいという思いもあるけれど、でも、それでも、一か八かの賭けに出るには二の足を踏む距離だ。

「ねえアイザック。実は、さっそくこの弓を試したいんだけど。ってことで、ちょっと麓の山まで狩りに行かない?」
「生憎だが、俺は遠慮しておこう……と言えば、他の誰かを誘うのかい?」
「うーん、どうだろ。この時間に暇してる人ってのも、そうそう居ないだろうし……」
「ほう。では、俺なら暇だとでも言いたいわけかな」
「え、やだ。まさか滅相もない! 攻撃も治癒も得意なアイザック様ってば、凄く頼りになるし!それに目の前で獲物を捌いても引かないし、取り分をもっと寄越せとも言わないし、都合よすぎて超素敵……なんてことは口が裂けても言えないけど」
「おいおいなまえ、欲にまみれた本音がだだ漏れだぞ」
 呆れたものだと吐き出される言葉とは裏腹に、アイザックの口元は軽く緩んでいる。ああ、そんな表情をするなんて本当に反則だ。慌てたふりでわざとらしく口に手をやり、戯れを続ける私だけれど……その心臓の方はドキドキと激しく鼓動を打っている。
「うわあ、ごめん。ついうっかり。っていうかまあ、欲は欲でもこの場合の食欲は無理もないと思うのー」
 禍福は糾える縄の如しという言葉が当てはまるのかは不明だけれど、求めていた品に出会えた喜び分の帳尻を合わせるように好ましくない事態も発生する。
 かなり無理して弓を購入した分、しばらくは極貧生活を覚悟しなくてはいけない。
 それ自体はいいのだけれど、まあ、その、今日の夕飯当番がフィーナだったってことが、正直とてもとても予想外だった。フィーナのご飯は……その……とにかく非常に残念なことになんとも……アレなので、残念ながら今夜の食事は量が食べられない。
 昼食だってギリギリで済ました上に夕食まで減らせば、夜中に腹の虫に叩き起こされるだろうことは目に見ている。しかし、空腹を紛らわそうとしたところで酒場に行く余裕はない。本当にまったく、これっぽっちもない。
 だったらどうするか? そんなの、答えは決まっている。レンジャーたるもの山の恵みに感謝しなくては。

「あ、そうか。さては前回、生のまま渡したことを根に持っているんだね。よし、じゃあ今日の取り分は特別に、簡単に調理したお肉にしてもいいよ」
「俺はあんたのように、肉だけ頬張って"夜食"だなどと逞しすぎる事はとても言えないがな」
「むぅ失礼な。でも、うーん……よし! じゃあ、ついでにお酒も付けちゃおう。酒場に行くお金はないけど、ボトルのストックならあるからね」

 持ってけドロボーだと笑って両手を広げると、まじまじと私の顔を見つめるアイザックと目が合う。あああ、だから、沈黙は緊張するんだけどなぁ。おまけに待っても待ってもアイザックはそのまま何も言ってくれないから、一人芝居がかった動作をしている私が馬鹿みたいじゃないか。ついでに心臓にも悪い。
 そんな私だけがひたすらに気まずい時間にいい加減に痺れを切らして、小さな声で「アイザック?」と名を呼べばようやくその口が開かれた。

「いいだろう。では、夕食の後を楽しみにしておこう」

 くるりと背を向け歩き出した背中を、なにやら機嫌がよさそうと感じるのは私の錯覚だろうか。けれど取り残された私はといえば、「夕食の後」という言い回しにまず首をかしげるので精一杯だった。
 しかし、まあ。そんな呑気で残念な思考力でも、はてと考えるうちにやがてひとつの結論へ到達することに成功する。

 もしやこれは。改めて場を整えた上で、獲物とワインを振舞うという意味に受け取られたのだろうか。
 だとしたら、うわあ。どうしよう。端から見れば肉会……いや、きっとデートだ。デートに見えるに違いない。ああ、なんという僥倖!
 もう取らぬ狸の皮算用では済まされない。これはなんとしても、狩りを成功させなければ!
「あ、待ってアイザック。早いって。置いてかないでー」
  揺れる黒ローブ目指して、私は勢いよく走り出した。



(2014.11.09)(タイトル:ロストブルー )
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