■ 血も涙も、今はやめましょう

 からんからんと響いたベルに頬が緩む。
 玄関まで届くようにはーいと誘えば、予想どおりの足音が近づいてくる。
 その一歩が部屋の敷居を超えるか超えないか。そんな一瞬を狙って助走をつけて飛びかかれば、たちまち逞ましい腕に受け止められた。薄い服の下にある鍛えられた胸板を確かめるように頬ずりする私を引き剥がすでも叱るでもなく、ただ「危ねえなぁ」とだけぼやいたこの男の名はバラという。

「いらっしゃーい」
「よおなまえいいこにしてたか?」

 眦を下げて私の頭を撫でる姿はきっと女に優しいイイ男に見えるだろうが、実はこの男は世間を騒がしている極悪非道のプレイヤーキラー"爆弾魔"のひとりなのだ。殴る蹴るは日常茶飯事。今はこんなにも温もりを帯びているこの手のひらだって、ひとたび戦闘となれば容赦なく振り下ろす。ついでに言えば、いやいやではなく笑って人を壊せる類の外道である。もっと言えば、泣きわめく女を容赦なく痛めつけられるタイプのど外道である。まったく世の中は世知辛い。
 けれども、そんな危険極まりないど外道でも外道以外の顔をする時もある。大事なものはとことん大事に、そうでないものは全て等しくどうでもいい──自分たち以外のプレイヤーを道端の石ころ同然に蹴り飛ばす"爆弾魔"たちは、その絆の強さ故に私には甘い。他の二人と一緒になって遊べる玩具には食いつくし、他の二人が気に入っている玩具を踏み潰そうとはしない……と言えば伝わるだろうか。あるのはあくまで彼ら同士の絆であり、私に対する感傷ではない。
 ただし、もちろんこのなまえさんだって飽きたら壊されるような玩具の地位に甘んじているつもりはないからあの手この手で成り上がろうとするわけで、結果この奇妙な関係はいびつに歪みながらここに至った。

「もちろん。いいこにしてたからいっぱい褒めて褒めて」
「バーカ、またいらねぇことしてただろ。ザコどもに襲われてたってゲンから聞いたぞ」

 至近距離で覗き込まれるだけで心臓が期待にきゅううんと甘く軋む。
 森でのことはむしろ全てが狙いどおりだったのだけれど、そんなことを知る由もないバラは子供にするように「めっ」と眉間にしわを寄せる。けれど、鼻の頭をくっつけたこの体勢で怒られたところで恐いわけがないし、心配してくれたのだと思えば気分はますます高揚するばかりなんだけどなあ。
 ただし、嬉しいと感じたところでやっぱりお説教は聞きたくないし、口出しだってされたくない。せっかくふたりでいるというのに、これ以上無粋なやりとりは御免だ。切り替えの一撃をお見舞いするのは額にするか唇にするかと少しだけ悩んで、えいやと背伸びして狙ったのは額でもなく唇でもなく──今の今まで触れ合っていた鼻の一番高い部分である。
 散々キスを繰り返した間柄だけど、まさか今そこに唇がくるとは思っていなかったでしょう?
 バラが完全に出遅れた表情で固まっていたのはほんの一瞬で、その一瞬の終わりが「どうだ」と言わんばかりに胸を張る私の天下の終わりでもあった。けれどそれでいい。ここから先に言葉は必要ない。だって、こうして瞳に瞳を映すだけでお互いが何を望んでいるのか分かり合えるから。
 吐息と吐息が混ざり合い、互いの唇が近付いていく。触れるか触れないかのぞわぞわとした感覚はあっという間に通り過ぎ、カサついた唇の感触は唾液の滑らかさに上書きされた。どちらともなく差し入れた舌を絡ませて吸い合って、深いところまで探っていく。より良い角度を求めて身体を揺らせば、覆いかぶさっているバラのさらさらの髪が私の首や肩を擽った。お互いの舌も中も唇も、触れ合うところすべてがぬるぬるで温かくていやらしい。すべての感覚がこの場所に集まっているような多幸感に身を任せれば、こくりこくりと喉を落ちていく唾液がどちらのものかもわからなくなる。けれど、そんなふうに快感以外のすべてを手放していく行為すらも堪らなく気持ちがいい。
 キスが大好きな私たちは、やがてどちらもが満足したことを確かめ合いそっと唇を離した。うん、今日のキスも最高だ。ただ唇を合わせるだけの行為なら誰とでもできるけれど、ここまでぴったりと嵌るキスができる相手とはそうそう出逢えない。
「あーもうクソッ。こんなんで誤魔化せると思うなよ」
「誤魔化すなんてとんでもない。褒めて欲しいだけなのになあ」
 甘えた声で心外だなあと付け足して、バラの首にまわしていた腕に力をこめる。褒めて褒めてたっぷり甘やかしてほしいなあ。全身を使って"もう一度"とねだればバラの目元の赤みが増す。仕返しのように耳朶を弾いた指がそのまま頭を掻き抱き、背に置かれていた手が腰へと降りてくる。最後にああもうクソッともう一度繰り返したこの人は、今度もきっと"最高"をくれるだろう。


  ***


 次に唇を離した時にはさすがにふたりとも酷く息が上がっていた。言葉にするとこれだけだけど、消耗の度合いはまるで違う。だってほら、立つのもやっとなこの身体を預けてもバラはびくともしない。厚くて、硬くて、それでいて絶妙な弾力をもつ胸筋に縋りつけばどくりどくりと心臓の動きが伝わってくる。それがどうしようもなく嬉しくて、私の心臓も同じように跳ねているのだと知らせるつもりでより一層身体を押し付けたところバラの全身が強張った。
「ちょっと待てって。あんまりかわいーことされると止められなくなるだろ」
「止めちゃうの?」
「そんな目で見るなっての。お前だって自分の状態わかってんだろ?」
「でも、今がいい」
「……シャワーくらい浴びさせろ」
「やだ」
「やだってなぁ……こっちは一仕事終えた後だぜ?」
「知ってる」
 さすがに流血沙汰の後ならこんなことは言わない。ただ、今日は見た感じ平穏に済んだようだったし、今だって汗と興奮のいい匂いしかしないから。口にする代わりに胸元で思いっきり深呼吸をしてみせればバラは降参だと両手を挙げた。

「お前さぁ、何でそんなかわいーの?」

 人ひとりを難なく抱き上げてベッドまで運ぶという百点満点の行動を経てのしかかってきたバラが手早く服を脱ぎ捨てた。
 バラのこの大きく盛り上がった大胸筋が、私は特に好きで好きで堪らないのだ。ふらふらと吸い寄せられるように指を這わしたならば、くすぐったそうに身を捩られる。
「なんだぁ、なまえちゃんってばそんなにオレのおっぱいが好き?」
「うん大好き!」
「オレもなまえのおっぱい大好きだぜー」
 にかりと笑ったバラがこれ見よがしにわきわきと指を動かすから、思わず吹き出してしまう。
「やだー、バラってばオヤジくさいよー」
「でもこーやって揉みしだかれるのも好きだろ?」
 言うが早いか浮かれた声に引き上げられる。寝転んでいた私をひょいと前にやり、後ろから抱きかかえるように座り直したバラの両手はしっかりと私の胸を捕まえてしまった。
「あー……やっぱコレだわ。両手にずしっとくるこの感じが堪んねぇんだよな。あー……いいわコレ、癒されるわー」
 突然の刺激に堪らず反らせた首筋にすかさず唇が寄せられる。弱いところをべろりとひと舐めされるだけでも充分だというのに、こうして心底気持ちよさそうな男の声を熱い吐息に乗せて注ぎ込まれてしまえば、耳の奥までがじんじんと痺れ始める。惚けながらも咄嗟に身を引きかけたのはただの反射だったのだけれど、分厚い胸板はそんな無意識すら許してはくれない。密着した肩よりずっと下のところでは、熱くて硬いものがごりごりと肌を擦った。
 汗ばむ背を熱い身体に預けながら、ゼロ距離から薫る男の匂いにくらくらと残りの理性も剥がされていく。
「ほらやっぱり。お前ってこうされるの好きだよなぁ」
 確かにめちゃくちゃに揉まれるのも好きだけれど、それだけだったらここまで跳ねたりしない。媚びるような甘い声が後から後から漏れていくのは、いやらしい動きをする指先がしきりに先端をいじっているせいだ。ぎゅうっと鷲掴む時にすかさず爪を立ててきたり、絞るようにすぼめた指の間で押し潰したり。器用な指先と大きな手のひらを贅沢に使われたらこうなってしまうしかないじゃないか。
 バラの両手の動きは止まらない。堪らず肩や頭を振る度に、逞しい筋肉に受け止められる。
 いつしか、私は自分からバラのものに手を伸ばしていた。せがまれたわけでも命じられたわけでもなく、ただ触りたいから触っていた。ただでさえ頭の中はこんなにもぐちゃぐちゃで、さらに不自由な後ろ手となればまともな愛撫は行えない。だからきっと、これはバラのためというより私自身のために違いない。だってほら、がちがちに硬くなっているこれに触れているだけで、ますます気持ちがよくなっていく。
 ひっきりなしに喉を鳴らしながら懸命に手を動かす私の後ろで、バラがまた楽しそうに口を動かした。
「なまえは本当にかわいーなぁ。そんなイイんだ?」
 堪らず一際激しく跳ねたタイミングで離れた手のひらが、私の腰を撫でてぐいっと引く。じゃあこういうのはどうよ。際どい角度から腰を擦り付ける彼が、何をさせるつもりかは明らかだった。
「そうそう。そのまま腰を落として挿れてみせて」
 そしたらいっぱい触ってやるからさと続いた言葉はつまり、ちゃんとやらないとお預けだということか。とっくに欲しくなっていたところにこの仕打ちとはズルいというか酷いというか。久しぶりに組み敷かれたい気分だったけれど、こうもにっこり笑って甘えられたら逆らえない。大して触れられていないにもかかわらず私の方もすっかり準備が出来ているから、きっと少し頑張れば簡単に入ってしまう。そうっと近づけて腰を揺らせば、恥ずかしいくらいにぬるりと滑った。我ながらこれは……さすがにちょっと、濡れすぎではないだろうか。
 今日はまだ指一本だって挿れてもらっていない。敢えて何も触れないままで置かれたこの場所が今からこの硬い熱に開かれるのだと思うとぞくぞくする。押し広げられる快感を想像するだけで揺れてしまう腰を無理やりなだめて、すっかり覚えてしまったかたちを求めてゆっくりと腰を落としていく。一番早く触れ合った粘膜がぴちゃりと音を立てた。入り口のところだけでこんなにも気持ちがいいのだから、奥までいっぱいになったらどれだけのものだろう。つやつやの亀頭を味わうように浅いところを行ったり来たりさせた後、意を決して足の力を抜いた。たちまち、めりめりと内側をこじ開けられる感覚と自分のものではない熱に侵食される感覚がやってくる。待ち望んだ刺激にぶるりと身を震わせた瞬間、バラが感極まった声を上げた。
「あーもうヤベェわ。お前本当かわいすぎるって!」
 軽い力でいとも簡単に前に倒された。たったそれだけで、背面座位はただの後背位に姿を変える。
「ひゃぁんっ!? え、ちょっと、約束が」
「あー……うん、悪い。無理。次はちゃんとしてやるから──今はこのままヤらしてくんねぇ?」
 宥めるように降ってきた声に謝罪の色はまるでない。この状態で嫌だと言ったところで聞き入られるとは到底思えないし、どうせまだまだ時間はあるのだ。仕方ないなぁと喘ぎに混ぜて苦笑を漏らせば、待ってましたとばかりに奥深くまでえぐられた。ほぐれきれていない内部に対する気遣いなどまるでないけれど、そんな気遣いが必要ないことは私が一番よく知っている。
 だってほら。組み敷かれてめちゃくちゃに扱われて、それがこんなにもきもちいい。



(2017.09.10)(タイトル:インスタントカフェ)(すごく気安く「かわいい」って繰り返して欲しい)
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