| ■ 触れる為に呼んだ名前 「ご馳走様。今日もこうして食事を取れたことに深い感謝を」 賑やかに昼食を楽しむ仲間たちを眺めながら、わたしは空になった皿を重ねてえいやと身体を倒した。満腹のこの身を転がす先は荒れた大地ではなくいつもどおりグール=ヴールの胸の中で、彼の方もすっかり慣れたものとして抱きとめてくれる。 「こうしていると、選択肢があるということの贅沢さを思い知るよ。そろそろ新鮮な野菜をたっぷり使ったサラダやふかふかのベッドが恋しくなってきた」 甘いものではなくて野菜なのかと問う声に「甘味ならシュガーがいるだろう」と返しかけて、もっと的確な表現を見つけて言いなおす。 「それにほら、わたしにとってはグール=ヴールの毒こそが菓子みたいなものだろう」 ぎゅうっと回された腕に負けないくらいの力でグール=ヴールの腕を握り返す。してやったりと見上げれば、爛々と輝くオレンジの瞳は緩やかな弧を描いていた。 「グール=ヴールの方こそ何かと不自由が多いだろう。食事だって遠慮せずに、もっと大盛りにしてもいいんだぞ?」 「気持ちだけで充分だ。本当に、足りている」 「それならいいが……うむ、グール=ヴールは欲がないな」 「そうだろうか。まあ君と比べれば大体の者は無欲に分類されるだろうがな」 「甘いな。これでも"塔"にいた頃は淡白だと呆れられたのだよ。年頃の娘とはとても思えんと何度も嘆かれた」 他愛ない遣り取りの間にも彼の指先はわたしの頬を撫で髪をもてあそぶ。わたしはわたしで、彼が流し込んでくれる毒を味わいながら乙女のように頬を染めていたりする。 ピリカあたりに見つかればまた「隙さえあればいちゃつくんだから!」と怒られるだろうが、幸い彼らは食事に夢中だ。そうでなくともわざわざ、こちらを見上げることはないだろう。 「探究のあまり己の体質まで変えてしまうような君が"淡白"とはね」 「わたしは結果として"こう"なっただけだからな。それを狙ってやろうとするような連中があの場所にはうじゃうじゃいるのさ」 「それはそれは。凄まじい場所だな」 「ああ、凄まじいのさ」 冗談めかして言えばグール=ヴールも笑ってくれた。胸に広がる高揚に従い、そのまま身をよじり彼の襟元目掛けて腕を伸ばす。頭髪の代わりにグール=ヴールの頭にひしめいているものは無数の触手だ。太さも長さもばらばらなそれは一様にひんやりとして、むちむちとして、なんとも不思議な感触でわたしの腕を覆い隠していく。 毒草、毒虫、毒蜥蜴……毒を纏うものは総じて美しく可憐だと相場が決まっているが、それにしたってグール=ヴール程の存在は見たことがない。グール=ヴールに出会ってからのわたしはおかしいことばかりだ。たとえば、賢者たちに出会う前の、ただの愚かな女だった昔を思い出すような熱に襲われたり。けれどただの女だった頃の失敗があるからこそ、わたしはこの覚えのある熱を許容できたのだから……人生というものは何が幸いするかわからない。 そう、わたしは決意したのだ。他の誰もが首を傾げようとも、たとえ張本人であるグール=ヴールにすらも首を振られようとも──わたしはこれを知識欲ではなく"恋"と定義することに決めたのだ。 最初の頃は触れようとする度に避けられ逃げられた。けれど今では、幾分小ぶりな触手が並ぶ口元にそっと唇を寄せる瞬間にすら、拒まれるのではないかという不安は必要ない。 されるがままのグール=ヴールが時折くすぐったそうに身をよじる。ああ、なんて可愛らしいひとだろう。ここが見晴らしのいい丘の上ではなくて、今が単なる昼休憩ではなければもっと良かったのに。いやそもそも、ここが戦地でなかったら──いや、それを言い出したらきりがない。味わい深い毒の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、名残惜しさを感じつつも身を剥がす。 「ねえグール=ヴール。約束してくれただろう、『行けるところまで一緒に』と」 フィーナのクロニクルを使ってもグール=ヴールが"何"なのか解りはしなかった。出自はおろか存在の区分すら不明な彼の本質は何なのか、その命はどこまでの時を刻めるように創られているのか、いつまで"グール=ヴール"として在ることが出来るのか。何ひとつ解らないまま手を伸ばしたわたしもどちらかと言えば只人の輪からは外れた身ではあるけれど……だからこそきっと、恐らく初めて突きつけられた"置いていく側"という立ち位置をこれほど想わずにはいられないのだ。多少の長寿程度ではこのひとの最期を知ることはできない。 何十年後か何百年後か、或いはずっと遠い"いつか"の大地に一人佇むグール=ヴールの姿を思い描くことは容易い。けれど、その時もまだ彼は"グール=ヴール"なのだろうかと考えればドツボにはまる。 毒に時間に、ああ、それから優しさも。グール=ヴールから奪うばかりの自分に残せるものはあるだろうかと考えてみたところで、ろくな答えは出なかった。せめて運命の賢者ともっと話をしていたらよかったと後悔しても今更遅い。"老いて"いく身で「ずっと一緒に」とは言えず、けれども言葉を欲しがった浅はかなわたしが辿り着いたものが「行けるところまで一緒に」という呆れた文言だったが、このひとはそれすらも許してくれた。 だからせめて。何一つ残せないわたしは何度も何度も執拗なまでにグール=ヴールと彼の名を口にする。起源も理由も使命も過去もないこのひとがたった一つ確かに持っている名を、何度も何度も呼びかける。永劫の先にいる彼に少しでもわたしの存在を刻み付けるように。ああ、けれどこれではまるで── 「わたしはいつか、グール=ヴールを呪ってしまうかもしれないな」 「君が?」 「あなたを置いて行くのが嫌だとか、先に逝く自分が嫌だとかさ。そんなわたしの執着はグール=ヴールにとって呪いとなるかもしれない」 「…………」 「ふふ、怒ったかい?」 「…………いや、そうではなくて、すまないが正直なんと返したものかと……いや、すまない、本当に、少しだけこちらを見ないでもらえると有難い」 「ふむ。気分を害していないならよかった。とはいえ、あなたがそんな風に困る姿は久しぶりに見た気がするな」 出会った頃はこうやって困る顔ばかり見ていたものだ。グール=ヴールからしてみれば、ただの好奇心ゆえと見えていただろうから無理もない。けれどこのひとは、昼夜もなく纏わりついては毒が欲しい毒を感じたいとねだる毒使いを手酷く追い払うことはせず、いつも静かに困っているだけだった。だからこそわたしも調子に乗ったところがある。 あの頃の、瞳の輝きや仕草のひとつひとつにまで目を凝らし心を巡らせ、少しでも彼に触れようとした日々の結果が現在である。ゆえに、こうして深く深く被り直された帽子の下にある表情など、わざわざ確かめるまでもない。 *** 遠く離れたユグドからの者たちは勿論の事、鉄煙や薄命の者たちにとっても慣れない環境は負担である。 特に夜はその傾向が顕著に現れることを皆知っているからか、誰が言い出したわけでもなくわたしたちは互いに手を差し伸べ合うようになっていた。ある者は安らぎを奏で、ある者は子守唄を歌い、ある者は闇を薄める香を炊き、ある者は凝りをほぐす術を教えた。わたしの場合の"それ"は気に効く薬酒や茶である。毒の魔女が振る舞う"薬"に一番初めに興味を示したのはたしかケ者の男だったか。ただでさえ敏感な本能を更に研ぎ澄まして生きる彼らは、毒と薬の関係にとても理解があった。 日課を終えたわたしは、余った液体を片手にいつものようにグール=ヴールの膝の間へと滑り込む。 今夜の一杯は赤い実を煮出したものを茶に混ぜて振る舞った。女子供なら椀に数滴が適量の原液を一滴残らず注ぎ込んで作った最後の一杯は紛うことなく毒なのだが、わたしにとっては依然として薬である。 こくりこくりと喉を鳴らすわたしの目の前でグール=ヴールの腕が交差し、広い胸にすっぽりと背を覆われた。嬉しくないわけがない。けれどわたしばかりが抱きしめられる体勢であることが少しだけ不満でもあったから、すぐさま椀を空にして自由になった両手で彼の腕を捕まえなおす。言ってしまえばこの陣にも夜目が利く者はいるのだが、一応偲んではいるし、なにより今は夜なのだからどれだけ大胆に振舞おうとも責められるいわれはない。 「昼間のことだが……『嬉しい』と言ったら君は私を軽蔑するだろうか」 「呪いの話がかい?」 「ああ。以前も言っただろう、たとえこの先また以前のように──あの大陸で独り"ただ在った"頃のように──孤独に過ごす日々が訪れようとも、君たちとの過去が私の心を照らし続けてくれるだろうと」 「覚えているよ」 「その上、君の想いまでもこの身に預かれるなど」 この異形にとっては十分幸福なことだ。そう続く声が本当にとろけそうに幸せな響きをしていたから、わたしは握った手により一層の力を込めてしまう。 優しいひと。哀しいひと。そして誰よりも、愛しいひと。衣類越しに伝わって来る体温すら人間のそれとは違うけれど、種族だけが互いを結ぶわけではないとわたしは知っている。"わたしたち"はもう知っている。 「では遠慮なく、その時が来たらあなたについて祈るとするよ」 「おや。呪いではなく?」 「祈りも呪いも同じようなものだろう」 「そうだろうか」 「そうさ。どちらも未来への"願い"には違いないだろう?」 だから今は、できれば"その時"が少しでも先になりますようにと願わずにはいられない。少しでも長く、このひとの周りに光が集っていますように。少しでも長く、このひとの傍に入られますように。少しでも長く、このひとが寂しくありませんように。そして、出来れば他の誰よりも長く、一呼吸分でも長く、わたしのことを覚えていてくれますように。 どうしたってお綺麗な"愛"にはなれない傲慢さを抱えたままグール=ヴールの首に手をまわす。 これだけの毒を宿し、あれほどの呪いを纏いながらも、見上げた瞳にはいつだって狂気の欠片も見つけれられない。或いは、人の身を遥かに超える毒を宿し呪いを纏いながらもこんな風に真っ直ぐな目をしていられるということ自体が、すでに狂気の沙汰なのかもしれないが。 触れ合う肌を通して重ねた口元を通して、じんわりとグール=ヴールの毒がわたしの身体に染み込んでいく。 (2017.02.18)(タイトル:インスタントカフェ) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |