| ■ 12月某日 苗字なまえという女は、いつの間にか"そこ"にいた。ふとした隙間から蛇がするりと入り込んでくるように、気が付けばもう"そこ"にいた。 いつから"こう"なったのかは三沢満善にとって定かではないことだったが、そもそものきっかけだけは明確だった。三沢満善のいとこであり、現在こうして目の前ですっかり出来上がった様子で笑い転げている青年の実の弟である吉田春がたまたま彼女と知り合い、その結果として彼女をここミサワバッディングセンターに連れて来たことが全ての始まりだった。 半年前のあの日、少年にとってその行動はなんの打算も下心もないただの人助けだった(あるいは人助けという認識すらなく、本当にただの成り行きだったのかもしれない)。それがこんな風になったことについては、恐らく色々な要因があるのだが……その大部分は、"ここ"の常連となったなまえが"誰かさん"程ではないにしてもそれなりに甘味を好んだことと、甘味を愛するその"誰かさん"が自分に対して色目を使わない彼女を気に入ったということで済ませられるだろう。つまり、まあ、そういうことだ。 けれど、いくらウマが合うからといって、こんな展開を一体誰が予想できたというのか。 てっきりこの店内で鉢合わせた際に談笑するくらいだと思っていた彼らはいつの間にか連れ立ってケーキ屋巡りをする仲になっていて、更にはこうしてディナーの感想を語り合いながらこの店に雪崩れ込むまでになっていた。 とはいえ、この夜において真に酔っているのはなまえだけであり、優山のそれはただ雰囲気にはしゃいでいるだけである。優山が用意した店なら、本命のデザートだけではなく料理もワインもサービスも確かなものだったのだろう。ふたりの年齢差を別にしてしまえば、こうしたデートもどきの行為は世間一般ではさほど珍しいことではない。けれどそれが優山ならば。女性全般に対して複雑な距離感を必要とする優山ならば、これは随分と珍しいことと言えるだろう。 そして。社交辞令のような好意のひとつひとつにも敏感に反応する優山がらしくもなく親しげに振舞う姿には何度も目を見開いたものだが、そんな彼らの交流を恐らく一番近くで見ていただろう男も自分と同じかあるいはそれ以上に困惑していたのだと、ようやく知る。否応なく、理解させられた。つまり、巻き込まれた。 「ははは。こんな将来有望なお坊ちゃんをはべらせて、なまえさんは悪いオトナですなぁ。玉の輿とまではいかなくとも利用し放題じゃないっすか」 へらへらという表現がこれ以上なくよく似合う男がほろ酔いの女に向かって叩いた軽口は、意外なことに本心からの懸念であり警戒であり牽制のように聞こえた。なるほど、いつもなら車にいる男がここまでやって来たのは、この場で満善という第三者を証人とする為か。 さすがの事態に煙草に伸ばしかけていた手が止まる。おいおい外でやってくれと言うにはもう遅く、仕方がないので息を潜めてサングラスの奥から女の顔色を伺う。図星をつかれて狼狽するか、怒るか、取り繕うか……さてどうするか。いずれにしても、面倒な展開は御免こうむりたい。 だが、あからさまに放たれた棘をなまえは軽々と跳ね除け笑い飛ばす。やっだなぁと手が振られるたびに、その指に嵌められた銀色がきらりきらりと輝いた。 「それにさぁ、そんなパワーカードをチラつかせないと重宝されないような無能じゃないし、そもそもコネひけらかすような職場でもないしさぁ。まあ、そうだねぇ、パワハラとか尻尾切りとかそーゆー裁判沙汰になるような事にならない限り頼らないかなー」 「あ、そういう時は頼るんだ」 「そりゃ、そういう時は頼るでしょ。とりあえずダメモトでも頼ってみるでしょ」 「そういうこと平気で言っちゃうとこ、オレ好きだよー」 「私も。こういうことを笑って聞いてくれるとこ、好きよー」 「「ねー」」 小首を傾げて戯れる軽やかさはまるで女同士のそれのようで、見ているだけで甘ったるくて敵わない。ああ、けれど年齢差を考慮するなら"女友達"よりも"姉妹"と言った方が的確だろうか。さすがの安藤としてもこんな風に躱されることは予想外だったらしく、参りましたねぇとだけ呟いて視線を彷徨わせてしまう。無理もない。誤魔化すように頬を掻く男を不憫に思いつつも、それでも助け舟を出してやる気だけは湧かない。もうこれ以上、面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。 ちなみに周囲のことなど全く構うことなくふわふわと笑い合う酔っ払いふたりの話題はいつの間にかまたケーキに戻っていて、今もメレンゲがどうのピールがどうのガナッシュがどうのと呪文のような言葉を次々口にしている。クリームに種類があるのかと戸惑う身からすれば、まったく異次元の会話である。誰に声をかけても面倒なことにしかならないのは目に見えているので、ふうと息を吐いて煙草に火を点ける。これを吸いながら見回りでもして来よう。 *** ……かと思えば、数分後には下ネタに花を咲かせているのだからつくづく理解不能だとしか言いようがない。 席を外していた僅かな間で一体どんな急激な路線変更がなされたのかと不思議でたまらないが、今度はちゃっかり安藤まで混じっていることがたちの悪さを象徴している。しかもその内容はどう聞いたところで彼女を揶揄するようなある意味"接待"めいたものではなく、もれなく全員"こちら側"だ。 「……あー……ほら、酔っ払いはさっさと帰れ帰れ」 追い立てようとかけた声には、自身にも分かるくらいに諦めが滲んでいた。 (2016.11.13) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |