| ■ その時彼女が現れた 納期直前での仕様変更、しかも一切の延長無しなんて、こちらを人間だと思っていないにも程がある。 もう本当にあのクライアント爆発しろ。それも、しっかり払うもの払った後で。とりあえずあの担当は今度来たら只じゃおかないからな。今度顔出した時に、旨い茶が飲めると思うなよこんちくしょう。ていうか今月の残業代って幾らだよまったくもう。 なんて悪態をつきながら眩しい太陽の下をヘロヘロになりながら歩き、二日ぶりの我が家に帰宅してみれば。 テーブルの上に置きっぱなしにしていた携帯電話は、ちかちかと光を放っていた。 ……正直、手に取ることすら面倒である。 さすがに、ずっと一緒にいたチームの連中ではないだろう。彼らには、携帯を忘れたと話してあったし。 しかし、それでも。退社から帰宅までの数十分の間に、また何かしらの問題が発生し、無慈悲な通達が発信されたという可能性もゼロではない。その場合、無論メール開封後は素知らぬ顔で無視を通すとしても……まず第一に視界にすら入れたくはない。 が、同時に、ただのメルマガという可能性もある。そしてまた、親しい友人からメールが来ているという可能性も、無きにしも非ず。……となれば、内容次第によっては見なかったことにするのは当然としても、一旦はとりあえず開いてみるしかないじゃないか。 ボタンを押せば案の定、充電切れ一歩手前の表示と共に数通の新着メールと着信が主張を始める。 メルマガ、メルマガ、メルマガ、会社、メルマガ……そんなどうでもいい名前の後に無視出来ない差出人名が目に入る。数段飛ばして真っ先にそのメールを開封してみれば、そこに綴られていたのは予想外の内容だった。 簡潔な文章は綴られる事態の深刻さを象徴しているようで、あれほど身を悩ませていた眠気も疲労も見事なまでに吹き飛んでしまう。 ベッドに倒れ込みたいという思考一色だった数秒前までの自分に別れを告げ、脱ぎたてのヒールの代わりにスニーカーを引っ張り出す。そのまま走って、乱れた髪のまま捕まえたタクシーに乗り込み告げる行先はメールにあった住所だ。 すなわち──三途川千歳の、恐らく無数にあるであろう、邸宅のひとつ。 意識を揺り動かす「お客さん、お客さん……」という声に目を開ければ、成程。そこには確かに、三途川趣味というべき洋館が佇んでいた。一応、ここの筈なんですが……。明らかに只者ではない佇まいを横目に言い淀むドライバーに礼を言い、僅かな間も惜しんで会計を済ませる。ああ、さようなら諭吉さん。いらっしゃい野口さん。 *** 機能しているのか不明なレトロ過ぎる呼び鈴は無視して、鍵の開いている扉をさっさとくぐってみるが目指す場所など当然わかりはしない。 連絡をくれた三途川さん本人に私から連絡を取ろうにも、残念ながら携帯の充電はとっくに切れてしまっている。僅かに散布する土と、閑散とした建物が意外と響かせる音を頼りになんとかその場所へと辿り着いた時……状況は波乱の一瞬を刻んでいた。 『──逸人の失った記憶 俺は全部覚えている──』 聞こえて来た声は、派出須くんのようでいて、派出須くんのそれでは無かった。 けれど……私は、この声を……"彼"を知っている。 ただし、曲がった通路の先に見えた"彼"は、以前会った時とは比べ物にならないほどの圧迫感をまき散らしている。今すぐ駆け寄りたいのに思いに反して足がすくむ。 私という新たな観客に気が付いた"彼"の視線は一瞬こちらを向いたものの、すぐに眼前の少年たちへと戻された。おかげでふっと冷静になれた私だったけれど、それでも動いてくれない足には諦めの溜息を吐くしかない。 とりあえず今は、ここからの状況を見守ろうか。間違っても「あら<冷血>さん、お久しぶり〜」なんて話しかけられる状況では無いのは、確かなのだし。 『なにぶん俺も 腹が減ってる────…』 どさり。意識を無くした派出須くんの身体が崩れ落ちた。 それに伴い、充満していた圧迫感が消えて私の足はやっと制御を取り戻す。とりあえず……わけがわからないなりに傍観を続けた結果この現状がどういうものかはは少しだけ把握できたつもりだ。倒れた派出須くんに駆け寄る人々の輪に、遅ればせながら混ざりに向かう。 「なまえくん!? 来てくれたのか!!」 「え、なまえさん!?」 ……さすがに、こうも注目されると居心地が悪い。 「あはは、遅くなってしまって申し訳ありません。……すみませんが、簡単な状況説明をいただけますか?」 駆け寄りついでに、ちゃっかり膝枕の役得を享受した上で尋ねる私に、三途川さんは大きな目をぱちりと瞬かせた。 *** 「ははぁ。……まさか、昨日今日とそんな怒涛の展開になっていたとは」 三途川さんを筆頭に、少年たちの言葉も交えて語られた内容は私の矮小な脳みそで考えた想定の範囲など遥かに超えていた。暑くも無いのに嫌に汗ばむ肌が不快極まりない。 「『男子三日会わざれば刮目して見よ』とは言うけれど……凄いねぇみんな。よくもまあ、そんな連中相手に奮闘して、勝利までしたもんだわ」 言われてみれば、なるほど。少年たちの姿は以前の記憶より、一回りも二回りも大きく見える。 「なまえちゃん……注目するのは、そこじゃないと思うわ」 眩しさに目を細める私に、鈍さんの声と共に複数の頷きが向けられる。 そのまま私が何か言う間もなく、三途川さんが苦し気に声を絞り出した。 「そうだ……。とはいえ、見ての通り現状の我々には何も出来そうもない。〈冷血〉の言葉を信用し、待つしか出来ないのだ……」 握りしめる手の平に爪が突き刺さっているのを感じ、そっとその手を握り返す。実年齢は不明だが、見た目はあくまで愛らしい少女であるこの人が、こんな風に歯を食いしばる姿は痛々しくて見ていられない。 「……大丈夫ですよ。<冷血>さんは、あれでなかなかいい人ですから。あの人が待っていろって言ったなら、当然大丈夫ですよ」 言いながら華奢な手に重ねた私の手も、熱を失いわずかに震えていたのだけれど。 けれどもそんな、恐れに満ちた内心を押し隠して気丈に振る舞う私の姿よりも彼女に強く響いた事は、私の言葉の方だったようで。 「なっ……! まさか!? なまえくんは、あいつを知っているのか!?」 「……ええっと……。まあ、少し前に一度だけですけど、少しだけ話しをしましてね……って、あれ?」 三途川さんだけでなく、鈍さんや少年たちにまで目を剥かれ今度は私が面食らう。 「いつ!? なんで!? 大丈夫だったの!?」 「いやまあ、凄みとか圧迫感とかは今日とは段違いでしたけど……。ああ、その時は……恋愛相談に乗ってもらって。それはそれは、優しく励ましてもらっちゃいましてね」 あの奇妙な時間を思い出せば、平和過ぎて笑うしかなくなる。 そんな私の言葉を受けて、力の抜けてしまった鈍さんはへにゃりと床に座り込んだ。けれど、不甲斐なくて申し訳ないと言って唇を噛む三途川さんの精神は、どう見てもぼろぼろのままだ。 「まあ、そういうことで……きっと今回も大丈夫だから。<冷血>さんが言う通り、私たちは"彼ら"を信じて……待ちましょうか」 口をついたのは、どう考えても楽観的で、気休めにもならないような言葉だった。 けれど、そんな言葉を能天気に言ってしまえるような人間が、この場に私以外いるだろうか。 そんな気分で、精一杯に余裕な顔をつくり、一同に微笑みかける。……だって、ねえ。この重く苦しい空気が充満する今こそが、遅く登場した私の頑張りどころに違いないのだから。 *** 形のいい頭の下にある太腿に、じんわりと熱が伝わる。 頬を撫でる手には、がさりというひび割れと共にいつもの体温が感じられる。 ああ、本当だ。言われて見ればいつもよりひび割れが激しい。改めて視線を向ければ、はだけた襟元やその奥にも普段より激しく広がるひび割れを見つける。 ふと、身体を覆う無数の亀裂が妙にセクシーだと気が付いてぞくりとする。今は見えないが、背中も、いやおそらく全身がこのような状態なのだろうか……ごくりと喉が鳴る。おいおい……こんな状況でさえなければ今すぐ剥いで襲いたくなるほどに、色っぽいじゃないか。 「なまえくん、すまないが、少し落ち着け」 子供たちが見ている、と耳打ちされて、自分の表情が別の意味で緩んでいたことを知る。 荒くなっていた息とねちっこさを増していた指先も慌てて引っ込める。危ない危ない。今は、少し硬めのこの髪をゆっくりと撫でるだけにしよう。 触れる身体は、暖かい。 息も、しっかりしている。 なにより、彼は"あの"派出須逸人なのだ。 大切な子供たちが集まる中、期待を裏切るような真似はしない。 そう。だからきっと、大丈夫だ。 祈るような思いで、私は目を閉じた。 (2014.03.27)(第77診 追憶より冷血の台詞を引用しています) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |