| ■ その後の話(上 ただ一人の為だけに整えられたその部屋への来客は、当然ながら極めて少なかった。 絶対安静・面会謝絶という厳重な警備で守られたその部屋を用意した男は、すまないと謝罪の言葉を口にした笹塚に向かって流れる涙を隠しもせず吼えた。 お前の不始末の件は後だ。お前が嫌だと言っても、何時間だって聴取してやる。個人的にも言いたいことは山ほどあるが、全部済んでからにしてやる。ここから先は満身創痍のお前はむしろ足手まといだ。後の事は俺たちに任せて、ここから動くな。少しでも早く、身体を治せ。 それまで殴るのも待ってやると言った友人たちの姿を思い出せば、こそばゆいような暖かいような奇妙な感覚が胸に湧き起こった。そんな悠長な場合では無いとは思うものの、では何をすべきかと問われれば何もできないのである。テレビも新聞も携帯もない、シックスの脅威と混乱から隔絶した入院生活ではただこうして思考する時間だけが有り余っていた。 *** ふと、扉の前に気配を感じて笹塚は身構える。 勿論武器になるものなど何もないし、もとより身体も満足には動かせないのだがそれでも警戒することが習慣となっていた。 張りつめる空気の中、ゆっくりと扉が開き──その隙間にいた人物を認めて目を疑う。 「……なまえちゃん」 ここに居る筈の無い人間の名を口にすれば、その彼女は少し困ったような泣きそうな顔をしながらそれでも気丈に微笑みを返した。 「こんにちは……ご無事で、何より……です」 脳裏にシックスの言葉が蘇り、同時に鼓動が速くなる。 シックスに彼女の存在が知れてしまった今、彼女がここにいるのは危険過ぎる。彼女は早々にこの街を離れたのだと、寡黙な友人はそれでも確かに言っていた筈なのに。 「……え、なんで。地元に帰るって……」 再会の挨拶よりも先に、混乱に唇が滑り始めた。謝罪も、感謝も、言いたいことは山ほどあったというのに、疑問だけが口をつく。 「えへへ。まあ、そういう話しもあったんですけどね、でも帰っても、その先まで追って来ないって保証はないし、そうなると帰った方が迷惑かけるだけだしねぇってことで」 そう言って苦笑する姿は見慣れたもので、こんな時にまで変わらない姿が余計に笹塚の胸を締めつけた。 「そっちに行っても、いいですか」 「あ、ああ……」 ふわりと彼女の歩みに合わせて空気が動くのを、未だ夢の中のように感じて息を呑む。 ***- 「こんにちは……ご無事で、何より……です」 何も無い、ベッドだけの殺風景な部屋。 そこに横たわる怪我人の姿を見て、目頭が熱くなるのを必死で抑える。駆け寄って抱きつきたいという衝動を堪えて静かに声をかければ……よほど驚いたのだろう。目を見開いて、ぱくぱくと口を動かす大変珍しい笹塚さんと視線が合った。 「どうして、ここに……」 「筑紫さんたちが、手配してくれて」 「じゃなくて、一緒に居たら危険だと──」 「でも、私はもう"認識"されたんでしょう? 話に聞く限りでは、相手がその気になったら最後、例え世界の裏側へ逃げても見つかっちゃいそうな感じだし。なら、どこにいても同じかなって」 下手に帰っては、地元に禍を招くことになりかねない。それでも、皆には暖かく迎えてもらえるだろう。けれど……さすがにうちの腕自慢たちと言えど、あんな化け物とその勢力が相手ならば、死に装束で挑む羽目になるだろう。そんなのは、耐えられない。そんな光景は、絶対に見たくない。 「だったら、まだここに居る方がいいかなぁと」 さすがに仕事は辞めちゃったけどと笑ってみせれば、ぎこちないながらも笹塚さんからも笑顔が返された。 「もう。やっぱり、無茶したんですねぇ」 比喩では無く、本当に穴が開いているらしい腹部に視線を向けて内心唇を噛む。弥子ちゃんから聞いた通りならば、刃に変形した手によって串刺しにされた傷だ。……弾丸が防げてこれが防げなかったのは間違いなく私の失態で、つまりすべては私の非力さに由来する。 「……どこまで、知ってるの」 「さぁ。とりあえず、弥子ちゃんと笛吹さんと筑紫さんと、ああ、吾代さん……だっけ。あの人からも、ちょっと聞いたかな、ってくらいです。ついでにあの助手さんこと魔人さんとも面談済で。けど、笹塚さんさえ良いなら、あなたの口から話せるところは聞きたいなぁ──って、ごめんなさい。今のは、調子に乗り過ぎっちゃいました。……もう、そんなことが言えるような間柄じゃないってのに」 あわてて冗談めかして笑ってみるけれど、ちょっと苦しい感じになってしまった。そうだった。この人が私の前から去ったあの日から、私たちの関係は"元"恋人だ。 「ああ、でも、あんなのに狙われる可能性があるんだから、経緯を聞きたいって言っても不自然じゃない『関係』かなぁ」 「……ごめん」 ただの当て擦りの一言に予想以上に痛そうな表情を返され、自分で仕掛けたことなのに胸に鈍い後悔が広がる。違うのに。こんな嫌味を言う為に、来たわけじゃないのに。 「う。私こそ、ごめんなさい。あの、やっぱり、出直しますね」 あの"お守り"が作動した以上、一応の説明をしなくては。そんな大義名分を自分に与えて、ようやくここまで来た筈なのに。傷付きながらもちゃんと生きている笹塚さんの姿と、痛々しそうに向けられる彼の視線を前にしてみればポキリと私の心は折れてしまった。 出直すなんて言ったものの、再びここへ来る気は毛頭ない。 このまま病室を出て建物を出て、そして今度こそ、私が彼から去ってしまえばいい。どうせ笹塚さんはこの怪我だ。暫くは街には戻れないし、ここには私一人では入れない。一応、あの魔人さんが付ける決着だけは確認して──それから、この街を出ても充分間に合う。 もう一度。今度は明確な意志を持って"始まり"をずらしてしまえば、私たちはもう再会することもないだろう。 もっとも、そんな悠長なことを言っていられる保証はどこにもない。あの魔人さんより先に私が狙われる可能性も当然あるわけだし。けどまあ……そうなったら、せいぜい一人で足掻くだけだ。怖くてたまらないけれど、でもやはり……あの特大の災厄からは逃げられるなんて思えないから。 じゃあねと言って素早く扉に手をかける私に、けれども制止の声をかけたのは笹塚さんだった。 「待って! ……その、ごめん。せっかく来てくれたんだし、もう少し……傍に居てくれないか」 彼にしては珍しく勢いのある声を受けて反射的に動きを止めれば、彼にしては珍しく弱々しい声が重ねられた。ここで振り向いたら、この心がまた駄目になる気がする。 「……じゃあ誰かに椅子もらってきます。笛吹さん達ってばよっぽど笹塚さんが心配なんですね。ここへ来る時も、ナイフは持ち込んでほしくないからフルーツは控える様にって言われて。でもまさか椅子まで許可制だとは思わなくて」 無理やり笑って、扉に手を戻す。さあ、早く、ここから出てしまおう。部屋から出さえすれば、彼の声はどうしたって耳には入らないのだから。そうすれば後はただ、振り返らずに走り去るだけだ。 なのに、そんな思考を見透かしたように笹塚さんは言葉を続ける。 「ドアは開けないで。……椅子も要らないから。なまえちゃん、お願いだから、こっちへ来てくれないかな」 「来てくれないなら、俺が行くから。待ってて」 え、と思った次の瞬間、ばさりという音と共に鈍い呻き声が聞こえた。 さすがの事態に「笹塚さん!」と振り返れば、床に落とされた掛布団と苦しそうに身を起こす笹塚さんの姿が目に入る。 「ちょ、何してるんですか! 穴が開いているのに、動けるわけないじゃないですか! お得意の絶対安静でしょうが!」 慌てて駆け寄って肩を支える。ベッドサイドで揺れているナースコールへ手を伸ばすが、しかしその手はボタンを押す前にぐいと掴まれた。誰にって?そんなの勿論笹塚さんしかいない。 「……掴まえた」 何を馬鹿なことをと睨みつけるはずの視線は、上手くはいかなかった。腕を掴む低い体温からは想像できない程に、やけに熱を帯びた眼に競り負けてしまう。同時に、先ほどまでの思考が、あっけなく霧消していく。ほらやっぱり駄目になった。 ──ああ、だって、結局のところ恋人だろうとそうでなかろうと。そんな名称など関係ないのだ。だって、私はまだこんなにも笹塚さんが好きなのだから。そして、自惚れでなければ笹塚さんもきっと。けれどそれでも、それにしても。好きだというだけですべて治めて関係を戻せるほど、もうこの恋は単純ではなくなっているというのに。 「お願いだから、ここに居て」 すっかり参ってしまった心のままこくりと頷けば、ようやく掴む手が緩んだ。落ちた布団をかけ直してやり、促されるままベッドに腰かける。 暫く無言の時間が続いた後、ゆっくりと笹塚さんは語り始めた。 (2014.07.20) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |