■ 6(隣の車線が気になりますか)

「へぇ。あいつ、なかなか面白い技を使うなぁ」

 襲い来る陰魄を定番の一撃で蹴散らした澪の耳に届いたのは、敵陣真っ只中というこの場には恐ろしく不釣り合いな、呑気極まりない声だった。
 ちらりと振り返れば、澪が未だ他意無く口には出せない「明神」の名を継ぐ青年が瞳をキラキラさせて対岸を見ていた。対岸……その視線の先は、わざわざ確かめるまでもない。澪の数少ない女友達であるなまえなら、先ほどからここからでもわかる程に派手な術を放っては飛び回っているのだから。
 余所見をするなと声をかけるべきか一瞬迷ったものの、一応は明神の方も手際よく剄を放ちつつであったため、この場での小言は控えることにした。

 それに、明神が目をやってしまうのもわからないでもなかったのだ。そりゃあまあ、実際に確かにあの子の技は変わっているわけだし。私らの梵術とはまるで違う道理で繰りだされる力に興味を惹かれるのも、経験の浅い若者としては当然の事だろう。
 などと思っていると、今度は独り言ではなく明確な問いかけとしての言葉が投げかけられた。

「なぁ、あいつの技ってどうなってるんだ?」

 ただ不思議なのだと好奇心に満ちた口調に、澪の口からは知らずと溜息が漏れていた。

「あのなぁ。他人の能力を、ほいほいと教えられるわけが無いだろうが。気になるのなら、お前自身がちゃんと真っ正面からあいつに尋ねろ」

 いかに相手が同僚の案内屋で、しかも後輩とはいえ、そうそう大切な友人の能力を吹聴出来るわけが無い。もっとも、面と向かって尋ねたところで、結果は目に見えて明らかだ。簡単に自分の手の内を明かすような霊能力者など普通は居ないのだが……まあ、ただ、あの子の場合はどうだろうな、と澪は考える。
 今でこそあの子の生家の一件は過去と呼ばれるものになった。けれどそれでも、ある程度の経歴を持つ霊能力者にとっては、あの子の名前は今でも鬼門に当たる。恐れられるか忌まれるか。どこへ出ても腫れ物を扱いされる自身に辟易してきたあの子なら、まっすぐに尋ねられることを喜ぶかもしれない。
 事件の前情報も、家柄についての知識も何も無いまま関わるような……彼女自身を知らない人間ってのは、あの子にとっては好ましい相手だろうから。

「ああそれもそうだな、じゃあ後で聞いてみるわ」

 澪の内心など当然知らない明神は、あっさりと頷くとまた戦闘へと集中し始める。
 その返答を聞きながら、澪も次の攻撃へ移るために身を低く構えた。


  ***


「つーわけで、あんたの技に興味があるんだけど」

 えーっと……?
 あまりに無邪気な瞳を受け、どう反応したものかと一瞬戸惑ってしまったことが非常に悔しい。
 なあなあ、さっきの技どうやってたんだ? と全く何が楽しいのか、やけにキラキラした目で覗き込んでくる白髪の青年に、はぁと溜息を吐きかける。わざとらしく、これ見よがしに。が、どうしたことだろうか……全く堪える気配が無い。
 好き勝手に求愛を繰り返す幽霊といい、最近の若者ってのはこうも図太いものなのだろうか。

「……まあ、他の"専門家"の存在を知るのはいいことね。君ら案内屋の梵術と、私のこれは明らかに違うし」

 期待に満ちた視線を冷たく無視する事も、当然出来たのだけれど。それでもちゃんと返事を口にしたのは、つい気まぐれを起こしたというか根負けというか。まあ、そんな調子で返してみれば冬悟はだよなぁと言ってうんうん頷く……ってなんだろう。ちょっと気安過ぎではありませんか。

「俺も忙しかったから、あんましちゃんとは見てなかったんだが、なんかこう霊力の蛇口を勢い良く開いたり閉じたり……上手く言えないが手際がいい感じだったよな」
「充分よく見てると思うけど。でもまあ、知り合って早々に手の内見せてって直球で言われたのは初めてだわ。あーあ、もう本当に勉強熱心なのか素直なのか何なのか……」
 わかりゃしないと続けるつもりだった言葉は、そのまま被って来た声に掻き消された。
「違うな。こいつの場合はただ阿呆なだけだ。なにしろ、敢えて攻撃を受けに行っては身悶えして喜ぶようなド変態だからな! ……ハッ。いけない、マイスウィート! こんな男の傍に居ては危険だ! おいコラお前! おれの婚約者に馴れ馴れしくするんじゃねぇぞ!」

 私の息が出し切られてしまう前に、つむじ風の勢いで迫ってきた幽霊がそのまま冬悟との間に入って言葉を奪った。そのまま解説だか求愛だか妨害だかよくわからないことを叫ぶので、先ほどまでとは別の意図で盛大に溜息を吐いてみせることにした。が、やはりこいつも全く気にする気配が無い。
 ……敵陣ど真ん中とは思えないくらいに自由気ままな図太さに、ポーズでは無い本心からの溜息が漏れてしまったのは、我ながら仕方の無いことだと思う。

「はいはい、ちょっとお黙りなさいな。言いたいことは色々あるんだけど……まず、ガク。婚約者とかスウィートとか呼ばれるのは好きじゃないの」

 船でも散々言ったことだけれど、と顔を見上げた私の視界に映るのは、いっそ愛らしい程ににぱっと笑ってうんうんと頷く、一見物わかりのいい少年の姿だ。しかし、この物わかりのいい返事は船の上でも散々聞いてきたもので……ああ、やっぱり言ったところで、今回もどうせ無駄なんだろうなぁと諦めが胸に広がる。

「……で、冬悟くーん? 君は『あんた』とか気軽に呼ぶんじゃありません。年齢的にも私の方が上だし、それ以前にこの世界での経歴は私の方がずっと長いんだから。……と言いたいところだけど、まあ状況が状況だし、あんまり敬われてなまえ様とか呼ばれても効率が下がりそうだしね。まあ、程よい敬意を込めつつトーン低めになまえって所が妥当かね」

 こちらは素直にわかったと頷いてくれるので、まだ甲斐がある。物わかりのいい青年は引き続き、そういえば…と何かに気が付いたように首を傾げて口を開いた。

「なまえの苗字は何て言うんだ? そういえば聞いてないよな?」

 その言葉にどきりと鼓動が跳ねる。
「……よく気が付きました」
 さあ笑え私。にっこりと。殊更に余裕を持ってにっこりと。動揺を曝け出さないように、笑え。
 出来る限り余裕に見えるように笑みを作った私の、胸中にはひっそりと、けれどとても深い濁りが揺らめいていた。そしてそれが、じんわりと不愉快な速度で思考を侵食していくのも、自覚のうちだ。ああ、逃避を許さない自分の冷静さが嫌になるのは、こんな時だ。……私の名前。名前は。口の中はからからに乾いていくのに、言葉だけは饒舌に口をつく。

「例えば、澪ちゃんの『湟神』、正宗くんの『火神楽』、白金くんの『神吹』、そして君の『明神』……字面だけで、その人間が何者なのかを表す素晴らしい名よね。明確な意味を保ちながら、受け継がれて来た名前」

 血での世襲制ではなく、能力で結びつく師弟が襲名によって繋ぐ案内屋の名前は、名前を聞けば誰でも……案内屋同士でなくても、その人物がどの系統に属する能力者なのかわかるようになっている。「湟神」なら皆最初から「湟神」として生まれる訳では無く、努力でもって「湟神になる」のだ。そしてその名前を名乗るということは、名乗るに相応しい実力だと宣言することでもある。
 話題的に蚊帳の外になったことを感じとりでもしたのだろうか。ガクが一瞬ムッとした顔になったのが、視界の隅で確認出来た。まあ彼の場合は単純に、私が冬悟の方を見ているからかもしれないけれど。
 そういえば彼の生前の名はなんと言うのだろう。そのうち、機会があったら尋ねてみてもいいかもしれない。

「そういう意味で言えば……私の名は、ただの所属を表す記号ね。おまけに今ではすっかり機能も失った、残りカスのようなもの。だから、本来は名乗る必要性も無いわけよ」

 胸の深く深く、奥底の澱みから沸き上がるのは嫌な記憶と気持ちの悪い感覚だ。それらはどんどん、深く、黒く、広く、密度を増していく。それでも、私は笑顔を止めない。止められない。さあ私よ、若い子たちに気が付かれないように、精一杯明るい声を出すのだ。

「けどまあ、さっきの技云々への答えになるのもこれだから、今回は特別に教えてあげよう。私はね『苗字』って言うの。『苗字』として生を受けて『苗字』として育ち、『苗字』の力を使う、それがこのなまえさんなわけ」

「つまり、うちは完璧に血統がモノを言う、生まれ持っての霊能力者家系なのよねー」
 だから、私の持っている道具の大半は苗字にしか扱えないし、使う技もまた然り。
「術式から何から、全てこの血が一番馴染むように作られているから、付け焼刃で真似をしようとしても何にもならないわよ」

 ただまあ、私がこうしているのは……っと、このままではうっかり続きを話しそうな口に気が付いて、慌てて軌道修正を試みる。へぇ、へぇぇ、と素直に感心する冬悟が面白くて、ついつい口が緩んでしまいそうになったものの、なんでもしゃべり過ぎは良くはない。

「だから、逆に素性が知られるとやり難い部分も大きくてね。ってことで、もっぱら私はただのなまえさんなわけ。オーケイ?」

 言いたくないわけでは無い。ただ、特殊な事情を一から十まで話すような、長い説明は面倒なのだ。そういう態度で強引に締めれば、あっさりと納得してもらえたようで内心ほっとする。
 まあ実際、素性を知られると面倒ってのは、単純に戦闘面で見てもその通りなのだし全くの嘘という訳でも無いのだけれど。

「へぇ血筋かぁ。祓い屋にもいろんな奴がいるんだな。じゃあさ、せっかくだしオレと手合せしてくれよ。使えない技ならなおのこと、どんな感じか受けてみぇしな。こうして機会がある内に試さなきゃ損って気もするし」
「嫌よ。冬悟みたいな肉体派相手に戦うのは、しんどいし苦手なの」

 すかさず返せば、がっくりと肩を落とす反応がやっぱり素直でつい頬が緩む。……ああ、そうだ。あまりに静かで忘れていたが、そう言えばもう一人居たのだった。どうしたのだろうとそちらに視線を送ると、案の定と言うかなんと言うか。
 思い込みの激しい幽霊は、突っ立ったままで小さく震えていた。

「……ちょっと、ガク?」

 大丈夫?とひらひらと顔の前で振った手を、不意に伸びて来た手で掴まれ……そうになったが、そのまま掴まれることは無かった。ガクの手はいつも通りぼわっと、溶ける様に私の腕をすり抜ける。けれど、その現実にめげることも無く、空ぶった手の平を今度は拳にして幽霊は言った。それはそれはいいことを思いついたと言う様に、自信満々で言った。

「安心してくれ。婿養子でも、オレは大丈夫だ!」

 ……うん。大丈夫。どうせそんなことだろうと思っていたから。
 さすがに私も、突拍子もない君の発言に免疫がついてきたからね。
 それにまあ、どちらかと言えばシリアスは御免だ。ならば、ここまで明後日の方向に振り切られるのも、そう悪いものではないかもしれない。
 あまりにもアレな発言に戸惑いを通り越して脱力したついでに、すっかり胸の澱みも吹っ飛んでしまったのだから。



(2014.09.02)
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