■ ご飯を食べよう〜沖縄料理編〜

 待ち合わせまではまだ結構な時間がある。
 けれど、だからといってそこら辺のお店で、適当に時間を潰す気にもなんとなくなれなくて。
 結局目印の噴水の前でじっと待つことにしたのだけれど、これが思った以上に辛かった。……だからだろう。普段なら気にも留めないような光景に、今日に限って目を引かれたのは。

 入れ替わり立ち代わりやって来ては、やがて相手を見つけて去って行く幸せそうな人たち。
 彼らを横目に、何度目かの溜息を吐いた時だった。なんとなく彷徨わせた視線は、そのまま広い道の一角に吸い寄せられる。
 "占"と書かれた立て看板の横に座る男性は、仕事帰り風の女性を相手に、今まさにお仕事の真っ最中だった。そういえば、何度か見かけた気がするな……辿る記憶があるという事は、今までも確かにこの看板を見ていたらしい。
 けれど、あくまで風景の一部として認識しかなかった。それくらいに今日まで興味は無かったし、声をかけるなんて発想も微塵もわいていなかった。
 なのに、なぜだろう。一度意識を向けてしまったからか、それともこんな気分だからか。今日の私は、その占い師がとても気になる。信じる信じないではない、遊びでする占いの延長だとでも思えばいい。そんな軽い気持ちで、ふらりと「みて」もらおうか。そんな、普段の私が聞いたら驚くようなことを考えてみる。うん、たまには変わったことを経験するのも、いいかもしれない。
 ああそうだ。あの人が終わって、それから五分待ってみて、それで他の人が座らなかったら……そうしたら、声をかけてみようか。まったくもって私らしくない思い付きだ。けれど、なぜかそう悪いものにも思えなくて、緊張に高鳴る胸でごくりと唾を呑み込んだ。待ち人を待つと同時に、彼らの様子を伺っていた私は、やがて占い師の前から女性が一礼した瞬間からきっかり五分を確認して、ゆっくりと足を動かした。


「やあなまえさん、お待たせ!」


 三歩四歩と進んでいた足を止めたのは、聞き慣れた……待ち望んでいた声だった。
 ごめんね、遅くなっちゃった、と駆け寄る派出須くんの言葉に慌てて視線を手首に移すが、文字盤の針は約束の時間を指してもいない。
「遅くなったって、やだなぁ。時間まで、まだ十五分もあるんだけど」
 そんなに急がなくてもいいのに。くすくすと笑って見上げれば、はぁはぁと上擦った息の派出須くんはなんだかとっても真面目な顔でこちらを見ている。

「や、まあ、そうなんだけど。でも、なんかなまえさんてばどこかへ行っちゃいそうだったし……」

 そう言われて、ああ、と気が付いた。そういば、手相をみてもらおうと思っていたのだっけ。
 ちょっとの退屈しのぎのつもりだったのだけれど、逆方向から来た派出須くんには、私の姿は帰りそうに見えたのだろう。
 それにしても。まったく不思議なもので、数秒前の私はあれほど占い師を気にしていたというのに。現金なもので手持無沙汰が解消された途端に、手相も占いも全部どうでもよくなってしまっている。
「あー。まあ、ちょっと暇つぶしに手相でもってふらっと思っただけよ」
 えっと声を上げた派出須くんに、ほらあそこ、と看板を指さす。ああ、と納得したように頷いた派出須くんは、安心したようにふわりと笑った。
「えーっと、じゃあ……行ってらっしゃい。僕はここで待ってるね」
 当たり前のように言われて、目が点になる。おいおい派出須くん。だからどうしてそういう流れになるのかね。

「え。だって、なまえさんはみてもらいたいんでしょう? 個人的なことを僕まで一緒に聞くわけにはいかないし、だったらここで大人しく……あ、そうか、荷物預かっとくね。ごめんね気が付かなくて」

 おいおい。何を言っているんだ君は。しかも、なんでそんな言い方を……。
 まるで私がかなり自己中心的な人物で、いつも君をそんな風に都合のいい犬扱いしているみたいじゃないか。他人とはいえそれなりに人の目のある場所で、堂々とそんな人聞きの悪いことを言うのは止めてくれないかね。

「ちょっと待ってストップ。まずは……そうね、気を使ってくれてありがとう。でも待っている間の時間潰しにと思っただけだから、派出須くんに会えた今、手相は別に目的じゃないの。ああ、鞄も自分で持つから大丈夫」

 言葉をまっすぐ受け止めるというか、融通がきかないというか、自己評価が低いというか。特殊な身の上だからか、元々の性格だからか。あるいは、それらの要素が絡み合った結果なのか。
 派出須くんには、たまに「こういう」所がある。
 自分が絡む事に関しては(特に好意に関して)彼はなぜか非常に不慣れな振る舞いを見せる。例えばここで私が、そんな彼に覚える不愉快な気分のまま困惑を示したとしたら……きっとその理由も意味も意図も、派出須くんには理解出来ないだろう。
 空気を読むだとか察するだとか、そういうのも含めて対人スキルが一定方向に鈍感過ぎる青年にもわかるよう、(そして周囲の人への誤解も速やかに解くために)私はぱぱっと素早くかつ丁寧に、感謝と否定と訂正の言葉を口にする。

 そして。
 さあ行こうと私の自慢のヒールを鳴らした先は、手相の看板とは真逆の方角だった。


  ***


「ねぇ、あのさ。僕でよかったら、話くらいは聞くよ……?」

 今日のお店は、三途川さんに強くおすすめされた沖縄料理店だ。
 ひょんな一件以来、なぜか彼女に気に入られたようで、時々こうして美味しいお店を教えてもらっては派出須くんと行くようになった。ついでに言えば、教えてもらうだけでなく、たまに女二人で食事にも行っている。
 そしてその度に思うのだけれど、本当に、彼女の行きつけのお店は美味しい。基本的に、どんな傾向のお店に行ってもはずれない。今夜のお店も当然ながらドストライクで、箸を持つ右手もグラスを持つ左手も大活躍だ。

 思いつめたような派出須くんの一言が聞こえたのは、そんな食事の最中だった。
 何杯目かの泡盛を片手に、上機嫌でブタの耳が躍るサラダに舌鼓を打っていた私は、その言葉に一体何の事やらと目を見開く。

「え、どうしたの急に。っていうか、さっきからずっと話してるじゃない?」

 明日葉くんが優しいだとか藤君が最近なんだかやる気だとか、安田君が本当に最近おかしくて、美作君が手を焼いているとか、そういうお馴染みの話題が確かに多かったけれど、でも派出須くんが楽しそうに話す姿はとても可愛いので私としては内容に不満は無い。
 それに、このサラダが美味しいとかお肉がぷりぷりだとか、金融緩和の影響がどう出るかだとか、私が投げる話題にもちゃんと反応していたじゃないか。
 それに、正直な所、結論ありきのディベートがしたいわけではないし、脱線上等なので別に話がどう終息するのかは、重要視していなかったりするし。まあ、とは言ってみても、結論が必要な話ならちゃんとそう対応するけれども。でも今はまだ、別にそんな感じじゃなかったでしょう。

「じゃなくって、何か、悩み……とか、困っていることとか……あるんだろう?」
「……えーと。どうしたのよ急にそんな真面目な顔して」

 ぱたぱたと手を振ってみても、派出須くんの視線は揺るがない。
 けれど、閉じられた口元も揺るがない。……いやあの、だから。思う事があるのなら、何か言って貰わないとですね。私だって、さすがに反応に困りますよ。

「……だって、手相占い……」

 ようやく紡がれた言葉に、ああ、と目が丸くなる。
 何かと思えば、まさかこの人はずっとそれを気にしていたのだろうか。

「いや、あれは本当にただ、視界に入って気になったというか……」

 別に特に悩みがあったわけじゃ、と笑い飛ばそうとするのに、派出須くんの表情は変わらない。
 なんとなく、なんて理由じゃ納得しそうにないその顔に、私はついに観念した。でも、別に。本当に、心底参っていたりするわけではないんだけど。海ぶどうを箸先で突きながら、そっと苦笑する。

「あーあ、派出須くんてば変に勘が鋭いんだから。……でも、気を使ってくれるのは嬉しいけど、本当に別段重要なことじゃないんだからね。ただちょっと、人間関係の機敏に疲れたというか、手っ取り早く誰かに立ち位置を教えてもらいたかったというか」
「……何があったの、って尋ねてもいいかな」

 そう構えられると、困ってしまう。
 別に守秘義務に引っかかる類じゃないけど、面白い話ってわけでもない。
 ただのよくある社内恋愛の一幕に、勝手にもやもやしているのです……なんて、わざわざ話すのも馬鹿らしくなるくらいにつまらない話題じゃないか。
 営業部に在籍する数歳上の同期が、補足すると入社時からよくつるんでいた男が、この度めでたく結婚することになった。相手は案の定うちの社の若い子で、先輩後輩の二人はいつの間にかくっついてゴールインを決めた。それはよくある社内恋愛の果ての、よくある結末だ。
 別に、あいつが結婚すること自体はめでたいと思うのだ。私たちは仲はよかったけれど、それは恋愛を伴わない、あくまで同僚としてのものだったし。ただ、その若い子というのはが……入社時から私が(今思えば恥ずかしいような先輩風を時折ふかせつつも)可愛がって可愛がって可愛がった子だった。チームの先輩にもなったし、上司にもなったし、時にはお互いに傷付いたりしながらも、私が育ててきたと胸を張って言える子だった。
 いや、本当に、結婚自体はおめでたいと思うのだ。あの子だって嬉しそうにしていたし、まあ、多少ガサツだけど相手の男もいいやつだとは思うし。
 でも、出社するなりにこやかに知らされたのが、休職じゃなくて寿退社の知らせってことだったり、悪気だけは無いと信じたい絵虜を知らない上司が、きっとセクハラと思うことなくぽろりと漏らした私への言葉だったり……そういうものが、地味に静かに、この胸に薄墨を塗りたくってくれたのである。

「……ってまあ、これだけのことなんだけどね。ま、パーッと食べてパーッと飲めばすっかり元通りになるのはわかってるんだけど、ちょうど居合わせたからさ。占いって名目で適当におしゃべりできたら、ちょっとはすっきりするかなとか、何か望んだ言葉がもらえるかなって気分になったのよ」

 柄にもないねと照れ隠しに笑ってみて、そうだこっちのお皿のも食べなきゃねと、テーブルの端に追いやられていた小皿へと手を伸ばす。けれど、その手はお皿に届く直前でがしりと掴まれてしまった。

「あの、派出須くん……?」

 その目はさっき以上に真剣だった。
 私、そのお皿を取りたいんだけど、なんて言える雰囲気ではない。

「なまえさん……あの、無理に言わせてごめん。でも、その……感情っていうのは……無理やり蓋をしちゃいけないんだ。もちろん、我慢することも、場を選ぶことも大事なんだけど……でも、どこにも出さないまま、圧迫して歪めることは駄目なんだ……病魔に付け込まれる、絶好の隙になってしまうから……」

 ああ、なるほど。ようやく、派出須くんがどうしてここまで拘っていたのかが腑に落ちる。
「なるほどね。でも、病魔って大人はそうそう罹らないんじゃなかったっけ?」
「経験を積めば積む程、だいたいの人は感情の制御も発散も上手くできるようになっていくからね。……例えば、なまえさんが惹かれた手相占いみたいに、色々な手段と上手く付き合うことで、心は病まずにいられる」

 けど……さっき……と、どんどん尻すぼみになる派出須くんは、見るからにしょんぼりしていた。
 これはもしかしなくても、その発散の機会……つまり手相をみてもらおうかな、という彼に言わすと"自衛"の一環な行動を、派出須くん自身が邪魔してしまったと思って気にしているのだろうか。わかり難くてわかりやすい派出須くんに、私は思わずふっと笑みをこぼした。

「ねぇ、派出須くんってばそこまで気付いているくせに、肝心なことには気が付いていないでしょう」

 打って変わって上機嫌な私に、派出須くんはこてんと首を傾げる。
 ああもう、だからいい年した男がそういう動作をすると、なんかもうあざといっていうか可愛過ぎるんだって! なんだこの天然は!

「そりゃぁ、手相占いで心中吐露はしなかったけど。でも、今こうして派出須くんとご飯に来ているってだけで、充分すぎる程のストレス発散と気分転換と元気チャージになっているんだけどなぁ?」

 心の鼻血を噴出させながら、あくまで表面上は余裕の微笑みを取り繕って見つめれば、派出須くんは案の定きょとんとこちらを見つめている。
 言われたことが理解できない、という様子の派出須くんは、やっぱり他者からの好意に鈍すぎる。
 やれやれと呟いて、未だ握られていたままの手をそっと剥がし……今度は私から重ねてみようじゃないか。ついでに、指の間を滑らせて、意味深に指を絡めたり……あ、これにはさすがに赤くなるのね。
 まるで大学生か、ひょっとしたら高校生でも相手にしているような反応に、可愛いなぁなんて思う私は重傷だろうか。
 でも実際の所は、そこらの学生よりもずっと残念な思考パターンを持っているのが派出須くんだから。
 だからあえて、駄目押しの言葉を続けよう。

「さっきも言ったでしょう? パーッと食べてパーッと飲んだらすっきりするって。食べにいくなら美味しいのが大前提だけど、同じくらいに大前提なのが『誰と食べるか』ってことなんだけどなぁ?」

 ……ねぇ、私、派出須くんとご飯食べるのが大好きなんだけど。
 今更言わなくても、それくらいの自覚は持ってて欲しかったなぁとか。
 口実が無くてもご飯に行きたいし、むしろ一緒に作って食べたりできる関係になりたいんだけどなぁとか。
 もうこの際タイミングとか手順とか軽やかにすっ飛ばして、派出須くん自身が好きって言ったらどうなるかなぁとか。それはもう色々と思ったのだけれど、結局それらはまだ隠しておく事にして今夜は「そういえば、派出須くんはどうなのかな?」という問いを発するに留める。

「……えっ……僕は、僕はそりゃあもちろん、不満なんてある筈も……っ、……っと、違う。えっと、そうじゃなくて……その、あの……僕も、なまえさん、との食事は……凄く、楽しい……です、よ」

 うわぁ。
 まあ派出須くんのことだから、さくっと何の意図もなく「好きですよ」とか返される可能性も考えていたけど、これは正直予想外だ。「可愛い」で済まされる範囲の赤面をさくっと通り越して、もはやなんだか紫になった顔色で挙動不審にガタガタ震えているし、目も大きくぎょろりと見開かれていて……正直ちょっとしたホラーだ。私としてはむしろ、レアな反応にいい感じにゾクゾクするけど……後ろの方で立て続けに、グラスが割れたりお箸が落ちた音がしているから、きっと慣れていない人にはかなりきつい感じなんだろう。
 もう少しこの姿を観察したい、なんて意地の悪い思いが顔を覗かせるけど、居合わせた人たちを巻き込んでまで貫くようなものではない。

「……そっか、よかった。じゃあ、このお皿貰うね。ほらほら、派出須くんも早く食べないと、このままじゃもうすぐ来る天ぷらを置く場所がないよ」

 相変わらず、明らかに動揺している派出須くんに向かって余裕の顔で笑いかける。
 そのまま至って自然な流れで、絡めた指をひょいとほどいてお皿を手に取る。そんな私に呆気にとられた派出須くんだったけれど、やがてつられるようにお箸へと手を伸ばした。
 未だ本調子じゃない様子ではあるけれど、もそもそと豚料理に箸をつける姿にはもう先ほどのギリギリ感はない。なんて思っていると、私の視線に気づいた派出須くんと目が合う。
 ……さて、どうしよう。
 なんだかんだで、気遣ってもらったし、気にしてもらったし、珍しい姿も見られたし、なかなかに得るものが多い夜である。
 それに、ちょっとくらいは、"そういう"意味で意識してもらえただろうか。自分が好かれている。という自信を強めてもらえただろうか。思いはいっぱいあるけれど、それでもやっぱり今日は隠して「このお酒も凄く美味しい」と能天気な笑顔でグラスを傾ける。


 そう。"今日の所は"隠すけれど……いつまでも、このままではいられない。
 思いに蓋をしないように。
 圧迫して歪めないように。

 なにせ、当人の口からあんなに強く言われてしまったら、こうして黙っている私が駄目駄目みたいじゃないか。
 せっかくゆっくりと君のペースで関係を作っていくつもりだったのに。
 ……私を炊きつけた責任は、ちゃんと取って貰わなくちゃね。

 さーて。
 鈍くて恥ずかしがり屋でとっても可愛い君に、どうやってこの思いを伝えようか。



(2014.08.11)(仕事辞めたいシリーズ)(冒頭の占い師は<劣等感>の副業モード)
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