■ 心臓から丸め込まれる[簡易版] ***完全版はハンター裏部屋にて(こちらは半分以上カットの簡易版です)*** 女の指がつーっと首から腰へと滑っていく。細い指が映える小さな手は自分のものより随分とあたたかくて柔らかい。しっとりとした皮膚に覆われた肉と、つやつやの爪で飾られた血色のいい指先。鼻先にさし出されれば、堪らず食らいついてしまいたくなるようなご馳走だ。 浮かんだイメージにごくりと喉を鳴らすビノールトにもまるで構うことなく好き勝手に指を遊ばせていたなまえだが、ある一点に触れるとぴたりと動きを止めた。 「このへんは鞭かな。ねえ、ここの大きな傷は? これも刃物じゃないよね」 「……そこは多分、ガキの頃のだな。確か箒かなんかで叩かれたんだが、その内に柄がぽっきり折れちまって、ぐさりってわけだ」 「あらあら。やっぱり長物は扱いやすいから調子付いてやりすぎちゃうのかしら……じゃあ、この火傷は?」 「どっからどー見てもただの火傷だろうが。火ぃ使ってて下手こいたとか、熱湯ぶち撒けたとか、そんなんだろ」 「えーでもなんか、よく見ると残ってるとこに何か文字みたいな……」 「大体そんなこと知ってどうするってんだ。もういいだろこんな……気持ちわりぃだけで」 焼きごての痕を消したかったとでも言えばいいのか。彫られた傷を誤魔化したかったとでも言えば満足か。けれど律儀に答えたところで、それが何になるだろう。憐れまれたところで惨めだし、ただの好奇心でほじくり返されるのもいい気分ではない。 「いつも私の身体を隅々まで見たがってるくせに?」 そんな事言っちゃうんだとクスクス笑うなまえには悪いが、おまえとオレでは意味が違うだろうと返さずにはいられない。 「あんたは、きれいだからな」 ああそうだおまえは綺麗だ。どこを触っても柔らかくてすべすべとしていて、どこを舐めても舌が痺れそうになるくらい甘い。みっちりと詰まった肉と流れる血を包む滑らかな皮膚を僅かでも裂いたのなら、弾けたソーセージのよう中身がこぼれ落ちるだろう。どこからどう見ても健康的な女そのもので、どうしようもなく綺麗じゃないか。……わざわざ傷つけて中を開いて、その肉の間がどうなっているのか確かめようとすることも惜しく思える程に、綺麗じゃないか。 「私から見れば、あなたも"きれい"よ」 ひときわ目立つ傷痕に指を這わせながら、何でもないようになまえが言い放つ。無論、素直に同意できるわけがない。 「怒らそうとしてんのか?」 「心外だなぁ。まあいいけどね、疑うのなら信じるまで言うから」 「何を」 「あなたは、"きれい"よ」 裸の背にさらりとくすぐったさが広がった。触れたものがなまえの髪だと気がつく前に、傷痕に生ぬるい水気が押し当てられる。指の代わりにぬるぬると這わされたものがなまえの舌であることなど明白で、今度こそ言葉を失うのだがそれでも彼女は行為を止めようとはしなかった。 縋る為にではなく逃さない為に伸ばされた腕が身体に絡みつく。 何の仕掛けもないただの女の腕だ。けれどその非力な温もりをどうしようもなく心地よく感じてしまい、振りほどけない。なまえの手も舌先も激しさを増していき、飲み込まれそうになる。いよいよ駄目だと首を振った時にはもう遅く、後戻りも出来ないまま袋小路へと追い立てられていた。 「あなたは"きれい"よ。この傷も、この痕も、この痣も、あなたが足掻いた軌跡でしょう」 囁きは麻酔のようだ。至る所に唇で触れられ、敏感なところを撫でられ、堪らずシーツに身を投げるとすかさずなまえの身体がのし掛かってくる。 「傷痕、どれも古いよね」 臍の周りをくるりとなぞった指がそのまますうっと下される。もどかしい。けれどもっとと強くとねだる前に背中に歯が立てられた。鞭の痕、ナイフに抉られたところ、硬く変質した皮膚の上。キリリと噛んだかと思えば、労わるように舐められる。かと思えば挑発的に肌で擦られ、揺れる髪にくすぐられる。いちいち数えるのも馬鹿馬鹿しいような数の汚れに染め上げられたこんな身体といえども、こうも前から後ろからと包み込まれては平気ではいられない。 「う……はぁっ……」 殺しきれない声を漏らしながら崩れ落ち、せめてと伸ばした手でシーツを掴んだ。 *** 「ねえビノールト、あなたのこと"きれい"だって言うのは本当よ?」 「……まだ言うのな」 「何度だって」 正面から胸の中に転がり混んできたなまえは、そうしてまたひとり話し始めた。ヘソの近くにある古傷を撫でながら滔々と語られる内容は、言っては悪いが正直理解に苦しむものばかりだ。仮にどれほど鍛錬しようが這い上がろうが、結果としてなったものが食人鬼であればどんな善行も努力も差し引きマイナスだろうに。けれど、おそらく一般的な視点とは天と地ほどの差はあるのだろうが……知られた上で認められるというのは、そう悪くはない気分、かもしれない。 「──だからねぇ、あなたは"きれい"よ」 「そりゃどうも……」 もういい加減に、黙れ。湯たんぽみたいにあたたかい身体を抱きしめて唸れば、なまえが小さく笑った。けれどもう、言葉を返す気力もない程に眠くて堪らない。 宙を舞うような感覚の中、ああそうかとようやく思い至る。 傷をつけて開くことに魅力を感じられないのは、きっとただ単に惜しいからだけではない。そんな風に無理やり開く必要がないからか。外面を剥いで肉を見るまでもなく。腹を掻っ捌いて味を確かめるまでもなく。なまえならば怖れなくていいのだと、もう知ってしまっているからだ。 (2017.01.10)(タイトル:インスタントカフェ) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |