■ 愛し君への贈り物

 いつもながらの愛らしさで飛び込んできた女を抱きしめる筈の両腕は、しかしそのまま虚しく空を抱いた。ふいと離れた相手に対して身勝手な振る舞いだと呆れるより早く、ぐいと差し出された手のひらに視線が釘付けとなる。
「あげる」
 細い指の間で今にもこぼれ落ちそうに輝きを放っているそれには勿論見覚えがある。素人目にも確かな立派な宝石を中央に、周囲にまで大小さまざまな石を散りばめた首飾りは数ヶ月に及んだ仕事の戦果であり、なまえにとっては「ようやく取り戻せた」ものであり、更に付け加えるならば彼女の指には既にこれと対になる指輪が嵌められている。一つだけでも大したものなのに揃いの細工物となれば、それこそ"とんでもない"品物だという事くらいは審美眼がなくても分かるというものだ。
 触れる事すら躊躇するようなそれらをあっさり掴んでしまうなまえがいかに恵まれた立場に生まれ育ったのかを思い知ると同時に、そんな彼女が今こうしてこの場所にいるという事の奇妙さが何とも心許ない想いを連れてくる。だが、今気にすべき事はそこではない。

「あげるってなんだよ」
「指輪のサイズはもう直しちゃったでしょ。まさかこんなに早く揃えられるとは思ってなかったから」

 消去法だとなまえはあっけらかんと口にする。だが、だからと言って首飾りなど貰ってもビノールトとしては困惑するばかりである。何より、使い道がない。
 身に付けるというのは論外だし、換金するにしてもこれ程の品物ともなれば"然るべき手続き"というものが必要になる。いや、そもそもが金と時間と手間をかけて「取り戻した」品物だ。せっかく入手したものを右から左へと闇に流しては意味がないから、きっとこの女としてはビノールトが持ち続ける状態が理想なのだろう。しかしその理想こそが最も現実的ではないとどうしたら理解して貰えるだろうか。
「……えーっとな、気持ちはありがてぇがな、オレが持ってても仕方ねーだろ? 付けるわけにもいかねぇしな?」
「じゃあやっぱりこっちがいい?」
 あなたの指に合わそうかと言われて慌てて首を振る。そういう意味では決してない。
 なおも小首を傾げる変人を見つめて、さてなんと言えば理解して貰えるだろうかと頭を抱える。奪い取るための算段ならまだしも、受け取らないために頭を使うなんて馬鹿らしいにも程があるし、以前の自分ならきっとこんなことで悩む事はなかっただろう。
「どっちもおまえのモンでいいだろ。せっかく集めたんだしそれに……似合ってるしな」
 今度の答えはお気に召したらしい。たちまち稀代の変人は最愛の恋人の顔になり、いつもの如くとろけるような微笑みを浮かべた。花がほころぶような、という表現がこれ程似合う女もそうそういないだろうなと極々自然に思う自分の盲目具合には気が付かない振りをする。
「ありがとう。じゃあね、ここにあなたがつけて」
 返事も待たずに目を瞑ってしまうのだから堪らない。こうなればもう、応えてやるしかない。触れる事すら躊躇する輝きを恐る恐る摘み上げて、しっとりと重いそれを無防備に差し出された首に緩やかに這わせる。

「ああほら、やっぱりあんたが身に付ける方がいい」

 大粒の宝石の重みにも輝きにも微塵もたじろぐことがなく、胸を張って艶やかに笑えるあんたにこそ相応しい。
それはあまりにも完璧過ぎて、揶揄することすら馬鹿馬鹿しくなる光景だった。どうしようもないまま率直に褒めると、薄く開かれた唇からは一層嬉しそうな声があふれてくる。
 なまえの手が肩に触れた。促されるままソファに腰掛ければ女の身体が後に続く。伸びてくる腕を視界の隅に捉えながらも、太ももに感じる柔らかな重みに目眩を覚えながらも、それでも今はこの女の瞳から目が離せない。

 ただの女だと思っていたのに、まさかこんな。輝く宝石よりもたったひとりの女の方がずっと価値あるものに思えるなんて、過去の自分に言っても到底信じないだろう。

 なまえの腕が静かに首へと巻きつく。彼女の指を飾る宝石がぞくりとする冷たさでビノールトの首筋を撫で上げた。目の眩むような輝きを引き連れたなまえが男の戸惑いなどお構いなしに身を預ければ、たちまち豊かな胸によってふたりの距離はゼロになる。ぎらりぎらりと凶悪に輝く首飾りはまるでなまえの心臓のようだと思いビノールトは唾を飲み込んだ。太ももの上をはしたなく跨ぐ脚が甘えるように緩やかに揺れ、唇から漏れた吐息はビノールトの髪を揺らし耳朶をくすぐる。
 もとよりビノールトにこの先を断る気などある筈もなかったが、こんな高価な装飾品を身に付けたまま致す事は出来れば遠慮したい展開でもあった。しかしどうにも困った事になまえはもうすっかりその気でしかなかったから、程なくして根負けしたビノールトが潤んだ瞳に乞われるまま唇を寄せれば後はもう簡単には終わらない終われない蜜漬けの夜になだれ込むだけである。

「ねえビノールト。どちらも私に相応しいと言ってくれるなら、あなたには"これを身につけた私"をあげるわ」
「……そりゃ、光栄だ」

 裸の身体にたったふたつ──"当主の証"だけを身に纏ったなまえが腰をくねらせる。
 口付けの合間に囁かれたものが彼女なりのプロポーズだったのだと理解できたのは、ずっと後の事だった。



(2017.03.20)(タイトル:銀河の河床とプリオシンの牛骨)(バレンタインには間に合わなかった)
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