■ 秘すれば花-これが、日常-

「お前、馬鹿だろ」

 ベッドの中、情事の余韻が醒めた空間に言葉を放てば、背中側で女がもぞりと反応する。
 なにがと問いを返す女に、やはりこいつは確かめるまでもなく馬鹿だったのだと、ゲンスルーは軽い後悔を覚えた。なんなのだ。事後とはいえ、この状況に置いて不釣り合いなほどの油断し切った声は。いや、状況的には間違ってはいないのだが、前提条件からしてこんなことになるわけがないのに。

「お前はどうも、思い違いをしているようだがな、いいか、そもそもお前がオレらといるのは自分が死なない為だろうが」

 死なない為。
 それはつまり、爆弾魔に殺されない為。生きる為。

「ご機嫌伺いは元々合格レベルなんだ……だからこうしてお前はここに存在していられる。だが、誰の目もない所でまで恋人ごっこに興じる必要はねぇんだぞ」

 他プレイヤーの目を欺くために、ゲンスルーがなまえに振った役柄は"恋人"だった。
 しかしそれはあくまでも、外野に向けてのアピールであり、つまりは嘘である。嘘と知っている者同士の空間でまで厳守する必要は一切ない。そんな男の呆れ口調を受けて女は、いち、にい、さん……と数秒置いた後、むくりと起き上がった。

「つまり、ゲンスルーは私のことが好きってことね!」

 ベッドサイドの水へと手を伸ばしていたゲンスルーが、バランスを崩し派手にずり落ちる。

「え、ちょっと。大丈夫?」
「……今の話の何をどう受けとって、そう結論付けた」

 不満と困惑顕わな男の顔を見て、女がにやりと笑う。
 この不敵な笑みと、常とは違う気安い口調が彼女なりの戯れの合図だと、ゲンスルーが気がついたのはいつのことだったか。

「ふたりきりの時は、恋人ごっこは関係ないんでしょ? なのに、ゲンスルーこそとっても優しいし甘いじゃない。……それってつまり、本心からってことよね」

 さあ遊ぼうと言わんばかりの瞳を受け、わずかな困惑の末にゲンスルーもにやりと笑い返す。

「ほう、ネジが外れても動くとは。お前の頭は随分とおめでたくできていたようだなぁ」
「褒めてくれてありがとう。でもさすがの私も、まさかゲンスルーが私の事を好きだったなんて気が付かなくて……『思い違い』をしてごめんなさいね」
「オレの方こそ、盛大な勘違いをさせてしまってすまないなぁ。あんまりにもお前の反応が良過ぎたもんで、気を回しているのかと思ったんだが……いや、オレの考え過ぎだったな。お前が根っからの淫乱だということを、すっかり失念していた」

 やれやれと息を吐くゲンスルーを軽く睨んだ後、なまえは無言で男の頬へと手を伸ばした。
 面長の頬を左右の手で包み、えいっと小さな掛け声と共に身体を起こし、勢いのまま男の唇へと顔を寄せるなまえをゲンスルーも黙って受け入れる。

「誰が淫乱よ。失礼なことを言うのは、このお口?」

 合わせた唇を一旦離し、触れるか振れないかの距離でなまえは囁いた。
 ゲンスルーが何事かを返そうとする気配を感じているだろうに、再度の口付けを強引に開始する。今度は、先ほどよりも少しだけ長く、深く。シーツに包まれていた柔らかな裸体を、ゲンスルーに預けながら。

 やがてしっとりと柔らかななまえの唇は、ゲンスルーのやや乾燥した下唇を挟み、ふにふにと食む様な仕草を手始めとして気ままな愛撫を繰りだし始めた。舌先で唇をかすめたかと思えば、中央を重点的についばむ様な口づけを繰り返したり、ちろりと舐め上げたり。かと思えば、唇の向かう先は口角に移り、そしてまた食む動きに戻ったり。
 時折くすくすと笑みを漏らしながら繰り返される優しい口づけに、暫くはされるがままだったゲンスルーも、やがて痺れを切らす。反撃へと転じる素振りを感じ取り、なまえが慌てて身を引きかけるが、当然ゲンスルーはその展開を許さない。

「煽ったのは、お前だからな」

 後頭部に回った手は、ボールを固定するようにいとも容易く彼女の自由を奪う。柔らかな唇をこじ開け押し入った舌は、的確に性急に彼女の理性を攻め落としにかかる。

 狭い咥内を鮮やかな手並みで蹂躙されれば、もはやなまえに逆転などできはしない。じきに、重なり合った唇からは甘い声と荒い息が漏れ始め、空間に熱が戻る。


 最初の話が何だったのか。
 導き出さなかった答えは何なのか。
 それを蒸し返す者は、この場にはいなかった。



(2014.04.12)
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