■ 下)

 それは長いのか短いのか、正直なところよくわからない話だった。

 二人分の命がかかっているには短くて、恋人にするには少しばかり長い話。そんな告白を終えた笹塚さんは、心なしか晴れ晴れとした顔つきでふうと息を吐き出した。
 さて次はいよいよ私の番か。そう意識してしまえば、握りしめた手の中でじんわりと汗が滲む。

「ごめん。せっかくもらったお守り、無くしちゃったよ」
「あー……うん、そうみたいですね。っていうか、律儀に持っていてくれた事に、ちょっとびっくりしました」
 構えていたものの、ついにこの話題になりびくりと肩が跳ねる。
「正直、未練を残すみたいだし、初めは部屋に置いて行こうか迷ったんだけど。でも、出来なくてさ」
 淡々と話す笹塚さんには、焦りも怒りも、それどころか問いの意識も薄くて、いつもと変わらない彼のおかげで少しづつ気が楽になっていく。刑事さんモードで尋問されなくて本当によかった。
「ねえなまえちゃん、あのお守りって、結局何だったの?」
「それは、秘密。でも効いたでしょ」
「でもさ……お守りって、普通あんな風には効かないよね」
「まあ、あれは特別製だから。巷で言う伝家の宝刀ってやつで……要は最後の最後の切り札用。尤も、出番が無い方がいいただの"おまじない"のつもりだったんだけど」
 我ながらよく言ったものだ。「ただのおまじない」なんて勿論嘘である。実は、結構本気の全力だったりした。そう。全力……だったのだけれど、実際の所は笹塚さんのお腹の攻撃も防げなかった。そんなレベルでは、偉そうなことなど言えもしないわけで。

 平時であれば、オカルトにも程があると笑い飛ばすどころかどん引かれそうな話題の筈だが、笹塚さんの顔にはそうした感情は見受けられなかった。ただ、時折ふぅんと不思議そうに頷くだけだ。……まあ、サイ(今はイレブンだが)やシックスなんて規格外の人外に加えて、身近にいた探偵助手さんが立派な魔人さんであったという暴露の後では、もう色々麻痺しているのかもしれない。
いや、もともと気にしない人だったという可能性も一応残ってはいるのだけれど。

「でまあ、期待を外して申し訳ないのですが、私の持ちネタはアレだけなんです。だから正直、シックスとは全く勝負にならんのです」

 お守りを一瞥し、愉快そうに笑ったというシックスのことは弥子ちゃんからも聞いている。
 出来損ないの私に許された、数回だけ身を守ってもらえるという破格の術であのザマだったのだ。それを「次は何が出るだろう」と期待されただなんて色々無理過ぎる。もう私には奥の手も何もないってのに。正直、詰んでいるとしか思えない。

「……ごめんな。折角離れたのに、結局なまえちゃんを巻き込んじまった」
「違いますって。お守りを渡したのは私です。それに、笹塚さんが生きている方がずっと大事です」

 たとえ、私が詰んでも。
 ああ、でも、それはさすがに笑えないな。


  ***


 回診の医者が出て行って、どれくらい経っただろう。
 さすがにそろそろおいとましますかと腰を上げれば、ついつい口にする時期を見計らっていた言葉までもがぽろりと零れ落ちてしまう。

「そういえば、なんですけどね。今回は筑紫さんと笛吹さんが気を利かせてくれた訳ですけど、普通ならこの場所のことは絶対教えて貰えないし、案内もしてもらえないのですよね?」
「まあ、そうだろうなぁ」
「その辺は、恋人でも友人でも知人でも大して違わないんですね」

 例えば今回の様な、異常事態じゃなくても。例えば日常の中でこの人に何かあったとしても、"家族"ではない私には連絡など来ない。仮に知ることができたところで、どうしたのかとか何かあったのかとか、問いに答えが返ってくることはまずないのだ。たまに紙切れ一枚で何が変わるのだと笑う人がいるけれど、その紙切れ一枚でなければ越えられない距離が今の世の中には多過ぎる。

「……なまえちゃん?」
「ねえ、笹塚さん──好きですよ」
 好きです。見え透いた嘘を沿えた、あの別れの夜だって本当はもっとみっともなく縋りたかった。
「……なまえちゃん……ごめん」
 好きです。貴方が貴方であるなら、私の傍に居なくてもいいと思えるくらいに。
「うん、わかっています。だから、お願いです」
 好きです。過ぎてしまったあの暖かい日々を愛おしくて堪らなく想う程に、貴方が好きです。

「最後に一度だけ、"好き"って言葉を聞かせて下さい。それで、帰りますから」

 大丈夫。
 それでちゃんと、あなたの居ない日々に帰りますから。
 傷を隠して肌の上だけ撫で合うような付き合いには、知り過ぎた私は疲れるんでしょう?
 いいんです。さすがに、どうにもならないことにも慣れていますから。

「なまえちゃん……ごめん……」

 ああ、いやだなぁ。笹塚さんの優しくて、でもちょっと寂しそうに笑う顔が好きなのに、今日は見られそうにないなぁ。最後に焼き付けるのが、こんな困惑や苦痛の表情なんて、冗談じゃないんだけどなぁ。まあ、でも、ひょっとしたらこんな顔すら見られなかったのだから、目の前に笹塚さんが居るというだけで喜ぶべきことなのだけれど。
 なんて思っていると、笹塚さんが身じろいだ拍子に腕が当たった。"終わり"を受け入れる準備を始めた身には、こんな風に不意に擦れる接触ですら辛い。服越しに感じる冷たい肌ですら熱過ぎる。
 なかなか与えられない言葉に業を煮やした振りをして、やっぱりいいやと立ち上がりかけた時──その指が今度はしっかりと私に触れてきた。やっぱり、熱い。笹塚さんの指先から流れ込んでくる熱が、あっという間に全身へと広がってしまう。胸がいっぱいになってしまう。

「……二回も、手放せると思ってるの?」

「……一度は、突き放した癖に?」

 返した言葉は、ほとんどただの反射だった。だって、びっくりしたのだ。困り顔はいつの間にか真面目な顔になっていて、さらにこんなことを言うのだから。突然の展開に私の頭がまったくついていけないのは仕方ないだろう。

「突き放した結果がこの有様だからね。ごめん。大事なはずの君を、俺が傷つけた」
「さ、笹塚さん?」
「これ以上、連中の好きにさせて堪るか……ってね。待ってて、出来るだけ早く治して、今度は……今度こそ……俺がなまえちゃんを守るから」

 正直、実刑かなと覚悟したんだけどさ、と小さな声で笹塚さんが続ける。
 俺の始末も、あいつらがどさくさに紛れて上手いこと誤魔化してくれるみたいだし。そう言葉を続けた笹塚さんが浮かべているのは苦笑にしては随分と清々しいものだった。

「……なんか、ふっきれました?」
「ま、ここのところ考える時間だけはたっぷりあったし」
 そりゃあ、こんな殺風景な部屋の中で絶対安静なんて、思考することと睡眠くらいしか暇潰しの手段も無いだろうけどさ。
「ねえなまえちゃん。動けない俺の為に、もう少し顔を寄せてもらえるかな?」

 甘い甘い口づけに酔う頭に、求めていた言葉は望んでいた以上の幸福感を連れて滑り込んでくる。何一つ現状は解決していないというのに、もう二人には何の問題も無いような、そんな馬鹿みたいにおめでたい錯覚を信じながら、私たちはただ唇を重ね、言葉を重ね、笑みを重ねていく。



(2014.07.20)
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