| ■ キツネとタヌキ 団長である彼と二人きりで酒を飲めるような者は、副団長と兵士長、そして以下数名程。 実はその少ない中になまえも含まれているのだが、そんなことを知る兵士はまずいない。そして更に意外なことに、彼女と公認の仲であるリヴァイですら、そのことに気が付いてはいないのだった。 「あなたが、酒でぺらぺら喋るような簡単な相手だったら組み敷くのも楽なのにねぇ」 琥珀色を愛おしむようにグラスを揺らす彼女が投げかけた軽口は毒の効いたものだったが、特に気の利いた返しも浮かばなかったためエルヴィンは沈黙を返すことにした。そんな彼を気にする風もなく、なまえはなまえでさっさと己の用件へと話題を戻す。副団長直属の内勤部隊から、兵士長付きへの移動願い──それ自体には別段の驚きはない。 なにせ、リヴァイ目当てに此処までやって来たこの女だ。むしろ、入団後真っ先にそのポジションを求めなかったことの方が意外だといえる。 「だが……チームがなくなる分、今までよりもやりにくくはなるだろうな」 誘導を得意とし、暗躍に暗躍を重ねて実績を手にして来たなまえだったが、特例である兵士長付きになれば注目を浴びることは避けられない。これまでのように隠れて動くことも難しくなるだろう。そしてその言動は、彼女自身か兵士長のものとして直ぐさま周知のものとされるだろう。 「大丈夫。しっかり仕込みも出来たし平気よ。これからはこれからで、相変わらず好きにさせてもらうわ」 今いる部隊で出来ることはやったと言い切る姿が、酔っての妄言でないことはエルヴィンも承知していた。確かに、向こう数年分の資金の算段や、各方面との関係の整理は、ここ二・三年の内に過去に類を見ないほどに進展している。なまえの所属する部隊ほど顕著で無いとはいえ、内勤部隊全体において幅広い技量の向上が見られるようになったことは傍目にも明らかだった。 それに伴い、対外政策も随分と改善した。商会や他兵団から「体力勝負の穀潰し集団」と嘲笑われていた調査兵団にとってこれは大きな転機である。 もっとも、それらの全てがなまえの功績だとは決して言えない。それでも彼女の尽力無くして、現状は無かっただろう。 そして何より、その献身と忠誠がたった一人の為であることを重々承知した上で彼女を調査兵団に招き入れたのはエルヴィン自身だ。 *** あの、忘れられない初対面から数年後。 巨人の襲撃により世相が混乱した最中、そのどさくさに紛れるように現れた彼女の姿はエルヴィンに衝撃を与えた。 体裁以上の忠誠は誓わない。そんな兵士にあるまじき発言と共に、なまえが望んだものは兵団での地位とエルヴィンへの発言力だった。てっきりリヴァイの傍を希望するものかと思いや、彼女は全く違う部隊を挙げた。そしてそこで一定の成果を上げては、ステップアップとしての転属を願い出る。後は殆ど、その繰り返しだった。 影にエルヴィンの采配があったとはいえ、僅か数年でなまえはほぼ実力で幹部付きの地位まで登り詰めた。最初こそ不思議に思ったエルヴィンだったがが、彼女の移動と共にもたらされる変化や成果を見ていれば、なまえが何をしたいのかは明白だった。 リヴァイが動きやすいように、リヴァイが強くいられるように、リヴァイを取引に使わなくてもいいように、リヴァイが生きられるように── そのためになまえは、まずは枠組みとしての兵団を整え、強化することが不可欠だと考えたのだ。それに気が付いた時、エルヴィンは歓喜した。他兵団や商会相手に折衝できる立場になるには、人材の育成が欠かせない。けれど、今の兵団ではそこに人員を割ける余裕が無かったのだ。 エルヴィンが気が付きながらも、手を割けなかったその部分。彼女もまたそこに目をつけ、そして動いていた。リヴァイのためにと整えられていく舞台の完成予想図は、つまりは調査兵団が調査兵団として全力を尽くせる舞台である。目的の本質は異なれど、その過程は驚くほどにエルヴィンの望みを叶えるものだった。 *** そして。好意などという言葉より執念という言葉を捧げたいほどに頑丈に、周到に、抜け目無く策を練って来た彼女が、ついに王手をかけてきた。 まったく、こんな女に思われて……よくもまあそうやって平然と日々を過ごしていられるものだな。さすがに薄々は気が付いているだろうが、恐らく彼女の行動の半分も知らないであろうリヴァイのことがいっそ気の毒にすら思えてくる。 「で? 結局、あいつへの説明は全て私がすることになるのだね」 「そこはほら、団長様だし。普段の頑張りを認めての、粋な人事ってことでいいんじゃない?」 軽くいって笑ってみせるなまえも、当然ながらそれで済むとは思っていない目をしている。相思相愛の相手をいきなり補佐に就けられて、あの男が黙って受けるわけがない。何を企んでいるのかと手酷く追及されるのは目に見えていて、想像するだけで気が滅入る。すべてがすべて、お前のためだけにこの女が仕込んだことだと伝えたら、いっそ楽だろうかと考え……エルヴィンは苦笑した。 ここまで一方的な搦め手で守られ続けて、しかもそれを知らずに過ごしていたなど、あの男の自尊心には耐えられないことだろう。結果、せっかく上手くいっている二人に仲違いなどされては──兵団として失うものが大きすぎる。 エルヴィンの指揮する調査兵団の中で、"人類最強の男"が力を振るう。 その"人類最強の男"の幕僚となるに相応しいのは、まさに桁外れの執着と実力を兼ね備える"彼女"だろう。 二人が並ぶ光景はエルヴィンの目的のため、ひいては調査兵団の進撃のために必要なものと思えた。 「くれぐれも、喧嘩などしてくれるなよ」 周知の関係だで仲違いなどされては、気を遣うのは周りだからな。 エルヴィンが言えば、なまえも了解だと笑みを返した。 「一番不都合なのは、きみの執着が移った時だが……」ひっそりと思った言葉は、口には出さない。誰か一人の為にここまで出来てしまう彼女は、つまりその心次第であっさり身を翻す危険があるということだ。 もし彼女がこの先、リヴァイから離れることになったら。もしも商会や教団やその他の、兵団に敵対する存在に惹かれるようになったとしたら……? その時は、迅速に事態を収拾する必要が──つまり、下手に動かれる前に、早々に叩く必要があるだろう。 物騒な考えなどおくびにも出さず、空になったグラスに静かに酒を足した。 (2013) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |