■ 2

「……え、いつの間に起きたの」
「『俺』は眠りはしないさ。で、本題だが。お前の考えは、半分アタリで半分ハズレだな」

 にやにや笑う表情とかけられる声の調子に違和感を覚えると同時に、その存在の"正体"に思い当たる。

「……あなた、ひょっとして<冷血>さん?」
 派出須くんの中に居るという毛色の違う病魔の名を呼べば、派出須くんは……否、<冷血>は満足そうに笑った。

「いかにも」
「えーと、初めましてでいいのかしら……って、派出須くんは!? 大丈夫なの!?」
「ああ、安心していい。逸人はただ酔って眠っているだけだからな」
 なぁに、朝になれば目覚めるさ。そう続いた<冷血>の言葉は不思議と信用できる気がしたので、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。
「……あー……ねえ、じゃあ、せっかくだし<冷血>さんも一本飲む?」

 切り替えの早さは、私の美点の一つである。
 プシッと開けた缶を掲げなら冷蔵庫を指せば、くくくと低い笑い声が響いた。
 派出須くんなら絶対言わないだろう調子に、なんだかとても変な感じになる。

 当然ながら外見は同じ派出須くんなのに、雰囲気は全く違う。まるで、外見だけ似ている双子を相手にしているみたいで不思議な感覚だ。

「生憎だが、俺は酔わんからな。それの良さを理解することはなく、飲めば飲むほど明日の逸人が苦労することになるだろう」
「あーなるほど。体内のアルコールは派出須くんの管轄になるわけか」

 じゃあちょっと待っててとお湯を沸かし、コップに蜜とレモンを一絞り用意する。
 そうしてまもなく出来た一杯を酒の代わりに<冷血>に手渡した。

「ちょっと冷ましたけどまだまだ熱いから、気を付けて飲んで下さいね」
「……これは何だ」
「蜂蜜レモンですよ。ほら、蜂蜜ってアルコールの分解を助けるらしいし」

 本来なら起床時の派出須くんに渡すべきなのだろうが、この時間に<冷血>とはいえ身体が起きているのならこの方がいいだろう。それにさすがに病魔相手とはいえ、手ぶらで座らせとくのは気が引けるじゃないか。
 なお、私が酒を飲まないという選択肢は存在していない。こんな異常な状況をどうして飲まずにやり過ごせるだろうか……ということでどうか私の心労を察していただきたい。

「派出須くんが眠った後は、<冷血>さんのお時間なの?」
 問いかけると、興味津々という様子で匂いを嗅いでいた<冷血>が私に向き直る。
「いや、そういう訳でもない。逸人の制御がここまで緩むのは稀だ。……珍しく女を連れ込んだかと思ったら、馬鹿のように酔い潰れてみっともないからな。阿呆な宿主に代わり、この俺様が話し相手になってやろうと出てきてやったのだ」
 病魔に気を使われたのか私は。病魔のことはよく知らないけど……でも、これは結構、レアな状態に違いない。

「まずお前の誤解を解いておこう。知っているか。逸人がこんな風に自分の許容量を無視し、無謀な飲酒の果てに倒れたのは"初めて"だ」

 でしょうねと思いながら「そうなんですか」と頷きを返す。実際に、派出須くんは少なくとも私と一緒の時はいつもほろ酔いで止めていた。その自制が出来るところなんかも、派出須くんに対して素敵だと感じる理由のひとつだったりした。

「だが、今夜はこの部屋にお前が居るからな。緊張と混乱で取り乱してこの様だ」

 いきなり核心を突いてくる言葉を投げられ、今度はそうですかとは返せなかった。それこそ予想すらしなかった方面の話題にごほごほと苦しむ私を一瞥することもなく<冷血>が続ける。
「愚かな事に、逸人がお前を気にしていたのは最初からだぞ。お前と会う度、感情は潤い満ち溢れたからな。まあ初めはその都度俺が喰っていたから、逸人が自覚したのは最近になってのことだが」
 待ってくれ。色々と思うことはあるのだけれど、相次ぐ超展開に思考と言葉が追いつかない。何か言おうと口を開いたものの声が出ることは無く、その間にも<冷血>は言葉を重ねる。なるほどこれは確かに"冷血"だ。
「ただ、逸人はお前の気持ちには気が付いていない。ああ、誤解するな。この件に関しては、俺は何もしていないぞ」

 これに関してはお前の予想通りだと<冷血>が言った。私の知っている派出須くんの顔と声で、私の知らない笑みを浮かべながら言った。
 逸人はお前に好意を持っているが、逸人にとって好意を返されるなど思ってもみないことだからな。ただひとり胸の内で、約束の度にお前が今日も付き合ってくれるといちいち感激し、せめてお前の良き友人のひとりになれればと望むだけだ。だが、いつもはそれで仕舞いだが今夜はお前がのこのこやって来てしまったからな。逸人はふと、お前が手に入る未来もあるのではと期待し、すぐさまそう考えた己を恥じた。そして羞恥と混乱のままに酒を煽ってこの有様ということだ。まったく、情けないものだ。
 溜息で締められた語りは正直寝耳に水なことばかりで、先ほどにも増して私の頭と胸を慌ただしく掻き回していく。ああ、何もかもが許容量を超えていて一体どこからどう反応すればいいのかわからない。けれども、今はとりあえず……。

「<冷血>さんって、よく喋るひとだったのね」
「……お前、他に言うべきことは幾らでもあるだろう」


 ああ、そっか。私は派出須くんに好かれているのか。<冷血>の言葉を反芻すれば、次第に熱が上がってくる。少なくとも現状では、想いが叶う見込みなどないだろうと諦めていた。それがまさか。ああ、どうしよう嬉しい。この想いが叶うかもしれない。
 けれども、舞い上がったところでふと我に返り<冷血>の言葉を今一度ゆっくりと反芻する。

「ねえ、派出須くんは、私が彼を好きにならないって思っているのよね」

 飲み続ける酒のせいか交わした言葉の量に比例してか。病魔に向けるには随分と不相応な気安さを混ぜ始めた私に対して<冷血>が不満を表すことはなく、それどころかむしろどこか面白そうに声を弾ませるから──結果こうして許されるがまま私の口はますます緩くなっていく。

「正しくは、お前に限ったことではないがな」
「じゃあ例えば、派出須くんが目を覚ました時に、私から好きって伝えたらどう?」
「さあ……混乱のあまり拒絶するかもしれないが稀な幸運に感謝し歓喜する可能性もある。お前の想いがどう受け取られるかは、生憎だが俺ではわからん」

 <冷血>はあっけらかんと言い放つ。

「なにせ、逸人にとっては初めての状況だからな。尤もお前に都合の悪い展開になりそうだったら、生じた感情を喰ってやることもできるぞ」

 妖しい輝きを湛えた瞳と甘美な言葉にどきりとする。
 なるほど。仮に拒絶されたとしてもその"否"という決定を消せるのならば恐れることなどない。素知らぬ振りで手を変え品を変え、機を見て好きなだけ、それこそ無限に、望んだ展開になるまでやり直せる……?

「……っと、危ない危ない。もー、<冷血>さんったら誘惑しないで下さいよ。狡くて弱い私はすぐにグラついちゃうんだから。ってちょっと待って。そもそも派出須くんの思考をこんなに開示しちゃっていいの?」

 握ったままだった缶を勢いよく煽り、乱れた心を繕うように次の缶へと手を伸ばす。

「宿主の恋慕を叶えようとしているのだから、病魔としては真っ当だろう」
「けれど、こんな風にバレるのは派出須くんの望みじゃないでしょう?」
「だが逸人が動くのを待っていても埒が明かんぞ。あの調子では、お前の方が先に折れてしまいそうだったからな」
 缶を傾けていた手をぴたりと止めて<冷血>を見つめる。
「……えっと、私そんなにへこんで見えた?」
「あのまま朝を迎えて帰るとして。そして同じような展開を二・三回と繰り返すことになったとして、どうだ」
「…………」

 ああ、それは確かに、心もぽっきりと折れただろう。



(2014.03.19)
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