■ 彼の黒い眼に猫の眼差し

 朝一番の鳥の声を背に受けながら、わたしは恨めしさでいっぱいの胸を抱えて路地を睨みつけていた。
 いつもなら、今頃はまだあたたかいお布団にくるまっていられるのに。
 けれどこの恨めしさの行き先は、勿論この話をもってきた隊長に向かうことはない。先日助けた村のその後が気になるという彼の不安は尤もだったし、それなら暇なわたしが見てくるよと挙手したのも他ならぬわたし自身だ。けれど予想外だったのがその後の流れである。ペアになるならきっとミシディアかカインだろうと思っていたら、こういう時に限って他に用事があるのだと言われてしまった。

「スルスタンさーん、どこですかー? 置いてっちゃいますよー?」

 再度見渡してみても待ち人の姿どころかそれっぽい足音や話し声すら聞こえない。
 寝坊だろうかと考えかけて、すぐにそんなわけがないと首を振る。あの人の経歴について詳しくは知らないけれど、それでも義勇軍に参加する前に暗殺者をやっていたとは聞いている。いや、"やっていた"という表現はおかしいかな。きっとあの人にとって"暗殺者を辞めた"つもりなんてなく、せいぜい"休業中"くらいなものだろう。まあそんなことはともかく、そのような殺伐とした物騒な世界に身を置いていた人間が今更ただの寝坊で遅刻するなんてことはまずないだろうということが本題だ。

「スルスタンさーん、どっかから見てるってことは分かってるんですよー」

 そろそろ街も目覚め始める時間である。ちらりほらりと道を行く人たちの奇異の視線が地味な痛みを連れてわたしへと降り注ぐ。
 早く出てきてくれないと心が折れそうだ。いや、むしろあの人はそれこそを狙っているのだろうけれど。
「ちっ。まったく……甘いんですよ、この程度でへこたれるわたしじゃありませんよ」
 どうせ後ろからこっそりと付いて来るとかそんな算段だろうが、それではペアの意味がない。せっかく馬も用意してあるっていうのに。

「いい加減にしないと、スルスたんに置いて行かれたって隊長たちに言いつけますよ!」

「ちょっと待て貴様、俺の名をおかしな風に呼んだな!」
 これで出てこなければもう後は知らんわとヤケクソ気味に叫べば、今までの完全無視が嘘のようにびゅんと黒い影が現れた。こめかみが若干ひくひくしているようだが、きっと気のせいだろう。
「約束の時間、結構過ぎてますけど?」
「なら、さっさと行けばよかっただろうが」
「二人用の鞍付けた馬に一人で乗って、ですか? 明らかに無駄ですよね?」
 馬だってタダではないし鞍の数にだって余裕はない。今をときめく義勇軍といっても懐事情はなかなか切実なのだ。
「……フン、貴様がどうしてもと言うのなら乗ってやらんこともないが」
 そっぽを向きながら放たれた言葉の可愛げのなさに絶句することもなく、はいはいお願いしますよと返したわたしは大人だと思う。


「そんなに顔を合わせたくないなら断ればよかったのに」
「……俺は仕事を選り好みはしない」
「断ったら隊長に借りを作っちゃうとか思ったんですか?」
「…………」
 返事がない代わりに、前にある身体が小さく震えた。お互いすでに馬上にあるため顔を覗き込むことは叶わないが、きっと苦虫を噛み潰したような表情をしているのだろう。まったく、本当にこの人は変なところでわかりやすい。
「別に、嫌なら嫌って言ったらいいんですよ。そんなことくらいであなたを嫌う人なんて、あそこにはいないんですから」
「………………」
 嘘を言ったつもりはない。あの義勇軍という場所はそういう場所だ。嫌う者も排斥する者もいないだろう。ただし、その訴えが"なまえという女と一緒は嫌だ"なんてちっぽけな理由だと知られてしまえば、ごく一部のメンバーから強烈に茶化される未来も予想がつくけれど。
「それより。今日の村は大丈夫でしょうかねー、まさかまだ盗賊に脅されていたりなんてことは」
「……その件だが、お前は村には入るな」
 はてと小首を傾げたわたしに応じるようにスルスタンが言ったことは、実に意外なことだった。
 要は自分が一人で見回るから、わたしは外の木陰でのんびりしていろと言うのだが……これではスルスタン一人の負担になるし、そもそもわたしがいる意味がまるでなくなる。言いたい言葉をぐっと堪えて「けれどあなたに村長への挨拶や近隣への聞き込みなんて平和な真似が出来るんですか」と呆れてみせればふっと鼻で笑われた。
「そんなもの、見ていればわかる」
 なるほど。挨拶すらしないつもりらしい。確かにあなたの観察眼は確かだけれどと口にしかけたわたしは、けれど天啓と共にその口を閉じてポンと手を叩いた。叩いたついでにぐらりと身体が傾いて、慌ててスルスタンの腰にしがみつく羽目になったのだが……まあそれはいい。
「わたし、いいことを思いつきましたよ!」


  ***


 なんということはない。どうせ愛想のひとつも振りまけない人とわかっているならば、一緒に回る必要など初めからないのだ。むしろ、陰から観察することに長けていると言うならそれを活用しない手はない。
 ということで。村から少し離れた場所でスルスタンに手を振り、わたしはそのまま一人で馬を連れて村へと入った。歓迎してくれる村長の手を握り返し、踏み付けられた田畑が再び実りを取り戻しつつあることを確認し、人々の憩いである小さな酒場に顔を出す頃には、昨日からの願いは確信へと変わっていた。この村にはもう以前のように怯える顔も生気を欠いた顔もなかった。何より、か弱いこのわたしが一人で歩き回って無事でいるということが、この村がもう大丈夫なことを何よりも証明しているではないか。
 隊長、この村はもう大丈夫だよ。
 我らがリーダーへ吉報を届けられる喜びに胸を震わせ扉へと身を翻す。ああ、今すぐ隊長たちに伝えたい。さっさと店を出て、どこかに潜んでいるスルスタンに声をかけて、そのまま一直線にみんなのところに戻って、村長さんの喜びの言葉を伝えたい。

 けれど、高らかに鳴らしたばかりの踵はそれきり次の音を響かせなかった。

「えーっと何かご用ですか?」
 突然伸びてきた手に左手を引かれ、バランスを崩した身体が倒れこんだのは知らない男の胸だった。明らかに仕向けられての結果に対して「わぁぶつかって御免なさい」と謝るほど世間知らずではないので、代わりにこの酔っ払いを刺激しないようほんのりとした笑みを作って尋ねてみると男もにへらと口元を緩めた。その表情に下卑た悪意を感じないのは救いだけれど、面倒臭いことには変わりはない。
「ねーちゃんさぁ、こないだオレを手当てしてくれただろ。こう、肩の傷のとこに何度も何度も優しく手を当ててさぁ……オレあれが忘れられなくてさぁ……」
 ……そんなことあっただろうか。いや、確かに何人か手当てはしたけれど、幸いみんな軽傷だったということもあっていちいち顔まで覚えていない。だいたいあの時はわたし以外のヒーラーも何人かいたから単純に人違いという可能性も十分ある。だってほら、マリナやラティの放つ癒しのオーラに骨抜きになる男性陣ってのは珍しくないし。
「あー……その、えーっと。お怪我の方、もう大丈夫そうでよかったです」
 にこりと微笑んだ途端ぎゅっと抱きしめられた。ねーちゃんのおかげだという声とともに酒の匂いがぷんと香る。思ったよりも飲んでいるらしい。ちょっとばかりやばいなぁと冷や汗が流れるのだが、こういう時の嫌な予感というものは得てしてよく当たる。どうにもできずどうにもならず、すっかり置き去りのわたしを余所に男が店中に声を響かせた。
「オレと一緒になってくれよぉ!」
 ごめん無理っすわ、などと即答できるわけもない。かといってその場しのぎにありがとうとでも口を滑らせたが最後すぐさま唇を奪われてしまいそうな流れである。窮屈な体勢にありながらも地味な必死さでそろりそろりと視線を彷徨わせてみれば、困り顔の店主と目が合った。ちょっとちょっと、お宅のお客さんでしょうが。どうにかして下さいよ。
 けれど、わたしの無言の訴えに根負けした主人が途方に暮れながら男の肩を叩くより早く、正直なところすっかり忘れていた"もう一人"が救いの手を差し伸べてくれた。まったく、意外なことだけれども。

「その手を離せ。この女にはもっと他にやるべきことがある」

 緩衝材もなにもないド直球の言葉は見事に酔っ払いの逆鱗に触れ、ああん何だァてめぇやるのかオラァと一瞬でガラの悪いおっさんに変貌した男がスルスタンへと拳を振り上げた。ぽいと横へ放られた形で自由を得たわたしはすぐさま主人の側へと避難して、感謝の言葉を捧げる代わりにどうかお手柔らかにお願いしますと叫ぶのだが……スルスタンに聞き届けてもらえる自信はない。恐らく今のわたしの顔は先程よりもずっと青ざめているだろう。さすがにただの酔っ払い相手に流血沙汰にはしないと思いたいのだが、殺しが基本スタイルだった彼にとってどこまでが"加減"の範囲なのかと考えると一抹の不安がよぎるのだ。
 結論から言えばそんなものはまるで杞憂だった。程なくして、結果的に指先ひとつで男の自由を奪ったスルスタンは、すっかり戦意を喪失し今はただ項垂れるだけとなった男に向かって何事か呟きふいと振り返った。

「済んだぞ」

 その声がわたしの胸に「帰るぞ」と響いたことは、間違いでも勘違いでもないのだろう。
 けれど頷く代わりにわたしは一歩二歩と男に向かって足を動かした。スルスタンを通り過ぎてすっかり酔いから醒めた男の前にしゃがみ、力なく向けられる瞳をまっすぐに見つめ返し、何かが聞こえてくる前に先手を打つ。誰かが何かを言う前に、わたしから。
 さっきは言えなかった言葉をゆっくりと口にする。
 ごめんなさい、わたしは義勇軍だから。まだまだしたいことがあるし、行きたいところがあるし、見たい未来があるから。だから、あなたと一緒にはなれません。


  ***


 ゆっくりと落ちていく太陽の下、往路と同じように身を預ければスルスタンの身体がまた小さく震えた。
「さっきは、助けてくれてありがとうございました」
「……フン。借りを返しただけだ」
「借りって……呆れた。やっぱりこないだの怪我のことを根に持ってるんですね。治癒魔法くらいでそんなに気にしてたら戦場ではやっていけませんよ?」
 しかも本職の僧侶ではないわたしによる、本当にただの、その場しのぎの治癒魔法だというのに。
「貴様にとっては取るに足らないことか」
 そういう意味ではないんだけれどという反論は叶わなかった。
「……なら、あの男にもそう言ってやればよかっただろう。酔っ払いの戯言にすら施しを返してやるとは、つくづくご立派なことだ」
「何かいつもより棘がありませんか?」
「知らん」
「……もう。あのですね、そりゃまあ困りはしましたけど、これでも一応プロポーズなんて初めてでしたから」
 ほんのちょっとだけは嬉しかったんですよと続けたところ、スルスタンが急に咳き込み始めた。そんなに露骨に馬鹿にして見せなくてもいいだろうに。嫌味なことだ。
「そ、そのわりには、随分と堂に入った物言いだったろうが」
「ラティたちの真似ですよ。あの辺はしょっちゅう一目惚れされて求愛されてるから、躱す姿も見慣れちゃいました」
 まあ好きになる男の気持ちはわからなくはない。というか、実際のところ無理もないと思う。瀕死のところを救われて、目を開けたらあの慈愛に満ちた微笑みがあったらそりゃ女神様だと崇めたくなる気持ちはわたしにだって想像がつく。俺が守るって奮い立ちたくなる気持ちもわかる。手を握って「大丈夫ですよ」とか言ってもらったらそれだけで信奉者になるには十分だろう。

「だからまあ、あの辺ならまだしもわたし程度の治癒魔法にそんなに遠慮しなくていいんですよ。それに、彼女たちだって仲間相手に借りや貸しなんて言いませんよ」

 次からは遠慮なく受け止めてくださいねと笑えば、少しの沈黙に続いて先ほどより幾らか低い声が返ってきた。風の魔法で増幅していなければ聞き逃してしまいそうな小さな声だった。
「き、貴様の治癒ヒールも大したものだぞ」
「……もしかして励ましてくれてます?」
「べ、べ、別にな、そんなわけではなく! た、ただ……舐めておけば済む程度の怪我には、貴様程度でも十分だと言いたかっただけで!」
「そうですね、じゃあ本格的な治癒魔法が必要ない時はわたしを呼んでください。かすり傷くらいにしか役に立てませんけど、その代わりあなたの"かすり傷"なら、きっと治してみせますから」

 無数にある古傷のひとつをなぞって言えば、その下にあるスルスタンの筋肉がきゅっと動く。本当に、この人は変なところで随分と……。
 だからどうかあんまり酷い怪我はしないでくださいね、なんて念を押す必要はないと悟ったわたしはそっと唇を閉じて、代わりに今一度の想いを込めてかたい背中に抱きついた。

「お、おい!」
「そろそろ日が落ちてきましたし。くっついた方があったかいんです」
「そういう時こそ貴様の魔法だろう」
「魔法も、ひっついてる方が効きがいいんです」

 断言してしまえば、もうそれきり言い返してくる声はない。
 代わりに溜息が漏れた気もするけれど、そこに小指の先ほどの悪意も殺意もないのならただの日常の内だ。馬の上にいるとは思えない緩やかであたたかな風を纏いながら仲間の元へと急ぐわたしたちは確かに──少なくともきっとこの瞬間だけは確かに──"義勇軍のふたり"だった。



(2017.02.07)(タイトル:銀河の河床とプリオシンの牛骨)
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